
私自身の課題でもあると認識してるけど、
客観視するといつでもそんな課題に遭遇しているのではないでしょうか
それは肉体に縛られているからで、魂はその肉体の中で本当の生まれて来た目的を果たしたくてしょうがない常に思っている
魂と一体化になった時に自由になり、魂からはみ出た時に心も自由になる
そんな場面、その課題にぶつかっている時、葛藤している時
常日頃そんな事が起こっていませんか
自分自身にも起こるし、
組織の中でも、社会の中でも
こんな時に言うのは身勝手とはまた違うという事
そこらが自身の次元を上げるところでもあるので、真の自由って何かというところに向かっていくところまでが成長でもある
今のコロナ禍、緊急事態宣言も4回目となり、国民の動きも止められなくなっているとお偉いさん方は言っているけど、
もう既に昭和意識のやり方は崩壊しているので当然でもあるかと…。
縛り、支配、権力行使、指令、ただ俯瞰してるだけのこんな意識はもう終わり
痛みまでも、痛み分けという様にシェアしていくと一体感も出るだろう
オリンピックにしても下心見え見えの信頼感も信用も繋がりも感じない施策に協力したいとも思わないだろう
それなら一緒にお願いだから盛り上げて下さいと頭でも下げれば、優しい日本人ならもっと協力するだろうにねと思ったりする
国民を縛り付けて、結果も出ないというジレンマからの漏れ出した本音が西村大臣の言葉なんでしょう
国民の行動に頼り、お店の協力に頼り、他力本願だけでどこまで行くんだろうと思っていたら、あんな言葉だった
戦争の時のトップが各部隊の隊長に指令して、自分達はのほほんとしているという、そして最後責任問題が回ってくるとしっぽ切り
こんな事の繰り返しももう崩壊してるんですよね
北朝鮮なんかではこんな事を書くと反社会派とか言われ粛清されるんでしょうね (^_^;)
今、学生の校則で問題になる事と同じです
私達が中高生だった時なんかはメチャ校則が厳しかった
髪の毛でも前髪の長さも眉毛についてはいけない、制服の襟についてはいけない、スカートの丈、靴下の色
めちゃ嫌で、髪の毛も伸ばしてゴムで縛って、帰り道にほどいていたりした
高校の時も、正門の隣の小さな門から一人ずつチェックされる、元々髪の毛が茶色かった私は、毎度先生から指摘されるけど、地毛ですと何回言ったか、学べよって何度思ったか
最近ではツーブロックがあかんだのと言ってるけど、生徒の何を観て何を評価して、信頼を築いているのかアホちゃうかなと思う
私達のうんと後になって、校区のトップ高校が校則がいち早くなくなった
髪の毛も自由、私服でもオーケーとなったんです
流石、頭いい学校!って思いました
まあ流石に頭のいい学校に大変な不良やヤンキーと言われる人達はいなかったけど
その方が生徒たちも考えるんです
そこに費やすエネルギーを学力に費やしたんでしょうが
でもやっぱ真理ですよ
規則で縛れば縛る程、萎縮もし、緊張もし、反動もあり破る事にも意識がいき、エネルギーも注ぐんです (^_^;)
自由にしなさいと言われるほど、不安になったり、責任感が出たりで、考えるんです
これも陰陽の駆け引きです
自分の意識の中での陰陽が働くんです
そろそろこのコロナ禍でもやり方を変える方が良いという時期に入ったのではないかと (^.^)
政府がやる事は医療のひっ迫に備えての態勢を整える事だと思います
そこにお金も費やす…エクモが足りなければ増やす…
感染症専門家が言うところの3原則
感染源の排除、感染経路の遮断、免疫力
私達が出来る事は免疫力を普段から考え生活を整える
ストレスを溜めて、それを出すのにお酒の力を借りない
自分のストレスと向き合い、免疫力を強化する
政府がやれる事、医療従事者がやれる事、それぞれの本質を整えて欲しいなと思う
今なんかは政府も医師会も膿み出しなんでしょう
人を育てるというところの本質も考える時なのかなって
縛って束縛している中では人も育てられません
自由になる過渡期
置いてきぼりにならない様にしよう ヽ(^。^)ノ
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