日常と考えるヒント < By Taki Katayama >

< 論及、述懐、日常/旅/グルメ >

外国人との共生について、

2023-09-19 | 論及
先日、毎日新聞に以下の記事が掲載されていた。
**********************
2023年9月18日(月)、外国人との共生、

英国エコノミストの元東京特派員デイビット・マック二―ル氏は、以下の様に言っている。
① 日本で暮らす外国人の数:2022年末時点で前年比11.4%増となり、300万人を超えた。
② 最多は、中國の76万1563人、ベトナム、韓国と続いている。
③ 先進国の水準と比べると少ないが、難民の数も増えている。2,000人以上の外国人を難民認定し、1760人に対して日本滞在を許可した。
④ 多くの日本人は、移民受け入れに前向きだが、治安への懸念、社会保障費の負担増への念頭に、移民の受け入れに消極的な人もいる。(日本だけに限らない。)
⑤ 日本は、決断を迫られている。外国人が共に暮らす社会を望むのか、それを拒むのか。
異なる文化的アイデンテイテイ-を日本に同化させるよう促すのか、それぞれのアイデンテイテイ-を尊重し、社会がそれを包含して行くのか。
⑥ 日本に来ることを望む外国人は多い。外国からの移住者は、脅威ではない。寧ろ多くの外国人が日本を豊かにしてくれるだろう。
****************************


********************************

この記事は、外国人特派員が見た外国人との共生に関する記述であるが、一方で日本に於ける業界別労働人口の以下実情を見ると悲惨な状況になっており、この外国人との共生問題は待った無しで考え実行する必要がある問題になって来ている。

業界別労働人口を見ると外国人労働者を受け入れる必要性があることを誰しも理解出来、労働人口の推移を見ながら段階的受け入れ策をどうするかである段階になっていることが分かる。

・日本建築業連合会    技能者330万人、1/4=60才以上、若年労働者必要
・日本造船工業会     日本人確保は、困難な状況
・全国農業会議所     5年後には、13万人の従事者不足
・全国老人福祉施設協議会・2016年:190万人、
・全国老人保険施設協会  2025年までに+55万人(年間+6万人の確保必要)
・日本旅館協会      外国人雇用ニーズ:今後5年間で更に2万1千人
・日本フードサービス協会 人で不足による閉店、出店の断念が起こっている
・日本鋳造協会      人で不足により、顧客需要に応えていない
         注)毎日新聞データ


日本がここまで豊かになったのは、戦後の人口増加と日本国民の絶え間ぬ努力の結果、経済的な豊かさを実現し米国に続く経済大国にまでなったものである。現在は、少子化と技術力の衰退により、将来に不透明感が漂っており、特に、上述の様な労働力不足が深刻な問題となりつつある。

従い、誰しも将来の労働力不足に陥る問題を理解し、外国人労働者導入の必要性を否定しないが、誰しも文化の異なる民族を急激に増やすと、多くの軋轢が生じ、現在の日本文化が変わり、多様性のある新しい日本文化を創造するメリットはあるものの、軋轢、治安悪化をもたらすだけの結果にしかならない危険性を含んでいることも事実であり、この点に不安を覚えている。






外国人の受け入れは、否定しないが、先ずは、自国民の失業、文化的摩擦、治安問題を解決しながら、制限付き、段階的に受け入れを緩和して行く方法の具体的検討をするのが寛容でないかと思っている。政府もこの為に挙党体制で委員会を立ち上げ、そろそろ慎重に具体策を検討してゆく必要があろう。政府は、将来の日本のあるべき姿、問題点等々を充分検討した上で対応して行くことを望む。

そして、日本での更なる世界のグローバル化が進み、異なる文化への受容と理解が順次進んだ段階で、自由に外国人を受け入れ、新たな日本文化を作り上げて行くのが寛容と考える。

以上、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうした日本!このままで良いのか!

2023-06-15 | 論及
先日、岸田首相の長男で首相秘書官の翔太郎氏ら首相の親族が、公邸内の階段で寝そべるなど大ハシャギの宴会を繰り広げたことが『週刊文春』で報じられ、翔太郎氏が辞任に追い込まれた。

今回の問題は、首相の英国訪問時に翔太郎氏が公用車で観光、お土産購入をし批判を浴びた直ぐ後だったこともあり、世間の大ブーイングを受けたものだが、それどころか、良く聞くと、岸田首相も居住スペースにおける食事会に顔を出し挨拶をし裕子夫人も入れた集合写真を撮ったとの話である。驚きの限りである。一体、この親子は、どう言うモラル持ち政治を行っているのだろうか理解に苦しむ。

現在、この政権が進めているマイ・ナンバー制度についても、拙速に登録を進めた結果、登録内容に多くの不備が見つかり、信頼性に疑問符を付ける結果となっている。また、コロナ・ワクチンの大量破棄問題、根拠の無い防衛費増額( 5年間で“総額約43兆円)問題、財源を担保しないままの少子化対策の為の援助金のバラマキや社会保障費の歳出のコミットメントとその取消、先送り話等々で瞑想を繰り返しており、岸田首相の政治の進め方とその指導力の欠如が目立っている。

ロシアのウクライナ侵攻の最中にG7サミットが広島で開催されたことにより、ロシアが核を使用しない様に国際社会全体の目を向けさせたこと、ウクライナのゼレンスキー大統領の来日を実現させG7+インド、インドネシア、韓国、オーストラリア、ブラジル等も含めた外交を実施したことにより、岸田首相の評価が高まった。その結果、低迷していた支持率をも回復させる結果となり、色々な問題があったにも関わらず、現状では息を吹き返し政権を保っている状況である。




少し前まで「Japan as No.1」「日出ずる国」と言われた期待の星だった日本の評価は、今や経済指標を見れば、大きく後退しており、その言葉とは裏腹に、「失われた30年をどう取り戻すか」と言うマイナスな意識に変わっており、その現状は、実際の数字をみると明らかである。

世界のGDPに占める日本の割合:
1994年 日本18%、米国26%、中国含むアジア5%、
2022年 日本4%、米国25%、 中国含むアジア25%、

国民一人当たりの名目GDP:
1994年 $39,953 = 世界第3位、
2022年 $33,822 = 世界31位、

(半導体の先端技術における国際競争での敗北、自国ワクチン開発出来ない研究医療、デジタル技術、開発力の遅れが著しく、今や家電は中国・台湾、韓国が主流になっており、本家本元だった自動車も韓国・中国に近い将来その地位を明け渡す危うさを含んでいる。



この状態に至るまで、政治は何も手を打っておらず、政治家の忖度だけに力を使っている官僚の劣化も目立ち、世襲と識改革が出来ない政治家が横行し、未だ意大国気取りで能天気な限りをつくしている。その結果、我々も政治から目を背け、投票せずに諦めた目で政治を見る様になっており、彼らにお灸を付けられないまま彼らに政治を任せている有権者が多い。

何故こうなってしまったのか? 一体、何が起き、何が変わってしまった結果なのだろうか。今回の首相の長男の翔太郎氏の行動を見ても、いい大人が何をやったら問題かの判断すら出来ていない。到底一流大学を卒業した人物の行動とは思えない。また一国の首相が、公邸で自身の親戚一同の忘年会開催を容認し公的な場所への入館を認める思考パターンが私には理解出来ない。厳しい言い方をすると、残念乍ら、これを問題と理解出来ない人物が、一国の危機を回避し新しい国を創り上げることが出来るかはなはだ疑問であり、思考停止の総理大臣と言わざるを得ない。

これらの低落しつつある日本の実情を見ると、敗戦後、主体的に自らの国家を自ら考える思考を停止させられ、楽しく今が良ければ良いと言う刹那的思考を持つ方向に導かれ、国民総痴呆化策に乗せられた結果の様に思われて仕方が無い。これ程、日本という国家統治のあり方、政治、経済のあり方、国民の幸と思考の在り方が大きく変化したのは、占領政策と米国流短期的利益の実現と言った米国流合理主義とグローバライゼイシヨン的思考が日本経済やモラルへ影響を与え、経済格差を増幅させた、日本が無秩序な国へと変わりつつあるのかも知れない。

若者ユーチユーバーが回転寿司屋での無謀な振る舞いを行ったり、お年寄りを狙った振り込み詐欺、闇バイト、強盗詐欺等々の数々の犯罪を引き起こしている。最早、安全なモラル意識の高い日本から、無秩序な日本へと変わりつつある。どうした日本!このままで良いのだろうか・・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

劣化した米国

2023-04-08 | 論及
今、「トランプ元大統領の不倫口止め料の不正支払い」に係わる問題での起訴が連日テレビや新聞で話題を賑わしている。米国の元大統領が起訴されるとは、驚きである。

米大統領経験者で初めて刑事事件の被告となったトランプ前大統領の起訴内容が明らかになった。2016年の大統領選を有利に進めるためにスキャンダルのもみ消しを図ったと見立てる検察側と、支持者を巻き込み事件を政治利用しようとするトランプ氏。歴史的な司法闘争が本格的に始まった。

同氏は、任期最後の米議会占拠事件の扇動した人物であり、米国の民主主義を崩壊させようとした人物への浄化作用の一環としては、先進国の痛んだ民主主義を蘇生させるには、良かったのでなないかと思われる。米国は、民主主義国家のお手本国家として、今迄、機能してきたが、元大統領が起訴される程の変化があり、一体、どうなっているのか、その原因が何かひも解いて考えてみよう。

1.トランプ氏とは、どんな人物か:
トランプ元大統領は、1946年ニューヨークで生まれ。不動産業を営む父親の事業を手伝い、大学卒業後、「トランプ・タワー」をニューヨークの五番街に建設、推定資産が約25億ドル(約2600億円)と言われている米国で名の知れた大金持ちである。公職経験はなかったが、2016年の大統領選で「反ワシントン」を掲げ共和党から出馬し、民主党のヒラリー・クリントン元国務長官を破って当選、大統領まで登り就いた。

