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音楽家は孤高であってはいけない

2006-08-16 02:09:52 | 音楽一般
うわーっ、ずいぶんとひさしぶりだなぁ・・・・・ってか、忙しさにかまけてサボってただけなんだけどね。2ヶ月半ぶりくらいかな。
まだ見てくれている人いるでしょうか?(笑)。
現在もかなり忙しくて、帰ってきて音楽聴いて寝るだけという毎日を過ごしているんですが、そんな中フラリと立ち寄ったライブでかなり腹立つことがあったので、今日はそのことを書こうと思う。

音楽ってさ、特権階級のものだと思う?。いや、これは芸術全般にいえることだと思うんだけど・・・・・
「特殊な素材・手段・形式により、技巧を駆使して美を創造・表現しようとする人間活動、およびその作品」、これは芸術という言葉を辞書で引いた定義ね。
で、じゃあそれはその素晴らしさを理解できる特権階級が享受すればいいもので、一般大衆には必要のないものだと思う?、って問いね。
そんなこたないよね。
芸術、特に音楽の本質が「伝えること」である以上、伝え手と受け手の双方がいなければ、それは存在し得ない。また、伝える相手の範囲を「分かるやつだけ分かればいい」って限定した表現は、独り善がりを孤高と勘違いして自己満足しているオナニー野郎と大差ない。満足している人数が多いか少ないか、違いはそれだけだ。
表現者の目指すべきは「すべての人に理解してもらい感じてもらうこと」でなくちゃいけないでしょう。「すべての人に支持される」は、これは無理だよね。でも「すべての人に理解してもらう」のは、不可能ではないはずだ。
表現者であれば、伝達者であれば、音楽家であれば、それを目指してしかるべきだよね。
なんでこんなこと書くかって言うと、最近何気なく立ち寄ったジャズクラブでのライブで、イヤーな一言を聞いちゃったからなんだよね。
近隣に住んでいるミュージシャン同士のセッションで、お互いに曲を持ち寄って好きにやろうと、そんなコンセプトのステージだったんだ。編成はピアノ、ベース、ドラムスにテナーの4人。スタンダードからMiles Davis(マイルス・デイヴィス)の後期の曲のカバーとか、6/8にアレンジした「美味しい水」とか、それなりに楽しんでたんだけどね。
カチンと来たのはテナーの書いたオリジナルを演り終えたあとのMCね。
「おお!、最後まで行ったぜこれ!。お客さんには何が起こったかぜんぜん分からないだろうな」って、ボソッと呟いたの。
俺思わず席を立っちゃったよ。
ふざけんなよ、お前ね、それは言っちゃいけないんじゃないの?。
その曲は頻繁にリズムがズレる不規則な変拍子で、トーナリティも希薄なフリーっぽい曲だったんだよ。それを初見でバチッと合わせるってな、確かにスゲェンだよ。プロの仕事って感じだし、技術的に水準が高いのは認めるさ。でもその素晴らしさを分からせようとしない演奏って、それはお前らの集団オナニーなんじゃないのかね。
ミュージシャンってこういうやつら多いよね。「自分はスゲェことやってる」って意識が見え見えで、聴き手の感情を意識してないやつら。平たく言うとオナニー野郎。
嫌って程見てきたよ。
ボーカルには比較的少ないようにも思うんだけど、でも五十歩百歩だね。
スゲェことやってて「だからなんなの?」って感じだよね。

確かに難解な音楽ってあるよ。理解するのに努力が必要な音楽ってある。上記の芸術の定義で言えば「形式、技巧の点において緻密かつ繊細なもの」がそうだね。緻密になればなるほど、繊細になればなるほど、聴き手にもそれを理解する「耳」が求められる。
そういう音楽は、理解できれば平易な音楽よりも受ける感動が遥かに大きい。聴き手が理解するために手間暇かける意義はここにある。
だけど、演り手にも「理解してもらうために必要な努力」ってあると思うんだよ。
形式や技巧ってのは伝えるための手段であって、それ自体が目的じゃないはずだ。
表現したいことを聴き手に伝えきって、初めて演奏は完璧になる。
演り手と聴き手があって、初めて演奏という行為が成り立つんだ。
プライドはあっていいよ。素晴らしい技巧を駆使して感動を人に与えようとする職業なんだから、プライドはあっていい。大いにあっていいと思う。
でもそれは振りかざすもんじゃないし、「俺たちはスゲェンだぞ」ってのをアピールするための音楽じゃねぇだろ。
勘違いすんなよ。
「技術を磨く」「聴き手に伝えようとする」「聴き手に理解してもらおうと努める」、これってそれぞれ不可分なものでしょ。この3つが揃って初めて音楽家、芸術家なんだ。
自尊心は持っててもいいけど口には出すな。特にお客さんの前ではな。
それをやった時点であんたらの音楽は自己満足のマスターベーションに成り下がるよ。
よく憶えとけ!。

って、ひさびさのポスティングなんだけど、かなり憤った文章になっちゃったね。
明日も忙しくて早く寝たいんだけど、思い出したら腹立ってきちゃって、書かずにはおれませんでした。
性分ですな。
ウヒャヒャヒャヒャ。
次はいつになるかわかんないけど、ここは閉めません。
読む人がいなくなっても、僕が音楽聴いてる限りしつこく続いていきます。
ではではーん。


2 コメント

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表現者って! (penkou)
2006-08-27 10:56:48
ずっと、チョットおかしな僕のコメントがTAROさんの記述に張り付いたままだったので気になっていました。で゛も毎回まだかな!と思って覗いてはいたのです。



確かに音楽はと受け手がいるから伝え手もいる。いやその逆かもしれないけれど双方がいないと成り立たないかもしれませんね。でもこのTAROさんの問いかけは結構シビアで、表現者でもあり、伝達者でもある絵描きの世界はどうなのだろうと考えてしまいます。やむにやまれない己の心をぶっつける、むしろその方が心に響いたりします。しかしその表現者は決して「独り善がりを孤高と勘違いして自己満足」をしているのではありませんよね。
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>penkouさん (TARO)
2006-08-28 01:54:12
おひさしぶりです。

いつもコメントありがとうございます。





>絵描きの世界はどうなのだろう



絵画と音楽の性質の違いは?、といったところですね。

ちょっとpenkouさんのこのコメントの内容について、色々と書いてみたくなったので、次の記事を上げて、レスの代わりとさせていただきますね。



ご覧くださいませ。
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