日常と考えるヒント < By Taki Katayama >

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フレッキシブルに生きる

2015-01-19 | 論及
2005年7月15~17日、ドイツ・ハンブルグよりポーランドを訪問した。ワルシャワには、昼過ぎに到着したが、直ぐにワルシャワ旧市街を訪れた。ユダヤ人は、民族離散の悲劇、第二次世界大戦時のナチス虐待を世界中の人が良く理解しているが、ポーランド人が、過去にユダヤ人以上に虐待を受けた悲惨な歴史を持つ民族であることは、意外に知られていない。

ポーランドの偉大な科学者コぺルニックスの像のある町の中心部を訪問した。そこでドイツからの若いカップルに出会った。私が銅像の前で写真を撮っていると、いきなり質問を浴びせられた。“コぺル二ックスは、何人と思うか?”。当然、“ポーランド人でしょう!”と答えたら、“いやいや、皆は知らないが、コぺル二ックスは、ドイツ人である。”と真顔で言ってきた。どうもコぺルニックスは、ドイツとの国境の近くで生まれたことで、ドイツ人の中には、コぺルニックスがポーランド人であると思いたくない人が未だいる様だ。どうもナチスの時代には、コペルニックスの銅像がドイツに持ち込まれた事実もあるようだ。

ポーランドを語る上で、忘れてはならない第二次世界大戦時のドイツ占領時の悲劇の連鎖、即ち、ユダヤ人ゲットウの悲劇、ポーランド人蜂起による戦争の悲劇が起こった歴史を持つ。1944年8月、ソビエト赤軍がドイツナチスに対する局地戦で勝利したことで、ワルシャワ市民が蜂起しワルシャワ人民軍が結成された。その後、ソビエト赤軍と共にドイツ軍に対峙する予定であったが、ソビエト軍が動かず、ワルシャワ人民軍は、徹底的な破壊を受け、多くのポーランド人の命が失われた悲しい歴史がある。

今なお世界中で、領土問題、民族問題、宗教問題等々による紛争が絶えない。これらの地域に住む住民は、歴史の中で翻弄し自己の存在、存在意義を自分で決めることを諦め、ただ生きる為に生活すると言う選択を余儀なくされ、社会が決めた自らの存在を全面的に受け入れさせられている。人間には、社会の動きに従うだけでなく、社会を主体的に自ら働きかけて変えて行く力を持っておりフレッキシビリテイ(再帰性)がある。ポーランドの連帯(独立自主管理労働組合)のワレサ委員長が人民を動かし、1989年にポーランドの民主化を実現したのは、その良い例であろう。

現在、グローバル化する市場経済の中で、人間が、如何に人間力、創造性、主体性、思考力を持ちながら、新たな価値を生み出す「柔軟性=フレッキシビリテイ」に再帰性を持ちながら生きて行く、生きるかが問われているのではなかろうか。

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