玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します。

中間報告 21.12.1-12.10

2021-12-10 21:02:24 | 最近の動き

 

先日、武蔵野市議有志で、東京都に要望書を提出しました。まずは周辺住民、市民団体と調査を行ったうえで、どのような環境を残していくか、住民、市、都で協議して将来へと残す緑を考えるべきではないかと感じました。東京都の事業であることや、市内を流れる箇所が限定されていることから、市の取り組みとして大きな注目がなされてきませんでしたが、静かにたたずむ貴重な自然環境と考えております。

 

急に樹木が伐採されたときはびっくりしました。もっと市民にわかる形で説明してほしかった。

 

昭島のつつじが丘団地に住んでいた頃、幼い子供と一緒によく玉川上水へ遊びに行った思い出深いところです。

 

國學院久我山高校に通学していたので玉川上水は思い出深いです。樹木などは在来種を大切にしてください。

 

木を見て森を見ず状態。桜が偉いのか?とさえ思えてくる今の姿。木を切ったら雑草がのびのびしてきて、かえってみっともない。桜どころではない。と、この夏に家族で話してました。

 

様々な木が伐採されてしまったせいで五日市街道からの車の音がうるさくなったので困ってます。

 

自然に親しめ散歩して楽しい玉川上水にすべきです。

 

武蔵野の雑木林にあるヤマザクラや園芸品種のサクラ類などは、これまで比較的好きな樹木でした。しかしこれ程までにサクラだけが特別待遇されるようになると、サクラ類が嫌いになってしまいますね。Q6の選択肢に「サクラはやめて、他の樹木だけにすべき」があっても良いかとも思います。小金井桜の会の人たちもこれは望んでいないでしょうが・・・。玉川上水の生物多様性を守る活動に心より応援しています。

 

 

玉川兄弟の難工事の上、完成した玉川上水ですので、歴史的価値も重いものがあると思います。しかるにその水辺と共に流域の自然も保全すべきと考えます。

 

何かと追い立てられるような都市生活は自然が癒しであることは間違いない・・。しかし都市の膨張化で民家、家族、自然の破壊度は、そこに住む人の意識自体をも都市人により無関心無意味になりつつあるように感じる。吉本隆明氏の『都市はなぜ都市であるか』に「ただ、現在、都市の膨張化と機能の凄まじい進展は,、愛惜すべき地域の民家の様式をローラーで押しつぶし、その地域をいわば都市のたんなる場末にしてしまうことは確実である。そして、そのつぎには、これらの民家は無表情な道路の下に干し物のように伸びて敷かれてしまうに違いない。わたくしにはこの必然のような勢いがとめられるとは思えない。だが都市の民家が、高層ビルの窓の一個または数個に転化してしまうことをきみは肯定するか?」とあり私も確かに肯定したくない!と思っている・・・。文章の最後に「みづからは何も野茂を意味しないのに、存在すること自体が価値であるといったものがこの世界にたしかにありうる」と!あり、勇気づけられる。

 

健康維持へ週3回程歩きますが程好い手入れがいいですネ!青梅から都心へのびるグリーンベルトを歩く人々は武蔵野の風にいやされています。次世代へ大切に引き継がれていくことを願っています。

 

2001年8月、東京都が放射5号道路計画を発表、その説明会で住民は大反対、以来、都との話し合いが続きました。2019年6月住民の声を無視して道路開通、玉川上水の環境は一変してしまいました。道路は開通してしまいましたが、自動車は通さない、まず激減させる方向へ進めたいです。気候過熱化、大気汚染の人体への最悪影響・・・・玉川上水の自然をとり戻したいです。

 

小金井の南側に住んでいるので、玉川上水散策はたまにしかありませんが緑・桜の自然と川の流れを見ていると心がいやされます。ここに都市計画道路の事業計画があり小金井市は都に事業化を要望すると聞いています。車優先の社会をそろそろ変えてほしいと思っています。

 

これ以上手を入れず自然に近い環境を守れたら良いなと思っています。

 

玉川上水は、その植生の豊かさから生態系ネットワークとして大事な役割を担っています。都市の生物多様性の再生が、世界的にも重視(生物多様性条約など)されているなかで、逆行する過度な伐採は大問題です。特に小金井市のサクラのみ残す管理方法は、生物多様性と人の暮らしへの恩恵をまったく理解していないと言わざるをえません。陸上の植物の80%は、菌類と共生し豊かな土中環境を醸し出しています。地上の植生が単調なものになることは、土中の生物多様性も単調となり、ちょっとしたダメージで生態系が崩れる可能性が高くなります。植生の多様性を失うことは、それに依存する鳥類、昆虫類、両生類、爬虫類に連鎖し、これらの減少はまた植生の多様性を損なうという悪循環が生まれてしまいます。玉川上水は、都市の里地ととらえ、高木、中高木、低木、灌木、下草とグラデーションを持つ構成となることを目指すべきです。

