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音楽はどこへ行くのか(笑)②

2005-01-11 00:53:03 | 音楽一般
それでなんだっけ・・・・・ええと、現代の音楽のほとんどすべてが西洋音楽の様式に閉じ込められていて、その中で可能性を模索しているに過ぎない。この西洋音楽の様式内での可能性って、もうほとんど掘り尽くされたのではないかと・・・・・前回はこんな感じだっけ?。さらにその先の発展を模索して、様式を否定した無秩序に表現の可能性を求めたのが現代音楽の一分野やフリージャズだったんだけど、音楽は秩序であって、秩序を否定したところにはなにひとつ表現の可能性が見出せなかった、と・・・・・ここまで書いたんだよね。
で今回はその続き。じゃあこの先の音楽の発展にはどんな可能性が残されているのか、って事を書こうと思う。
ここから先は僕の予想というか、かなり荒唐無稽な想像のお話になります(笑)。

そもそもさ、1オクターブの中に鳴らせる音が12個しかないってところに、現在の音楽の限界があると思う。
12平均律。
16世紀頃に生まれてバッハによって世に出されて、汎用性と簡易さを最も兼ね備えているとして、音楽の根幹を成す基本概念にと、歴史を経て選択されてきた音律。
これが完成を見てからは、音楽のすべての様式はこの音律のために発展してきたといって良いと思う。
すべての楽器は12平均律で演奏するように改造、改良され、12平均律を前提として作編曲が行なわれ、12平均律で書かれた曲を12平均律を演奏する為の楽器で演奏し、その楽器の形態や編成に合わせてコンサートホールなどの環境も整備され・・・・・そして音楽は洗練を見てきたわけだ。
概念や演奏法の発展も12平均律の中で、新たな和音や旋律、リズムを模索して来たに過ぎないよね。
世界中のほとんどすべての音楽は12平均律に基づいた記譜法で解析できるという、ある意味とんでもない限定された可能性の中のみでしか、音楽は発展することを許されなくなったんだ。
どんな記譜法に基づいていても、リズムの組み合わせはほぼ無限に解釈できると思う。けれどもひとつの音律に限定してしまえば旋律や和音の可能性というのは極端に限定されるんじゃないかなと。
ここに現代の音楽の行き詰まりがあると思うんだよね。
で、この「12平均律を前提とした様式」への、ある意味アンチテーゼとして「音律の否定~様式の否定」という、現代音楽やフリージャズの流れが生まれて、そして、それでもやっぱり主流は12平均律の様式内に帰っていった・・・・。

で、この「様式内に帰っていった」というところに、音楽の次の可能性は無限に広がっているんではないか、なんて。
要するにさ、まったくの無調や無音、無秩序がダメなら、もっと使える音律を増やしていったら良いんじゃないかなと・・・・・スッゲェ素人考えかもしれないんだけどね(笑)。
本来音律ってのはたくさんあったんだよね。
昔は等分平均律なんてない、旋法の時代だったんだ。それがピタゴラス音律に始まって、純正律から等分平均律へと推移していく中で、色々な音律、可能性が捨てられてきた。
この捨てられてきた音律をすべて、使っちゃいけないって法はないでしょ。また、まったく新しい旋法、音律だって在り得るよね。
それぞれの音律にそれぞれの可能性があってそれぞれに必要な様式がある。突き詰めていけば現代人がまったく聴いた事のないような音楽ってのは無限に構築できるんじゃないかな。
「様式の否定」ではなくて「様式の多様化、多用化」かな(笑)。
別の平均律から別の平均律へ、別の旋法から別の旋法へ・・・・・音律から音律へ・・・・・これらすべての様式を認める事。
これって馬鹿げた話かな?。
もしこれを目指すとして、音楽に一体なにが起こるかな・・・・・・。
12平均律で使われていた楽典はまったく通用しなくなるので新しい理論が必要になるし、等分平均律を用いるに当たってはまったく新しい和音も生まれてくる?でしょう。
ピアノとか、フレットのある弦楽器とか、12平均律しか出せない楽器はすべて過去の遺物になるだろうね。それとも新しい調律法が確立されるか・・・・・バイオリンやチェロなんかは、まったく新しい演奏法が必要になるだろうけど生き残るかもね。
もっとたくさんの、膨大な数の音律を出せる新しい楽器も生まれてくるだろうね。これは電気的なテクノロジーを用いればかなり容易にクリアーできる課題かもしれないなぁ。
楽曲は今まで聴いた事もないような旋律が次々に生まれてくるだろうし、転調はもとより、曲の途中で別の音律や別の旋法に移ったり、ってな事だってナシではないでしょう。
街中にスッゲェ耳慣れない音楽が飛び交うようになると思うよ。
まぁこれはSF小説のような壮大な空想・・・・・いやいや、妄想?、のお話なんだけどね(笑)。

