日常と考えるヒント < By Taki Katayama >

< 論及、述懐、日常/旅/グルメ >

科学史

2019-08-28 | 論及

(ホッブス/1588-1679、英)


前回、科学とはどんな特徴を持つのかを考えながら科学とは何かをみてきたが、ホッブス(1588-1679)は、「リヴァイアサン、1651年出版」の“推理と科学について”に於いて、「科学とは、推論の帰結と一つの事実への依存であり、物事の因果関係に関する知識に他ならないと言っている。そして科学が行動の予測に役立つ知識である。」ことを指摘している。

このことは、科学的知識は確実性とともに、有用性、予測性を持つものであり、科学が我々の生活の中で無くてはならないものであると言えよう。

では、科学の始まりは何時からであったのだろうか。

科学は、元々自然界の生成消滅や変化を説明する基礎となる根源物質を探求する自然哲学から生まれた。この最初の哲学者と言われているのが、タレス(BC624-546)である。彼は、これを「水」に求め、世界の成立ちを説明しようとした。





(アリストテレス、BC384-322)

その後、アリストテレス(BC384-322)は、「人間は、理性を持ち、理性を使い、幸福や宇宙の真理を探究することが大切である。」と論じていた。彼は、土・水・火・空気(四元素)を基に、ギリシャ的な物質観の根幹を集大成させた。その基礎を成すものが、「天動説」であり、このアリストテレス的自然感は、16世紀中頃までヨーロッパに於ける中心的な考え方として定着していた。

16世紀中頃、コペルニックス(1473-1543、ポーランド)が現れ、今迄の自然観を変えた。これが今迄の自然感から真逆の“動くのは、太陽でなく地球である”と考えた「地動説」であり、“科学革命“”コペルニックス革命“と言われている宇宙観である。


(コペルニックス、1473-1543、ポーランド)

この自然感は、今迄の人類の宇宙観を覆したものであった。地球は、動いており、太陽の周りを回っていると言う正反対の見方を示したもので、ここから人間の自然への見方が変わって行ったのであった。近代科学史の始まりである。


(ガリレオ、1564-1642、伊)

更に、天文学の父とも言われているガリレオ(1564-1642、伊)が、天体を観測しながら、地動説を“落体の法則”で理論家したのであった。同時期に、ケプラー(1571-1630)も惑星の法則を唱えたのであった。



その後、ニュートン(1642-1727、英)が現れ、彼は、運動論(①慣性の法則②運動の法則③作用・反作用の法則)や万有引力の法則を体系化し、地動説を裏付ける動きを検証していったのである。


(ニュートン1642-1727、英)



更に、マックスウエル(1831-1879、英、電気・電磁波・光が同一で30万Km/秒で進む、電磁波の理論)、アンシュタイン(1879-1955、独、相対性理論、分子運動論、流体力学、重力の本質に迫る)、カルツァ(1885-1954、独、重力と電磁波は同一と考えた、超弦理論、ミクロの世界を見れば宇宙が起源が分かると考えた、分子→原子の世界)、



(マックスウエル(1831-1879、英) (アンシュタイン、1879-1955、独)   (カルツァ、1885-1954、独)



その後、ファインマン/朝永振一郎(1918-1988、米&1966-1979、日本、原子→素粒子の世界を説明)、ホーキング(1970-2018、英、ブラックホールの特異点定理、量子宇宙論分野を形成)と続き、現在に至っているのである。



(ファインマン、1918-1988、米 & 朝永振一郎、1966-1979、日本)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする