私の探究を通しての考え方とか意識の変化を綴っています
意識も考え方も結婚してからどれだけ変化あったかと。
一つひとつ次元を卒業していってるとも思っています
人生の終焉を迎えるまではまだまだいくつかの卒業があるとは思いますが。
結婚するまでの3次元、それからは3次元と平行に霊体の4次元5次元、そして神様の次元、そして宇宙意識へと。
今の時代、コロナをきっかけに自分と向き合い自分の魂の奥と繋がり、しっかりと自分の考えを持ちましょうと言っているんですが
私自身も改めて思い出しながら、自分の成長を認識し、そんな自分と一体化しようかなって思いました
こんな事を言葉でどう言ったらいいか分からないんですが…
先に理論から学んで気づいたりしている人だったら、先に教科書を持っているかもしれないし、自分の気付きや学びを論文のように書けるかもしれないけど
私はいつも体験を通して、その時に湧いてきた感情に向き合って、向き合って、納得して手放して、その後に気づきとして言葉になったり真理に気づいたりするんです
だから、順序立てて説明や解説文として自分の言葉にするのが上手く出来ないなと苦手意識を持っています
なのでという訳ではないけど、今改めて体験をつづりながら、もちろん感情は手放しているんだけど、体験も忘れたいというか、その次へ進みたい感じになってきたんです
少し前にも言いましたが、生前葬的な事をして、気持ち的になのか、一旦自分の人生を終わらせたい、その為に自分の人生物語を子供達に伝えたいと思っていて、
先祖代々受け継がれてきた宗教を中身までしっかり引き継ぐというのも難しい話ですが、本当はその真理を伝言ゲームのように子孫に引き継ぐのが宗教だと思っています
これが生まれて来た目的でお役目で。
本来お釈迦様も人生をかけて伝導して来たように、子供にぐらいは母親としての人生を知っていてもらいたいという気持ちです
そこからまた子供達が人生の中で出会いを求め、新たに真理に近づいて行けばいいのかなと、そんな考えです
教科書だけを渡したリ、言葉だけを伝えるだけでは伝わらないのかなと思うし
お仏壇やお墓で御先祖様に祈って繋がるという割にはご先祖様の生き方に興味ある人も少ないように思ったりするのもあるし、
私がこの世からいなくなった時に、私の何を覚えてくれているんだろう、嫌な所ばかりなのか、単純に表面的な生き方だけで簡単に解釈されるんだろうかと思ったり
ご先祖様に興味が無いのに自分のルーツすらも考えられないだろうと。
自分の奥に興味をもってもらうためには両親も、そのご先祖様の生き方に意識するのも必要だろうと。
よく戦争の話とか、歴史を語り継ぐと言いますが、その事柄を語り継ぐのも大切だけど、それを語っている人の意識を継ぐことも大切なんだという事と同じだと思っています。
親がこんな事言ってあんな事言って、何かを言い聞かせたいと思っているその言葉より、そう言って生きている親を知る事の方が大切なという感じです。
そう自分の頭を整理するために…
そんな感じで思い出しながら、もう思い出さないで、過去の体験に生きる事からも卒業しようかなと (^.^)
多分こんな事も仏教ではこういうんですよとか、何か説法めいた言葉があるんだと思いますが…
閃いた事がやりたい事なんだと思ってやっている次第です (^.^)