緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

何について哲学するか。

2023-10-07 | 真理
  「人生は哲学をする事」と私の中で結論づいた時、
テレビ番組スピリチュアル系の「オーラの泉」で、美輪明宏氏がその「哲学する」という言葉をこういう意味で使っていて、概念が一致した事にホント感動した事を今でも覚えてる (^.^)

ちょうど霊能者や先祖の怨念やカルマの次元を理解して卒業してステージアップしていた頃、世の中のエネルギーも変わり始めていたので、淘汰も始まりかけていた。

この2005年に放映が始まった「オーラの泉」で美輪明宏氏や江原啓之氏が霊界依存ではなく少し上の次元の話をし始めていた。
そこで一般にテレビで視聴している人が共に次元クリアできるだろうかと思ったけど、そうでもなくまたしも依存に終わり彼らのテレビでの役目は終わった。
個人ではそれぞれのお役目は続いているでしょうが、ネットワークで広げるのは宇宙の仕掛けですから (^.^)
そこでいったん精査と淘汰は終わって行きました。
その時に概念のステージアップした人も多くいるかもしれないが。
その後、スピリチュアル(霊性)という言葉に変わり、また次元の淘汰が始まって行った。
そのステージを各々どうクリアしていくかが人生の哲学する事でもある。
そこから次元のギャップや意識の格差、その表面に出てくるいろいろな格差が広がって行った事は世の中を観ていると理解できる。

如何に人生でいろんな課題を哲学しているか、答えを出せているか。
現世では目の前に向き合っている人生の謎を解けているか。
私としては、「人生は哲学する」と「人生は謎解き」という !(^^)!

その頃、私の中でも宗教という言葉の違和感や言葉と本質のギャップの違和感に触れ「哲学する」が始まって行ったんですが。
世の中の流れを冷静に見る事をしていて、「オーラの泉」で話されていた内容も奥深く理解するようになっていき、
神様を超えた宇宙根源神や宇宙意識へ概念がシフトして確信へ向かって行ってた。

がんじがらめに縛られてきた「宗教」「信仰」「心」についてなども結婚期のステージで同時スタートとなり、
そういえば、ホント哲学してきたなと思えると。
言葉だけの「宗教」に壁を作らなくて良かったと思うし、
私の中では宗教も哲学なんだと思えたころから人生凄く楽になり変わって行ったなと !(^^)!
それこそその時が覚醒だったなと (^.^)
そこからまだまだ次元のステージはアップしていくので、「魂」や「意識」、「波動」へと進んで、また広げていくステージへと哲学して行ってますが (^.^)
それは命の限り無限です。
気づくにも気づきにくい目に見えない意識の無限の世界。

そんな「哲学する」に関して、朝ドラで先日最終回を迎えてたモデルになっていた人物で、植物学者で理学博士の牧野富太郎氏みたいな昔の偉人や偉業をなした人もある事に向き合い、それを哲学していたと言える。
最初は興味を引く事で好きで心が動き、始まるかもしれないけど、それを探求し、追及し、研究し、哲学している。
そしてその行動が人生のシーンに伴いそれを通じて共に精神性の部分で向き合う壁や限界と出遭い、精神的にも哲学し広がり深まり、世に残る偉業にまで至ったんだろう。

でも、偉人が凄いわけでも、
私が覚醒したからと言って偉そうにしたい訳でもなく、
人生哲学というのはこの世に生まれて来た人は何かしら向き合っています。
それを本当は哲学している。
答えを出しているか出していないかだけかも知れない。
人生哲学は普通の事。
人と比べるから自分の哲学に出会えないだけ。
ただ好奇心から始まる事。
興味のある事。好きな事。誰にでもある事。
それにどう向き合っているか。
素直に真剣に誠意をもって向き合っているか。

たとえそれが今抱えている病気でも痛みでも、それに哲学するように与えられているものです。
私はある時「奇人変人」について哲学しようと閃いた事がありました (-_-)
そんな「奇人変人」になりたくて (^^;)
自分がそうなりたいと思う本質を探したくてですが (^_-)-☆
真剣でしたよ (*^^)v
その師匠は岡本太郎氏でしたが (^^;)
そんなもんです (^_-)-☆



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