【今町(東)】交差点から南東方向を望む。「とり新 新福山本店(笠岡町2‐7)」の向かいの建物が解体されている。確か昔は「えべす寿司」という飲食店だった。
当時の「とり新」は交差点角…現駐車場の位置にあった(かつて居眠り運転のトラックが店に突っ込む事件が発生して魔の交差点と呼ばれていたという)。2代目店主が焼く串を目当てに癖の強いおっさんばかりが集まって安酒を飲む異質な空間(タバコの煙が充満)だったことを思い出す。
近くで営業していた中華そば屋「まるきや」の跡にはマンションが建っている。経営者のKSさんはその後入船町の歓楽街で「バー・アドリブ」を始めたが、営業できたのはわずか1年ほどだった。マスターは夏に膵臓癌と診断されその年の秋に他界された。尾道の裏社会にとりわけ詳しく新開の遊廓の話をよくしてくれたものだった。
当時の「とり新」は交差点角…現駐車場の位置にあった(かつて居眠り運転のトラックが店に突っ込む事件が発生して魔の交差点と呼ばれていたという)。2代目店主が焼く串を目当てに癖の強いおっさんばかりが集まって安酒を飲む異質な空間(タバコの煙が充満)だったことを思い出す。
近くで営業していた中華そば屋「まるきや」の跡にはマンションが建っている。経営者のKSさんはその後入船町の歓楽街で「バー・アドリブ」を始めたが、営業できたのはわずか1年ほどだった。マスターは夏に膵臓癌と診断されその年の秋に他界された。尾道の裏社会にとりわけ詳しく新開の遊廓の話をよくしてくれたものだった。