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緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

見た目の判断だけでは…

2021-09-19 | 意識・無意識
  「見た目の判断だけでは…」とか、「人は先入観で決めつけがち…」とか

人は意外とこんな言葉では何でも知っている

なんでも知識も持っていて、情報も今は何でも入ってくる

ちょっと疑問に思った事も手元のスマホで直ぐにググれる

そんな情報や言葉を使いこなさないと中々腹に落ちてこない

なので、普段から試してみなさいよと言わんばかりに体験がやって来ます

まあ必要だから

人は見た目で…とか、見た先入観…とか、

現実の眼を使ってばかりだと、表面しか見えないし、見ていない

肉体の眼ばかり使っていると疲れるのも当たり前です

見る事に疲れるという事も肉体レベルで気づくけど、

必ずその影(陰)の部分でも知らせてくれている

もっと第三の眼を使いなさいよ…とか、心の眼を使いなさいよ…とかのメッセージです

そもそも身体中に神経は通っていて、神経は神の道です

視神経もそんな神様のメッセージもあります

表面しか見ていないと、表面でしか捉えられていないので脳の中だけで空回りするので心も疲れてしまいます

病気とかには単なる肉体の使い過ぎや疲れという事もあるので、一概に精神レベルだとは言いませんが、ほぼそうです

使い過ぎの疲れもそもそもは、程々に無理を顧みずしてしまう心にストップをかけてくれている

心と体の調和です

先日も友達と会っていて、その彼女も精神世界の勉強が好きでやっているんですが、
自分の世界で決めつけてしまうところがあって、

人のジャッジや物事の評価を自分の世界だけで判断するのは基本的に止めましょうと話をするんですが

解っていても自分の中の擦り込みがつい判断やジャッジしてしまうんです

自分の世界が小さいと小さな穴から覗いているのと同じです

その穴からしか見えていない、それ以外は見えていないし見ようとしないので

判断は間違う可能性大ですよね

それが自分に向けてなら良いですよ、やってみれば良いだけで、やってみて違うなら変えれば良いだけです

人に向けてだとどうでしょう

自分の中で食い違いが生まれます

それが続くと肉体の疲労となるでしょう

一旦冷静になる事、一旦視野を広げる事、一旦客観的になる事、一旦概念を広げる、一旦見えない部分を見てみる事

そんな事を考えてみて、我を振り返るきっかけにすると良いのでは… という事です

たまたまその友達と会った時、眼のヘルペスになってるんですと、片方の眉毛からおでこに赤くブツブツと痛みとかゆみ、そして、めばちこも

会うの大丈夫かなと言われましたが全然問題ないよと会いました

私より十数歳上なので、まさしく昭和世代

社会の常識に育てられ、それが正しいと思い込んできた世代です

その世代がその時代に生きるのは社会もそうだからある意味では生きやすいかもしれませんが

時代の変化と共に価値観を変えていかないといけない中で、昔の価値観のまま物事や人を判断するのは難しいと思います

会話しているうちに、彼女が悩みや考えている事を話しだして、聴いているとやっぱり違和感を感じます

全部息子夫婦の問題、孫の問題、娘からの言葉の問題でした

そんな時に、「あなたの考えはどうなの」という事です

子供でも孫でもその問題の物語を勝手に作って勝手に答えを出そうとしても駄目ですよね

例えば…

見たまんま汚れたものを汚いというのは簡単ですが、何故汚れたか、そこには痛みもあったかもしれませんし、トラブルも、そこにはどんなドラマが在るか、汚れた中には名誉や誇りがあるかも知れないのです

ただ汚れた事を「なんでこんなに汚したの!」と頭から怒っても仕方ない事ですよね

しっかり話を聞き、理解する事が必要です

これは例題で、そこに数人の人間関係が絡んでいると、もっと理由は複雑になったりします

それを簡単に判断してもいけないし、決めつけても思い込んでもいけないのです

それにそもそも他人の問題を自分の問題のように判断する事こそ間違っている場合もある

そんな外からの情報や見たまんまを客観的に処理できないでいるといつしか自分の身体の中でストレスとなります

ストレスは歪みの負荷です

それが溢れ出ようとしても不思議でない

吹き出物の様に、痛みやかゆみの様に

どんな人でも自分で自分の人生学んでいるんですから

自分も信じるけど、人も信じて信頼するのも私達の課題です

その彼女も分かっているけど、自分の事や身内の事となると客観視する事を忘れてしまうんですね、心配事は特にです

そこをもう少し引いて観てみるのも大事だよと…。

真剣に向き合う時と離れて見るときの距離感って大事です

人間関係で一番大切かも知れないですよね(今のソーシャルディスタンスです)

目の病気にもいろいろありますが、その病名や症状から物語るヒントもあると思います

高齢になるとよく悩まされている人も多いですが

白内障、緑内障

白内障はレンズが曇る事です、神様がわざわざ曇らせてくれているのかも知れませんよ、もうそんなにハッキリ見える世界を見ていると疲れるよ、そろそろ見えない世界も見てみましょう…と。

緑内障は視野が狭くなって行きます、目が見えなくなってしまったりすると昔は怖い病気でした、最近では眼圧下げるお薬を処方してもらって進行を抑えますが

眼圧下げるという事は、眼圧が高いという事、「圧が高い、圧が強い」という事にも繋がります

表面を見る圧が強かったり、人に対して自分の心や思いを強めてしまう力が在ったりするかもしれません

自分の思いばかりじゃなく、もっと見えない自分の心も見てやると視野も広がるし、そんなきっかけを神様が教えてくれているんでしょう

病気や痛みは怖いもんじゃないといつも言っていますし、そこにはその人の潜在能力や超能力も持ち合わせていると

こだわりの使い方をしているとその能力も疲弊してしまいますし、

自分の身体の中で処理できなくなるのも理解できるように思います

その彼女と話している間に最初めばちこの目がほとんど開いていなくて小さな眼がどんどんと開いてきました

話している間に脳も動きます、理解しようと努力も進みますよね

そして、今度息子や娘、孫と会った時にどう自分が判断したり、ジャッジしていくか、そして自分の考えを構築していくか試していく場面に遭遇するという事です

一度に自分の理解を180度変えるのは大変でも意識が変わると道の方向が変わって行きます

後は自由に理解の道をその人が広げるだけです (^.^)

そんな事を教えてくれたヘルペス…感謝ですね




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