就任後も米国内での評価は二分されてきた。現在の妻のメラニアさん(50)はスロベニア出身の元モデル。離婚した2人の前妻との子供を含め、3人の息子と2人の娘がいる。大統領就任後のトランプ氏は、ホワイトハウスでも家族を重用し、娘であるイバンカ氏は大統領補佐官、夫のジャレッド・クシュナー氏も大統領上級顧問に任命したり家族を優先に要職に起用して政治を私物化していた。

トランプ氏は、2020年の大統領選挙で結果次第では、「暴動や内乱になるかもしれない」と自ら言いながら、アメリカ大統領選挙をかつてない緊張感に包ませる発言を繰り返していた。僅差で民主党のバイデン現大統領に敗れたトランプ氏は、「郵便投票は不正」と主張し選挙結果を受け入れないと明言した一方、米国のトランプ元大統領の支持者を扇動し、結果として議会に乱入するきっかけを作った。

2. 米国史:

1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見、

① 17世紀~18世紀、植民地時代(1607年~1776年):
         ピュリタニズムから啓蒙思想へ      
  1598年、米国への入植始まる
  1620年、プリマス、マサチューセッツに植民地を造った。
  1630年、メイフラワー号が米国に到着、その後、ボストン経由西部開拓が始まる
      各地を買収、割譲を受けてアメリカを形成、

② 18世紀後半~19世紀、独立期から南北戦争(1776年~1865年):
             ロマンチズムとアメリカ・ルネッサンス
  1776年、独立宣言、トーマス・ジェファーソン(1743-1826)
  1783年、13州で独立(6州が中心、NH,M,NY,CNN,RI,V)
  1789年、ジョージ・ワシントン初代大統領、
       <19世紀、西部開拓時代>
  1802-1853年、フランス、メキシコ、スぺイン他よりの土地割譲、買収、
  1849年、カリフォルニアに金鉱発見、→西に移動
  1860年、リンカーン第16代大統領に就任、
  1861年、南北戦争(1861-1865.4)
       <拡張時代の終焉と資本主義の発達>

③ 南北戦争から第一次世界大戦(1865~1917):
             リアリズムの時代とナチュラリズムへ、
  1865年、リンカーン奴隷解放宣言、
  1890年、フロンテアの消滅、
  1896年、黒人差別、
       ファーガソン地方裁判所、差別に関する判決=Separate But Equal 

④ 大戦から第二次大戦(1917-1945)、バブルの終焉
           モダニズムとロストジェネレーシヨン(夢の消失)
    1918年、第一次世界大戦終結、(1920年代、JAZZ AGE)
    1929年、株の大暴落→大恐慌、失業率:25%(15百万人)、
    
⑤ 第二次大戦後から冷戦終結まで(1945-1990):
           ポストモダニズムとマイノリテイ文学時代
1945年、第二次世界大戦終結、
1952年、人種隔離教育は違憲の訴えを起こす、
1954年、人種隔離教育は違憲の判決、
1964年、公民権運動が盛りあがる(大統領はケネデー、キング牧師暗殺)
1989年、マルタ会談(ブッシュ&ゴルバチョフ)で冷戦終結、
1990年、戦略兵器削減交渉合意、

⑥ 現代(1991年以降):
        ポスト冷戦期と自由主義による貧富の格差拡大
1991年、ソ連崩壊、
1993年、クリントン大統領就任、エリート層中心の政治、
2001年、ブッシュ大都横領就任とイラク戦争(2003年)、
2008年、リーマンショックと貧富の格差拡大、
2009年、オバマ氏が初めての黒人大統領として就任、エリート層への富の集中、

3.トランプ氏と米国史からの起訴の背景:
米国では、元々人種や宗教、貧富の格差による分断が進んでいた。ただ、トランプ氏は、現職の大統領だった時代に意識的に分断を扇動したり、選挙では、自身に不利になると暴動を扇動しなりふり構わず、自身の利益の為だけに行動した。この行動は、自身の利益を追求する利己的な行動と国民の無知を利用した非合理性な行動であり、許されるものではない。

更に、米国内での貧富の格差が進むと共に米国内でのエスタブリシュメント層とそれ以外の層とのお互いの受け入れられない意識の醸成が米国内での不寛容な社会を創り上げていったものと思われる。その結果、米国は、少しずつ不寛容な分断社会と変貌して来たのである。

アメリカ人が誇ってきた民主主義や正義は、今や一周回って途上国のものに近づいているようにも映って来ている。この状況は、トランプ氏が国内の分断を深める行動を取ったからだけでなく、恐らく以前から醸成、存在して来たものと思われ、トランプ大統領の登場そのものが、アメリカの分断の現実を表しているように思えて仕方が無い。

4.米国の分断が何故起こっているのか:
a. 米国の分断は、識者の見解では、「二つのイデオロギーで分かれていった」という見方が一般的である。いわゆる二つのアメリカ化現象、即ち、国民世論が保守とリベラルと言う政治的分極化していったことにより、極端な保守化の共和党と極端なリベラル化の民主党に変化していったことが原因の一旦との見方である。

b. 確かに、この見方は、誤ってはおらず、米国では、これらの保守、リベラルの二分化と極右左化とともに、米国の2大政党を動かしてきたエスタブリッシュメントへの反発、即ち民主党バーニー・サンダース氏の躍進、ブッシュファミリーをはじめとする主流派に対する抵抗(米国第一主義のトランプ旋風)である。

c. その結果、貧富の差による一般米国民の疲弊と不満、人種問題が絡み、更には、ベトナム戦争・イラク戦争以降の国際社会での米国のプレゼンスの低下が複雑に絡み合い、米国の分断が起こっているものと考えている。

5. 米国の未来のシナリオ:
(ア) 現在6割を占める白人人口は、2045年までに5割を切る。この白人の数の低下は、白人低所得者層の白人が有色人種に対する不満のはけ口となり、更なる右翼化傾向が現れる危険性が否めない。また、AIやロボットによる情報革新が進み、生産性が高い社会が現出するなかで、情報革新から取り残された人の不満や被害者意識が強大化し、トランプ大統領よりも過激な発言をするリーダーを待望する可能性もあり、この場合は、更に米国の世界でのプレゼンスが低下して行く可能性がある。



(イ) 但し、米国の救いは、ミレニアル(現在24~39歳)・Z世代(8~22歳)は社会正義に対する意識が高く、リベラル層の人間が多い。この層が増えていけば、共和党もデモグラフィー(人口統計)に合わせ、白人・中高年・キリスト教中心から変化していく可能性もある。また、企業としても、若い世代を逃すと顧客や優秀な人材を失いかねないことから、彼らに合わせた市場開拓に取り組むことが予想され、社会全体の価値観が変わり、対立がトーンダウンするかも知れない。

(ウ) ただ、民主主義国家では、世界的に貧富の差が拡大していることにより、この問題は米国にとどまらず世界の民主主義国家にとっても相当根深く、改善させることが難しい現状では、上記②が進んだとしても、対立を解消することは困難であると見るのが妥当であろう。



さて、今迄見て来た米国の状況は、米国の混沌を表しているものであり、民主主義国家のお手本であった米国が示すこの事件は、米国が民主主義を引き続きリードして行けるのか、行けないのかを決める分岐点の様な気がしている。この起訴自体は、米国の民主主義が試されている事態であり、寧ろ歓迎するものと見るべきであろうが、この種自体が起こっている米国の現状を見ると嘆かわしい限りである。



かって、私にとって全て眩しく輝いていた米国は、今となっては、どうなるのだろうとしか考えられなく、衰退するのではと言う無意識の意識が私を悲しくさせる。米国の未来のシナリオの如く、若いリベラル層が育ち、米国の対立関係が低下し、新しい夢のあるアメリカが生まれることを期待する限りである。



その意味では、新しい米国にすべく、米大統領経験者が初めて刑事事件の被告となった事件を契機に、民主主義の立て直しと、支持者を巻き込み米国の分断を政治利用しようとするトランプ氏の行動を阻止し、何かおかしい方向に向いている劣化した米国を立て直す契機として欲しい。その意味では、今回の検察の行動に期待している。

以上、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の歴史と文化的影響

2021-05-29 | 論及
神の絶対的力を信じキリスト教会に通い、形而上学的思考に疑問を覚えマルクスを学び学生運動に参加、就業しながら様子見、その後ソ連の崩壊・中国の実情を目のあたりにし、どう考えるのが正しかったのか疑問を持ったまま時が過ぎている。すべてに於いて、これが正しいと言う正解はないものの、日本人の持つ思想的根拠は、どんなものだったのか、それが自身の考え方に影響を及ぼしたのか、先ず日本の歴史を概観し、更に歴史的に日本の思想がどの様な影響を受けたかを考えてみたい。


1.日本の歴史外観:
 時代          文化          考えられる影響
原始時代   : 石器文化(前2000年以降   土偶
         縄文文化(前1000年以降   青銅器
         弥生文化(1世紀以降)   埴輪
飛鳥時代   : 古墳文化(5世紀以降)   漢字伝来
       : 飛鳥文化(7世紀以降)   医学・薬学、儒教、仏教伝来、
平城京時代  : 天平文化 (8世紀中頃迄)   仏教伝来、古事記、万葉集、
平安京時代  : 藤原文化(880~1192年)    浄土教、かな文化、女流文学、
鎌倉時代   : 鎌倉文化(1192~1350年) 庶民に仏教定着
室町時代   : 室町文化(1338~1573年) 能楽
安土桃山時代 : 安土桃山文化(1573~1603年)キリスト教伝来、
江戸時代   : 江戸文化(1603~1868年) 朱子学、武士道、
明治時代   : 西洋化(1868~1912年) 日本近代化 大政奉還、明治維新、
                       欧米留学、産業革命、日清戦争、
                       日英同盟、日露戦争、韓国併合
大正時代   : 全体主義化(1912~1926年) 第一次大戦、
昭和時代   : 戦後復興(1926~1989年) 満州事変、2・26事件、日独協力協定、
                       日中戦争、第二次大戦、日独伊三国同盟、
                      太平洋戦争、ポツダム宣言受諾、財閥解体
                     日本国憲法発布(昭和21年)、朝鮮戦争、
                     サンフランシスコ平和条約調印、沖縄返還、


