先日読み始めた「スタインウェイ戦争」なる本、本日読み終わりました。
途中、剣豪3をやり始めた関係で中断期間があったけれども、内容も簡潔で読み始めたら割合ガーッと読めた。
しばらく前に書いたように、スタインウェイってのはピアノのメーカーで、スタインウェイっていうドイツ人がニューヨークに渡って開いた会社なのね。
このスタインウェイにはニューヨークとハンブルグに工場があって、ニューヨーク・スタインウェイとハンブルグ・スタインウェイって言われて、それぞれが独自のブランドのように扱われてる側面が多分にあるのさ。
なんでかって言うと音が違うから。
どちらが良いかは別として、日本に入ってきているのはハンブルグスタインウェイが殆どで、その市場をほぼ松葉楽器(仮称)という会社が総代理店として独占していたのね。つい数年前まで。
この販売力と業界に及ぼす影響力や権力は相当なものだったらしいのさ。
で、タカギクラヴィアっていう会社が独自にニューヨークスタインウェイを輸入販売、またコンサートホールへの持ち込み使用を行なっていった時に松葉楽器から色々な妨害を受ける。
それに負けずに敢然と立ち向かったタカギクラヴィアは・・・・・なんてのが本書の主な内容。
この松葉楽器(仮称)ってのは、最終的に公正取引委員会から排除勧告を受けて、数ある代理店のひとつに格下げ。それでスタインウェイ・ジャパンが設立される運びになってめでたしめでたしと。
それにピアノの歴史や変遷、コンサートホールへピアノを持ち込む上での苦労話、古の華やかなりし巨匠たちの音を再現しようとする調律師の夢といったものを絡めて、上手くひとつの読み物に仕立ててる。
かなり楽しく読めました。
凄く興味を引かれたのがピアノの変遷の部分。
ヨーロッパで貴族制度が崩壊して、著名な巨匠たちはスポンサーを失う事になりますね。
その結果アメリカ資本が巨額の投資をしてアメリカのコンサートホールでの興行を打つようになり、巨匠たちの演奏の場がアメリカに移っていくんですね。
それまでは上流階級がサロンで楽しむ室内楽だったクラシック音楽が、膨大なキャパシティを持った大規模なホールでのものへと代わっていく。それに連れて楽器自体も大音量を求められていき(当時はマイクなんてなかった)、ピアノそのもののあり方も変わっていった、っての。
ピアノに詳しい知り合いが「ニューヨーク・スタインウェイとハンブルグ・スタインウェイのどちらが良い音かは別として、当時のハンブルグ・スタインウェイやベーゼンドルファーなんかは、ナマ音ではホールでの使用には、音量的に耐えないものだったと思う。ただ、小音量でしか表現できない領域もあるわけで、優劣を語るのは難しい」なんて言ってた。音量って言葉を使ってしまうと語弊があるかな・・・・「音圧」が適切か・・・・・。
本書では、採算ベースに則った大量生産に頼らないニューヨーク・スタインウェイの音の方が良い、といったスタンスで書かれているんだけども、突き詰めればニューヨーク・スタインウェイの音だって「ホールでの使用」という商業ベースに従う形で作られてきているという側面は否めないでしょう。
これは音の比較の話ではなくて、杓子定規に経緯のみを捉えて考えた話ね。
現代になってみれば、音圧がどうだろうとマイクで音を増幅しちゃえば関係ないんじゃないのかって思うけど、それは後になってからの話しだし・・・・・。
これはね、楽器だけの話ではなくて、音楽自体が必ずしも「なにを表現したいか」からスタートしているのではなくて、「どこで演奏されるか」とか「聴衆が聴きたいものは何か」とか、そういった外的な要素によって規定されているって側面は必ずあるんだっていう事。
商業ベースに乗っている以上は芸術って在り得ないんじゃないかって・・・・・まぁ大袈裟ですが(笑)。
逆に商業ベースに乗らない芸術ってのは、メディアにも乗らないし大衆の目や耳に触れる事もない。表現者の自己満足になってしまうかもしれないしね・・・・・。
「芸術は一般大衆のものではない」っていうスタンスを取る識者もいるけど、一般大衆が目を向けないって事は、いずれ誰も目を向けなくなるって事だし・・・・・芸術そのものの存在意義が無いって事に繋がる。
ここら辺のバランスって難しいなぁって、そんな風に感じました。
本書の内容をベラベラ喋っちゃってるけど、大まかな事しか言ってないので今から読んでも十分楽しめます。
メチャメチャ面白い本ですよ。
興味がある方は読んでみてください。
本日の安眠盤、Dizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー、tp)の「The Winter In Lisbon」
ではでは。
途中、剣豪3をやり始めた関係で中断期間があったけれども、内容も簡潔で読み始めたら割合ガーッと読めた。
しばらく前に書いたように、スタインウェイってのはピアノのメーカーで、スタインウェイっていうドイツ人がニューヨークに渡って開いた会社なのね。
このスタインウェイにはニューヨークとハンブルグに工場があって、ニューヨーク・スタインウェイとハンブルグ・スタインウェイって言われて、それぞれが独自のブランドのように扱われてる側面が多分にあるのさ。
なんでかって言うと音が違うから。
どちらが良いかは別として、日本に入ってきているのはハンブルグスタインウェイが殆どで、その市場をほぼ松葉楽器(仮称)という会社が総代理店として独占していたのね。つい数年前まで。
この販売力と業界に及ぼす影響力や権力は相当なものだったらしいのさ。
で、タカギクラヴィアっていう会社が独自にニューヨークスタインウェイを輸入販売、またコンサートホールへの持ち込み使用を行なっていった時に松葉楽器から色々な妨害を受ける。
それに負けずに敢然と立ち向かったタカギクラヴィアは・・・・・なんてのが本書の主な内容。
