
踊りの先生の姉とその妹、妹の方の叔母は毎月来てくれているので良く会っていろんな話をしています。
私の母より付き合いは深いし長いです。
この二人が来ると母方の祖父母の性格からの価値観がさく裂します!!
叔母の二人は76と78歳、普通より若いし元気。
私の母親の世界観とやっぱり似ているところもある。
この姉妹は家も同市で踊りの会でも一緒で日ごろの付き合いも深いので仲も良いですが、喧嘩まで行かないけど、その分言えない事や鬱憤も溜まってることも多い。お互いに自分が我慢してあげてるのよって感じ (^^;)
私のところに来たりすると、私がクッションになっているので、お互いがいつも言えない事を私を介して漏らす事も多々ある。
「ねぇ~」「おかしいね~」とか私に言いながら、直接言えないでいる事をふと出るんでしょうね。
クッション材ってホント大事だなと思うけど、
クッションになってる方は結構大変だったりする時も (^^;)
どっちもどっちだなと思う事が多いから (^.^)
第三者からすると、ある意味両方正解でもある。
たまたま昨日までにブログで話していた
「正解不正解」の話に繋がる話題が妹の叔母から出て来たのにはちょっと内心笑った (^^;)
リアルなシンクロっぽくって面白かった。
うちの母親もですが、その母親(祖母)もその妹の方の叔母も結構自分の「正解不正解」の範囲が厳しくて、
それが人に対しても厳しくて、自分の世界観を超えると自分の不正解になる事が多々ある。
たまたま今日も姉妹共通の知り合いの話題になり、その正解不正解について漏らしてた。
私達が聞くとそうでもない事でも、自分の不正解は認められないという。
私と姉側の叔母はどちらかというと祖父タイプ。
私の母親と妹側の叔母は祖母タイプ。
祖母と祖父の中でも常に正解と不正解で問題が起きていたような記憶の中に在る (^^;)
これは遺伝子レベルなのか、家系なのかって思ってしまうけど、
きっと世界観を広げる家系のミッションだ (^^;)
人との間の価値観や世界観は信頼関係や少しずつの対話と理解で歩み寄ることでしか縮められない。
その叔母の話を聴いてて余計に確信。
叔母はその友達の性格を自分で付き合う事で少しは良くしてあげたと言ってのける
凄い世界観だけど、うちの母親もそんな感じ!!
それに上手い事ハマらない人だったり、
私は母親にとっていうと、はみ出しっ子 (^^;)
ただ自分以外のどれだけがはみ出しっ子か、いるかいないか。
多分一人一人にとってはみんな正解。
だけど歩み寄りや融合していく事で自分の世界観が広がるかなんでしょうね。
自分の中の正解不正解で、自分の中で葛藤するかしないか、
受け入れるか認めるか、排除するかしないか、
ただそれだけなんやろうな。
その必要な時にやっぱり考える事で自分が成長するだけ (^.^)
「正解不正解」について考えた新年の始まりだったなと !(^^)!
とにかく、正解不正解の枠を広げて行く!!
要らない概念は自分の中では手離していく事にする。
楽に生きる、楽しく生きる事はそこから始まる。
そう思った!!
神様が阿呆を好まれるのはそういうことを避けるためなのでしょうね。阿呆なら自分の正解などとややこしいことは言いませんから。😄
さてさて神様はどんな事を好まれるのでしょうね!
私は、神様は自分自身もその一部だと信じておりますので内なる自分に聞いてみるとします (^^;)
もちろん皆さんも神様の一部だと信じております (^.^)