ドイツに住んでいた際、欧州各地への旅を余りしなかった。それは、端的に言えば、欧州はどこへ行っても“教会”と各時代の王族の“宮殿”と言うお決まりの観光場所が多く、キリスト教徒でも無い私の興味を引かなかったからである。確かに歴史好きには、過去に思いを巡らせられる楽しみがあり、何回行っても楽しいのかも知れない。私には、ざっと見れば良いと言う思いであった。
欧州を初めて訪れた人は、荘厳な教会や宮殿の大きさに圧倒され、古くからの建物の美しさに魅了されるであろう。とりわけ古い町並みが残るドイツは、安定した財政基盤と産業競争力を誇り、国際政治の中で際立っている。欧州は、キリスト教と言う共通の倫理観を共有しており、“キリスト教と欧州”と言う側面から歴史を紐解けば、欧州に於ける教会や宮殿の意味と現在の欧州の行動様式がある程度理解出来るのではないかと思われる。従い、ドイツを中心に”キリスト教と欧州文化”について考えてみたい。
1.歴史・文化的根源:
・歴史的には、欧州人は、ラテン系、ゲルマン系等の違いがあるものの、どの民族に於いても、ローマ法王を中心とするキリスト教文化圏であり、このキリスト教が欧州人の
倫理的基準を作り、そこから欧州文化が生れたのは歴史が示す通りである。
勿論、その発展過程において、フランスでは民衆の政治改革に繋がりフランス革命に、一方、各自の内面に伝わったドイツでは、悲観主義的保守主義、ロマン主義に、と言う違いはあるものの、その倫理基準や彼らの心の寄り処は、常にキリスト教と伴にあったが、このキリスト教的倫理観が、欧州的文化、欧州人の精神を形成していったことは
明らかである。特に、ドイツに於ける宗教改革後のプロテスタンテイズムは、従来の考え方を一変させ資本主義の発展に大きな役割りを果たした。プロテスタンテイズム(カルバ二ズム)は、封建的な身分・職業秩序を肯定し自由な利潤追求を神学的にも倫理的にも正当化したことで、資本主義精神を発展させたのである。その意味に於いて、現在の欧州人の精神や生活は、神を前提とした生き方が生きずいている。
・ドイツ文学の歴史からも分かる通り、欧州の文学者の多くは、宗教を学び、その中から人間の愛や苦悩を彼らの文学の中に描いており、その多くの作品の中に、キリスト教に根差した思想、精神が混入された作品となっている。勿論、その過程の中では、非キリスト教的な神話、言い伝え等があっただろうが、グリム兄弟の集めたグリム童話の様に大衆に受け入れ易い内容に変えられ、民衆に浸透していったのである。
・特に、ゲーテの「ファウスト」は、人間の生き方、人間観を悪魔との契約と言う方法(=神との対比で表現)で描いており、この作品こそが、キリスト教文化に根差した代表例である。
2.日常に於ける欧州文化:
・我々の日常生活の中でも、欧米に行くと、彼らは、驚いた際“Oh My God!”と叫び、何かにつけ“God Bless You!”と言うのはその表れであり、欧米人に取って、教会とは、荘厳な建物と言った意識ではなく、彼らの精神の寄り処として位置し、生活の中で宗教を見近じかに感じさせている存在なのであろう。我々日本人は、宗教的に余り熱心で無く(私だけかも知れないが)、新年に神社にお参りし、お寺やお墓で先祖にお祈りする
程度の信仰心しか持ち合わせていない。日本人の固有の倫理観は、恐らく、自然崇拝、武士道、天皇制等々から来ているのかも知れないが、欧米では、大衆の心の中にキリスト教倫理観が大きな位置をしめており、キリスト教文化が、欧州人の基礎として歴然として存在している。従い、我々アジア人が欧州を訪れた際に”欧州は、どこに行っても教会だらけ“と感じる所以であろう。
