緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

世界観を区別していないか。

2023-05-29 | スピ的視点
  痛みも病気も痒みも個性で表現でもあるという話をしていました。
ブログネタ探しから、手足腰の痛みを抱えている共通知人と最近よく出合うという話から続いてますが (^^;)
その手足や腰の痛みも原因がわからず、薬を選択する入院をしたり、薬変えたら治って今度は手が痛くなってとか、そんな話しから不思議だけど本当の痛みの本質はその箇所じゃなく心かも知れないんだよという話です。
そして痒みもそうだよと (^.^)

たまたまのブログ記事を書いててもこんな風にどんどん自分の考えを展開していったり、また新たに自分の考えに気づいたりという。
そんな風にブログを楽しんでいます。

他の方のブログも読ませてもらいますが、そのテーマに興味を持ったりすることもあるけど、それよりもその人の考え方や価値観に共通点を見つけたりするの好きだと。
同じ興味を持つテーマであっても視点が違うと捉え方も違うのです。
人それぞれ価値観は違いますし、そのまた広い概念の捉え方も違います。

そもそも論が違うと全く見解が変わるのです。
どちらが正しいとかない。
ただ違いを知るだけ。
自分の世界観と別の世界観があるだけです。

それが違うからと言って全く受け付けなかったり、排除しようと思うと勝手に心や脳はまた各々が別の反応を起こします。

世界観を広げるためにそれがどう違うのか知り、別の違う世界観も在るのだとそのままを受け入れるのです。
理解できるのであれば、その奥の深層心理や潜在意識がどう働いているのかを知ろうとするだけで自分の世界観が広がるし深まるのです。

別に自分が体験しなくても良い。
その人格を受け入れたからと言ってもその人格に自分がならなくても良い。
その人格を褒める必要も評価する必要もない。

人から評価されたり、酷評されたところで、その人格の世界観が狭いだけで、その酷評が正しいわけでもない。
いつまでもその評価に囚われている自分の心に問題があるだけです。
自分自身の世界観と向き合う必要があるのでしょう。

同じ人生観だと感じてても死生観だと共感したとて、細かく知ると細かい部分で違う事もあるし、同じだと思って共感しても奥深く知ると全く逆だと知る場合もある。

大きな世界観を持つ人は狭い人や小さい人と話してて、そうだよねと共感してあげれることもできる。
それは自分の世界観の中にも含まれてるから理解が出来るのです。

でも、世界観が狭く小さい人が自分よりも大きな世界観の人と話すと全く別の世界だと知らない事ばかりだと否定してしまう。受け入れるのが不安で心配で怖れを持つからでしょう。
その中には自分が知らない事を知っているという恥や悔しさや負けを感じるからでしょう。

その人の価値観はそんな不安や心配や怖れ、恥や悔しさや勝ち負けといった事が基になっているからでしょう。

そうやって人それぞれだと分かっているのにいちいち反応していると心も疲弊するし傷つきもします。
アレルギー反応も起こします。

このSNS が主流の現代は自己、個性、パーソナルを知って、自分の価値観世界観を持ちながら深めていくのと、大きく広がるためのツールです。

そうやって自己を深めながら普段の生活に活用していかないと、自分の身体の反応だけに苦しむ事にもなりうる。
それが病気や痛みや痒みという表現にも現れてくる場合だってある。
人の世界観に惑わされないように自分の哲学として取り入れていくのだと。

人の事を批評とか酷評している人が間違っているとか正しいとか思っている人でも、じゃあ自分は何かを評価していないか酷評していないか試してみると良いでしょう。その事で自分自身が傷付いていないか確認してみると良いでしょう。
今の時代は多様性とかボーダーレスと言われている時代。
自分が何に境界線を持っているか感じているか確認するのも良いかも知れません。

人の世界観は良い悪い、正しい間違い、優劣、などと言った基準であれ試してみないと分からない事ばかりです。
自分の人生哲学書を大きく分厚くするには試して確認する価値はあると思います。



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