玉川上水は側の道路を車で上水の風景を見ながら通るか、小説等を読んで懐かしんでおります。

 

50年前、学生寮から朝鮮大までのランニングコースが玉川上水だった。その後、20年近く前に玉川上水は通勤の道になった。都会に住んでいると土の上を歩く機会がほとんどない。土と草の匂いのする、玉川上水は貴重な存在だと思っていたが、玉川上水の生き物たちに深く思いを巡らすことはなかった。  6年ほど前から玉川上水の自然観察会を始めた。案内役のT先生と玉川上水を歩いた時、とても新鮮なおどろきがあり、心が躍った。冬芽を観察し、写真を撮り、教室でスケッチをした。今まで50年近く見てきた玉川上水は平面的で静かだった。鳴き声は聞こえても生き物の姿はほとんどみていなかった。ところがこの時は玉川上水が、水流、林の木々、草本 から地面に至るまで、生き物で溢れている長い緑の回廊だと分かり、玉川上水の見方が一変した。春先で虫の鳴き声は少なかったが、鳥たちの声が賑やかだった。  その時のT先生の解説で、草木が繁茂し、虫や鳥が飛び、動物たちが動き回り、それが皆繋がっていること、季節によってその表情を常に変えていること、そういう興味や視点をもつことで初めて活動する動植物たちの姿や繋がりが見えてくること。玉川上水が今までと違って見えた経験は、一生忘れないだろう。  沿道に車がビュンビュン走り、車が通る橋が架かった「危険がいっぱい」の環境にありながら生き延びているタヌキのことを知ることについて、T先生は「人が生活する場所に生き延びる野生動物と折り合いをつけて、よい関係を築くことは、人も暮らしながら、しかもそこに野生動物も許容するという守り方につながるから普遍性がある」と言う。  タヌキは珍しくもない動物だが、タヌキがいることで、周辺の動植物がタヌキとどう繋がって生きているかは分からないことだらけだという。先生はそれを自分の目で調べてみたいと思った。既に「タヌキ学入門」と言う本を書いていた。  タヌキは同じところに糞をする。それをため糞という。ため糞を採取して調べれば、タヌキが何を食べているか、行動半径なども分かる。糞があれば糞虫が来る。動物がいればその死体を食べるシデムシ、ダンゴムシ、ハネカクシ、ハエがやって来る。タヌキが草木の実を食べれば、糞の中に種子が残り、芽が出て、群落を出来、林がうまれる。そこに様々な虫や鳥が集まって来る。そうして、その土地特有の生態系ができる。そこに住む住民はその生態系にどんな影響を与えているのか。どんな役割を果たしているのか。それを、たいした器具がなくても調べられると聞いて、熱くなったのを覚えている。観察会も調査も楽しく、気づきも多く、充実していた。  私はアマゾンを始め、世界中の辺境の地に行って、自然と一体になって暮らしている人々と交流を続けてきた。彼らの視点で、文明社会に住む自分自身を見つめてみようと思ったからだ。  現代文明を推進してきた「大きいこと、早いこと、強いことはいいことだ」という価値基準と希少種調査を注目することには関連があると思う。私はそういう価値観に疑問を持ち、先住民の「つつましい」「やさしい」「ゆったりと」に価値をおく生き方に魅かれた。同じように注目されないタヌキは、糞虫などありふれた生き物の観察を通じて、彼らが生き抜くために懸命に工夫をしている姿に目を見張った。  私は伝統社会から文明社会を眺め直そうとしてきましたが、観察会をつうじて、生き物の視点から自分や人間社会を見るという視点もあるということに気付いた。タヌキも糞虫も懸命に生きている。どんな命も無駄な命はなく、すべて繋がっていて、役割を持っているということは新鮮な感動だった。昔、ファーブルの昆虫記を読んで、分かったような気がしていたが、それが観察によって、実感として理解できたことは、私にとっては大きな進歩だった。  生き物の視点から見ると、どんな生き物も役割があり、どんな生き物も欠けると、生態系のバランスが壊れる。生態系の中で、どのようにリンクしているかわからないので、生き物が欠けて初めて、その生き物が果たしている役割が分かる。  今、小金井の桜が問題になっている。行政は桜を残し、他の木々は伐採しようとしている。市民有志は反対運動を始めたが、まだ劣勢だ。生物の多様性が必要だ、桜だけがあるより、多様な木々が植えられていたほうがいいと言っても、行政は聞く耳を持たない。  粛々と生き物を観察して、論文や本にまとめたり、学生や市民に指導をするが市民運動には興味がなかった高槻先生も、伐採の実態のお粗末さに呆れて、動き始めた。市民とともに小金井地区と小平や他の地域の樹木調査をした。地域ごとに、どんな鳥がどのくらい飛んでくるのか。どの地域に糞虫が集まるのか。その結果は桜を中心に樹種が少ないところよりも樹種の多いところのほうが、集まってくる鳥の種類も数も多かった。糞虫も同じように樹種の多いところにより集まってくることが分かった。玉川上水は自然環境を維持し、生物多様性の保持のためには重要な緑の回廊だということが分かった。科学的なデータをもとに、乱暴な伐採を進める行政に伐採を思いとどまらせようとしている。しぶとい行政を翻意させるのは大変だ。しかしうまく行けば、科学的データを元に、行政の暴走を食い止めることができれば、他地域の同様な運動にいいヒントと希望を与えるのではないでしょうか。