トーマスマン(1875-1955)は、1945年の米国での講演「ドイツとドイツ人」の中で、ドイツ人は田舎者で、臆病で、中世の文化遺産が残っており、ロマン主義から国粋主義を生んだ悪魔的芸術、思想家を生んだ二つのドイツ的本質が存在し、それが現在のドイツを創り上げているとしている。そして、ゲーテの言う、道を誤っても、正しい道に戻ろうとする態度がドイツを国際的主流の立場に置いているものと思う。そしてその基礎は、長い年月が経過したにも係らず今なを脈々と欧州人に受け継がれているのかも知れない。そして、これらキリスト教的倫理観が欧州人の精神を創り、資本主義社会発展の基礎となり、現在の欧州を作り上げて行ったものと思われる。
そう考えると、欧州どこに行ってもあちこちに教会や宮殿があるのを理解でき、そのキリスト教を通じ欧州文化が形成されていったのである。キリスト教は、彼らに取っての倫理基準であり、生活の中心にあり、自らの存在そのものであり、欧州に行くと、多くの荘厳な教会と宮殿を目にし、今なを欧州人の心の拠り所として存在し続けているのである。
そして、このキリスト教的倫理観が、欧州人の国際政治や行動基準となり、自由、人権、博愛、民主主義の根幹となり、資本主義の基礎を築き繁栄を謳歌して来たものと思われる。
歴史、個別文学・思想から見ると以下の様になり、ここからも読み取れる。歴史、文学・思想史からもみてみよう。
( I )歴史:
古代
紀元前 北方バルト海方面からゲルマン人が南下、先住ケルト人を追い出した。
更に、ローマ人がドイツ西部に住み着いた。
(日本:紀元前1000頃から縄文文化)
紀元後(9年) キリスト誕生後、アウグストウスが初代ローマ帝国皇帝に就き、ローマ
帝国が欧州全体を支配していった。
4世紀以降(375年) ゲルマン民族の大移動が始まる。ドイツのあちこちに散らばる。
5世紀 (476年) ローマ帝国の分裂を経て、西ローマ帝国が滅亡
(481年) フランク人が王となり、フランク帝国に受け継がれた。このフランク帝国は、「キリスト教的世界国家」と意識され、その後「神聖ローマ帝国」に受け継がれていった。この頃からローマの司教たちは、教皇としての権威を増し自らをキリストの代理者として権力を持つようになった。
(800年) カール大帝がローマの帝冠を受け、ヨーロッパを収めた。即位したカール大帝は、異教徒たちにキリスト教を強い、従わない者を次々に殺害し、キリスト教を広めるのに成功した。封建制度が定着。
その後、西フランク帝国はフランスとなり、東フランク帝国は、神聖ローマ帝国へと繋がる。
(962年) オットー1世のローマ帝国の載冠により、神聖ローマ帝国が誕生した。
11世紀 新たなキリスト教徒の社会がスカンジナビアからクリミヤにドナウ川
からヴォルガー上流に至る東ヨーロッパにも広がる。
中世
13世紀 封建制度下での宮廷文化が栄え、世俗的、快楽主義的になる。キリスト教と騎士道が同化、無秩序状態が制限される。
14世紀(1347年) ボヘミヤ王カールが王位に就き神聖ローマ帝国皇帝に即位。
15世紀(1438年) オーストリアのハプスブルグ家が即位。その後は帝位を独占。
(1453年) 東ローマ帝國滅亡(日本:1467応仁の乱)
近世
16世紀初(1515年) 宗教改革が起こる。この直接の引き金となったのは、教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂の建築のための免罪符を発売したことである。免罪符はローマ教会の影響下にある地域全体で大々的に発売され、とくに神聖ローマ帝国支配下のドイツにおいて説教師が盛んに免罪符を販売。本来、罪の許しに必要な悔い改めなしに金銭による免罪符の購入のみによって償いが行えるという考え方は議論を呼び、批判も根強かった。この考え方に批判的だったのが、ヴィッテンベルク大学神学教授のルターであった。
