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寮管理人の呟き

ピケティの指摘する経済格差の拡大をどう捉えるか

ピケティの書物を恣意的に解釈し政権批判の材料として利用するマスコミ。誇張された「格差」に大衆の目を向けさせ不安や怒りを煽り国家解体を目論むのが垢の手口(十八番)である。今日の正論執筆者は竹内洋さんで中々刺激的な文章が並んでいた。

 ピケティの『21世紀の資本』が話題になり、格差問題が再燃している。資本主義そのものに格差を低減するメカニズムはなく、放置すれば、格差社会が進行するだけだ、とする。

…多くの人々が所属する社会を理不尽な大格差社会と認知するようになれば、同胞感情をもてなくなる。社会につながれないと思うことで規範意識が低下する。凶悪犯罪が多発する危険社会になりかねない。
 しかし、格差は社会を活性化させる誘因でもある。格差を無限に縮小していけばよいというものでもない。どの程度の格差が公正にもとるのか。危険水域になるのか。その目安をつけるのは簡単ではない。…能力主義幻想の強い社会であれば、妥当な格差の上限が上がる。逆に結果の平等が望ましいとする社会であれば、その天井は低くなる。許容される妥当な格差は、社会によって、また同じ社会でも時代によって伸び縮みする。

…最新(2012年)の『OECD生徒の学習到達速度調査』で…日本は、先進国の中では家庭の経済力や文化力による生徒の学力格差の影響が小さく、かつ平均学力が高い群にある。
 この調査結果についてはマスコミでは大きな話題にはならなかった。ここにもあそこにも格差があるという格差探しの空気の中では、不都合な事実だったからではないか。まして教育格差拡大に警鐘乱打する教育学者でこれにふれる者はほとんどいない。
 この経済格差と教育格差の二重性、つまり格差拡大傾向にもかかわらず、先進国水準では格差は小さいという特徴は、われわれの格差をめぐる体感とも合致していないだろうか。日本の格差をめぐる人々の評価が格差社会という悲観的評価と相対的に平等社会という楽観的評価の両極に分かれがちな所以が、この二重性にある。コップの中の半分の水をめぐって、あと半分しかないとみるのと、まだ半分もあるとみるのとの違いのようなところがある。

ピケティの解説本は池田信夫さんが出しているのでブームが去った後でゆっくり目を通そうと私は思っている。流行りものに飛びついてはすぐに飽きるのは日本人の悪い点だ。悲観論者に熱烈な眠巣支持者が多いのは決して無関係ではないのである。愚民は疑似餌に食らいつきわずか数年前に高い授業料(と犠牲)を払ったことをもう忘れようとしている。

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