日常と考えるヒント < By Taki Katayama >

< 論及、述懐、日常/旅/グルメ >

日本の歴史と文化的影響

2021-05-29 | 論及
神の絶対的力を信じキリスト教会に通い、形而上学的思考に疑問を覚えマルクスを学び学生運動に参加、就業しながら様子見、その後ソ連の崩壊・中国の実情を目のあたりにし、どう考えるのが正しかったのか疑問を持ったまま時が過ぎている。すべてに於いて、これが正しいと言う正解はないものの、日本人の持つ思想的根拠は、どんなものだったのか、それが自身の考え方に影響を及ぼしたのか、先ず日本の歴史を概観し、更に歴史的に日本の思想がどの様な影響を受けたかを考えてみたい。


1.日本の歴史外観:
 時代          文化          考えられる影響
原始時代   : 石器文化(前2000年以降   土偶
         縄文文化(前1000年以降   青銅器
         弥生文化(1世紀以降)   埴輪
飛鳥時代   : 古墳文化(5世紀以降)   漢字伝来
       : 飛鳥文化(7世紀以降)   医学・薬学、儒教、仏教伝来、
平城京時代  : 天平文化 (8世紀中頃迄)   仏教伝来、古事記、万葉集、
平安京時代  : 藤原文化(880~1192年)    浄土教、かな文化、女流文学、
鎌倉時代   : 鎌倉文化(1192~1350年) 庶民に仏教定着
室町時代   : 室町文化(1338~1573年) 能楽
安土桃山時代 : 安土桃山文化(1573~1603年)キリスト教伝来、
江戸時代   : 江戸文化(1603~1868年) 朱子学、武士道、
明治時代   : 西洋化(1868~1912年) 日本近代化 大政奉還、明治維新、
                       欧米留学、産業革命、日清戦争、
                       日英同盟、日露戦争、韓国併合
大正時代   : 全体主義化(1912~1926年) 第一次大戦、
昭和時代   : 戦後復興(1926~1989年) 満州事変、2・26事件、日独協力協定、
                       日中戦争、第二次大戦、日独伊三国同盟、
                      太平洋戦争、ポツダム宣言受諾、財閥解体
                     日本国憲法発布(昭和21年)、朝鮮戦争、
                     サンフランシスコ平和条約調印、沖縄返還、


2.日本への影響とその思想とはどの様なものだったのだろうか:
  時期             影響とその思想                
7世紀    : 儒教道徳と仏教思想を受ける。
             ・飛鳥時代:聖徳太子(道徳律、官僚に与える)
            ・大乗仏教(青銅大仏が鋳造)



9~14世紀  : 鎖国、自国文化を育む。この時代に仏教思想が成熟、(浄土宗:法然と親鸞、法華宗:日蓮、禅宗:道元)
                ・平安時代(9世紀 中国への使節中止、第一の鎖国)
                ・鎌倉時代(13世紀 和歌、朱熹=倫理学・宇宙観、14世紀 能楽)



17~19世紀半ば: 鎖国、自国文化を育む。
                ・江戸時代(正統思想は、儒学、第二の鎖国)



19世紀半ば以降:    西洋化(=近代化)が進む。
            
                ・18世紀の啓蒙思想、19世紀の実証主義を学ぶ(代表:西周、福澤)
                ・明治政府は、絶対主義に似た国家作りを行う
                ・教育は、国家主義と皇室尊崇の枠にはめる
                ・産業革命を経験、社会主義も自由主義も姿を現われる



ここで明らかになったのは、日本の近代思想の形成には、儒教と仏教思想が大きく係わり、これらが伝統思想の基礎を形成していった。そして、その伝統的思想が日本文化を形成しつつ日本人の近代思想の基礎を形成していったのである。

明治維新により、日本の近代化即ち西洋化が一気に進んだが、これが西洋の技術を学ぶだけに止まらず、西周、福沢諭吉らが西洋思想を学び受け入れたことで、伝統思想と西洋思想の同一化的思想形成がここで進んだのであった。その結果、伝統思想と西洋思想の同一化的思想形成が行われ次第に近代日本の思想が形成されていったのであった。

日本の近代思想の形成には、①儒教と仏教思想が伝統思想の基礎を形成、②その後、二つの鎖国が日本独自の文化を育み日本人の思想形成に影響、③更に、明治の西洋化(=近代化)によって伝統思想と西洋思想の同一化で近代日本の思想が形成され、日本の近代思想となっていったことが明かになった。