2.日本への影響とその思想とはどの様なものだったのだろうか:
  時期             影響とその思想                
7世紀    : 儒教道徳と仏教思想を受ける。
             ・飛鳥時代:聖徳太子(道徳律、官僚に与える)
            ・大乗仏教(青銅大仏が鋳造)



9~14世紀  : 鎖国、自国文化を育む。この時代に仏教思想が成熟、(浄土宗:法然と親鸞、法華宗:日蓮、禅宗:道元)
                ・平安時代(9世紀 中国への使節中止、第一の鎖国)
                ・鎌倉時代(13世紀 和歌、朱熹=倫理学・宇宙観、14世紀 能楽)



17~19世紀半ば: 鎖国、自国文化を育む。
                ・江戸時代(正統思想は、儒学、第二の鎖国)



19世紀半ば以降:    西洋化(=近代化)が進む。
            
                ・18世紀の啓蒙思想、19世紀の実証主義を学ぶ(代表:西周、福澤)
                ・明治政府は、絶対主義に似た国家作りを行う
                ・教育は、国家主義と皇室尊崇の枠にはめる
                ・産業革命を経験、社会主義も自由主義も姿を現われる



ここで明らかになったのは、日本の近代思想の形成には、儒教と仏教思想が大きく係わり、これらが伝統思想の基礎を形成していった。そして、その伝統的思想が日本文化を形成しつつ日本人の近代思想の基礎を形成していったのである。

明治維新により、日本の近代化即ち西洋化が一気に進んだが、これが西洋の技術を学ぶだけに止まらず、西周、福沢諭吉らが西洋思想を学び受け入れたことで、伝統思想と西洋思想の同一化的思想形成がここで進んだのであった。その結果、伝統思想と西洋思想の同一化的思想形成が行われ次第に近代日本の思想が形成されていったのであった。

日本の近代思想の形成には、①儒教と仏教思想が伝統思想の基礎を形成、②その後、二つの鎖国が日本独自の文化を育み日本人の思想形成に影響、③更に、明治の西洋化(=近代化)によって伝統思想と西洋思想の同一化で近代日本の思想が形成され、日本の近代思想となっていったことが明かになった。



近代思想に影響を与えた代表的思想家、批評家、文学者を眺める前に、もう一度、その道筋をおさらいしてみよう。
630年頃、聖徳大師により遣唐使が中国に送られ、中国文化を柔軟に取り入れたことで儒教道徳と仏教思想が日本に入り込んだが、9世紀(平安時代)に遣唐使の中国への派遣が中止された時期から14世紀まで続けられた鎖国時代に、独自の日本文化が育まれていった。

この時期に育まれた典型的な独自の文化が仏教思想が大きく係わっている。法然と親鸞、日蓮、道元等が現れ、この時期に日本独自の仏教思想と倫理観が成熟していった。鎌倉時代(13世紀)には、和歌が生まれたり、独自の倫理感や宇宙観が生まれた。室町時代(14世紀)には、皇室の雅楽に対抗する形で、武士の嗜みとして能楽が生まれ、独自の日本文化も育って行ったのである。また、庶民に対しては、仏教思想が日本人の日本人の思想や倫理観に大きく影響を与えていったのである。

安土桃山時代(16世紀後半~17世紀)には、キリスト教が伝来し、新たな宗教が入り込んだが、江戸時代(17~19世紀半ば)にキリスト教禁止令が出され第二の鎖国時代に入る。この時代には、儒学を中心とした学問が普及し日本の伝統的思想を形成していった。

この日本の伝統思想は、忠誠心、親孝行、もののあわれと言った考え方を庶民に与えるもので、儒学が幕府が武士を抑えることに利用され、仏教が庶民を抑えるのに利用された。その結果、やがて幕府に対する不満が蓄積し尊王攘夷論を軸に薩長が幕府に無血開城(明治維新)を迫ったのである。

明治維新後、伝統思想があったにも関わらず、多くの日本の知識人が留学や書物により西洋文化・思想に触れ、西洋思想を日本に同化していった。特に知識人は、西洋の発展度合いに驚き、日本の自立の為の近代化を進めようとした。
その結果、開国と西洋化が一気に進んでいったのである。従い、この時期に現れた日本の知識人、思想家の考えを知ることは、近代思想が我々の考え方に影響をどう与えたのか、与えていないのかを知ることになるのである。

では、この頃の日本の代表的思想家、批評家、文学者の考えを眺めながら、近代思想にどの様な影響を与えたかをみてみよう。(各人物の考え方や思想の詳細は、Wikipedia参照

活躍時期    人物    タイプ         思想
 (江戸末期:攘夷論、1868:明治維新、以降:西洋化)

1835-1901(66歳):福沢諭吉 啓蒙思想家   独立自尊の精神、実学の重要性、西洋化、


1847-1901(54歳):中江兆民 民権運動家   仏思想広める、自由民権運動、


1861-1930(69歳):内村鑑三 キリスト教精神主義者   キリスト教と国粋主義、


1856-1944(88歳):井上哲次郎 哲学者・国粋主義者   国民道徳に限界を感じ世界道徳を訴える、


1863-1913(50歳):岡倉天心 思想家、国家主義者   “アジアは一つ“政治的に利用される、


1868-1894(25歳):北村透谷 思想家、詩人、   キリスト教信仰と愛による精神の鈍化、


1872-1943(71歳):島崎藤村 文学者   ロマン主義文学者、


1867-1916(49歳):夏目漱石 文学者   自然主義文学者、


1889-1960(71歳):和辻哲郎 哲学者   倫理学史纏める、尊王思想を中心に日本の伝統考察、


1862-1922(60歳):森鴎外 医者、文学者   ロマン主義文学者、


1870-1945(75歳):西田幾多郎 哲学者   伝統思想と西洋哲学の融合、絶対矛盾的自己同一


1902-1983(83歳):小林秀雄 文芸評論家、文学者   ドストエフスキー(反ユダヤ主義)傾倒、


1906-1955(48歳):坂口安吾 随筆家、無頼派作家   倫理観を解剖、人間本性を語る、


上記が、この時代を生きた主な思想家、批評家、文学者だが、彼らが日本人の思想形成にどの様に影響を与え役割を果たしたのかを考えてみたい。

福沢諭吉らは、啓蒙思想【注1】、実証主義【注2】を学びながら、西洋化の動き推し進めたが、この動きが、日本の伝統思想を西洋思想に同化させ置き換えていったのであった。また、同時に西洋思想の根幹を成すキリスト教も、西洋化の動きを活発にさせるのに一役買うのであった。

西洋化(=近代化)は、中江兆民、内村鑑三、岡倉天心、北村透谷らの思想に影響を与えたのみならず、文学においても影響を及ぼした。夏目漱石や森鴎外の自然主義、島崎藤村のロマン主義と言った作風(後に自然主義作家となる)にも影響を及ぼした。1890年以降、国家主義的反動と並んでイギリスやフランスの実証論からドイツの観念論【注3】的形而上学【注4】に向かいカント【注5】やヘーゲル【注6】が研究されるようになる。ヘーゲル左派であったマルクス、エンゲルスの古典経済学を批判する資本論も研究された。

1930年には、ドイツの現象学【注7】と実在哲学【注8】が学ばれる。儒学は、政治的に家族道徳を強調して、家父長制を理由ずけるのに使われた。思想に健全な影響を及ぼしたのは、仏教形而上学であった。禅仏教が、西洋の観念論、即ちヘーゲル哲学と結び付いていった。更に、日本の代表的な思想家、西田幾多郎、和田哲郎が現れ、小林秀雄、坂口安吾と言った独自の考えを文学に反映する文学者、随筆家も現れたのである。



<これら思想家達が現在の自分達の思想的根拠になりえたか>
最後に、これら思想家達が現在の自分達の思想的根拠になりえたかについて、考えてみたい。明治時代に起こった西洋化は、即ち日本の近代化の動きであり、西周、福沢諭吉らによって伝統思想がやがて西洋思想に同化されながら置き換えられていった。更にキリスト教も西洋化、即ち近代化に一役買ったのだろう。

これらの思想家達が現在の自分達の思想的根拠になりえたのかについては、誰しも意識してこれらの思想を深く学んだ経験を持っていないと思われ、影響があったと言い切るには無理がある。キリスト教やマルクス主義については、多くの学生が真剣に学んだのは事実であり、無意識にではあるが、彼らと同様に思想の影響の一部を受けていたのかも知れない。

ただし、自分は、常に自分への問いを発しながらどの様な倫理観を持つべきか、即ち「いかに生きるべきか」等を熟慮した記憶はなく、どこまで影響があったかを語ることは出来ず、自分達の思想的根拠と近代思想家と結びつけることは困難であるのが結論である。多くの先人の思想がどう個人に影響するか、していたかを考えるのは、多くの実例と具体例を考慮せねばならず、ここで、これ以上、触れないことにする。

敢えて自分の思考・行動様式に影響を与えたのかについては、「特に意識はしていなかったものの、実存主義的な考え方を基本に、時に神の意志や人間の精神から形而上学的に考え柔軟に行動している。」と言うことなのかも知れない。時には、神社やお寺で幸せを祈り、教会のステンドグラスに魅了されながら、お酒と焼き鳥を摘み、何らかの社会貢献とグローバルな視点での考え方をしながら、人間中心の合理的倫理観を持ちながら生活をしている様な気がする。自分も含め、これが日本人全般に根付く伝統思想と西洋思想の同一化を無意識に行っており、この無意識の思考形態こそが我々の道標となり、自分達の思考・行動を導きだしている様な気がしている。

以上、



<参考>
【注】絶対矛盾的自己同一とは:
相反する二つの対立物が対立のままの状態で同一化すること。弁証法的な考え方で、二つの対立物はその対立を変容させることで新しい方向を生むと言うもの。西田の哲学においては、「対立は解消しないので、その対立が一体であることを実感し、新しいもの生むこと」で人は悟りの境地に至る。例えば「我はすなわち天なり。天すなわち我なり。」と悟った瞬間、世界観が一転し、絶対矛盾的自己同一が起きると言うのである。日本人が禅や武士道において目指してきた世界観と似た考え方。

