
地球って動いてる、昼があって夜がある。
それでも毎朝必ず朝日にお祈りするなんて言うのもすぐ忘れちゃう!!
けど、しっかり知ってるし、感謝してる。
なので、目覚ましをかけなくても夜には寝る、明るくなったら起きる (^^;)
昨日の話ではないけれど、
年老いて何もなする事が無いと言ってても、時間だけはたっぷりあるのです。
そして人生の最終ミッション段階でもあって、総まとめでもある。
若い時には求めて求めて手に入れるだけの人生だけど、
老いていくには手放して手放して心身共に軽くなって行かないと天には帰れない。
求めて頑張っている時には無茶もして目の前の目的もその手に入れる事に一生懸命だった。
体の事を考えなくても無茶も出来た!!
体がどうやってできているのか、どれだけ負担が掛かるのかなんて考えもしない。
四本足で歩いてた動物から進化した人間と言われて、二本足で歩いていること自体もかなり負荷も掛かっている
その二本足で姿勢を正しくバランス取るのだって平均台に常に乗りながら歩いていると同じぐらい難しいです。
そう!昨日の話でしたように、
時間ができた今、今まで負荷かけて来た事にも感謝しながら終焉に向かいたい。
人間生活の基本中の基本でもある、「呼吸、食事、睡眠、楽しむ」
この事だけでも深く悟れることがたくさんあると。
何もすることが無いと言っててもこれだけは誰でも全ての人間がしている事。
人間の三大欲にも通じる悟りにもなる。
神様と繋がっている事にも通じるし、
心と体が繋がっている事にも通じる。
神社仏閣に詣でなくても一番のご利益が頂戴できる。
なんぼ聖人が良い言葉を残してても、
偉人の言葉や仏典神典聖典を読んで学んだとしても
実践でこの4つに関して活用しながら気づかないと確認作業ができない。
確認作業をしないと信じ切ることが出来ない。
自分と哲学とならない。
天照大神が全国を歩いた(降り立った)拠点がありますが、お釈迦様が巡礼して回ったと言いますが、これも実践のひとつ。
それを身を持って伝え歩いたんだと思います。
近年では御朱印長に印を押してもらおうと巡礼する若い人も増えていますが、ただ回り歩くだけではない、
どうやって回っておられたかの実践をまねて回らないと意味がない。
人々のためにただただ祈る。
そこまでには中々意識がいかない時代ですが、
世の安寧を祈りながらでもよくて、
それよりも我が身が与えられてる事を歓び感謝し、
神様の分身である我が身を浄化し、
心を浄化する事を優先すると神様の意識にも通じるのかなと。
仏になるのはその神様に通じる前の浄化の段階であって、
この身が生きているという事を実感しながら向き合い悟っていく事なのかなと。
それが、4つの「呼吸、食事、睡眠、楽しむ」を悟ることで感謝に到達する事なのかなと思います (^^;)
それを知る悟るために、今までがあった!
言いたい事も言えなかったり、言いたい事ばかり言ってたり、
食べたいものばかり食べてたり、食べたいものも食べれなかったり、
眠り過ぎたり、眠れなかったり、
苦しかったり、辛かったり、悲しかったり、寂しかったり、楽しませてばかりいたり、妬んだり、ひねくれたり、恨んだり、憎んだり、
病気になったり、痛かったり、見えづらかったり、聞こえ辛かったり。
自然神の太陽、空気、水、土、金、木に関わる事でいろんな体験や経験や災難に遭ったり。
全て人間活動、人間生活の基本中の基本
そのために今までがあった、
そのために色んな人と出逢った
気づけなくて何度も魂が繰り返した。
いろいろ確認したなぁ~~~~
と言うのが私のこの世の感想でもあるな (*^^*)
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