癖の話が続いています (^.^)
私自身もよく自分の癖を客観視します。
何でかっていうと、いつも言うように子供の頃の影響でしょうか、
否定されたり、怒られたり、間違いだと指摘されたりする事が苦手だからです。
なので、よくクヨクヨ考える癖もありました。
でもクヨクヨしながらもどうしたらそうならないかも考えていたんです。
多分それは怖がりだったのもあるし、
無意識に身に着いた自衛(自己防衛)本能です。
どこから何がやって来ても先ずは自分を守ろうとしてたのかな、
無意識にそれに気づかないでいる時期もがほとんどだったけど、
それで歪んでいた場合もありました。
「良い人であろうとする」事もその内のひとつだったと思います。
そうしている事が楽だし、災い回避できるからです。
でも反対に自分を蔑ろにして、自分を守っているようで自分を痛めつけていたという事にも気づきました。
自分の内側を観るという事が抜けていたからです。
段々と自分を信じるようになって
バランスよく自衛本能が働くようになってきました。
意見も言えるようになってきたし、
その意見も責任持とうと思えるようになったし、
私もそうだったんですが癖の中で、
口癖でもある「何でもイイよ~」とか、「どうでも良いわ!」とかですが、
私も友達と食事に行く時に、何にする?何食べたい?って言われて、
何でもイイよ、合わせるよ!ってよく言っていました。
まあ本当に何でも良かったりする時もあったからですが、
好き嫌いも無いし、人といる時が好きだからです。
お酒が飲めたら十分かなって (^.^)
でもある時から、必ず、嫌な事だけは言うようになりました。
嫌いな食べ物や行きたくない場所とか
自分が苦手なところはしっかり言うようにしました。
後は、新たな自分にチャレンジできる事が嬉しいので、
人の意見も聴くようになりました。
しっかり嫌な事は嫌だと言える自分になれて行きました。
大概ですが、
その「何でもイイよ?」とか、「どうでもいいよ」という人程こだわりが強い人が多いという傾向もあります。
それにそんな人に限って、後から離れた時に言葉にしたりします。
それに、何でもイイよという人は自分の意見が言えないか、自分の意見が無いか、自分の心を観ていないか、心に気づいてやっていないと分かって来ました。
興味が無くても意見や考えの答えは持っている方が良いのかなと。
何でもイイよと言いながら自分の意思に気づくと溢れ出て来る場合もあります。
そしてそんな時には極端に身勝手になる場合もある。
今まで溜め込んでいたモノが溢れ出るかの如くです。
普段からそういった事も出すようにしていれば、
自分の中のバランスの起伏も激しくないし、
ストレスも少なくなるのかなと思うのです。
やっぱりこれも無意識の癖。
気づくと手放せる癖、
思考癖は見えないし、現れないと思っているけど。
勝手に表現してしまっているのかなと思いました(^.^)
意識や思考の癖の奥には魂の癖も含まれます。
魂もそれを手放し成長したと思っている。
それを導いている。
肉体が生きているようで魂が生きているからです。
魂が生きようとしているのに
気づかぬ癖が人生の邪魔になるのです。
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