【六人部 ぶらぶら 2008~ 】再改訂版

福知山市六人部学区を清流土師川の流れに沿って撮影した写真を掲載して月二回の日記風に綴った写真版・新六人部見聞風土記。  

萩原橋のちょつと上流 ( 1 )

2008-02-25 21:23:50 | Weblog
 ただ今更新工事中ですが、ご自由にぶらぶらしていただいてもかまいません。なお この日記の決定更新は 2008.3.1.(土)の予定です。

2008.2.27.時点でのアクセス総数のご報告
①総アクセス数     2018
②総閲覧数       943
③コメント総数     103
④使用文字総数     31468文字 
⑤400字詰原稿用紙換算  78.67枚
多数のアクセスに感謝して、先にすすみます。

【六人部 ぶらぶら2008.】は やはり ご近所の方がたくさん見ていただいているようで、決まって  『一機に飛び出さないで 萩原橋のちょつと上も うつしてよ。』というお声に応えて、今回は、ほんの少し上の橋(保ケ瀬橋は三和町道)から、土師川の清流をお楽しみください。
(今回までは 写真の横幅が広いのがあり、移動に手間がかかるという、リクエストに応える努力をしてみます。ご注意・お礼)


①この日 いつもの散歩コースを歩こうと徒歩で家をでました。丹波萩原のバス停から、車に気おつけて 国道を横断し、フアストラインの前から土師川に通じる小道に入って 50メートルほどくだったところで、転々とついた 足跡をみつけシャツターをきりました。


②町道に架かる橋です。橋にはみんな石銘板があると思って、探しましたがみつかりません。写真の奥の方に国道9号線があり、遠景は芦淵地区の人家です。


③橋の欄干から覗くとまさに清流そのものでした。




④これは下流です。この日記の主役の萩原橋はこの先200メートルくらいの位置関係です。



⑤上流にはこの写真でも少しみえているが川幅いっぱいに堰がある。
このあたりは深みのようで、紺碧という表現がぴったりの穴場です。



写真 ⑥
すこし戻って写真④の真上あたりは筆次郎の書斎からよくみえる。



写真⑦真夜中のこの写真は、警察関係の黄色いくるくる回るひかりが 珍しく長くまわつていた。音がまつたく聞こえなかつたので バス停の空き地利用した 検問のようであつた。



写真⑧ 次ぎの朝は快晴であった。橋の石銘板を探しにいった筆次郎の眼にとびこんできたのは、この木製の打ち杭であった。
曰く 町道生野支線 【保ケ瀬橋】橋梁維持-----の下はわからなかった。


写真⑨ 昨夜黄色いくるくる回転する光のすぐしたの地道には、つめの上あたりまでの深さのある獣足跡が 転々とついていた。


写真名⑩筆次郎の隣家の畑には雪帽子をかぶつた白菜が朝日の中にあった。



写真⑫
チョット 番外編
みなさ-------ん。

やぎのたまご   やぎのたまごって しってますか ?

やぎって あの やぎやろ 。 山羊って 卵生む?

そうです。わが 福知山の三和には こういうネーミングのできる
有能な人材が おられるのです。

きようは その玉子を 買いました。食べました。

この話はまた今度 。おたのしみに !! 
写真⑬ これは 商品の裏書。

写真⑭この化粧箱のなかに栞がはいっていた。小さい虫眼鏡がいるような文字ではあるが、誕生秘話がかかれていた。

この栞はなかなか趣きのある文章で そのまま写るかとおもつたが、少し無理なので書き写してみた。
写真⑯


京都の山あいの丹波の里に、やぎが6匹暮らすやぎ村があります。ユキちゃんは、毎年のように春に出産します。もう4匹の子供のおかあさんになりました。でも、山羊姫はここ何年もあかちゃんをうんでいません。今年も駄目かとあきらめていました。ところがある秋の朝、やぎ姫が小屋から出てきません。「どうした?」と声をかけて小屋に入るとやぎ姫は座り込み、後ろ足で白いたまごを大事そうに抱いていました。その眼には涙がいっぱい。この白いやぎのたまごは、赤ちゃんができないからだとは知らず、赤ちゃんの夢を見続ける私への恩返しだったのでしょうか。
写真⑰


注) 山羊は哺乳類です。実際にはたまごは生みません。

やぎのたまごは、やぎの気持ちを大切に心込めてお作りしています。やぎのチーズを使う贅沢なお菓子です。そのため、高温多湿は避けて、お買い上げ後はできるだけ早くお召し上がりください。やぎの店 山小屋。起用と府福知山市三和町千束606.
写真⑱

写真⑲良く見ると製造元が書いてあった。
TEL/FAX 0773-58-2340
www.yaginotamago.com

写真⑳ 興味をそそられた筆次郎は ( こんにちは----- )とドアを開けた。

写真21 かって この空間はたしか 飲食を商う店であったが、今は昔 やぎの乳を使った製造工場らしかった。
一見社長(?)風の六十路の男性が ( きのう、食わず嫌いにあったのだが----といい ひさしぶりに やぎの乳 飲ましてもらえるの---- )
と聞くと 準備している間に 【うちのはくさくない品種なのです 】と意っていろいろ熱心に説明してくれた。壁に掲げてある 品種の違うやぎの顔の数枚を写真に取らせてもらった。
( 今日の僕は鼻が きかんのかな---- ぜんぜん くさく ないよ )というと 六十路風の社長風は、また品種の違いを熱心に語ってくれた。


ホームページは筆次郎が訪れた2008.2.27.は、ご意見拝聴段階とかであった。
おせっかいな筆次郎は、買ったひとがコメントを残せるようにしたほうが、いいんじやないかなと感想を述べておきました。
お金をだして買ってくださつた人のコメントは、良きにつけ、悪しきにつけ、口コミ、書きこみとなる。

私の注目している 能登・輪島にある宿屋の若女将は、毎朝ホームページをチェツクして、こまめに返信用の書きこみをしている。
せっかく利用してくれた人が、コメントしているのに、まったく反応のないホームページは、百害あって益なしと、心得るべきではないだろうか ?

だか多くのホームページが、現実問題として 閑古鳥が鳴くのは、その管理者の責によるところが、多いというのが、筆次郎のアドバイスです。
http://www.yaginotamago.com

生物であるやぎは毎日、欠かさず 世話を必要としている。
そのやぎさんが出してくれた恵みから生まれた
やぎのたまごのホームページが、6ヵ月後、1年後どうなつているか------- 楽しみである。

【六人部 ぶらぶら 2008 】の次回更新予定は3月8日(土)です。

もう1回だけ 萩原橋の上流の 草山というところに 湧き水のよいのが出るとお聞きしましたので、そこの報告をして、いよいよ 上六人部の三俣区の土師川のすばらしい写真をお楽しみいただく予定です。




大変お待たせしました。萩原橋からの眺めです。

2008-02-23 05:37:04 | Weblog


お陰さまで 2月9日開設後、2月24日で 
15日が経過しました。この間
アクセスは  1728 pv 
閲覧  826 ip  
コメント  88カキコミ
文字数      18595文字 
(400字詰原稿用紙換算 46.48枚 )
をいただきました。ありがとうございます。
今後も 皆様に楽しんでいただけることを励みに 一歩一歩 カメラに収め ここに 掲載させていただきます。   
              

とにかく きょうは 即 萩原橋からの土師川の清流を楽しみください。


写真①国道9号線を京都から鳥取砂丘方面へ行く途中、福知山市の郊外にある筆次郎の思いいれの深い橋。歌枕の里で有名な生野の里にもう一歩という大坂の途中から、東の眺望。このまま国道9号線を500mほど下ると丹波三俣に至る。


写真②萩原橋から土師川清流の上流を望む。画面右の円方後円墳のような形は萩原城址という。城というより砦様であることが郷土誌・福知山市史第2巻510頁にしるされている。


写真③萩原橋から下流の眺望。清流は 緩やかにくだり、三俣区の上安場~三俣橋へと続く。

写真④ 土師川の銘石板



写真⑤ 晴れた日の萩原橋の遠景です。 


写真⑤ 晴れた日の萩原橋の遠景です。撮影したこの日は本当におだやかな、日和でした。


写真⑥ 萩原橋から 上流の眺望です。 


写真⑦ 融雪後の下流です。


【六人部 ぶらぶら 2008】はここから下流の 今 をこの地に約25年前に参入した 参入組の目線で すばらしい光景を掲載していく予定であつた。

ところが、この【六人部 ぶらぶら2008】がネットに載った日から、ここを基点として 上流も撮影してネットに乗せてほしいというコメントやファックスが相次いだ。
管理人は ほぼ同時期に 【 がんばれ 東部 2008】という少年野球の振興を図ることを目的とするところから応援公開日記に協力要請された。

そんな関係で、ここを基点として、いきなり下流に進むのではなく、リクエストにある ポイントを下ることにした。




写真⑧


写真⑨

写真⑩萩原橋からすぐ上流に とても美しい 堰がある。そこからの眺望もぜひネツトに掲載してくれや----- そういって 案内してくださった。
いって見るとさすがに 土地の人で ☆☆☆の場所であった。
『 とらんでも ええで 』と固辞されたのは、ここに案内してくださったTさんである。もう7年も2週間に1回 3000円自費で 私の治療院を支えてくださった方である。大桜の下から遠景で----- ということで お許しがでた 思い出深い一枚である。


写真⑩ 【もし主に 断ってくるは-- 】そう言って 大きなお屋敷の中にきえられた。見ると敷地の中に こんな 石碑がたっていた。
『 ああ あれは ワシの祖父の顕彰碑です。』そういって立ち入りを許可するだけで、なく 良いポイントに案内してくださった。

 

写真⑫


写真⑬


写真⑮

写真⑯


写真 ⑰


今回の【六人部 ぶらぶら 2008】いかがでしたか。

次回は2008.3.1.(土)までに 更新いたします。乞うご期待。


編集後記 ( 以後 明窓浄机 とします )


① 最後の 上六部----云々の土製の大とつくり(?) 筆次郎が拝見したのは、これで 2件目でした。はじめは ○○町 △△地区の ●● いう ところでした。
訪問リハビリ・マッサージ・関節リラクゼーシヨンテクニツクを施術しに伺っている お宅でした。
持ち主のこのお方も 脳卒中後遺症で片麻痺・強度の硬直性の筋拘縮で 大変なお方です。そのお方と奥様が 納屋の奥に あつたので 上六部村と書いてあるので
●●●さんに おききしました。といわれた日のことをいまでも 明確に覚えています。
【 リュウマチ ハヨ治して また治療に来てや  】 といわれてもう1年近くなる。そのお方と同じものを見たとき、

このような 庶民の生活に毎日使っていた 民族遺産(?)の散逸は、どうしても 避けたいという願いを持っている。今回 ここで 取り上げさしていただいたのは
こんな いわゆる 生活民具の散逸をくいとめたい-----という筆次郎の願望を表明したかったのです。
たとえば 小学校区に1つある 地域の公民館活動の一環として-----などなど
夢は大きく広がる 緊急性のあるテーマです。

②は宣伝です。
 私達少年野球を愛する人達のぶろぐ日記ができました。パソコンでも携帯でも無料で見れますので ご覧ください。そして 地域の宝のこども達の熱戦を会場へ行って ママさん達と一緒に応援してやつてくれませんか。

こんな地道な努力が、地域の明日をつくる原動力になると信じている筆次郎でした。
アクセスは グーグルなどの 検索のところに 【 がんばれ 東部 2008】といれるか これで駄目なときは fukuono と入れて いただければ トップにでますので 【 がんばれ 東部 2008】の文字列のどこでも 良いので クリックしてください。 開設1週間未満ながら 1000アクセスを突破した 公開日記をご覧いただけます。


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萩原橋からの眺望

2008-02-21 04:36:39 | Weblog
この公開日記にお尋ねいたたき、感謝します。2008.2.21.午前4時15分現在、全部で75件もの コメントをいただき感謝します。

実はシステム障害にあつている時間帯を利用して、goo ブログ日記【東部少年野球振興会 】ID fukuono のブログ立ちあげのボランテイアをしていまして、ここにいただいたコメントのお礼がおそくなつて、すみません。

参考までに 2008.2.22.【金】午前8時32分現在の立ちあげ後のアクセス数を書き上げておきます。

過去1週間の閲覧数とランキング

日付 閲覧数 アクセスIP数 ランキング

2/21(木) 134 pv 63 ip -位(962437 BLOG中)
2/20(水) 30 pv 13 ip -位(961830 BLOG中)
2/19(火) 49 pv 29 ip -位(961183 BLOG中)
2/18(月) 68 pv 22 ip -位(960572 BLOG中)
2/17(日) 51 pv 19 ip -位(959921 BLOG中)
2/16(土) 100 pv 55 ip -位(959194 BLOG中)
2/15(金) 74 pv 32 ip -位(958483 BLOG中)


過去3週間の閲覧数とランキング

週 閲覧数 アクセスIP数 ランキング

02/10~02/16 873 pv 423 ip -位(959921 BLOG中)
02/03~02/09 172 pv 85 ip -位(955226 BLOG中)
01/27~02/02 0 pv 0 ip -位(950700 BLOG中)

ありがとうございます。 おいおい落ち着きましたので、コメントさせていたたせきます。









筆次郎の琴線雑記 ① 2008.2.16.

2008-02-16 13:28:57 | Weblog
 

長い間 システム障害のため修理に手間取り
    申し訳ございませんでした。原因究明と対策を
        施しましたので 従前どおり、週一の更新を
    心がけますので よろしく。( ああ、よかったです )


これは 何だろう。

『これって----- 何だろう 』



写真①
これは、私が最近 暇を見つけては 通っている 例の萩原橋で、雪の日のお昼前に出かけた時のものです。( あとで 気になって調べてみると、撮影日は、2008.2.14.午前11時15分のことでした。この14日という日は 私にとって記念すべき日であったのに、全く気づきませんでした )


写真②
今回はじめて 橋にはそれぞれこのような銘石版があったということに気づきました。そしてその中には 漢字とひらがな文字と二種類あることも、知りました。

写真③
白い雪の上に点々とついていた 足跡のようなものが、なぜか 気になるというか----う-----ん、興味半分に、体を起こして少し高い位置から、すこし角度を変えてみますと、何かの足跡のようでした。

<a href="http://">
写真③
もっと目を高くしますと、萩原橋の入り口から、奥の方向へ、続いて、いました。


写真④
この日は次ぎの仕事時間に追われていましたので、写真だけとって、帰路につきました。今にして思えば、東の橋詰はこうして、ふきだまりのようになって、雪が重なり とても重そうですね。



写真⑤
この写真は、その日あるところにでかけ、良く似た同様の獣の足跡を見て、写真もとっていました。でも そこでは 何にも後ろ髪を引かれることは 感じませんでした。
この日2月14日という日は、少なくとも私は絶対忘却しては、ならない 初心と言いますか、この道にすすませていただく、キッカケを得た日でありました。

私は多くの人と同じく 常々 初心 を大切にしたいと思い、手紙にも 良く書きこす。しかしこの日のことを その時は 全く忘れていました。
時には忘却は---と偉そうなことを口にする私ですが、この日の萩原橋の下を流れる 清流のような澄んだ目で、見ると自然と思い出される事が、幾つかありました。人間とは--- 時の流れとは----。

写真⑥ことしは、どちらかといえば、多い歳に比べれば少ないほうでしょうか。
   2月19日現在、早朝の雪かきは計3回と記録にあます。



写真⑦この清流は萩原橋から見ると、下流にあたります。少し下がると上安場へとづづく清流です。夏場でも最近では、めっきり 川遊びをする子供達が減ったと、時おりすれ違う土地の古老が 言っておられたのが、印象的です。 でも 大水や土砂災害で 命を落としたこども達も幾人か、古老の話によれば この清流でなくなっておられるようです。


写真⑧
 東橋詰に導かれるように、進みますとチラット 何か赤いものがみえました。花筒が2つみえました。

ひょっとしたら と 期待をこめて 近づいてみました。
赤い子供用の毛糸の帽子が まるで 自分のこどもに 母親が《さむかろうに---》と霜焼けでまっ赤に腫れた手に 息をゆっくり吹きかけてくれているようでした。

この写真を撮影した日は、気づかなかったのですが、この赤い帽子異常に赤く、しかも 鮮やかに思われませんか。小さい岩陰の下とは言え、この赤さと 鮮やかさが とても 印象的です。--------



写真 正門



写真 猪

※ 萩原今昔


今の萩原城址


資料にみる萩原城址


さあ、トラブルも解消しましたので、終末( 2月23日・土曜日 )の更新の準備に入ります。




福知山駅から歌枕の里にごあんない!!

2008-02-14 18:19:16 | Weblog
goo 日記【六人部 ぶらぶら 2008】改訂版に お運びいただき ありがとうございます。

ただ今 更新中で お見苦しいのですが、よかったら、ご覧 いただいても けっこうです。( ご自由に )

お陰様で 今 (2008.2.14 19時 5分 ) 現在、9日~14日の間に閲覧総数 621 pv 、アクセス数 355ip コメント総数 51 となっております。

pv や ip といわれても何のことだか、詳しいことが わかりませんが、とにかく ありがとうございました。一歩、一歩 やつていきますので、よろしくお願いいたします。

それでは 出発いたしま---------------す。
写真① 福知山駅


【 ようこそ、福知山駅へ 、お疲れでておりませんか。 】
今日はこれから、駅前ですこし あたりをみていただき、日本で最大級の長田野工業団地を東西に貫通している 国道9号線を 東へむかいます。

写真② 駅前


新しい駅はデザインが大好きです。デカンショ踊りの編み笠をテーマイメージとされたようです。


写真③ 福知山は 管理局がある関係で、駅前には 機関車の実物展示がしてあります。


福知山駅は高架化にともない、今は旧駅舎が撤去され北口周辺の整備で、ごったがえして おります。




写真④ もう一つ 忘れてはいけないのが KTRのことです。福知山から日本海側の 天の橋立 のある宮津駅に行くには、KTR 【 北近畿タンゴ鉄道 】の基点地になっております。


写真⑤ 福知山の眺望をお楽しみください。( 写真は全て とれトレで 湯気がでております。 )





















六人部 ぶらぶら 2008 】番外編 1 

2008.2.11. コメント⑧さん お待たせしました。
時間帯が逆光ですみません。 いずれ 完璧なものを、と考えています。
( 城は 好いのですが 岳の方は 大江山と三岳山があるそうで---とおりがかった写真の人が 指さして 教えていただきました。 )






一本うちさん。リクエスト ありがとうございます。今日も側を取っていますので
シーズンには お届けさせていただきます。
ここのお世話いただ゜いているAさんは親切な、そしてなによりこの記念館を愛おしく、思っておられることが ヒシヒシ伝わってくる六人部の先輩筋にあたられる方です。今日は 沢山資料を頂戴したのと、この中六人部に伝わる民話を感じさせるお話を、聞かせていただきました。中六のこの記念館の前の川は竹田川であること------ などなど教えていただきました。
いずれご本人さまに了解がいただければ、お顔もドウダンツツジとともに、掲載させていただきます。 

と今日 こんなコメントが来ていることなど 知らなかったのですが、ちょうど 清潔な室内に ご希望の昨年の写真が飾ってあり
ました。ご参考までに。









 


【六人部 ぶらぶら 2008】再改定版

2008-02-11 09:01:12 | Weblog

始めまして ムトベ フデジロウ と申します。六人部 筆次郎と書きます。
お待たせしました。土師川の清流をお楽しみください。
(今回の再改定版は、コメントの字を大きくしてという要望で改良しました。)


それでは、六人部地区にある土師川の最上流 萩原橋にご案内します。

福知山駅から9号線を、京都に向かいますと、約15分でJRバスの生野の里停留所につきます。このリポートは2回目に行う予定です。

初回は 京都方面から、来られる方のために、新しく福知山市と合併した三和町千束にある三和支所から、誘導させていただきます。

今回は写真のリポートする容量が多いので、少し小さい写真もありますが、
これは、車窓から見た光景と思って、そんな雰囲気をお楽しみください。

それでは 出発しま-------す。
写真①
ここが千束交差点です。最近コンビニも左角にできました。

三和支所です。

先ほどの千束交差点を左折すると そこが ○○さんがリクエスト番号①で胃っておられた、三和工業団地【     】です。 今回はこのまま直進します。

次ぎが ○○さんのリクエスト番号 ○○の新橋交差点です。新橋は俗称で、正式には、芦淵橋です。ここは これから紹介する萩原橋の上流です。少し詳しく車窓から見て見ましょう。

この橋から 西方向に 低い尾根の山波が走っていますが、例の千草山・万灯山に連なるとお聞きしました。

この土師川に架かる新橋を渡ってすぐ、右手下に見えるのが ○○さんリクエストされた サンダル公園です。( ○○さん----- 本日2月14日・雪の公園ですよ )

ここは、私の患者さんが、頑張っておられる三和商工会の一大イベントである《 あゆ祭り-----両丹・検索・番号 はいらないか、要検討  》が行われる場所です。
写真


雪のサンダル公園。はあまりにも美しい光景でしたので、連続撮影します。




href="http://">
新橋からの下流。( この流の先がこれから行く 萩原橋につながります。)

車に乗って 交差点を進むと 2から3分で 萩原バス停留所です。
寄り道がすぎました。
萩原区と三和町の境界付近の萩原バス停から、歌枕の里へ 走ります。

写真① 京都から来ると--晴天の日はこんな感じです。

写真②雨の日は 滑らないように お進みください。車では あと 2分ぐらいです。

写真③ 雪の日は 滑りますので、冬用のタイヤ、山間部はチエーンが絶対にかかせません。 時間に余裕をもって、お出かけください。

写真③ この萩原バス停の福知山に向かって右のかっこいい建物は、物流を主業としている萩原一の最先端企業です。郡是製糸萩原工場跡地にたつのは、福知山萩原期待の星企業。
この建物の建っている同じ場所に、郡是製糸の萩原工場があつたと、今なお、お元気な九十ばあちゃんにお聞きした。
『私そこで女子寮に入っていたのよ。』往時 この①の写真の左手の道【旧国道】には郡是が最盛期の頃、400人から居た女工さんたちのお陰で、大繁盛した 商店街だった--と土地の古老から ききました。

さあ、寄り道はこれぐらいにして、生野の道に戻りましょう。

写真⑤ 福知山市はドッコイセの町です。
毎年お盆のころ 明智光秀をお祭りしている御霊神社は 昔から 光秀公の治世に感謝する土地柄です。

写真⑥
歌にも在る様に 生野への道は 遠かったのだとおもいます。
この写真は、歌枕の里の象徴 百人一首の立て看板が、この長い坂を登りきった所にあります。そう チラット 見えませんか ? 【 そうです。あれです。】
写真⑦ これが 立て看板です。

写真⑩ このバス停のすぐ傍らに 記念の歌碑があります。

歌碑の裏には、例の 繰り返し 愛唱された 和歌が刻みこまれています。【 この建立はただ今調査中  】

⑬ 木陰から 目的の萩原橋がチラツトみえました。

ここは目的の生野の1つ手前の萩原バス停です。次ぎへお進みください。

写真⑭ もうすぐ 生野・歌枕の里です。

写真⑮

写真⑯

【大江山 生野の道も 遠けれ----】で知られた生野の里です。


ようこそ、歌枕の里 生野へ お越しいただきました。
      お疲れではありませんか。
上六人部 地区民 こころより歓迎いたします。

次回は週一の原則に従い 2月17日までに新規発信します。

2回目のテーマは、福知山線や山陰線で福知山駅に、来られた方々を歌枕の里へ国道9号線をとおり 池田→三俣→生野→を経て、目的 萩原橋まで一機におつれして、清流・土師川をお楽しみいただく予定です。
       お楽しみに-----------
                    ( 2008.2.13. 雪の早朝に )


≪ 私の今年のたのしみ ≫



【六人部 ぶらぶら2008】改訂版に ようこそ---

2008-02-11 06:46:30 | Weblog
はじめまして ムトベ フデジロウ と申します。六人部筆次郎と書きます。改めて 萩原橋まで ご案内致します。国道9号線を京都から福知山へ向かって走りますと、三和町を越えるとJRバス停留場までは、約2時間ぐらいでしょうか。
写真① 萩原バス停留所付近。



写真② 百人一首の立て看板(遠景)


写真③ 百人一首の立て看板(近くで見ると)