近代思想に影響を与えた代表的思想家、批評家、文学者を眺める前に、もう一度、その道筋をおさらいしてみよう。
630年頃、聖徳大師により遣唐使が中国に送られ、中国文化を柔軟に取り入れたことで儒教道徳と仏教思想が日本に入り込んだが、9世紀(平安時代)に遣唐使の中国への派遣が中止された時期から14世紀まで続けられた鎖国時代に、独自の日本文化が育まれていった。

この時期に育まれた典型的な独自の文化が仏教思想が大きく係わっている。法然と親鸞、日蓮、道元等が現れ、この時期に日本独自の仏教思想と倫理観が成熟していった。鎌倉時代(13世紀)には、和歌が生まれたり、独自の倫理感や宇宙観が生まれた。室町時代(14世紀)には、皇室の雅楽に対抗する形で、武士の嗜みとして能楽が生まれ、独自の日本文化も育って行ったのである。また、庶民に対しては、仏教思想が日本人の日本人の思想や倫理観に大きく影響を与えていったのである。

安土桃山時代(16世紀後半~17世紀)には、キリスト教が伝来し、新たな宗教が入り込んだが、江戸時代(17~19世紀半ば)にキリスト教禁止令が出され第二の鎖国時代に入る。この時代には、儒学を中心とした学問が普及し日本の伝統的思想を形成していった。

この日本の伝統思想は、忠誠心、親孝行、もののあわれと言った考え方を庶民に与えるもので、儒学が幕府が武士を抑えることに利用され、仏教が庶民を抑えるのに利用された。その結果、やがて幕府に対する不満が蓄積し尊王攘夷論を軸に薩長が幕府に無血開城(明治維新)を迫ったのである。

明治維新後、伝統思想があったにも関わらず、多くの日本の知識人が留学や書物により西洋文化・思想に触れ、西洋思想を日本に同化していった。特に知識人は、西洋の発展度合いに驚き、日本の自立の為の近代化を進めようとした。
その結果、開国と西洋化が一気に進んでいったのである。従い、この時期に現れた日本の知識人、思想家の考えを知ることは、近代思想が我々の考え方に影響をどう与えたのか、与えていないのかを知ることになるのである。

では、この頃の日本の代表的思想家、批評家、文学者の考えを眺めながら、近代思想にどの様な影響を与えたかをみてみよう。(各人物の考え方や思想の詳細は、Wikipedia参照

活躍時期    人物    タイプ         思想
 (江戸末期:攘夷論、1868:明治維新、以降:西洋化)

1835-1901(66歳):福沢諭吉 啓蒙思想家   独立自尊の精神、実学の重要性、西洋化、


1847-1901(54歳):中江兆民 民権運動家   仏思想広める、自由民権運動、


1861-1930(69歳):内村鑑三 キリスト教精神主義者   キリスト教と国粋主義、


1856-1944(88歳):井上哲次郎 哲学者・国粋主義者   国民道徳に限界を感じ世界道徳を訴える、


1863-1913(50歳):岡倉天心 思想家、国家主義者   “アジアは一つ“政治的に利用される、


1868-1894(25歳):北村透谷 思想家、詩人、   キリスト教信仰と愛による精神の鈍化、


1872-1943(71歳):島崎藤村 文学者   ロマン主義文学者、


1867-1916(49歳):夏目漱石 文学者   自然主義文学者、


1889-1960(71歳):和辻哲郎 哲学者   倫理学史纏める、尊王思想を中心に日本の伝統考察、


1862-1922(60歳):森鴎外 医者、文学者   ロマン主義文学者、


1870-1945(75歳):西田幾多郎 哲学者   伝統思想と西洋哲学の融合、絶対矛盾的自己同一


1902-1983(83歳):小林秀雄 文芸評論家、文学者   ドストエフスキー(反ユダヤ主義)傾倒、


1906-1955(48歳):坂口安吾 随筆家、無頼派作家   倫理観を解剖、人間本性を語る、


上記が、この時代を生きた主な思想家、批評家、文学者だが、彼らが日本人の思想形成にどの様に影響を与え役割を果たしたのかを考えてみたい。

福沢諭吉らは、啓蒙思想【注1】、実証主義【注2】を学びながら、西洋化の動き推し進めたが、この動きが、日本の伝統思想を西洋思想に同化させ置き換えていったのであった。また、同時に西洋思想の根幹を成すキリスト教も、西洋化の動きを活発にさせるのに一役買うのであった。

西洋化(=近代化)は、中江兆民、内村鑑三、岡倉天心、北村透谷らの思想に影響を与えたのみならず、文学においても影響を及ぼした。夏目漱石や森鴎外の自然主義、島崎藤村のロマン主義と言った作風(後に自然主義作家となる)にも影響を及ぼした。1890年以降、国家主義的反動と並んでイギリスやフランスの実証論からドイツの観念論【注3】的形而上学【注4】に向かいカント【注5】やヘーゲル【注6】が研究されるようになる。ヘーゲル左派であったマルクス、エンゲルスの古典経済学を批判する資本論も研究された。

1930年には、ドイツの現象学【注7】と実在哲学【注8】が学ばれる。儒学は、政治的に家族道徳を強調して、家父長制を理由ずけるのに使われた。思想に健全な影響を及ぼしたのは、仏教形而上学であった。禅仏教が、西洋の観念論、即ちヘーゲル哲学と結び付いていった。更に、日本の代表的な思想家、西田幾多郎、和田哲郎が現れ、小林秀雄、坂口安吾と言った独自の考えを文学に反映する文学者、随筆家も現れたのである。



<これら思想家達が現在の自分達の思想的根拠になりえたか>
最後に、これら思想家達が現在の自分達の思想的根拠になりえたかについて、考えてみたい。明治時代に起こった西洋化は、即ち日本の近代化の動きであり、西周、福沢諭吉らによって伝統思想がやがて西洋思想に同化されながら置き換えられていった。更にキリスト教も西洋化、即ち近代化に一役買ったのだろう。

これらの思想家達が現在の自分達の思想的根拠になりえたのかについては、誰しも意識してこれらの思想を深く学んだ経験を持っていないと思われ、影響があったと言い切るには無理がある。キリスト教やマルクス主義については、多くの学生が真剣に学んだのは事実であり、無意識にではあるが、彼らと同様に思想の影響の一部を受けていたのかも知れない。

ただし、自分は、常に自分への問いを発しながらどの様な倫理観を持つべきか、即ち「いかに生きるべきか」等を熟慮した記憶はなく、どこまで影響があったかを語ることは出来ず、自分達の思想的根拠と近代思想家と結びつけることは困難であるのが結論である。多くの先人の思想がどう個人に影響するか、していたかを考えるのは、多くの実例と具体例を考慮せねばならず、ここで、これ以上、触れないことにする。

敢えて自分の思考・行動様式に影響を与えたのかについては、「特に意識はしていなかったものの、実存主義的な考え方を基本に、時に神の意志や人間の精神から形而上学的に考え柔軟に行動している。」と言うことなのかも知れない。時には、神社やお寺で幸せを祈り、教会のステンドグラスに魅了されながら、お酒と焼き鳥を摘み、何らかの社会貢献とグローバルな視点での考え方をしながら、人間中心の合理的倫理観を持ちながら生活をしている様な気がする。自分も含め、これが日本人全般に根付く伝統思想と西洋思想の同一化を無意識に行っており、この無意識の思考形態こそが我々の道標となり、自分達の思考・行動を導きだしている様な気がしている。

以上、



<参考>
【注】絶対矛盾的自己同一とは:
相反する二つの対立物が対立のままの状態で同一化すること。弁証法的な考え方で、二つの対立物はその対立を変容させることで新しい方向を生むと言うもの。西田の哲学においては、「対立は解消しないので、その対立が一体であることを実感し、新しいもの生むこと」で人は悟りの境地に至る。例えば「我はすなわち天なり。天すなわち我なり。」と悟った瞬間、世界観が一転し、絶対矛盾的自己同一が起きると言うのである。日本人が禅や武士道において目指してきた世界観と似た考え方。

【注1】啓蒙思想:
17世紀末に起こり18世紀後半に全盛期に至る。キリスト教の力が強く支配する能力は、神の啓示によって与えられると考え支配する王も権力と神とを結びつけていた。この旧体制を打破する為の革新的思想。人間的・自然的理性(悟性)を尊重し、宗教的権威に反対して人間的・合理的思惟自立を訴え正しい立法と教育を通じて人間生活の進歩・改善、幸福の増進を行う事が可能であると信じ新秩序の建設を目指した。人間の能力を万能であると考える立場を取る。

