緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

あとりえ "ぽみえ"

∞美容室です・・・完全予約制でマンツーマンでの完全技術∞ しっかりお話を聞き、丁寧な美容技術を提供させていただきます∞ 10:00~15:00(当日予約・時間外OK)不定休・・・ ★カット★カラー★パーマ★セット★着付けets.   ★スピリチュアルな会話もセッションもオーケーです ★

孤独も人生の課題のひとつ

2022-05-03 | 人生観
  「老い」と「孤独」を交えての話を綴っていますが、
何も老いるから孤独になるとか、老いと孤独が最終ステージだという事は言ってないんですね (^.^)

若くても「孤独」を感じる人はいます。
魂年齢と肉体年齢は全く違いますから…、
こんな事でもですが、
何でも人の話を小さな世界観で見たり聞いたりするよりも
一旦引いて大きな世界で受け取り自分なりに活用すると良いですよという事ですね (^.^)
そもそも孤独というのも「心の孤独」かどうかです。
大きな世界で物事を受けとめると、自分の中の意識で点と点、線と線がまた繋がり自分なりの活用すると、それが面となったりそれ以上に大きな世界観で物事を捉えられるようになるんですね (^.^)

自分の中にどれだけの意識を持っているか、
これは意識で知識とは違いますが。

社会との関わりや人間関係が希薄になって行くのは先ずは肉体的や物質的です。
それに伴い心が離れて行くとか別離を味わい孤立していく。
そこに感情の執着で寂しさとかわびしさとか虚しさとかを一旦味わいまた結びつきを求めて行く。
そんな事の繰り返しだと昨日の話でもしましたが。
心をどんどん狭めて行くと心が孤独になってしまいます。

老いに関係無く若くても精神的自律を目指し求めている人にとっても孤独を超えないといけない時が目の前に…。

そもそも人間自体が精神的自律を求めているので当然かもしれません。
そんなところから社会に現れる現象が同調圧力的な事だと思う。
協調性ももちろん大切だけど、
自分の意思をちゃんと考えないまま多数派に合わせてしまったり、
世間の常識だと思い込んでる事に合わせたりしてしまう心理。


これも言葉的には自分の外側からの圧力のように思うけど、
本当は自分の中の心理。
無意識にそうしてしまう、気づかぬままそうしてしまう。
「心が右往左往」するのと同じで、
脳がどう指令を出して良いかわかない状態。
そうしているうちに脳と心のバランスも崩れてしまう場合だってある。


大分前になるけど、ブログの先輩の記事で
「認知的不協和」という言葉を知りました。
大体の理解だけど…、
自分が選択した答えなのに、その後にもしかしたら間違っているかも知れないという不安感を抱くという。そこで理由づけをするという。
自分の中で不協和が起きてくるという事でしょうね。


自分が少数派、今だったらマイノリティーと言われている事、
表現するにも主張するにも選択するにも
これには凄いエネルギーも勇気もいる事です。


そうした事により暗闇に残されたような孤独感も味わったりします。
そしてまた同じ選択や主張で何かや誰かと同調しようとする。
同調すると、「えっ良かったのかな?」と不安になったりする。
こんな事も繰り返されて行きます。

常に本当は孤独なんだけど、
そうしながらも自分に自信持って行ったりするんでしょうけど、


こうやって見えない世界や深層心理の事を考えながら記事にしている私もそんな繰り返しだったりしました。
同じスピリチュアルでも細かく違うところは違いますから。
昔はネットサーフィン的な事するたびに自己嫌悪に落ち込んだり、
共感したりしていた事もありました。
共感してはもの凄さに落ち込んだり、
知らず知らずのうちに比べていたりしていたんでしょうね。
相手の人格なんて全く知らないのにです。


スピリチュアルの世界を体験から得た事ばかりで
真実だと確信して知っていたし信じていても
どこか自分に自信が無かったんでしょう。
実体験よりも人の知識や博識や並べられる言葉や文章のカタチ的の方を信じてしまっていたんだと思います。


そうしているうちにやっぱり実体験と自分の感覚の方を信じようと思うようになりました。
そうなると、人の体験だってみんな様々だと思うから自分は自分を信じて良いんだと人の事も尊重できると思えるようにもなりました。


たまに夫婦でも意見が違う事もあり、
もちろん違って良いと思っています。
うちのオットは自分の意見を曲げない人で、
たとえ自分が間違いだと明らかに分かっている事でも認めません。
白を黒だと言っても一度言い出すとグレーも有りません。
夫婦であっても孤独を感じる事もありました。
そんな時でも私は時系列で自分の言葉やした事を確認し、
自分に間違いかそうでないかを確認し、自分の中で収めます。
そうやって自分を信じて行こうと。
もちろん私が間違っている事は認めますよ (^^;)
言い争いで事が解決するとは思ってないので
つい「そうなんだ」「そっか」「そうなの?」とかって、
自分の中で処理しようとしてしまうという。
こんな問答でも孤独だったりするんだけどね

子供頃なら「みんなが言ってるやん!」「みんなも持ってるやん!」
「だから…」・・・とか言ったりしてましたけどね。
「みんな」という言葉を連発していました (^^;)


ある意味自己の責任逃れみたいな (^^;)
さすがに大人になると通用しませんよね。


自分の意思を持つには同調圧力も体験しつつ
認知的不協和も自覚し、
孤独に自分の意識を見つめ認める事が大切なのかなって思いますね。
そう思うと孤独もやっぱり人間の課題の一つですね (^.^)



コメント
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