
誕生日に娘と話していて気付いたという。
一つ何かに気がヒットすると、いろいろ考えて自分に向き合い哲学するという私の生き方 !(^^)!
子供にも知らず知らずのうちに色んな言葉を発してて、それが娘にもきっとプレッシャーとなってたなと (>_<)
3人目ともなると、こんな親にはならない、成りたくないと大分気を付けてはいたけど、その3人目ともなるとお兄ちゃんやお姉ちゃんを見て育つと言われるように、いろいろ気負いしてたんだなと。
お姉ちゃんが怒られてたら、自分は気を付けなくっちゃいけないとか。
自然とお利口さんになっているという。
実際にそんな気の優しい繊細な子だとは思っていて分かっていて、親としては気になって心配になっていたけど、それがもしかして母からのプレッシャーだったかも知れないと思うとホント申し訳ないなと。
まあ、そもそも魂の縁で、そんな事を理解するための縁だったと思ってはいるけど、やっぱり間接的にでも大きい影響を与えていたのかなと思うと、ホントゴメンねと謝るしかない。
それもこれも私自身がいろんなプレッシャーを抱えていたのもあるので、私の母、またその母の母、
そして、時代の生き方もそのプレッシャーとなっているんだろう。
どんな事が自分のプレッシャーとなるかは、自分の資質にもよるのでいろいろ。
心配性、不安性、怖れ、緊張、羞恥……、
そのプレッシャーの大きさも個人によって違う。
それが先祖子孫代々続いているという。
それをどこかで誰かが気づき解消しないと縁も終わらないと思っていて。
その娘も大分いろいろ褒めて育ててはきたんだけどなと思ってはいるんだけど!
後は自分でプレッシャーを跳ねのけるしかないんですよね (>_<)
私も今まで自分と向き合って、これでもかといろんな事に気づいては来たと思っている。
最後の最後、還暦過ぎて自分に自信持ちながら堂々としておこうと意識しながら生きている。
もちろん素直に間違いに気づけば書き換える努力もして!
色々人間関係の中でも心ない言葉を言われようが
きついなぁ~この人、
よくこんな事断言するな~、
自分の事棚に上げてる人やな~
なんて思う人もいたけど、
その度に自分に向き合い、自分があっているかと確認し、そん人の事はその人の中で起こっている事なんだから、
辛くても嫌だったりしても、心にグサって来たとしてもその矢を自分で抜き取り自分で癒せる。
それもこれもどれも、自分に自信を持ちプレッシャーを跳ねのけるためだったんだなと今なら思う !(^^)!
あの時……、
何言われようが胸を貸せるぐらいの大きな器になろうと決心したんだから !(^^)!
神様にも宇宙にも誓ったんだから (*^^*)
世の中の高齢者の人で、元気で堂々と自分の人生をイキイキ輝いて生きている人って、この歳になったら怖い物もないしと、プレッシャーから逃れて行ってるような気がする!!
そんな人は人にも優しいし、人生を丸く生きてるし、器も大きい (*^^*)
素敵だなと思う!!
憧れます (*^^*)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます