【六人部 ぶらぶら 2008~ 】再改訂版

福知山市六人部学区を清流土師川の流れに沿って撮影した写真を掲載して月二回の日記風に綴った写真版・新六人部見聞風土記。  

筆次郎の琴線雑記 ① 2008.2.16.

2008-02-16 13:28:57 | Weblog
 

長い間 システム障害のため修理に手間取り
    申し訳ございませんでした。原因究明と対策を
        施しましたので 従前どおり、週一の更新を
    心がけますので よろしく。( ああ、よかったです )


これは 何だろう。

『これって----- 何だろう 』



写真①
これは、私が最近 暇を見つけては 通っている 例の萩原橋で、雪の日のお昼前に出かけた時のものです。( あとで 気になって調べてみると、撮影日は、2008.2.14.午前11時15分のことでした。この14日という日は 私にとって記念すべき日であったのに、全く気づきませんでした )


写真②
今回はじめて 橋にはそれぞれこのような銘石版があったということに気づきました。そしてその中には 漢字とひらがな文字と二種類あることも、知りました。

写真③
白い雪の上に点々とついていた 足跡のようなものが、なぜか 気になるというか----う-----ん、興味半分に、体を起こして少し高い位置から、すこし角度を変えてみますと、何かの足跡のようでした。

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写真③
もっと目を高くしますと、萩原橋の入り口から、奥の方向へ、続いて、いました。


写真④
この日は次ぎの仕事時間に追われていましたので、写真だけとって、帰路につきました。今にして思えば、東の橋詰はこうして、ふきだまりのようになって、雪が重なり とても重そうですね。



写真⑤
この写真は、その日あるところにでかけ、良く似た同様の獣の足跡を見て、写真もとっていました。でも そこでは 何にも後ろ髪を引かれることは 感じませんでした。
この日2月14日という日は、少なくとも私は絶対忘却しては、ならない 初心と言いますか、この道にすすませていただく、キッカケを得た日でありました。

私は多くの人と同じく 常々 初心 を大切にしたいと思い、手紙にも 良く書きこす。しかしこの日のことを その時は 全く忘れていました。
時には忘却は---と偉そうなことを口にする私ですが、この日の萩原橋の下を流れる 清流のような澄んだ目で、見ると自然と思い出される事が、幾つかありました。人間とは--- 時の流れとは----。

写真⑥ことしは、どちらかといえば、多い歳に比べれば少ないほうでしょうか。
   2月19日現在、早朝の雪かきは計3回と記録にあます。



写真⑦この清流は萩原橋から見ると、下流にあたります。少し下がると上安場へとづづく清流です。夏場でも最近では、めっきり 川遊びをする子供達が減ったと、時おりすれ違う土地の古老が 言っておられたのが、印象的です。 でも 大水や土砂災害で 命を落としたこども達も幾人か、古老の話によれば この清流でなくなっておられるようです。


写真⑧
 東橋詰に導かれるように、進みますとチラット 何か赤いものがみえました。花筒が2つみえました。

ひょっとしたら と 期待をこめて 近づいてみました。
赤い子供用の毛糸の帽子が まるで 自分のこどもに 母親が《さむかろうに---》と霜焼けでまっ赤に腫れた手に 息をゆっくり吹きかけてくれているようでした。

この写真を撮影した日は、気づかなかったのですが、この赤い帽子異常に赤く、しかも 鮮やかに思われませんか。小さい岩陰の下とは言え、この赤さと 鮮やかさが とても 印象的です。--------



写真 正門



写真 猪

※ 萩原今昔


今の萩原城址


資料にみる萩原城址


さあ、トラブルも解消しましたので、終末( 2月23日・土曜日 )の更新の準備に入ります。