 

久我山付近の玉川上水沿いに新しい道路ができてから野趣が失われたように思う。走っているそばを歩くのはつまらないです。小金井公園の近くの五日市街道沿いの上水の緑地に以前ニリンソウが咲いていました。もう20年も前だから今はないかもしれません。

 

様々な生物が生息できる植生を残していって欲しい。桜などに特化するのは公園等にして欲しいです。

 

玉川上水の最大の魅力は四季の美しさを感じられることです。春は野草の花が咲き、夏は様々な昆虫をみることができます。また木陰で涼をとれうことができます。秋には様々な広葉樹が黄や赤、橙に色付き、さながら紅葉の響宴をかなでているようです。これらの魅力を維持するには保全作業が欠かせないでしょう。できることはやっていきたいです。

 

玉川上水の緑地は私達住民にとってなくてはならないとても大切な自然です。この玉川上水の美しい景色がいつまでもこのままの状態で残ることを願っております。

 

大きな道が出来、車がたくさん走るようになりました。玉川上水とその緑は心を癒し空気を浄化してくれています。その川のすぐ近くにある我家の庭には、たぬきが来たり、へびがでたりしていました。たぬきはもう道を渡って来なくなりました。近頃は、かまきり等も減ったような気がします。便利ばかり優先される世の中に少し心配しています。

 

玉川上水ー除草の際植物を残すように気をつけて、又、ゴミも片付けて。浅間橋ー牟礼橋緑道 道が傷んで今に至っています。昆虫の好む植栽を植え、特色あるみんなが楽しめる遊歩道に。ささやかな緑これ以上(チョウ、虫、その他)環境をこわさないで永久に残すこと。放射5号線ー道路も信号機の場所が特にゴミ捨ててある。車も人もマナーが悪いので都には常に美しく清掃に力を入れてほしい。杉並区民として、街が誇れないので恥ずかしいです。

 

自然が残る数少ない場所です。ぜひ今のままの景観が続くことを願っています

 

自然の保全を考える機会、ありがとうございます。私はなるべく地元に根付いた植物を植えるべきだと思います。

 

さまざまな木々や動物が生息する玉川上水に日々癒されています。都会の中にある貴重な自然がいつまでも保全されることを希望します。法面が崩壊しているかどうか調査も行わずに、「法面崩壊を防ぐため」との理由で木々を伐採することは許されません。

 

多様な植物があることで、玉川上水沿いを通るたびに、神々しさを感じています。人の手は最小限にして、自然のそのままの美しさを後世まで残したいです

 

多くの動植物が生息するために必要な環境を維持または、回復を願います。

 

両親は50年以上前、近くに玉川上水があるから、久我山に転居した。といっていました。私も学生の頃から散歩を楽しんでいました。新しい道路が出来てしまいましたが、できる限り樹林を育て、生物多様性を守る方向で、以前の環境に近づくように管理していただきたいです。

 

 

桜のみならず、多種の植物を楽しめる場にして頂きたい。

 

散策で訪れるときは、いつもいいところだとただ漠然と思っていましたが、これに至るまで沢山の方々のご尽力があったことを知り、この遺産を次世代にしっかり引き継ぐための行動を惜しんではならないと痛感いたしました。

 

設問内容、特にQ6が恣意的でまた限定的で選択に困りました。設問は公平であってほしいです。桜並木の区間は境橋までを含めて本来は桜が主体で草花が豊かな環境で、小金井市区間はそれの再生を目指しているようですね。上水沿いのエリアに居住していますが、ジャングルでは常に倒木や治安悪化の危険を感じています。自治会からは、けやきのような高い木の伐採を東京都には強く要望しています。