この松葉楽器(仮称)ってのは、最終的に公正取引委員会から排除勧告を受けて、数ある代理店のひとつに格下げ。それでスタインウェイ・ジャパンが設立される運びになってめでたしめでたしと。
それにピアノの歴史や変遷、コンサートホールへピアノを持ち込む上での苦労話、古の華やかなりし巨匠たちの音を再現しようとする調律師の夢といったものを絡めて、上手くひとつの読み物に仕立ててる。
かなり楽しく読めました。
凄く興味を引かれたのがピアノの変遷の部分。
ヨーロッパで貴族制度が崩壊して、著名な巨匠たちはスポンサーを失う事になりますね。
その結果アメリカ資本が巨額の投資をしてアメリカのコンサートホールでの興行を打つようになり、巨匠たちの演奏の場がアメリカに移っていくんですね。
それまでは上流階級がサロンで楽しむ室内楽だったクラシック音楽が、膨大なキャパシティを持った大規模なホールでのものへと代わっていく。それに連れて楽器自体も大音量を求められていき(当時はマイクなんてなかった)、ピアノそのもののあり方も変わっていった、っての。
ピアノに詳しい知り合いが「ニューヨーク・スタインウェイとハンブルグ・スタインウェイのどちらが良い音かは別として、当時のハンブルグ・スタインウェイやベーゼンドルファーなんかは、ナマ音ではホールでの使用には、音量的に耐えないものだったと思う。ただ、小音量でしか表現できない領域もあるわけで、優劣を語るのは難しい」なんて言ってた。音量って言葉を使ってしまうと語弊があるかな・・・・「音圧」が適切か・・・・・。
本書では、採算ベースに則った大量生産に頼らないニューヨーク・スタインウェイの音の方が良い、といったスタンスで書かれているんだけども、突き詰めればニューヨーク・スタインウェイの音だって「ホールでの使用」という商業ベースに従う形で作られてきているという側面は否めないでしょう。
これは音の比較の話ではなくて、杓子定規に経緯のみを捉えて考えた話ね。
現代になってみれば、音圧がどうだろうとマイクで音を増幅しちゃえば関係ないんじゃないのかって思うけど、それは後になってからの話しだし・・・・・。
これはね、楽器だけの話ではなくて、音楽自体が必ずしも「なにを表現したいか」からスタートしているのではなくて、「どこで演奏されるか」とか「聴衆が聴きたいものは何か」とか、そういった外的な要素によって規定されているって側面は必ずあるんだっていう事。
商業ベースに乗っている以上は芸術って在り得ないんじゃないかって・・・・・まぁ大袈裟ですが(笑)。
逆に商業ベースに乗らない芸術ってのは、メディアにも乗らないし大衆の目や耳に触れる事もない。表現者の自己満足になってしまうかもしれないしね・・・・・。
「芸術は一般大衆のものではない」っていうスタンスを取る識者もいるけど、一般大衆が目を向けないって事は、いずれ誰も目を向けなくなるって事だし・・・・・芸術そのものの存在意義が無いって事に繋がる。
ここら辺のバランスって難しいなぁって、そんな風に感じました。
本書の内容をベラベラ喋っちゃってるけど、大まかな事しか言ってないので今から読んでも十分楽しめます。
メチャメチャ面白い本ですよ。
興味がある方は読んでみてください。
本日の安眠盤、Dizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー、tp)の「The Winter In Lisbon」
ではでは。
ジャズもアンプが普及しだしてから、使用される楽器が一気に増えたと聞いたことがありまが…なんて話題をふってみました(笑)
ピアノとベースとギターというトリオのフォーマットは古典的に存在していたようですが、音量の差があるからか、ソロ楽器として認識されるようになったのは40年代のCharlie Christianの出現を待たなければいけません。
奏法上も管楽器と比べれば後塵を拝していて、モードイディオムに完全に対応したギタリストはPat Martinoあたりからという事になるでしょう。
その意味ではアンプや電化といった要素は音楽の発展に大きく寄与しているんですね。
まぁジャズは管楽器の音楽なので、ギターほどではないにしてもピアノだって管楽器から見れば奏法の発展は遅れていたんですけどね(笑)。
中古ピアノ販売というと、どこか芸術に貢献する立派な正業というイメージですが、やっぱりどんな業界でもこういった如何わしい話はあるんだなぁという印象ですね。
「スタインウェイ戦争」もYaskalさんのブログにおいての記述もどちらも活字のみによる情報でなので、業界の実情を窺い知る事のないひとりのリスナーとしては、どちらの主張も真偽を図りかねるというのが正直なところです。
僕は人に見せる文章を書くときは、信憑性のないものは出したくないといつも思っています。
この記事で「スタインウェイ戦争」を紹介する記事を自分で書いてネットに晒した以上は、ここを読んでくださいっている方に偏った知識を吹聴してしまう事のないように、Yaskalさんのブログも独立した記事として紹介させていただく事にします。
お気に障ったらコメントなどでその旨お伝えください。
削除させていただきます。
ではでは。
嬉しく思いました。
ブログに関しましては、先方の私に対する誹謗中傷
の対処策として弁護士と相談の上、私の身上に起きた事実の流れを書きました。
そうする事で、なぜ今回の裁判に発展していったのかを「スタインウェイ戦争」の読者に理解していただくための情報公開というのが、今回の目的でした。
今後も、時々ですが更新しますのでよろしくお願いいたします。
Yaskalさんのブログは、裁判の経緯にくわえてピアノに対する造詣や知識などにもつながる部分が多々あり、個人的にはとても興味深いです。
また覗かせていただきます。
ではでは。