寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

涼を求めて木陰へ

2015年07月25日 | 日記
日差しが若干弱くなった夕方、白鳥を見に蓮池公園まで出掛けたのだが、彼らも動きが緩慢だった。私の背後でクマゼミを採る親子がいた。少し離れた公園でもセミが狂ったかのように鳴いていた。

蝉

蝉2

木の根元近くでじっとしているセミは羽化して間もない様子である。西町で木陰で涼をとった私は御船町1丁目の稲生住吉神社(大道館がある)の前を通りかかった。町内会の人が「今日は夏祭なんよ」と教えてくれた。江戸時代御舟入はこの辺りにあった。

夏祭りの会場

夏祭りの会場2

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福山市・ハローズ緑町店の駐車場整備

2015年07月25日 | 日記
福山市緑町に近々オープン予定のハローズ。既に敷地外側の覆いが取り払われ建物は丸見えである。非常にたくさんの車が入り工事は最後の追い込みである。

工事現場

歩道際の排水溝と1階駐車場の整備が着々と行なわれている。初秋は道路が混みそうだが、自転車で買い物に来る人たちにとっては大した問題ではない。

工事現場2

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NEWS WEB・月1回の担当が決まった井上あさひさん

2015年07月24日 | 日記
井上あさひアナウンサーが毎月1回「NEWS WEB」のキャスターを務めることが正式に決まった。今日で3度目の登場となりすっかり板についてきた感じである。粋な計らいで関東地方の人たちも夜の楽しみが増えた。彼女の元相方のおっさんは元気にしているのだろうか。あの暑苦しい面は2度と見たくはないが(笑)

井上あさひアナウンサー

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岡山市北区京橋町3先・復元された江戸時代の京橋の橋脚

2015年07月24日 | 
森崎稲荷神社の北側に江戸時代の京橋の橋脚の一部が復元保存されている。旭川右岸の緑地には貴重な石造物が集められ観光客の目を引く。説明板に記された文字は下記の通り。

京橋の橋脚
 京橋付近は山陽道と旭川との水陸交通の要所として、明治の中頃まで岡山の表玄関としての繁栄を続けていました。
 京橋は文禄年間(一五九五年頃)、宇喜多秀家の時代に現在の場所に木橋で架設されたもので、その後、洪水等により橋は幾度も流出を繰り返していました。
 ここに復元した石材橋脚は、京橋(大正六年架替)の基礎補修工事を平成三年から四年にかけて実施した際に旭川の河床で発見されたものです。この橋脚には、西暦一六八一年にあたる「延宝九年辛酉十月日」と刻まれており、「天和元年 留帳」(岡山大学附属図書館蔵池田家文庫)の「京橋繕被仰付覚」に
 一 柱中通り三本根入無之故少ノ水出申刻も殊外うこき申ニ付其段申上石ノ扣柱三本立ル
 西より一 一 壱本ハ 地入六尺七寸地より上壱丈三尺三寸
 西より二 一 壱本ハ 地入七尺壱寸地より上壱丈三尺四寸
 西より三 一 壱本ハ 地入七尺地より上壱丈三尺弐寸
 右ハ七月廿七日より取懸り八月十八日出来通り初池田大学日置左門
と記述されているところから、当時、京橋補修に使用した石材の一部と推定されています。
 八角柱は大きな流出物が直接橋脚に当たるのを防ぎ、橋脚も水の抵抗が少なくなるように工夫され、洪水に対する配慮がなされた形状、構造となっています。
 平成五年三月
 岡山県岡山地方振興局 建設部

説明板

旭川の氾濫による被害は数多くの文献に記載されているが、明治25年(1882)岡山滞在中に大水害に遭った夏目金之助が松山の正岡常規に送った2通目の書簡は惨状を知る上でとても参考になる。神経質な彼は相当に堪えていたことが分かる。

書簡26 八月四日(火)正岡子規〔全集(大6)〕消印ハ便
 松山市湊町四丁目十六番戸 正岡常規宛
 岡山市内山下町百三十八番邸片岡方より 
 小生去る二十三日以後の景況御報申し上んと存候へども鳥に化して跡をかくすとありし故旅行中にもしやと案じ別段書状もさし上げず居候先便にも申し上候通り当家は旭水に臨む場所にて水害中々烈しく床上五尺程に及び二十三日夜は近傍へ立退終夜眠らずに明し二十五日より当家の金満家にて光藤と云ふ人の離れ座敷に迎え取られ候処同家にても老祖母大患にて厄介に相成も気の毒故八日目に帰宅仕候…

 実に今回の水は驚いた様な面白い様な怖い様な苦しい様な種々な原素を含む岡山の大洪水又平凸凹一生の大波瀾と云ふべし然し余波が長くて今に乞食同様の生活を為すは少し閉口石関の堤防をせき留めるや否や小生肛門の土堤が破れて黄水汎濫には恐れ入る其に床下は一面の泥で其上に寢る事故余程身体には害があるならんと思考仕る許りで目下の処では当分此境界を免がるゝ事能はざらんとあきらめ居候
猶委細は御面会の節 頓首頓首
 八月四日      平凸凹
子規さま 尊下

水害

暴れ川はその後も度々川べりの住民を恐怖に陥れた。昭和9年(1934)9月21日、室戸台風の接近により内山下の辺りが水浸しとなり相生橋が流失した。これが大規模な河川改修工事に着手するきっかけとなった。私は表具師幸吉之碑の前に移動し穏やかな川面を見つめて帰り支度を始めたのだった。

記念碑

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福山市御門町2丁目9-11・廃屋の解体工事

2015年07月24日 | 日記
広島県道22号・ばら公園(西)交差点そばの焼鳥屋の近くで廃屋の解体工事が始まった。花園陸橋から該当地区を撮影(※5月下旬)した写真はこちら

解体工事

市の中心部で老朽化した建物(築40~50年あたり)の取り壊しは益々加速すると思われる。危険除去と景観上の問題を解消するにはそれが一番手っ取り早いからだ。中核都市における安易な古民家再生ほど馬鹿げたものはない。

解体工事2

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福山市加茂町大字百谷・国道182号線で再び土砂崩れが発生

2015年07月23日 | 日記
台風11号の影響(長雨)によって国道182号線沿いの斜面で土砂崩れが再び発生、今度は大規模で復旧までには相当時間を要しそうである。便利な福山市中心部に住んでいる者としては最も心配な自然災害は大地震である。いつ発生するかは誰にも分からないが、定期的に防災訓練に参加して災害危機管理能力を向上させる(≒最悪の事態で生き抜く知恵をつける)ことが大事だ。豆知識…加茂町大字百谷は江戸時代の安那郡百谷村で水野家断絶後は同郡北山村とともに天領を経て中津藩領(飛び地)となった(幕藩体制が崩壊するまで福山藩領に復することはなかった)

土砂崩れの現場

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福山市野上町2丁目8・医療法人辰川会山陽病院の新棟建設現場を覗く(その2)

2015年07月23日 | 日記
私がこの前新棟建設現場を見たのは6月下旬だった。あれから1ヶ月経過した訳だが、工事は順調に進んでいる。巨大な骨組みが広範囲に出現した。

工事名

完成予想図

建て替え工事

完成予想図のような病院が完成すれば野上周辺の景観がガラリと変わる。本日予定通り野上町3丁目にフード&ドラッグひまわり野上店がオープンし店の前では交通整理のおっちゃん2人が車をせっせと誘導していた。

オープンしたドラッグストア

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早掘りれんこん(福山市郊外)

2015年07月23日 | 日記
真夏のれんこん畑は美しい。既に新れんこん出荷に向けての収穫が行われている。高圧ポンプを利用した水圧掘りが普及して(手掘りと比較すると)作業効率ははるかに向上したと聞くが大変な作業である。美味しいれんこんが出回るまでには様々な苦労がある。

話しは変わって本日の西村雅史さんの記事がすばらしい。香ばしい市民団体を持ち上げる四流新聞が落ち目なのは言うまでもない(笑)。真の知識人は「言論弾圧が大好きなのは垢の方だ」ということを良い子に教えよう。

れんこん畑

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稲の生育をチェック(福山市郊外)

2015年07月22日 | 日記
田んぼにほとんど水がない。水張り・水抜きの繰り返しを行い水温を調節することを専門用語で「間断潅水」という。稲の生育を促すのが大きな目的である。芦田川の改修工事が済んでからは堤防決壊によって干拓地(海抜の低い田んぼ)が水浸しになることは無くなったが、生産者は収穫まで気苦労が絶えないのだ。

田んぼ

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福山市川口町2丁目6-19・旧小僧寿し川口店が天ぷら販売店に

2015年07月21日 | 日記
旧小僧寿し川口店sushi花館(居抜き物件)がついに再生される(残るは南本庄店)。店名は「満天(まんてん)」で天ぷらを扱うようだが、詳細は不明。


イラストの坊やが巨大な海老天をバットにして満塁ホームランを打っている(笑)ことからしてお惣菜の販売に特化するのではないだろうか。店は川口八幡神社の北側かつ新川沿い(正確には用水路の西側)に位置する。8月の第2土曜日には八幡神社境内で盆踊り大会が開催される予定である。