(1517年) ルターは、ローマ教会に抗議してヴィッテンベルク市の教会に95カ条の論題を投げ掛けた。これが、一般に宗教改革の始まりとされる。この免罪符批判は大きな反響を呼んだ。批判はまたたくまに各地に拡大した。当初ルターは、あくまでもカトリック教会内部の改革を望んでいたのだが、対立は先鋭化
(1520年) 教皇レオ10世はルターが自説の41か条のテーゼを撤回しなければ破門すると警告したが、ルターはこれを拒絶。同年12月に回勅と教会文書をヴィッテンベルク市民の面前で焼いた。
(1521年) ルターは破門され、ここでルターはカトリックと完全に絶縁、新しい派を立てることとなった。ルターの宗教改革(1486-1546)で神中心から人中心に変わると、啓蒙思想が、欧州全体に浸透していった。この啓蒙思想が、神中心の感性の世界から理性中心の合理的な世界へと人々を誘導していった。
17世紀 未だ絶対王政とバロック様式全盛の時代であったものの、地方分権的なドイツ社会では、市民革命を引き起こす迄には至らず、この啓蒙思想が専制君主経由分散して民衆に精神革命として浸透し人々の心の中に広がって行った。やがて、シュトウルム・ウント・ドラッグ運動(非啓蒙主義)→ロマン主義文化を生み、精神の世界で非政治的、非現実的ありかたに誇りを感じさせ、キリスト教文化を基礎に、思想、文学、音楽等を生み出していったのである。
近代
18世紀(1789年) フランスでは、ルイ14世(1638〜1715)が統治していたが、啓蒙
思想がナポレオン(1769-1821)の出現とともに市民革命を引き起こした。
19世紀(1871年) ドイツ帝国成立
20世紀(1904〜5年) 鉱工業や化学工業を中心に成長、それまでヨーロッパの最先端に
あった英国の経済的地位を脅かす。資本主義が発達したドイツは、市場を求めて帝国主義的拡張政策を展開するようになる。既に多くの植民地を獲得していた英国やフランスと対立。
(日本:1904日露戦争)
(1914-1918年) 第一次大戦、
(日本:1923関東大震災、1931満州事変、1937日中戦争勃発)
(1939-1945年) 第二次大戦、ドイツ的気質が近代化を盛行させ、現在のドイツを創り上げる。
(日本:1941太平洋戦争)
現代 現在に至る。
次に、文学、思想史から見てみよう。
( II ) 文学・思想史:
a.文学:
・12・13世紀のローマ帝国時代のこの地域は、未だドイツ語が存在せず、地方の言語、ラテン語が使用されていた。
・ドイツ16世紀後半になってもドイツ語は、30%使用される程度であったが、17世紀初めの30年戦争(1618〜1648年)を経て、18世紀の初めに70%、18世紀末になり、漸く、ドイツ語がこの地域でほぼ100%使用されるようになったのである。
・ドイツ的な文学作品としては、以下が代表的なものがある。
1)12・13世紀(1150〜1250) 封建期の文学
「ニーべルング詩」1200、作者不詳
・5世紀のフン族の王アッチェラのヨーロッパ侵入とブルグント王国の滅亡
の歴史にジークフリート伝説が加わった内容
・宮廷文学、騎士道
・大悲劇作品
2)17世紀頃 啓蒙思想、絶対王政とバロック時代の文学
「阿呆物語」1600、グリンメルス・ハウゼン(1621-1676)
・純粋無知な少年が勉学、キリスト教を学ぶ
・やがて眼から鼻に抜ける利口者になり主人公の生涯を描く
3)18〜19世紀の変わり目頃 古典主義文学
「若きウエルテルの悩み」 ゲーテ(1749-1830)
・不幸な恋愛によるウエルテルが自殺する話
・虚飾を排し、自己の内部から湧き出るものを重んじ人間として自己を
生かし生きるが、社会がそれを許さないことを悩む。
・精神的作品
「ファウスト」 ゲーテ
・第一部(1808)、第二部(1832)
・人間としてあらゆる知識を得たが、自分に失望している老学者
ファウスト。
