たかしの啄木歌碑礼賛

啄木の歌碑並びにぶらり旅等を掲載いたします

盛岡三十三観音(第二十九番 恩流寺)

2013-01-06 | ぶらり盛岡
第二十九番 恩流寺  柱観世音  盛岡市愛宕長21-10

恩流寺の辺りは昔“関口”言っていたようです。柱観世音様は四寸角の柱材で、次のように言い伝えられています。享保9年の米内川の大洪水で下米内松木平の観音様が御堂もろ共押し流され行方知れずになりました。普掌信仰深い佐達という百姓は観音様の復興を念じ続けていました。ある夜、観音様が佐達の枕元にお立ちになり、私の姿を見たいのなら床柱にとっていた角材を削って見よと申された。翌朝夢告のとおり4寸角の床柱を削ってみると重なり合った節目が観音様のお姿なって見えるのでした。佐達は早速床の間に安置して朝晩礼拝を続けた。このことが近所の噂になり、参拝者も増えるようになったので、恩流寺に奉納され安置されることになった、ということです。




山門



本堂





観音様





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啄木の盛岡中学時代の歌

  天(あめ)よりか地よりか知らず唯わかきいのち食むべく迫る『時』」なり

 明星  明治36年11月号に12首(その2)  石川白蘋 

啄木は明治35年10月に盛岡中学を退学しましたが、明治36年12月まで、ペンネーム「白蘋」で投稿しています


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