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寮管理人の呟き

旧福山港(内港)跡を巡る(その4)

昭和5年(1930)発行の福山市街地図より松浜町周辺を拡大した。赤丸で囲んだ所が「四ツ樋々門」付近で細い水路(汐廻川)が入江とつながっていることがお分かりになるだろう。

松浜町3丁目1の樋門を望む

一方通行の道から広島県道260号を望む

銘板のあった建物の下が松浜ポンプ場(松浜町3丁目1‐52)で南方には橋が架かっている。水路(川)は東川口町・田治米町方面に延びており、中央公園南側を流れる道三川とも少し先で合流する。

松浜ポンプ場

松浜ポンプ場横から広島県道260号を望む

藩政時代、樋門の辺りは深津郡野上村の一部であった。明治31年深安郡野上村となり大正5年(1916)に福山市が誕生する直前は深安郡福山町字野上松ヶ端と呼ばれていた。菅茶山編纂『福山志料』の深津郡野上村の項には詳しい記述がある。

 溝渠
古川 山溜池ヨリ出テ松カ端ニテ海ニ入ル
蕩 多治米村ヨリ出松カ端ニテ海ニ入ル方言ニ汐廻ト云汐廻ニ二ツアリ一ツハ鹽場ニアリ鹽田ノ間々ヘサシクル潮ヲ引メクラスル溝ナリ一ハ塡海所ノ惡水ヲヌキスツルニ潮サシ入トキ蹔閘ヲ閉テ退潮ヲ待ツソノ間ニ滯ル水ヲタクハフル所ナリミナ防海塘ノ内際ニアリコレ蕩ナリ狹長溝ノ如キモノ又池塘ノ如キモノアリ今此字ヲ用ヒテ波塘ニワカツ

これほど町並みが変わっても基礎の部分はしっかり残っている所が福山の面白さだ。自分の足で歩いて地道に確認していくことが正しい歴史認識につながると思う。自虐史観にとらわれた者達(厚顔無恥の団塊に多い)は見るべきものをあえて無視する。そこを平井隆夫さんはサラリと窘めているのである(笑)。私は川口新四国八十八カ所の第八番と第九番の石仏を眺めて広島県道260号との合流点に向かった。

川口新四国八十八カ所・八番・九番石仏

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