理想とか理解という事を続けて話している私ですが…。
元々私の深層心理の中には、恐れ・不安・心配といった種を多く持っていました。
そう思います、後に自覚しました。
それがいろんな事の根幹になっている事もなっていた事もあった。
それでも人の事は知りたいと思ったし、いろんなことを知りたいと思いました。
多分想像力もあったし、理解しようと思う心もあったんだと思います。
だから分からないこと自体が不安だったし、恐れだったし心配だった。
その根幹がどう働いていたか…、
先に何でも知りたいと知りたがった。
大まかに知っておきたいと思った。
分かっておきたかった。
ちょっとでもその理由を知っておきたかった。
ちょっとでも理解しておきたかった。
ただ単に聞きたいだけだった。
人の事も何でもだった。
予定も段取りも何でもだった。
不安や恐れや心配だったから安心感を求めていたんだろうなと。
意識の中でアップアップ溺れるのが辛いししんどかったし面倒くさかった
変な言い方だけど、自分の手の内にすべてがあると安心してゆっくり理解を進めることが出来るからです。
理解できなくてアップアップ流されていくのは不安でしかないんです。
幼い時から凄い人見知りでした
多分それもこういった事が根幹にあったからでしょう。
なので、最初はとっつきにくそうに思われたりした。
人に何でも先に聞きたいと思った。
後から知った事は付け加えることで気が済んだ。
安心感は防御でもあったかも。
防災や防衛とかのようにです。
いつでも安心感を求めているかも (^^;)
他人にその人の事を聞くと嫌がられる事もあるでしょうが、
ただ単に聞きたいだけだった。
嫌がる人に無理やり聞くことは無いけど、
先にどんな人か知りたかった
想像したり、理解して勝手に安心したりした。
興味があるか無いかというよりも知って安心したかっただけだと思う。
騙されると不安だし、怖いから。
たとえ後に騙されたとしても先に納得したら後悔することは無かったのに。
手前でうだうだ考えるタイプなんですね
そんな事していると安心できる人だけ信用とか信頼するようにもなって、
人を区別する事もあったかも。
大人になるほど理解も広がり、理想像もある意味崩れ、
同時に恐れや心配不安と言った心理を手放せるようになっていったので、自分の中の安心感も大きくなって行って人の区別のミッションはクリアしたと思ってる。
そう思うとホント人の理想像なんてある意味崩れたことで良かったなと (^.^)
崩れる事で人の事ももっと大きく深く理解できるようにもなったしね。
日本人の多くが性善説を信じていたように、
私もそれだけで理想像が創られていてバランスが悪かったかも知れない。
だからもう一度今生に生きてその理想を崩しに来たのかも知れません。
それはそれはこの世が恐怖だったかも (^^;)
陰陽の両方を知るために。
両方を理解するために (^.^)
だけど、知れば知るほど理解すればするほど人も奥深いし面白い。
理解すればするほど、自分に合わない波動に関わらないで済むようになってるようにも思う (^.^)
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