この前さ、NHKで新しく始まるシルクロードの予告編のような特番がやっていて、そこで音楽を担当していたヨーヨー・マがさ、シルクロードにまつわる各国の民俗楽器を交えて音楽を製作するに当たって、音律の違いに突き当たる場面が放送の中にあったのね。
あれはインド音楽だったかな・・・・・その楽器の演奏を聴いてヨーヨー・マ曰く「この調律は変だ。なんだか居心地が悪いというか、酔っ払っているようだ」(だったっけ?)とかなんとか話してたのね。西洋音楽にない、耳慣れない音律・・・・・そりゃ戸惑うだろうねぇ。
で、自身のチェロをその音律に調律して、一緒に演奏、そして音楽を作ってみるというチャレンジをしていた。これはインド音楽だけでなくね、様々な民俗音楽のエッセンスを殺さずに、融合というか、調和させるという意識で、この番組の音楽を製作していこうという事らしいのね。
「おおっ、ヨーヨー・マやるな」って思った。「音楽の未来への第一歩だぜ」なんて思った(笑)。
こうやってちょっとづつちょっとづつ、亀の歩みのように音楽の様式は広がっていって、聴いた事もない新鮮な音楽が生まれてくると良いね。
少なくとも様式を限定するような方向にはこれ以上進んで欲しくない・・・・・なーんてね。
長くなった。
以上、夢想好きなおっさんの妄想でした(笑)。

本日の安眠盤、Joe Pass(ジョー・パス、g)の「Catch Me」
ではでは。

12 コメント

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音律の多様化=音楽の多様化? (micky_s)
2005-01-12 12:51:55
僕は必ずしもそうではないと思います。

音律が今までにないものだからといって新しい音楽になるか?というと疑問です。

確かに「新しい音」にはなります。が、演奏者が理解できないものが、聞いている人に音楽として伝わるものでしょうか?

未知の音律には可能性はあります。が、未知の音律を使えばよい音楽になるかどうかはまた別な話ではないでしょうか。

(クラシックの、いわゆるゲンダイオンガクを想像してみてください。)



考えるべきはむしろ、音楽によって何を表すのか、ということだと思います。



以上、通りすがりの妄言でした^^
返信する
はじめまして (TARO)
2005-01-12 17:55:25
>micky_sさん



当ブログの管理人をしておりますTAROと申します。

コメントありがとうございます。

僕はこういったコアな音楽話は大好きで、熱く語れるのは嬉しい限りです(笑)。

ウヒョー(歓喜の雄叫び)



お返事させていただきますね。





>音律が今までにないものだからといって新しい音楽になるか?



はい、新しい音楽になるかどうかは、これは「音楽をどう定義づけるか」(音楽とは何か?)という前提がないと、ちょっと是非を論じるのは難しいですが・・・・・。

新しい様式(音律を含めた)を用いる事「そのもの」に主眼があるのではなく、新しい様式を開拓した上で「それをどう用いるか」だと思います。

「様式をどう用いるか」、ここに音楽を音楽たらしめる骨子があるのであって、それは新旧のどんな様式を用いていても同じです。

そこで、「じゃあ新しい様式はいらない」と価値観と視野を限定してしまうか・・・・・そこのところが分かれ目ではないでしょうか。





>演奏者が理解できないものが、聞いている人に音楽として伝わるものでしょうか?