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福山市野上町3丁目及び沖野上町5丁目のシンボルロード

2015年07月21日 | 郷土史
前回の補足説明をしておく。地元の古老たちの話をまとめると鷹取川の取水口は水呑屋(沖野上町6丁目1‐8)の裏手(西側)付近にあったと思われる。三角花壇北側の道路(一応辻になっている所)が淀橋(埋め立てが進んで用水路状に細くなった通称:淀川が昭和40年代までは残っていた)跡だろう。

蟹拾い
 新涯用水(西の川)の取入口の新樋の処は深く、その南は大きな砂山になっていたので、当時乞食や浮浪者等が小屋掛をして住んでいた。その西側の下手(現在の体育館の辺り)は浅瀬であった。このため子どもたちはよくしじみを取っていた。また西の川を渡るときは此処を渡っていた。
 春の彼岸が過ぎて雨が降ると蟹は産卵のため海へ下がって来る。大人は明かりをとるために、一メートル位の手火を持って蟹を取りに行くので、私もついて行ったことがある。
 蟹は流れにつれてコロコロ転がって来る。一寸した深みには蟹は座っていた。捕まえるというよりは拾うのである。たくさんいるのでいくらでも拾えた。

『福山市多治米町誌(平成五年・1993)』

廃川地(淀橋跡)


旧新涯四百町歩取水樋門趾を示す石碑から南東へとのびる遊歩道(緑地を含む)にはシンボルロードという名がついている。住所は野上町3丁目と沖野上町5丁目地内となるが、面積と長さは後者が圧倒的に多い。

シンボルロード

シンボルロード2


平成6年(1994)に市が遊歩道を整備するまでは無料の駐車場として近隣の住民に使用されていた土地だったという。勘のいいはもうお分かりだろう。駐車場になる前は農業用水路(新涯用水)であった。

芦田川から入れる用水路を作るために、野上村字トロトロ(現在の福山工業高校南)に樋門を作りました。そこから芦田川の水を入れ、源七端から五間川に導いて、一の川、二の川の幹線水路を流して、各用水路に配ったのです。三の川は遅れて明治十一年(一八七八)に完成しています。

『聞き書き大新涯物語(平成9年・1997)』

シンボルロードの説明

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着実に変化している福山市中心部の商店街

2015年07月21日 | 日記
1・2枚目の写真は今年3月初めに撮影した。場所は船町の靴のヒラタニ前である。ヒラタニと柴田楽器店の間が更地になっているが、昔の地図で確認すると小林洋服店の跡だった。更地に立ったテナント募集の看板を目にして約4ヶ月経過した。

更地

まつり

第1回(笑)福山ゆかたまつり2015に出掛ける際に船町の商店街を歩いた時にはもうベタ基礎の工事が完了していた。本通周辺(今町・笠岡町・船町)では所々で建て替えが進む。無くなるのはアーケードの屋根だけではないのである。

基礎工事

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真夏日に清涼飲料水で喉を潤す

2015年07月20日 | 食材
中国地方(山口県は除く)が梅雨明けしたとの発表があった。これから盆前までが一番寝苦しくなる時期である。私はグラスに三ツ矢サイダーを注ぎ氷を数片浮かべて空き缶をマジマジと眺めていた。

少年時代、サイダーやコーラは瓶で飲むのが普通だった。夏休みに入ると悪ガキどもは駄菓子屋に集まりペプシの一気飲み(500ml)をしたものだ。各社からペットボトル飲料が発売されたのが昭和60年(1985)~昭和61年で瓶からペットへの切り替わりは迅速だったのを思い出す。缶は今でも主要な容器だが、昔との違いは内容量が若干減ったということだ。私位の年になると清涼飲料水は200~250mlが適量に感じる。

最後に(毎日飽きもせずアベと連呼する)垢と黒への大サービス。この素晴らしき2ショット写真を見てもっと熱くなれ。残念ながら子どもは親と家柄を選べないんだよ(笑)

2ショット写真

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セブン&アイ・完熟レーズンバターロール

2015年07月20日 | 食材
レーズンの入ったパンが好きでスーパーでこの手の類を見るとつい買ってしまう。小ぶりなサイズは朝食用というよりは間食向きだと思う。

完熟レーズンバターロール

当日はそのままつまむが、翌日からはオーブントースターで軽く炙って食べる。表面がパリッとしてなおかつ香ばしくなる。レーズンもほんのり温かい方が美味しい。

原材料名

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