【注1】啓蒙思想:
17世紀末に起こり18世紀後半に全盛期に至る。キリスト教の力が強く支配する能力は、神の啓示によって与えられると考え支配する王も権力と神とを結びつけていた。この旧体制を打破する為の革新的思想。人間的・自然的理性(悟性)を尊重し、宗教的権威に反対して人間的・合理的思惟自立を訴え正しい立法と教育を通じて人間生活の進歩・改善、幸福の増進を行う事が可能であると信じ新秩序の建設を目指した。人間の能力を万能であると考える立場を取る。

【注2】 実証主義:
科学で実証できる知識だけが正しいとする立場を取る。従い、それ以前の支配的だった経験に基づかない形而場学【注4】の伝統を排除する。
所与の事実だけから出発し、それらの間の恒常的な関係・法則性を明らかにする記述を目的として、一切の超越的・形而上学的思弁を排除する立場。即ち、分析的な命題は論理によって、総合的な命題は経験によって検証されると考え、どちらによっても検証できない疑わしい概念を用いてきた形而上学を批判。形而上学の命題は検証不可能であると断じた。例えば「無が無化する」などというのは分析的に真偽がはっきりしないし、経験的にも真偽を判断できないものだとした。

【注3】観念論:
物事の存在が私達の主観(=認識)に基づくものであるとする考え方。「我思う、故に我あり」と言って、人間の意識を世界の中心に捉えたデカルトの思想の流れを汲む。即ち、世界は私達が頭の中で作り上げたとする考え方である。
観念論を突き詰めると、世の中の存在は全て人間が作り上げたものであるので、人間に理解出来ないものはないと言う事になる。しかしそんな事はあり得ず、人間の意識の外に独立して存在するものが存在しており、世界は私達がどう捉えるかは無関係に存在していると考える。これが実在論である。

【注4】形而上学: 
自然の原理や現象を度外視して、その背景に在るものを真の本質、存在の根本原理、存在そのものを純粋思惟により、或いは、直観によって探求しようとする学問。例えば、自然の原理からではなく神の意志や人間の精神から論じようとしており、神、世界、霊魂などが主要問題。

【注5】 カント(1724-1804):
ドイツの哲学者。科学的認識の成立根拠を吟味し、認識は、対象の複写でなく、主観が感覚の所与を秩序づけることによって成立すると主張。超経験的なもの(不滅の霊魂・自由意志・神など)は、科学認識の対象でなく信仰の対象であるとし、伝統的形而上学を否定し道徳の学として形而上学を意義ずけた。

【注6】 ヘーゲル(1770-1831):
ドイツの哲学者。カントに始まりヘーゲルに至って観念論が完成されたと言われている。
ヘーゲルは、自然的な世界も精神的な世界も同一の原理によって動いていると考えた。その原理の内実をなすものは絶対精神である。絶対精神が物の形をとると自然的な世界としての形を呈し、意識の形をとると精神的な世界の形を呈する。従い、意識とその対象としての自然的な世界とは、無媒介に対立しあうのではなく、同じものが違う形を取って現れているに過ぎない。二つとも同じ原理によって動いていると説く。
また、ヘーゲルは、弁証法【参考1】が人間の認識活動を貫く原理であると捉え、意識にとっての対象的な世界を貫く原理であると考えた。即ち、①対象世界と人間の認識活動とは互いに対立するものではなく、同一の原理によって動いている。②その原理を対象に即してみれば実体とか法則という形をとり、人間の認識に即してみれば概念という形になる。法則と概念とは同じ一つの物が異なった相貌で現れていると考えている。

【注8】 現象学:
フッサールによって提唱された哲学的立場。人は世界を見たまま感じたままに捉えようとするが、そうでなく意識の与えられたままに捉えよと言っている。心の中の純粋な意識に浮かんで来るものだけを信じる方法を提案。こうすることが真理に向き合える方法と考えた。即ち、あらゆる学問・認識の根拠を個々人の主観における確信に求めた。そこから善・美・自由・正義といった人間的な諸価値の普遍的な意味あいや価値の本質を見極めようとした。

【注9】 実在哲学:
人間は、既にある何らかの運命(=本質)に支配された存在(=実在)でなく、自分自身で切り開いて行くべき実在的存在にほかならないと言う。実在は、本質に先立つと言う考え方。
人間を主体的に捉えようとし、人間の自由と責任を強調して本質を見極めようとする考え方。悟性的認識には不信を持ち、実在は、孤独・不安・絶望に付きまとわれていると考える。

【参考1】弁証法:
ソクラテスの時代から考え方はあった。ヘーゲルの言う弁証法は、問題が生じた際、それを克服して高いレベルに高める思考方法を指している。ある物事(=テーゼ)に対し矛盾する事柄、問題点(=アンチテーゼ)が存在する場合、矛盾や問題点を取り込み発展した解決方法を生み出す方法。

【参考2】悟性的認識:
理性と感性の中間にあり科学的思考の主体、経験に基づかない論理的な認識。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい年のゴーン・ショック

2020-02-03 | 論及
2020年、新しい年が始まった。毎年、新聞を開き新年に想いを巡らすのを楽しみにしている。今年は、趣きがチョット異なっていた。日経コラムには、新年に相応しくない内容が掲載されていた。

こうだ、

日本経済新聞、2020年1月1日付、1面コラム春/秋




コラムニストも新年に相応しくないと分かって掲載していたが、新年にインパクトを与えた元日産会長ゴーン被告の遁術を使った逃亡劇だ。ゴーン問題に関しては、以前、ここで取り上げたが、またしても話題を提供してくれている。




今回の逃亡劇は、いくつも問題を投げかけており、そう簡単に語れない事件だ。
有価証券法違反の問題に加え、日産自動車は、業務に関係ない目的で390万ユーロ(約4億7800万円)を不正に使ったこと明らかにしており、また2009年から18年にかけ、レバノンの学校や非営利団体など約10機関に対し、ルノー日産合弁会社が元会長個人の代わりに約237万ユーロ(約2億9千万円)を寄付したことも明らかにしている。家族同伴など個人的な渡航の社有ジェット代510万ユーロ(約6億2500万円)も合弁会社に負担させていたらしい。



さらに、1月8日には逃亡先のベイルートで2時間半近くに及ぶ長丁場の記者会見を開き、その後も手記出版やハリウッド映画化などを行うような情報が飛び込んできている。
ゴーン被告は、会見後も各国メディアの取材に応じ日本への批判を強めている。フランスのメディアに対しては「私のような罠にかかるな。日本にはもう誰も行くな」と発言しているようだ。また、CNNビジネスは、専門家の言葉を引用し、今回のケースが「日本のブランドは多大な損害を受けるだろう」と報じている。外国人幹部の採用は、日本企業にとっても外国人にとっても今後はリスクになるだろうと指摘している。

そもそも、当初の逮捕は、2011年から2015年の5年間で98億円の報酬を得ていたにもかかわらず、48億円の報酬と過少申告をしたことによる有価証券報告書の虚偽記載であった。加えて、多額の公私混同や不正があった疑いで取り調べのため逮捕されたのであった。
この裏には、以前記載した理由も背景にありそうではあるが、ゴーン被疑者の法令違反は明らかに存在しており、これは、疑いの無い事実のようであり、今回の遁術を使った逃走劇は、日本の法令違反であり大きな問題である。





ゴーン被告の勾留は計130日に及び、会見で「独房に入れられ、長い間身柄を拘束された」と不当性を訴えているが、日本での勾留は、その必要性を裁判所が厳正に判断しており、批判は当たらない。
今回の会見では、日本のメディアの大半が参加を拒否された。意に沿わないメディアを意図的に排除したとすれば、ご都合主義以外の何ものでもない。注目されていた逃亡の経緯について、ゴーン被告は詳細を語らなかったが、今後、出国手続きを厳格化するなどの対策を講じる必要がある。

ゴーン被告は今後、自らの嫌疑を晴らす証拠を出すとの考えを示したが、主張したいことがあるのなら、日本に戻り、公開の法廷で正々堂々と語るべきだ。裁判で真相を解明するためにも、日本政府はレバノン政府に対し、身柄の引き渡しを求める働きかけを続けねばならない。
さもなくば、2020年の元日からスッキリしない1年が続くことになる。オリンピックも楽しめない。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

科学史

2019-08-28 | 論及

(ホッブス/1588-1679、英)


前回、科学とはどんな特徴を持つのかを考えながら科学とは何かをみてきたが、ホッブス(1588-1679)は、「リヴァイアサン、1651年出版」の“推理と科学について”に於いて、「科学とは、推論の帰結と一つの事実への依存であり、物事の因果関係に関する知識に他ならないと言っている。そして科学が行動の予測に役立つ知識である。」ことを指摘している。

このことは、科学的知識は確実性とともに、有用性、予測性を持つものであり、科学が我々の生活の中で無くてはならないものであると言えよう。

では、科学の始まりは何時からであったのだろうか。

科学は、元々自然界の生成消滅や変化を説明する基礎となる根源物質を探求する自然哲学から生まれた。この最初の哲学者と言われているのが、タレス(BC624-546)である。彼は、これを「水」に求め、世界の成立ちを説明しようとした。





(アリストテレス、BC384-322)

その後、アリストテレス(BC384-322)は、「人間は、理性を持ち、理性を使い、幸福や宇宙の真理を探究することが大切である。」と論じていた。彼は、土・水・火・空気(四元素)を基に、ギリシャ的な物質観の根幹を集大成させた。その基礎を成すものが、「天動説」であり、このアリストテレス的自然感は、16世紀中頃までヨーロッパに於ける中心的な考え方として定着していた。

16世紀中頃、コペルニックス(1473-1543、ポーランド)が現れ、今迄の自然観を変えた。これが今迄の自然感から真逆の“動くのは、太陽でなく地球である”と考えた「地動説」であり、“科学革命“”コペルニックス革命“と言われている宇宙観である。


(コペルニックス、1473-1543、ポーランド)

この自然感は、今迄の人類の宇宙観を覆したものであった。地球は、動いており、太陽の周りを回っていると言う正反対の見方を示したもので、ここから人間の自然への見方が変わって行ったのであった。近代科学史の始まりである。


(ガリレオ、1564-1642、伊)

更に、天文学の父とも言われているガリレオ(1564-1642、伊)が、天体を観測しながら、地動説を“落体の法則”で理論家したのであった。同時期に、ケプラー(1571-1630)も惑星の法則を唱えたのであった。



その後、ニュートン(1642-1727、英)が現れ、彼は、運動論(①慣性の法則②運動の法則③作用・反作用の法則)や万有引力の法則を体系化し、地動説を裏付ける動きを検証していったのである。


(ニュートン1642-1727、英)



更に、マックスウエル(1831-1879、英、電気・電磁波・光が同一で30万Km/秒で進む、電磁波の理論)、アンシュタイン(1879-1955、独、相対性理論、分子運動論、流体力学、重力の本質に迫る)、カルツァ(1885-1954、独、重力と電磁波は同一と考えた、超弦理論、ミクロの世界を見れば宇宙が起源が分かると考えた、分子→原子の世界)、



(マックスウエル(1831-1879、英) (アンシュタイン、1879-1955、独)   (カルツァ、1885-1954、独)



その後、ファインマン/朝永振一郎(1918-1988、米&1966-1979、日本、原子→素粒子の世界を説明)、ホーキング(1970-2018、英、ブラックホールの特異点定理、量子宇宙論分野を形成)と続き、現在に至っているのである。



(ファインマン、1918-1988、米 & 朝永振一郎、1966-1979、日本)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シェークスピアの面白さとは?