新しい音律を用いたら即演奏者に理解不能になる、というふうには僕は思ってはいないんですね。理解不能な演奏ではなく、理解可能な演奏をすれば、それで良いように思います。

新しい音律=理解不能とするならば、そもそもの12平均律も生まれてはこなかったでしょうし、現在の音楽の様式もありえなかったと思います。ギターもベースもピアノも生まれてはいなかったでしょう。音楽は、自然崇拝に基づく典礼や朗唱といった・・・・・極めて原始的な段階に留まっていたかもしれないですよ。

「理解不能」=「理解不可能」とするのは間違いだということです。

様式や音律が新しいかどうかは別にしても、現在でも音楽には難解なものも当たり前のように存在するわけで(クラシックやジャズも一般的には難解とされているかもしれません)、「理解不能なもの=理解不可能である」としてしまえば、音楽ではすべからく平易なポピュラー音楽のみが至上であるという帰結になってしまいます。

これは明らかに正しくはないですよね。

また、新しい様式は歴史を重ねて根づいていけば自ずと理解されるものであって、理解不能なものを即、非とするのは少々短絡ではないでしょうか?。

根づくか根づかないかはまた別の話ですが、少なくとも模索する価値は十分にあると、僕は思っています。



現代音楽に関してですが、僕もはっきり言って好きでないです。だってわけわかんないんですもん(笑)。

ですが、現代音楽の演奏者がそれを理解せずに無作為に演奏しているかどうかと問われると・・・・・それは僕にはちょっと分かりません。

ここら辺は現代音楽に関して僕の知識がないということでしょう。と言うより、理解しようという意欲がないのか(笑)。





>未知の音律には可能性はあります。が、

>未知の音律を使えばよい音楽になるかどうかはまた別な話



そうですね。

本文中でも、「新しい様式を用いれば即良い音楽ができる」という論旨は述べていないと思うのですが・・・・・。

未知の様式(音律も含めた)には可能性があって、良い音楽が生まれるかもしれないし生まれないかもしれない。

つまり、良い音楽が生まれる「可能性」はあるわけです。

音楽は常にそうやって発展してきたものだと思います。





>考えるべきはむしろ、音楽によって何を表すのか、ということだと思います。



おっしゃる通りです。

「音楽でなにを表現するか」・・・・・この問いかけによって、より幅の広い表現を求めて様々な様式、様々なリズム、様々な音律、さまざまな楽器、その他処々が生まれて研鑚されてきたわけですよね。

そこで「現在の音楽の様式は、森羅万象ありとあらゆるモチーフを表現する事が絶対的に可能な万能な様式である」とするか否かですよね。

これを認めた先には可能性は何もなく、「形骸化」しか辿る道はないのではないでしょうか。





いやー、熱く語って長文になってしまいました(笑)。

これに懲りずにまた覗いていただければと思います。

ではでは。
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ありがとうございます (micky_s)
2005-01-12 22:16:00
私は、音楽自体は太古の昔から本質的には発展も何もしていないのでは?と思うときがあります。

音楽の登場以前から、音楽の本質は何も変わっていないのかもしれないな、なんて。

かわったり、進化・進歩しているように見えるのは、技法・手法の面ではないでしょうか。

選択肢が増えただけで、本質的にやることは一緒ですから。文明も、音楽も。



それはさておき。

よかったら、私のBLOGも覗いてみてくださいね。

主に90年代のJAZZLIFE誌のインタビュー記事を紹介しています。



返信する
音楽とは何か、発展とは何か (TARO)
2005-01-13 18:52:43
>micky_sさん



こんにちは。

再びのご来訪、ありがとうございます。





>音楽自体は太古の昔から本質的には発展も何もしていないのでは?

>進化・進歩しているように見えるのは、技法・手法の面ではないでしょうか。

>本質的にやることは一緒ですから。文明も、音楽も。



「音楽が発展する」とはどういう事か、そこの認識ですね。

技法・手法、様式が進歩して選択肢が増える事がイコール「発展ではない」としたら、では「音楽が」発展するとはどういう事か・・・・・なんだか認識論のような話ですなぁ(笑)。

「音で何か(情緒?、思想?、感情?)を表現して楽しむ」から「音楽」なのであって、その「やること」が変わってしまったら、それはもう音楽ではないですよ。

「音楽」の発展ではなくて、「音楽以外の何か」の発展を論じないとならなくなりますね(笑)。

その区切りをどこでつけるか・・・・・難しいところですね。





>よかったら、私のBLOGも覗いてみてくださいね。

拝見しました。

僕は基本的に雑誌は読んだら捨ててしまうんですが、こうやってインタビューを読み返すのも楽しいものですね。

プロのアーティストの発言って興味深いものばかりですよね。

ご迷惑でなければ、そのうちコメントなどもさせていただきます。





ではでは。
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16/17平均律 (16トン)
2005-01-15 20:59:48
じつは私,オクターブを16と17で分割した平均律で,ジャズっぽくやってみました.URLをのぞいていただければ幸いです.