・色々学んだが、自分の愚かさに気づき、反省し悪魔と「如何なる
不満も言わない」と契約を結ぶ。
・人間は、常に迷うものであり、神と悪魔が対立関係に立ち、二つの
魂が常に宿っているが、良い人間は、曇った衝動の中でも正しい道を
自覚していると表現している。
・時空に係らず、我々を力づけてくれる積極的な人間観を表現して
いる。
・その人間をファウストで表現しており、人間のありかたを見定め、
表現している。
4)グリム童話
「グリム童話、1812初版」ヤコブ・グリム(1785-1863)& ウイルヘルム・
グリム(1786-1859)
・元々昔から伝わる物語や神話を纏めたものだが、童話は、反キリスト
教的なものとして存在していた。
・熱心なキリスト教徒であったグリム兄弟は、原文に忠実に
ありながらも、これをキリスト教徒にも受け入れ可能な内容に
変え童話集として出版した。
・シンデレラ、白雪姫、赤ずきん等々我々の良く知る童話も、苦難の
少女が最後に王子様とハピイーエンドになったり、王妃に毒りんご
を食べさせられ復活するとか、意地悪なオオカミに食べられて
しまうとか、妖精、悪魔、辛苦からの救い等々のキリスト教徒の
大衆が受けれ安い内容となっている。
5)20世紀を代表する文学
「魔の山」 トーマス・マン(1875-1955)
・主人公のハンス・カストルプは長い療養生活の中で、様々な
人物に出会う。
・病人達の人間模様を描く。文明、絶望、善と悪、愛とは、
対立する思想を議論する中で、主人公は自分なりの真理を
発見する。
・教養小説
「ヨセフとその兄弟」 トーマス・マン
・兄弟によって古井戸に投げ込まれたヨセフは、助けられ、
奴隷としてエジプトに売られる。ファラオの役人の
ポティファルに買い取られたヨセフは頭角を現わし
ファラオの信認を受ける。
・兄弟がヨセフに救いを求めるが、恨みを晴らす訳でなく、
兄弟、親に慈悲を与える物語。
・旧約聖書に材を取った小説で、人間の深層心理を描いている。
・精神的作品
b.思想・音楽:
・カント(1724-1804)、ヘーゲル(1770-1831)、ニーチェ(1844-1900)、マックス・ウエーバー(1864-1920)、ハイデッカー(1889-1976)等の多くの思想家を生んでいる。
・カントの「純粋理性批判」理性=私は何が出来るか、「実践理性批判」行動=私は何を
すべきか、「判断力批判」判断=私は何を望むことを認められるか、3著書に表現されている。カントは、理性を超え行動し自然の美を美しいと感ずる感性を持たねばならないとし、
感性の重要性を説くと同時に、理性だけでは、問題を解決できないとしている。宗教(=キリスト教)の存在をも否定していない。
・マックス・ウエーバーも「プロテスタンテズムの倫理と資本主義の精神」の中で、プロテスタンテズム(カルバン主義)が資本主義社会発展の基礎を創ったと述べており、これが現在の欧州の発展の基礎であり、欧州人の心の中心にあるとしている。
・芸術分野を見ても、バッハ(1685-1750)、モーツアルト(1756-1791)、ベートーベン(1770-1827)等の偉大なる音楽家は、何れもキリスト教会、宮廷からの影響を多く受けて
おり、特にバッハの音楽は、キリスト教文化から生まれたと言っても過言でなかろう。
以上の通り、ドイツでは、キリスト教精神→宮廷文化(騎士道)→啓蒙思想→シュトウルム・ウント・ドラッグ運動(非啓蒙主義)→ロマン主義文化を生み、精神の世界で非政治的、非現実的ありかたに誇りを感じさせ、キリスト教文化を基礎に、
思想、文学、音楽等を生み出していったが、どの時代に於いてもキリスト教が市民の生活に入り込み、これが時代と共に変遷、時には利用されつつ欧州を作り上げて来ている。更に、自由、平等、博愛、資本主義精神が醸成され、現在の欧州を作り上げていったものである。
以上、