2019-01-17 | 論及
先日、友人よりシェークスピアの面白さは何か?と言う質問を受けた。以前、シェークスピアを何冊か読んだものの、私自身も、未だにシェークスピアの良さ、面白さを余り理解出来ぬまま今日に至っている。もう一度、考えてみたい。

誰しもシェークスピアと言う名前を聞けば、16世紀後半のイギリスの劇作家、「ロミオとジュリエット」、「ベニスの商人」、「リチャード3世」、「ハムレット」等々の作品を描いた劇作家である程度のことは、理解しているであろう。シェークスピアの魅力とは、一体、何んなんだろうか?彼の作品を取り出し考えてみてみたい。



( I )シェクスピアは、どんな人物だったのだろうか?

ウィリアム・シェイクスピア (William Shakespeare、1564-1616)


劇作家、詩人。1564年、父ジョン・シェクスピア、母メアリーの第3子の長男として、ストラットフォード・アポン・エイボンに生まれる。比較的裕福な家庭で育つ。
12才(1576年)の時、靴職人をしていた父が事業に失敗、貧困状態に陥る。
18才(1582年)の時、8才年上の女性アン・ハサウエイと結婚。3人の子供(長女、双子の男女)を儲ける。
21才(1585年)の時、ロンドンに上京、役者となる。役者として演劇に携わる側ら1592年頃から戯曲を書き始め生活費を稼ぐ。
32才(1596年)、息子11才で他界。32才(1599年)、グローブ座が開場。グローブ座の経営者の一人となる。44才(1608年)、グローブ座、ブラックライアーズ座の2つの劇場を持っており、ロンドンと故郷を行き来していた。
52才(1616年)、故郷で他界。



( II )作品の書かれた時期から、作品を以下の4つに分類している。

第1期(1590-1596)初期の歴史劇、喜劇
ヘンリー六世 第1部(Henry VI, Part 1、1589年 - 1590年)
ヘンリー六世 第2部(Henry VI, Part 2、1590年 - 1591年)
ヘンリー六世 第3部(Henry VI, Part 3、1590年 - 1591年)
リチャード三世(Richard III、1592年 - 1593年)
間違いの喜劇(Comedy of Errors、1592年 - 1594年)                 
タイタス・アンドロニカス(Titus Andronicus、1593 - 94年)                 
じゃじゃ馬ならし(Taming of the Shrew、1593年 - 1594年)                    
ヴェローナの二紳士(The Two Gentlemen of Verona、1594年)                        
恋の骨折り損( Love's Labour's Lost、1594年 - 1595年)                           
ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet、1595 - 96年)                 
リチャード二世(Richard II、1595年)                                    
夏の夜の夢(A Midsummer Night's Dream、1595年 - 96年)                                 
ヴィーナスとアドーニス(Venus and Adonis)                                  
ルークリース凌辱(The Rape of Lucrece)                                  
ソネット集(The Sonnets)

第2期(1596-1601)円熟期の喜劇、                                
ジョン王(King John、1594年 - 1596年)                       
ヴェニスの商人(The Merchant of Venice、1596年 - 1597年)              
ヘンリー四世 第1部(Henry IV , Part 1、1596年 - 1597年)               
ヘンリー四世 第2部(Henry IV, Part 2、1598年)
空騒ぎ(Much Ado About Nothing、1598年 - 1599年)
ヘンリー五世(Henry V、1599年)
ジュリアス・シーザー(Julius Caesar、1599年)
お気に召すまま(As You Like It、1599年)
十二夜(Twelfth Night, or What You Will、1601年 - 1602年)
ウィンザーの陽気な女房たち(The Merry Wives of Windsor、1597年)

第3期(1600-1608)悲劇、問題劇、
ハムレット(Hamlet、1600 - 01年)
トロイラスとクレシダ(Troilus and Cressida、1601 - 02年)
終わりよければ全てよし(All's Well That Ends Well、1602年 - 1603年)
尺には尺を(Measure for Measure、1604年)
オセロー(Othello、1604年)
マクベス(Macbeth、1606年)
リア王(King Lear、1605年)
アントニーとクレオパトラ(Antony and Cleopatra、1606年 - 1607年)
コリオレイナス(Coriolanus、1607年 - 1608年)
アテネのタイモン(Timon of Athens、1607年 - 1608年)

第4期(1608-1612)ロマンス劇(Tragy Comedy)
ペリクリーズ(Pericles, Prince of Tyre、1607年 - 1608年)
シンベリン(Cymbeline、1609 - 10年)
冬物語(The Winter's Tale、1610年 - 1611年)
テンペスト(The Tempest、1611年)

( III ) 作品をどう考えれば良いのか?
シェクスピア作品と言えば、円熟期に書かれた4大悲劇の一つである「ハムレット」であり、これを題材に考えてみたい。

1.作品の背景:
・この作品は、エリザベス朝(1558-1603)時代のルネッサンス期に書かれた。
・この時期は、人間探求、人間回復、知的探求が盛んに行われていた。それは、神中心の整然とした階層秩序を根幹とする中世教会の世界観とそれを打ち破ろうとする懐疑的リアリズム、奔放な人間解放精神との二つの潮の衝突と干渉の時代であった。



2.作品の特徴:
・1602年に出版された戯曲で、原作は、古いデンマーク伝説ともトマース・キットの「スペインの悲劇」とも言われている。
・シェークスピア(1564-1616)作品は、その特徴から4期に分類され、この作品は、第3期(1600-1608)の円熟期に書かれた4大悲劇の1つである。
・作品は、デンマーク王子ハムレットの復讐劇であるが、復讐劇として始まりながら生きているとは何かと言う問題に筋が移っている。



3.文芸批評と感想:
・この作品の筋立ては、比較的分り易く単調であり、支離滅裂なところも感じられるが、主人公や登場人物の言葉、暗示的台詞、猥雑な口述も散りばめられており、戯曲として観客を飽きさせない手法で書かれている。

・恐らくこの当時は、大掛かりな舞台装置が無かったので、言葉を巧みに操ることで観客を楽しませる為に、この様な手法が用いられたのではなかろうか。そして、その様な手法を用いることで、受け手に人間の悩みや、人間らしさ、人間探求の幅、知的好奇心を与えるものになったと思われる。

・例えば、第1幕1場では、亡霊に対する表現として、「this thing → this dreaded sight →apparition」と変えて観客の想像力を引き出そうとしていることからも分かる。

また、第1幕2場では、「Frailty, the name is woman,」、第3幕1場では、「To be, or not to be, that is a question.」等の暗示的表現があるが、実に観客や読み手の興味を誘い想像力を働かせてくれる。

・とすると何かが、1)原文の中にありそうなこと、2)数々の言葉や暗示的表現を楽しめそうなこと、3)猥雑な破壊的表現の中に人間らしさが発見できる楽しみがありそうなことなのかも知れない。勿論、この感じ方は、人それぞれであろうが、これがシェークスピアの面白さなのかも知れない。

ただ、どうしても理解できないのは、多くの研究者が、シェークスピア作品の夫々の文脈より、「オイデップス・コンプレックス」、「家父長制への抵抗」等々の深読みをしているが、本当にシェクスピアは、そんなことを意識して戯曲を書いていたのだろうかと言う点である。

勿論、上述した時代背景の影響は、充分受けていたであろうが、恐らくシェークスピアは、“この劇が如何に大衆に受け入れられるだろうか”、“大衆の興味をどの様な方法で誘発し、観客を楽しませることが出来るだろうか”を、日夜、考えていた気がしてならない。その結果、言葉を巧みに操り、暗示的表現を散りばめ(言葉、暗示的表現は、注参照)、興味を誘い想像力を働かせる結果となり、それが、シェークスピア戯曲の面白さなのではないかと感じている。さて皆さんは、どう感じるのだろうか!ヒントになれば幸いである。

なを、シェークスピアに関する書籍は、数多くあるが、色々読んだ中で、中野好夫の”シェークスピアの面白さ”(講談社文芸文庫 1,620円、新潮選書 2,100円)が一番分り易く、お勧めです。



注)言葉の遊び例と主な暗示的表現:
A horse, a horse! My kingdom for a horse!
馬だ!馬をよこせ!馬1頭で王国をくれてやる (リチャード3世 第5第4)

There’s a time for all things.
何事にも潮時がある (間違いの喜劇 第2第2)

He jests at scars that never felt a wound.
傷を負ったことが無い奴が他人の傷をあざ笑うのだ (ロメオとジュリエット 第2第2)
Virtue itself turns vice, being miss applied.
美徳も使い道を誤れば悪徳となる (ロメオとジュリエット 第2第3)

Et tu, Brute? 
ブルータス おまえもか? (ジュリアス・シーザー)

