日常と考えるヒント < By Taki Katayama >

< 論及、述懐、日常/旅/グルメ >

厄介な問題、こちらの方がもっと厄介かも知れない。

2015-09-23 | 論及
安保法制が国会の審議を受け成立した。評価は、それぞれの立場によって異なるだろうが、憲法改正には、時間と労力が掛かり、待った無しの安全保障体制を整える必要がある中で日本の主権を守る為に、憲法問題はあるが致し方ないと感じている。

今週は、また一つ厄介な問題が生じている。沖縄の翁長知事がスイスで開かれている国連人権理事会で、米軍基地が集中する現状を『人権侵害だ』と訴えた。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題で、日本政府を飛び越え、国際社会に『沖縄の米軍基地は、米軍に強制接収されてできた。日本政府は選挙で示された民意を一顧だにせず、新基地建設を強行しようとしている。』として、政府を飛ばし普天間飛行場の県内移設反対を国際社会に訴えた。

なぜ、県知事が、基地問題を政府ともっと真剣に議論をせぬまま、自己主張を繰り返し、政府との間で解決できないからと、拙速に、国際社会に持ち出したのか、私には理解出来ない。

勿論、日本政府としては、沖縄の民意を考慮し配慮する必要がある。ただ、日本政府が前知事が承認した問題を現知事の意向に沿わないと言う理由だけで、安全保障の問題を国際人権問題として取り上げ、国際社会にアピールすることは問題を残し、その行動には驚かされた。自由と民主主義を脅かすと主張しているが、私には、それを拡大解釈しているようにしか見えない。そもそも、何故、この様な行動するようになったのだろうか。翁長知事だけでなく、日本人の思考の歴史がそうさせている様に思える。非常に厄介な問題だ。

今の日本には、日本人を繋ぐ共通の意志疎通の場が無いように思われる。欧米では、キリスト教と言う共通の価値基準があったが、神道、仏教は、どの様な価値基準も吸収する独特の世界観を持っていることより、共通の価値基準を作り上げてはおらず、その為、共通の基盤が無く議論することで、お互いを相いれない状況を作り出している様な気がしてならない。戦前は、それを繋ぐものとして天皇が存在したのかも知れないが、今は、国民、小組織を繋ぐ役割は果たせていない。更に、共通の基盤が無いまま、お互いの分野で考え議論をするので、今回の翁長知事の様な行動が突然起こってくる様な気がしてならない。

言わば、各集団が内輪、よそ者と言う峻別をし、細かい組織に細分化された中でのみ価値を見出している、日本の近代化前の村社会の体質を引きずっているのではなかろうか。その結果、一つの集団の価値をそれぞれが求め、普遍的な価値を前提とした判断、問題解決に至らない様に思う。村社会の一つの集団が国際社会に繋がり、八方破れで、世界に向かって勝手に発言する、している様に感じる。従い、ナシヨナル・インタレストが国民の間に結ばれず、無視された状況を作り出しているのではなかろうか。更に、一つの集団の利益が確保されないと被害者意識を持ち、普遍的価値を持った行動でない今回の翁長知事の様な行動になるのではないかと思われる。

沖縄の基地は、戦後、基地が果たした役割も多いが、どちらかと言えば、色々な苦痛を沖縄県に負わせているのが実情であり、政府も真摯に沖縄と向き合って行かねばならないのは確かであり、ある程度の納得を得るまで話し合い、お互いの納得を得た上で進めるのが筋であろう。

世界のあらゆる地域で紛争が絶えない。紛争による難民も多く排出している。今日まで、平和な暮らしを続けて来られたのは、戦争リスクの低減で我々の経済発展を成し遂げた結果であるが、安全、平和、格差環境が大きく変わりつつある現在、平和ボケせずに、行動して行こうではないか。また、我々は、個の集団の利害から考えるのでは無く、普遍的な価値を十分考慮しながら我々の未来を切り開いて行かねばならない。

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厄介な安保法案

2015-09-16 | 論及
今日、安保法案が質疑を締めくくり採決されようとしている。この問題は、非常に厄介な問題だ。憲法論議からすれば、問題があるが、安全保障の観点からは、集団的自衛権を認めることにしていかないと安全保障環境が極端に変わっている現下の情勢から、国際的にも対応できず、問題を残したままとなっている。

正論からすれば、憲法を改正し、対処すべきところだが、いま憲法改正論議をしても憲法改正には、時間と労力が掛かり、恐らく改正は出来ないであろう。一般国民は、政治意識の高い人から、全く政治に関心を持たない人(恐らく大多数がそうであり、何となくしか考えられず流れに乗り、戦争法案と勘違いし、何となく反対する人々)までおるので、十中八九、憲法改正には至らないであろう。

だとすると、今回の問題は、もっと現実的に考える必要があるような気がする。昨日、採決の前提となる中央公聴会が開かれ、SEALDsの明治学院大学生の奥田愛基さんが公述した。彼は、1.国民投票もせず、解釈で改憲してはならない。2.違憲であり廃案にして欲しい。3.国民の意見を聞いて欲しいと話した。確かに、彼の議論は正論であり、筋を通して考えると、彼の主張になるのだが、国際政治、国民の安全、日本の防衛を考えると彼の言うようには行かないのが現実である。

日本の安全は、今迄、日米安全保障条約に守られ、米国の核の傘の下で、安全保障にお金を掛けることなく、経済発展に集中し戦後の焼け野原から驚異の復活を成し遂げた。これは、日本の安全保障が担保されていたからこそ成し得た結果である。今、米国から離れ、日本独自の安全保障対策を果たして日本独自に成しえるだろうか。大いに疑問である。日本が独自に安全保障を考えるなら、自衛隊を軍隊に変える必要があるし、中立国スイスの様に町中に防空壕を作る必要が有るし、場合によっては、徴兵制の導入も必要かも知れない。果たして、日本がその様な行動にでることを国民は、容認できるのであろうか甚だ疑問である。



本来、非武装中立が理想ではあるが、悲しいかな地球上の国々は、自国の利益を拡大することに躍起になっており、すきあらば大きな利益を独り占めにしようと考えているのが現実である。近隣には、核開発を進め、力で脅そうと言う北朝鮮、平和的動きをしていると言うものの抗日記念パレードでみせた中国の軍事力、ロシアのウクライナ侵攻、何が起きるか分からない情勢になりつつある。国際情勢が変化している中で、安全保障を如何に考えるかと言う政治の問題であり、研究者の意見で疑義があるからと言って現状を放置したまま、安全保障問題をほって置けない状況にあることは間違いない。安保法案を通すことが、イデー(理念=戦争をしない)とは関係無く、憲法解釈の問題である以上、残念ではあるが、今回、強行採決に出ようとしている安倍首相の行動を容認せざるを得ないのが現実である。これが政治であり、もし我々がこの行為を否定するなら、次回の選挙で強行採決をした自民党、公明党を選挙で落とすことで、決着を付けるしかあるまい。ただ、現実には、政権交代後、政治の混乱を引き起こした民主党に政治を任すことには、問題があり、政治を任せられる他野党が育つまでは、その政治の選択肢が限られているのが実情である。



ただ、自由と民主主義の為に、この国の未来のために、安保法案成立後でも、憲法改正をして正しい方向で安全保障を担保していって欲しいものである。また、国民も平和ボケすることなく、自ら考え意見を出し、現実を直視しながら、正しい方向を共に考える努力をしようではないか。

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