写真④ JRバス停





写真⑤ 生野の里の記念石碑

写真⑥ 萩原橋です。

写真⑦ 萩原区の案内版

写真⑧ 萩原橋の銘石板

写真⑨ 土師川の銘石板

写真⑩ 萩原橋上流

写真⑪ 萩原橋下流

萩原橋を見回すと----

2008-02-10 04:48:52 | Weblog
 【六人部 ぶらぶら】改訂版は--。 

画像処理の不手際から、ただ今 生みの苦しみの最中です。

改めて再改定版を構成させていただきました。

ただ、いろいろ思い出のつまった改訂版ですので、文章のみ、

残させていただき ます。


【 今後とも よろしくお願いいたします 】


  ○


以下の文章は、改定版のものです。

タイトル  萩原橋を見回すと--

萩原橋②回目は リクエストのあった 橋周辺を見回すことにしました。

写真① 驚かせて、すいません。

萩原橋をリクエストされた八十翁【2月9日の本文に出てくる翁です】が、萩原区が天田郡と呼ばれた時代があり、丹波の特産と言えば 栗、黒大豆大納言に引け劣らない 牡丹鍋の産地です。牡丹鍋といえば 丹波・篠山は 文珍師匠の出身地で知られていますが、デカンショ節で有名な篠山たけが牡丹鍋の独占ではない。これが 翁の申されたかったことです。萩原に限らず六人部でも取れるという証拠写真です。

この写真①の撮影者は筆次郎ですが、捕獲オリを秋葉山の山裾に設置され、車のところまで搬出されたのは、だれあろう 我らが K上六人部公民館長さんです。
解体されるのも萩原に縁のあるお方Oさん(69歳)で、この日 寒い雪のチラチラ降る中でしたが、萩原の参入組みの筆次郎にいろいろ面白いお話をいただきました。【 興味のあるお方は コメント①へどうぞ 】

写真③ 萩原橋から上流を望む。

写真④ 下流を望む。

写真⑤ 萩原橋の銘石

写真⑥ 土師川の銘石

写真⑦ 萩原区から三俣区へ下る。


○  


それでは 改めて再改定版へ どうぞ -- 

【左にあるカレンダーの 2月11日の

11 をクリックしてお尋ねください】






【六人部 ぶらぶら 2008】 改訂版の はじまり はじまり

2008-02-09 08:13:05 | Weblog


【六人部 ぶらぶら 2008 】に起こしいただきましてありがとうございます。
    おかげさまで 2008.2.9.にスタート以来本日 2.23.調査しますと
      アクセス数 総計 1631   
      閲覧数   総計 789
      コメント  総計 82
      文字    総数 16100文字となり、
      400文字原稿用紙換算で    40.25枚となりました。


【六人部 ぶらぶら】改訂版は--

せっかく皆様の多数のコメント書き込みをいだきながら 私の画像処理の不手際 から、2月11日の画面から再出発することになりました。

2月9日と2月10日の本文と 多数の書き込みをいただいた コメントは全てそ のまま残させていただきました。

再改定した日記には、左のカレンダーの2月11日の 11 という数字をクリック すると、ご覧いただけますので、よろしく お願いいたします。



2月9日の本文は下記のとおりです。

お待たせしました。 【六人部 ぶらぶら 2008 】をスタートしましょう。写真は眼のお悪い高齢者にも、楽しんでいただくために 大きくしてあります。ご覧になるときは、画面下の矢印を右→の方へずらしていただき、画面いっぱいに写真が来るようにしていただくと 次ぎの写真から、1回1回動かす必要はありません。では 私達六人部 ( むとべ と発音します ) っ子の大好きな、ふるさとの風景をお楽しみきください。 はじまり はじまり。

写真① 六人部地区に豊かな恵みをもたらしてくれる清流・土師川の萩原橋からご覧ください。

写真②は萩原区を流れる土師川の地図で、公民館の前に設置されています。

地図の中央部に萩原城址とかかれたところが、写真①の左手のほうにこんもりした円形古墳のような形の砦のような城址であったとお聞きしてすます。

以上が、2月9日の本文です。記念に残しました。

【皆様の書き込んでいただいたコメントは全て残してあります。】





【カレンダーの2月11日の

11をクリックしてお入りください】