All the world’s a stage, And all the men and women merely players.
この世全ては、舞台、人間誰しも唯の役者(お気にめすまま 第2第7)

This thing → This dreaded sight → apparition
亡霊に対する表現の変化 (ハムレット 第1第1)
Frailty, the name is woman.
弱き者、汝の名は女 (ハムレット 第1第2)
There are more things in heaven and earth, Than are dreamt of in your philosophy.
人間の知識では想像もできないことが、この天と地にはあるんだ (ハムレット 第1第5)
Brevity is the soul of wit.
簡潔こそ知恵のみせどころ (ハムレット 第2第2)
There is nothing either good or bad but thinking makes it so.
良いも悪いも人の判断次第 (ハムレット 第2第2)
To be, or not to be, that is the question.
生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ (ハムレット 第3第1)

Our remedies oft in ourselves do lie which we ascribe to heaven.
運命は星次第だけれど、しばしば努力でどうにかなるものだよ(終わり良ければ全て良し 第1第1)

The worst is not, So long as we can say, “This is the worst.”
「これぞどん底」と言えるうちは、未だどん底でない (リア王 第4第1)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日産 ゴーン会長の逮捕

2018-11-22 | 論及
この問題に関しては、新聞、テレビで専門家が色々な角度から報道しているが、私は、1.ゴーン元日産会長の近年の過度な独善的な行動と日産の私的利用 2.フランス・マクロン大統領が支持率回復の為の動き(日産をルノー子会社にする)に出たことで、日産が自身で日産を守る行動に動いた結果、逮捕劇に至ったものと思っている。



もし、ゴーン氏が日産の独立性を担保する動きをしていたら、恐らく逮捕という方法でなく、他の方法で不正を正すことを模索したのではなかろうか。勿論、その場合でもゴーン氏の不正と言う問題と日産のガバナンス問題は残るが、他の着地点を見出しながら軟着陸をしていったものと思われる。大手企業のコーポレートガバナンスは、比較的厳密で、ゴーン氏とて不正を続けて行くことは出来ず、また、それ程簡単にすり抜られるもので無い。今回の様な数々の不正は、遅かれ早かれ発覚したものと思われ、発覚した内容は、ゴーン氏との話合いで改善、解決したのではなかろうか。

フランスのルメール仏財務相は20日、仏メディアに「ゴーン氏はもはやルノーを率いることができる立場ではない。ルノーはできることを早行うべきだ」と述べたことでもあり、近々、新トップを選出する手続きへと進むとおもわれるが、フランス・メデアは、以下の如く論評をしており、フィガロ紙を除き、大方、日本のメデイアと同じ様な捉え方をしている。


ルノーの大株主であるフランス・マクロン大統領は、ゴーン氏に日産をルノー傘下に組み入れる条件でゴーン氏のルノートップの座を2022年まで保障したと言われている。そこから、従来、日産の利益を守っていたゴーン氏が、自分の立場を担保する為に、日産をルノーの子会社化する動きに出た結果、日産側も天下の宝刀を抜いたものではないかと思われる。

日本の検察が確たる証拠をもとに、ゴーン氏の不正を暴こうと動いており、フランス側に取っては、大きな痛手となっている。日産がルノーの支配を和らげる等の不利益を被る結果となれば、今回のマクロン大統領の動きが、更なる支持率の低下にも繋がるものと思われる。フランス政府としては、ルノーとその関連企業の雇用を守り、マクロン大統領が次期大統領選を有利に戦う為にも、恐らくゴーン氏を切り捨て、日産とルノーの現在の関係を維持させる方向に舵を取ってくるものと思われる。



日産、ルノー連合が成功した秘訣(ひけつ)は両社の対等な関係であり、ゴーン氏はその守護神だった。ルノーは日産に43・4%出資し、資本の論理では強い立場にあるが、ゴーン氏の強力なリーダーシップで両社は独立性を維持。そこに三菱自も加わり、17年度のシナジー効果はコスト削減などで、前年度比14%増の57億ユーロ(約7300億円)と過去最高に達していた。

以前は、フランス政府の圧力に対し、ゴーン氏は、日産保有のルノー株の比率を15%から25%以上に引き上げれば、ルノーが持つ日産への議決権が消滅する日本の会社法をちらつかせ、フランス政府を退けていた。



しかしながら、本年2月、仏政府は、ルノーのCEO続投を餌に、ルノー・日産の提携を後戻りできない「不可逆な関係」にすることを求め、これにゴーン容疑者が同意したことで状況は様変わりした。

経営統合の動きが表面化すると、日産経営陣は、激しく反発した。

99年の資本提携当時はルノーが日産を救済したが、2017年の世界販売台数は日産の581万台に対し、ルノーは376万台に留まる。日産は米中など成長市場で足場を築いた上、電気自動車(EV)技術にもたけており、実力としては上にいる。日産としては、不利益を被りかねないフランス政府主導の経営統合など到底飲めないと反発する経営トップが、過去のゴーン氏のコンプライアンス違反を洗い出し、覚悟を持って、西川社長が、今回の行動に出たものと思われる。

恐らく、西川社長としても、ルノーとの提携を解消する意図は無いと思われる。既に、日産、ルノーは研究開発や生産技術・物流、購買といった機能統合を実施しており、そこに三菱自も加わり、3社連合の結びつきは強くなっている。「CASE(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)」と呼ぶ新潮流への対応で研究開発費が急増する中、自動車業界での生き残りをかけ、ルノー、日産、三菱の三社連合は、維持したいと考えているものと思われる。

その際、当然の結果ながら、日産は、今後、これまでルノーへの利益貢献度が高かった日産のルノーとの資本関係見直しを要求してくものと思われる。




ただ、今回の問題発覚により、日産も法人としての金融商品取引法違反とコンプライアンス問題を問われ、大きな打撃があることは間違いない。
また、今回の騒動で、既に、ルノーにも問題が波及しており、ルノーの信用力指標が悪化している。企業や国の信用リスクを取引するクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)市場では、指標となる信用保証料率が約1.5%まで急上昇している。




今回、日産としては、コンプライアンス違反を排除出来た反面、フランス・マクロン大統領の思惑から日産を支えたゴーン氏を排除する結果となった。日産は、日産とルノーの企業価値を低下させ、社員への不信感・不安感と将来への不透明感を醸成し市場への混乱を与えた。ゴーン氏なき後の日産の稼ぐ力が、今後どう推移するのか見守りたいが、この不安定な結果を招いたマクロン大統領の責任は、非常に大きいと私は、個人的に考えている。

なを、余り言われていないが、今回の西川社長の行動は、日産と言う企業と社員、株主の利益を守ると言う行動であり、称賛に値するものと思っている。今後の西川社長の動きを見守りたい。
以上、



2018-12-6の追伸:
日産ゴーン元会長に関するBBCの記事(2018-11-25付)、比較的冷静かつ客観的に書かれている。興味ある方は、是非、この記事もお読み願いたい。
https://www.bbc.com/news/business-46321097

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外国人労働者受け入れ問題(続)

2018-10-31 | 論及
最近、労働力不足により、外国人労働者受け入れ問題が国会で議論され始めたが、外国人労働者受け入れは、日本社会に多様性をもたらす反面、問題も抱えることにもなる事案であることを考える必要がある。

まず、実情を考え、その上で、どんな方法を取るのが良いかを考えてみたい。(この問題に関しては、以前のブログでも書いたが、日本の将来の姿の根幹に係わる問題であり、この機会に、再考してみたい。)



1. 背景:
少子高齢化が進み、あらゆる分野(雇用・医療・福祉・教育)で人口減少による弊害を生み出しつつある。国としては、出生率の向上、生産性の向上、女性の活用、高齢者の活用等の施策に取り組み始めているが、明確な見解を打ち出せていないのが実情だったが、ここに来て、労働力不足が顕著化している。総務省によると、15~64歳までの「生産年齢人口」は、2015年は7592万人だったのに対し、2030年は6773万人(マイナス819万人)、2050年には5001万人(マイナス2,591万人)まで減少するとの推計値が出ている。

この様な状況の中で外国人労働者受け入れ問題がクローズアップされ議論されているが、この問題は、単に少子高齢化、市場の縮小、労働力の代替と言う観点からだけでなく、基本的な問題、即ち、文化、人権と言った側面からも考える必要があると思われる。





2. 実情:

a)2017年の労働2007年12月に公表された厚生労働省の雇用政策研究会の報告書:

ア)「高齢者と女性の労働市場への参加が進まないケース 」 →  2006年と比べ440万人減少

イ)「高齢者と女性の労働市場への参加が進むケース 」   → 2006年と比べ101万人減少

ウ)急速な減少に歯止めをかけることが課題 → 労働人口の確保(外国人労働者受け入れ、女性と高齢者の活用)




b)結果:
実際の労働力人口は、厚生労働省の予想を大きく上回り、2016年には6673万人と2006年の6664万人から9万人の増加となった。

その2016年の労働力人口は、「労働市場への参加が進まないケース」の見通しと比較すると400万人以上も多くなっており、「労働市場への参加が進むケース」の見通しと比べても100万人程度上回っている 。
従い、予測は、あくまで予測にしか過ぎず、この問題は、拙速な判断をせず、もう少し慎重に考える必要があろう。




3. 考えるべき視点:
結論として、以下理由で、私は、制限付き、労働人口の推移を見ながら段階的に受け入れを実施するなら、外国人労働者の受け入れに賛成である。



a)そもそも国家は、慣習、文化、人種、価値観を線引きした結果であり、日本も、日本人、日本文化、日本国領土を線引きしたものに過ぎない。国は、Inter-national、Trans-nationalなグローバル(=国境を越えた相互関係)の中で存在している。自国の繁栄と発展は、世界との繋がりの中でしか考えられない。

b)自分のアイデンティティは、自己意識に文化、価値観、風習、国境、国籍と言った潜在意識が加わり形成されているだけであり、外国人、日本人と言う線引きは、誤ったナシヨナリズムを形成する危険性を孕んでいる。国際人としてのアイデンティティを持ち行動する必要がある。

c)但し、現在の世界は、国民国家体制下に形成されており、国家を無視して考えることはできない。従い、結果として国益を無視した受け入れは考えられず、規制なく誰でも自由に受け入れることは出来ないのも事実である。

d)外国人労働者を経済的な自己都合だけで受け入れると、不況期には外国人排除問題を引き起こし、人権問題、自国民の不満等に繋がる大きな社会問題、政治問題になる危険性をはらんでいる。現状では、各国とも国際競争力強化の為、世界中の優秀な専門技術者を受け入れているが、実際には労働力不足を補う為に限定的に非熟練労働者を受け入れているケースが多い。