【注2】 実証主義:
科学で実証できる知識だけが正しいとする立場を取る。従い、それ以前の支配的だった経験に基づかない形而場学【注4】の伝統を排除する。
所与の事実だけから出発し、それらの間の恒常的な関係・法則性を明らかにする記述を目的として、一切の超越的・形而上学的思弁を排除する立場。即ち、分析的な命題は論理によって、総合的な命題は経験によって検証されると考え、どちらによっても検証できない疑わしい概念を用いてきた形而上学を批判。形而上学の命題は検証不可能であると断じた。例えば「無が無化する」などというのは分析的に真偽がはっきりしないし、経験的にも真偽を判断できないものだとした。

【注3】観念論:
物事の存在が私達の主観(=認識)に基づくものであるとする考え方。「我思う、故に我あり」と言って、人間の意識を世界の中心に捉えたデカルトの思想の流れを汲む。即ち、世界は私達が頭の中で作り上げたとする考え方である。
観念論を突き詰めると、世の中の存在は全て人間が作り上げたものであるので、人間に理解出来ないものはないと言う事になる。しかしそんな事はあり得ず、人間の意識の外に独立して存在するものが存在しており、世界は私達がどう捉えるかは無関係に存在していると考える。これが実在論である。

【注4】形而上学: 
自然の原理や現象を度外視して、その背景に在るものを真の本質、存在の根本原理、存在そのものを純粋思惟により、或いは、直観によって探求しようとする学問。例えば、自然の原理からではなく神の意志や人間の精神から論じようとしており、神、世界、霊魂などが主要問題。

【注5】 カント(1724-1804):
ドイツの哲学者。科学的認識の成立根拠を吟味し、認識は、対象の複写でなく、主観が感覚の所与を秩序づけることによって成立すると主張。超経験的なもの(不滅の霊魂・自由意志・神など)は、科学認識の対象でなく信仰の対象であるとし、伝統的形而上学を否定し道徳の学として形而上学を意義ずけた。

【注6】 ヘーゲル(1770-1831):
ドイツの哲学者。カントに始まりヘーゲルに至って観念論が完成されたと言われている。
ヘーゲルは、自然的な世界も精神的な世界も同一の原理によって動いていると考えた。その原理の内実をなすものは絶対精神である。絶対精神が物の形をとると自然的な世界としての形を呈し、意識の形をとると精神的な世界の形を呈する。従い、意識とその対象としての自然的な世界とは、無媒介に対立しあうのではなく、同じものが違う形を取って現れているに過ぎない。二つとも同じ原理によって動いていると説く。
また、ヘーゲルは、弁証法【参考1】が人間の認識活動を貫く原理であると捉え、意識にとっての対象的な世界を貫く原理であると考えた。即ち、①対象世界と人間の認識活動とは互いに対立するものではなく、同一の原理によって動いている。②その原理を対象に即してみれば実体とか法則という形をとり、人間の認識に即してみれば概念という形になる。法則と概念とは同じ一つの物が異なった相貌で現れていると考えている。

【注8】 現象学:
フッサールによって提唱された哲学的立場。人は世界を見たまま感じたままに捉えようとするが、そうでなく意識の与えられたままに捉えよと言っている。心の中の純粋な意識に浮かんで来るものだけを信じる方法を提案。こうすることが真理に向き合える方法と考えた。即ち、あらゆる学問・認識の根拠を個々人の主観における確信に求めた。そこから善・美・自由・正義といった人間的な諸価値の普遍的な意味あいや価値の本質を見極めようとした。

【注9】 実在哲学:
人間は、既にある何らかの運命(=本質)に支配された存在(=実在)でなく、自分自身で切り開いて行くべき実在的存在にほかならないと言う。実在は、本質に先立つと言う考え方。
人間を主体的に捉えようとし、人間の自由と責任を強調して本質を見極めようとする考え方。悟性的認識には不信を持ち、実在は、孤独・不安・絶望に付きまとわれていると考える。

【参考1】弁証法:
ソクラテスの時代から考え方はあった。ヘーゲルの言う弁証法は、問題が生じた際、それを克服して高いレベルに高める思考方法を指している。ある物事(=テーゼ)に対し矛盾する事柄、問題点(=アンチテーゼ)が存在する場合、矛盾や問題点を取り込み発展した解決方法を生み出す方法。

【参考2】悟性的認識:
理性と感性の中間にあり科学的思考の主体、経験に基づかない論理的な認識。





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