返信する
はじめまして (TARO)
2005-01-16 23:15:31
>16トンさん



貴サイト、拝見しました。

面白い試みをされているんですね。



一曲試聴できるようになっていたので、聴かせて頂きました。

あれは16、17、どちらの等分平均律なんでしょうか?。

なんというか・・・・・座りが悪いというか、フレーズ中に行って欲しい音に行ききらないところが頻々とあって、不思議な感じでした(笑)。
返信する
はじめまして (16トン)
2005-01-17 11:56:49
TAROさん



ご試聴ありがとうございます.



16等分平均律です.ドに対する周波数比はすべて無理数という過激な音律です.ジャズでよく使う減五度はルート2ですが,これを細分化したものです.



ぼくのブログ

http://blog.goo.ne.jp/ablerail1007/e/910d641e756e3662fc4d66bfd6898f6f

には,他にもご試聴いただけるサイトを載せました.

でも,聴いていただいたやつが,いちばん耳障りがいい部類かも(笑)... 
返信する
興味深いです。 (TARO)
2005-01-17 22:05:28
>16トンさん



新しい音律で音楽を作ろうとする時に、12平均律でのみ発展してきた音楽(ジャズも含めて)っぽくやろうとする事に無理があるということなんでしょうね。

その音律独自の心地良く感じるフレーズや和音使いいうものがきっとあって、それを見つけていくというのは音楽の発展の歴史をもう一度繰り返すような、気の遠くなるほどの地道な作業なのでしょう。



素晴らしい試みだと思います。
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Re 興味深いです (16トン)
2005-01-18 21:21:43
ご興味をお持ちいただき感激です.



しかし,ピタゴラス音律と中国の三分損益音律がおなじであること,民俗音楽の音律はほとんど完全五度を含んでいることなどを考えると,現在の音律はやはり必然的なものだとは思います.



「クラシックがジャズより優れているところ」関連のべつな話題ですが,音楽に表情をつける方法として,音量を変える・リズムを変えるの二つがあります.第3の方法としてピッチを(連続的に)変えるというのはどうでしょう.楽器でやるのはなかなか困難ですが,アカペラなんかでは可能性はありそうです...じつは無意識のうちにやっていたりして!?

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三分損益音律? (TARO)
2005-01-18 22:24:17
>16トンさん



ピタゴラス律は分かりますが、三分損益音律はわかりません(泣)。

一応ピタゴラス律から純正律、中全音律といったものを知識としては持っているのですが、いかんせんその音律を聴いた事がありません(涙)。

だってそれを出せる楽器が手元にないんだもーン(笑)。

つまり僕は12等分平均律純粋培養人間で、所謂「勉強不足」ということですね。トホホ。

こういった事の原理に興味を持った人が楽理科に進むのでしょうね。

勉強します。





>ピッチを(連続的に)変えるというのはどうでしょう



ピッチをいじるという事は、ある意味音程を変えるという事とイコールですよね。

仰っているのはフレットレスの弦楽器がチョーキングのようにしてヴィブラートをかけるようなイメージですか?。もしくはグリッサンドのようにチョビットずらして・・・・みたいな。

一定の高さの音のロングトーンでピッチをいじると、それは「音色の違い」として出てくるのでしょうか?。明るめ、暗め、とか。

個人的には演歌歌手の歌唱法、フラット気味に出ておいて、音が切れる最後の瞬間にガッチリはまるという、あれを思い浮かべますね。

演歌でなくても、歌を真面目にやっている人は大抵いくつかの音色を意識して使い分けているもので、それは厳密に計測するとピッチの違いという事になるのかもしれませんね。
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