(注)日本の平成24年度の在留外国人2百万人/人口割合1.7%-就労資格外国人20万人。
   米国21.3百万人/人口割合6.9%、
   ドイツ6.7百万人/人口割合8.2%、
   イギリス4.3百万人/人口割合7.0%

e)外国人労働者の受け入れは、異なる文化や生活スタイルを受容と理解、社会コストの増加も同時に受け入れることが必要であり、自国民の失業、文化的摩擦、治安問題を解決しながら、制限付き、段階的に受け入れを緩和して行くしか方法は無いと考える。



4.どんな方法を取るのが良いか:
(高度人材は、社会構造を変える要素とならないので、ここでは制度検討から外す。)

a)現在の技能実習生制度とは:




b)業界別労働人口の実情:
労働人口の推移を見ながら、段階的受け入れ策をどうするかだが、各産業界の実情を見ると以下の様になっている。

日本建築業連合会    技能者330万人、1/4=60才以上、若年労働者必要
日本造船工業会     日本人確保は、困難な状況
全国農業会議所     5年後には、13万人の従事者不足
全国老人福祉施設協議会・2016年:190万人、
全国老人保険施設協会  2025年までに+55万人(年間+6万人の確保必要)
日本旅館協会      外国人雇用ニーズ:今後5年間で更に2万1千人
日本フードサービス協会 人で不足による閉店、出店の断念が起こっている
日本鋳造協会      人で不足により、顧客需要に応えていない
         注)毎日新聞データ




上記の様に業界によって実情も様々であり、矢張り、一律に考えること出来ない。政府より出された法案を見ると以下の内容になっている。

1. どのようにして各業種ごとに「特別な技術」を持っているか否かを判断するのか、基本的なことが全く明らかになっていない。

2. 業種ごとの受け入れ人数等の具体的検討数値も無く、上限規定も無い。

3. 自民党内部にも政府が目指している来年4月施行はどう考えても無理があるのではないかと考えている議員も多い。

4. 案としては、以下の通り、現在の研修制度を特定技能1号と2号に分け、労働力人口を増やそうと言うもの。政府は、移民政策は、取らないとしているが、これは、労働力確保の名目での新たな移民政策を取っていることに等しい。



確かに、将来、労働力不足に陥る可能性は、否定しないが、文化の異なる民族を急激に増やすと、多くの軋轢が生じ、現在の日本文化が変わり、多様性のある新しい日本文化を創造するメリットはあるものの、軋轢、治安悪化をもたらすだけの結果にしかならない危険性がある。

従い、自国民の失業、文化的摩擦、治安問題を解決しながら、制限付き、段階的に受け入れを緩和して行く方法の具体的検討をする為の挙党体制での委員会を立ち上げ、慎重に具体策を検討してゆく必要があろう。政府は、この法案を今期国会で拙速に通過させることを考えている様だが、将来の日本のあるべき姿、この制度の問題点等々を充分検討した上で対応して行って欲しい。

そして、日本での更なる世界のグローバル化が進み、異なる文化への受容と理解が順次進んだ段階で、自由に外国人を受け入れ、新たな日本文化を作り上げて行くのが寛容と考える。

以上








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済学とは、どんな学問であるか

2018-04-02 | 論及
1960年代末から1970年代始めに掛け、ソ連や他社会主義国の地位はまだ堅調であり、日本に於いても社会党が最大野党の地位を占めていた。当時、全共闘を始め学生運動も盛んであり、日本の経済学と言えば、マルクス経済学が近代経済学と互角の地位を占めていた。

しかしながら、1980年代末期から1990年代始めにかけ、ソ連始め東欧諸国の社会主義体制が崩壊、東欧諸国は、自由主義に移行し、マルクス経済学は、日本の経済学内部においても徐々にその地位を失う事になった。

廃れ行く社会主義を目の当たりにして、マルクス経済学を学んだ私に取って、経済学が社会を見る判断材料として役に立つのだろうか、経済学を学ぶとはどう言うことか、またどの様な学問なのであろうか、答えが中々見え出せないままであった。





先日、友人と話をしていた折、元立教大学教授の山田耕之介先生(2009年3月逝去、79才)がこのことを明確に語っており、その考え方が今でも同大学では引き継がれていると言う。どんな内容の論及であるか興味があったので、その友人の伝手で、この論文に接することが出来た。

この論文は、『経済学とは、どんな学問であるか』と言うタイトルのもので、同氏の退官にあたり、ゼミの学生に講義したものを纏めたものらしい。論文は、ケインズによる「若き日の信条」「我が孫たちの経済的可能性」「アルフレッド・マーシャル」のテキストに依りながら纏めた内容となっており、経済学は、どのような学問なのか、経済学の現状はどうなっているのか、経済学と数学との関係、ケインズの経済学、マーシャルの経済学は何をめざしていたか、について論じている。

マーシャル、ケインズが、とともに目指していたのは、『モラル・サイエンス』としての経済学であり、経済学は、自然科学的思考を排して一定の価値判断に基づいた社会科学であるとしている。更に、同氏は、「経済学と倫理学」「経済学と経済学者」「経済学と数学」と言うの3つのテーマを論じながら、経済学とは何かの議論を補強している。

ケインズは、経済学を倫理的に最高善と考える社会を実現するため、経済的豊かさを追求するための学問とみなしていた。この思想は、快楽の追求と効率の重視に重きをおくベンサム主義を排除した「有機的統一の原理」であり、自然科学的思考を排し、「内部洞察力」を働かせた一定の価値判断に基づいた社会科学であると論じている。

マーシャルは若いころ聖職者を志ざし、自然科学(数学,物理学)が得意であった。マーシャルは、経済学が絶えず変化する現実と人間集団を対象としていることで、この学問はモラル・サイエンスでなければならないと考えていた節があると論じている。そして、同氏は、社会主義体制の崩壊からただちにマルクス経済学の終焉をいう経済学者について批判的であり、経済学が現実分析に無力であることを指摘しつつ、最後に経済学は、『モラル・サイエンスである。』と結論づけている。

経済学が無力なのは、それが自然科学を範とする「科学主義」に傾き、数量分析をもちあげ現実から遠ざかり、研究者が人間社会にそれほどの関心がないまま「数理モデル」操り現をぬかしているからであるとしている。経済学に於いて数学を利用する統計学等は量的性格の強い科学であるということを除けば、経済学の本質に迫ることが不可能であったとし、大事な事は、経済量をいかなる根拠、価値判断のもとに質的な存在として理解し、その性格をどのように規定するかにつきるとしている。質とは「その事物を特徴づけるさまざまな性質の総体」と考えられているので、質とは事物そのものであると述べている。

従い、私たちは、「内部洞察力」を働かせ本質にせまり、常に現実を正しく見ることが必要なのであり、経済学は、その為に、一定の価値判断を与えてくれる社会科学であり、『モラル・サイエンス』なのであろう。これで、今迄、喉に痞えていた骨が取れた。

以上



<参考>
1.アルフレッド・マーシャル(1842-1924)

ケンブリッジ大学教授を務めたイギリスの新古典派経済学者。社会正義を主張したジョン・スチュアート・ミルに共鳴し、人間の内面的な幸福・豊かな生活を得るための最善策を考えた。ミクロの価格理論などの分析手法を用いて、労働者の低賃金を高くする、或いは過酷な労働を和らげることを目標としたのがマーシャルの経済学である。ケインズは、彼のケンブリッジでの学生。



2.ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)

20世紀を代表するイギリスの経済学者。『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1935年 - 1936年)では、不完全雇用のもとでも均衡は成立し得るとし、また完全雇用を与えるための理論として、有効需要の原理を基礎として、有効需要の不足に基づく失業の原因を明らかにした。
ケインズは、不況下では、金融政策は効果的ではなく、消費を直接的に増やす財政支出政策が最も効果があると主張。ケインズの有効需要創出の理論は、大恐慌に苦しむアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領によるニューディール政策の強力な後ろ盾となった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キリスト教と欧州文化

2017-03-07 | 論及
ドイツに住んでいた際、欧州各地への旅を余りしなかった。それは、端的に言えば、欧州はどこへ行っても“教会”と各時代の王族の“宮殿”と言うお決まりの観光場所が多く、キリスト教徒でも無い私の興味を引かなかったからである。確かに歴史好きには、過去に思いを巡らせられる楽しみがあり、何回行っても楽しいのかも知れない。私には、ざっと見れば良いと言う思いであった。



欧州を初めて訪れた人は、荘厳な教会や宮殿の大きさに圧倒され、古くからの建物の美しさに魅了されるであろう。とりわけ古い町並みが残るドイツは、安定した財政基盤と産業競争力を誇り、国際政治の中で際立っている。欧州は、キリスト教と言う共通の倫理観を共有しており、“キリスト教と欧州”と言う側面から歴史を紐解けば、欧州に於ける教会や宮殿の意味と現在の欧州の行動様式がある程度理解出来るのではないかと思われる。従い、ドイツを中心に”キリスト教と欧州文化”について考えてみたい。


1.歴史・文化的根源:
・歴史的には、欧州人は、ラテン系、ゲルマン系等の違いがあるものの、どの民族に於いても、ローマ法王を中心とするキリスト教文化圏であり、このキリスト教が欧州人の
倫理的基準を作り、そこから欧州文化が生れたのは歴史が示す通りである。

勿論、その発展過程において、フランスでは民衆の政治改革に繋がりフランス革命に、一方、各自の内面に伝わったドイツでは、悲観主義的保守主義、ロマン主義に、と言う違いはあるものの、その倫理基準や彼らの心の寄り処は、常にキリスト教と伴にあったが、このキリスト教的倫理観が、欧州的文化、欧州人の精神を形成していったことは
明らかである。特に、ドイツに於ける宗教改革後のプロテスタンテイズムは、従来の考え方を一変させ資本主義の発展に大きな役割りを果たした。プロテスタンテイズム(カルバ二ズム)は、封建的な身分・職業秩序を肯定し自由な利潤追求を神学的にも倫理的にも正当化したことで、資本主義精神を発展させたのである。その意味に於いて、現在の欧州人の精神や生活は、神を前提とした生き方が生きずいている。



・ドイツ文学の歴史からも分かる通り、欧州の文学者の多くは、宗教を学び、その中から人間の愛や苦悩を彼らの文学の中に描いており、その多くの作品の中に、キリスト教に根差した思想、精神が混入された作品となっている。勿論、その過程の中では、非キリスト教的な神話、言い伝え等があっただろうが、グリム兄弟の集めたグリム童話の様に大衆に受け入れ易い内容に変えられ、民衆に浸透していったのである。

・特に、ゲーテの「ファウスト」は、人間の生き方、人間観を悪魔との契約と言う方法(=神との対比で表現)で描いており、この作品こそが、キリスト教文化に根差した代表例である。

2.日常に於ける欧州文化:
・我々の日常生活の中でも、欧米に行くと、彼らは、驚いた際“Oh My God!”と叫び、何かにつけ“God Bless You!”と言うのはその表れであり、欧米人に取って、教会とは、荘厳な建物と言った意識ではなく、彼らの精神の寄り処として位置し、生活の中で宗教を見近じかに感じさせている存在なのであろう。我々日本人は、宗教的に余り熱心で無く(私だけかも知れないが)、新年に神社にお参りし、お寺やお墓で先祖にお祈りする
程度の信仰心しか持ち合わせていない。日本人の固有の倫理観は、恐らく、自然崇拝、武士道、天皇制等々から来ているのかも知れないが、欧米では、大衆の心の中にキリスト教倫理観が大きな位置をしめており、キリスト教文化が、欧州人の基礎として歴然として存在している。従い、我々アジア人が欧州を訪れた際に”欧州は、どこに行っても教会だらけ“と感じる所以であろう。



トーマスマン(1875-1955)は、1945年の米国での講演「ドイツとドイツ人」の中で、ドイツ人は田舎者で、臆病で、中世の文化遺産が残っており、ロマン主義から国粋主義を生んだ悪魔的芸術、思想家を生んだ二つのドイツ的本質が存在し、それが現在のドイツを創り上げているとしている。そして、ゲーテの言う、道を誤っても、正しい道に戻ろうとする態度がドイツを国際的主流の立場に置いているものと思う。そしてその基礎は、長い年月が経過したにも係らず今なを脈々と欧州人に受け継がれているのかも知れない。そして、これらキリスト教的倫理観が欧州人の精神を創り、資本主義社会発展の基礎となり、現在の欧州を作り上げて行ったものと思われる。


そう考えると、欧州どこに行ってもあちこちに教会や宮殿があるのを理解でき、そのキリスト教を通じ欧州文化が形成されていったのである。キリスト教は、彼らに取っての倫理基準であり、生活の中心にあり、自らの存在そのものであり、欧州に行くと、多くの荘厳な教会と宮殿を目にし、今なを欧州人の心の拠り所として存在し続けているのである。

そして、このキリスト教的倫理観が、欧州人の国際政治や行動基準となり、自由、人権、博愛、民主主義の根幹となり、資本主義の基礎を築き繁栄を謳歌して来たものと思われる。





歴史、個別文学・思想から見ると以下の様になり、ここからも読み取れる。歴史、文学・思想史からもみてみよう。

( I )歴史:

古代
紀元前    北方バルト海方面からゲルマン人が南下、先住ケルト人を追い出した。
更に、ローマ人がドイツ西部に住み着いた。
(日本:紀元前1000頃から縄文文化)

紀元後(9年)  キリスト誕生後、アウグストウスが初代ローマ帝国皇帝に就き、ローマ
帝国が欧州全体を支配していった。



4世紀以降(375年) ゲルマン民族の大移動が始まる。ドイツのあちこちに散らばる。

5世紀 (476年) ローマ帝国の分裂を経て、西ローマ帝国が滅亡



(481年) フランク人が王となり、フランク帝国に受け継がれた。このフランク帝国は、「キリスト教的世界国家」と意識され、その後「神聖ローマ帝国」に受け継がれていった。この頃からローマの司教たちは、教皇としての権威を増し自らをキリストの代理者として権力を持つようになった。



(800年) カール大帝がローマの帝冠を受け、ヨーロッパを収めた。即位したカール大帝は、異教徒たちにキリスト教を強い、従わない者を次々に殺害し、キリスト教を広めるのに成功した。封建制度が定着。

その後、西フランク帝国はフランスとなり、東フランク帝国は、神聖ローマ帝国へと繋がる。



(962年) オットー1世のローマ帝国の載冠により、神聖ローマ帝国が誕生した。

11世紀      新たなキリスト教徒の社会がスカンジナビアからクリミヤにドナウ川
         からヴォルガー上流に至る東ヨーロッパにも広がる。


中世
13世紀      封建制度下での宮廷文化が栄え、世俗的、快楽主義的になる。キリスト教と騎士道が同化、無秩序状態が制限される。



14世紀(1347年)  ボヘミヤ王カールが王位に就き神聖ローマ帝国皇帝に即位。



15世紀(1438年) オーストリアのハプスブルグ家が即位。その後は帝位を独占。

    (1453年) 東ローマ帝國滅亡(日本:1467応仁の乱)


近世
16世紀初(1515年) 宗教改革が起こる。この直接の引き金となったのは、教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂の建築のための免罪符を発売したことである。免罪符はローマ教会の影響下にある地域全体で大々的に発売され、とくに神聖ローマ帝国支配下のドイツにおいて説教師が盛んに免罪符を販売。本来、罪の許しに必要な悔い改めなしに金銭による免罪符の購入のみによって償いが行えるという考え方は議論を呼び、批判も根強かった。この考え方に批判的だったのが、ヴィッテンベルク大学神学教授のルターであった。

(1517年) ルターは、ローマ教会に抗議してヴィッテンベルク市の教会に95カ条の論題を投げ掛けた。これが、一般に宗教改革の始まりとされる。この免罪符批判は大きな反響を呼んだ。批判はまたたくまに各地に拡大した。当初ルターは、あくまでもカトリック教会内部の改革を望んでいたのだが、対立は先鋭化

(1520年) 教皇レオ10世はルターが自説の41か条のテーゼを撤回しなければ破門すると警告したが、ルターはこれを拒絶。同年12月に回勅と教会文書をヴィッテンベルク市民の面前で焼いた。

(1521年) ルターは破門され、ここでルターはカトリックと完全に絶縁、新しい派を立てることとなった。ルターの宗教改革(1486-1546)で神中心から人中心に変わると、啓蒙思想が、欧州全体に浸透していった。この啓蒙思想が、神中心の感性の世界から理性中心の合理的な世界へと人々を誘導していった。



17世紀      未だ絶対王政とバロック様式全盛の時代であったものの、地方分権的なドイツ社会では、市民革命を引き起こす迄には至らず、この啓蒙思想が専制君主経由分散して民衆に精神革命として浸透し人々の心の中に広がって行った。やがて、シュトウルム・ウント・ドラッグ運動(非啓蒙主義)→ロマン主義文化を生み、精神の世界で非政治的、非現実的ありかたに誇りを感じさせ、キリスト教文化を基礎に、思想、文学、音楽等を生み出していったのである。




近代
18世紀(1789年)  フランスでは、ルイ14世(1638〜1715)が統治していたが、啓蒙
思想がナポレオン(1769-1821)の出現とともに市民革命を引き起こした。

19世紀(1871年)  ドイツ帝国成立



20世紀(1904〜5年) 鉱工業や化学工業を中心に成長、それまでヨーロッパの最先端に
あった英国の経済的地位を脅かす。資本主義が発達したドイツは、市場を求めて帝国主義的拡張政策を展開するようになる。既に多くの植民地を獲得していた英国やフランスと対立。
          (日本:1904日露戦争)

(1914-1918年) 第一次大戦、
          (日本:1923関東大震災、1931満州事変、1937日中戦争勃発)

(1939-1945年) 第二次大戦、ドイツ的気質が近代化を盛行させ、現在のドイツを創り上げる。
          (日本:1941太平洋戦争)
現代 現在に至る。





次に、文学、思想史から見てみよう。

( II ) 文学・思想史:
a.文学:
・12・13世紀のローマ帝国時代のこの地域は、未だドイツ語が存在せず、地方の言語、ラテン語が使用されていた。

・ドイツ16世紀後半になってもドイツ語は、30%使用される程度であったが、17世紀初めの30年戦争(1618〜1648年)を経て、18世紀の初めに70%、18世紀末になり、漸く、ドイツ語がこの地域でほぼ100%使用されるようになったのである。

・ドイツ的な文学作品としては、以下が代表的なものがある。
  1)12・13世紀(1150〜1250) 封建期の文学
    「ニーべルング詩」1200、作者不詳

     ・5世紀のフン族の王アッチェラのヨーロッパ侵入とブルグント王国の滅亡
      の歴史にジークフリート伝説が加わった内容
     ・宮廷文学、騎士道
     ・大悲劇作品

  2)17世紀頃 啓蒙思想、絶対王政とバロック時代の文学
    「阿呆物語」1600、グリンメルス・ハウゼン(1621-1676)

      ・純粋無知な少年が勉学、キリスト教を学ぶ
      ・やがて眼から鼻に抜ける利口者になり主人公の生涯を描く

  3)18〜19世紀の変わり目頃 古典主義文学
    「若きウエルテルの悩み」 ゲーテ(1749-1830)
      ・不幸な恋愛によるウエルテルが自殺する話
      ・虚飾を排し、自己の内部から湧き出るものを重んじ人間として自己を
       生かし生きるが、社会がそれを許さないことを悩む。
      ・精神的作品
     「ファウスト」 ゲーテ

      ・第一部(1808)、第二部(1832)
      ・人間としてあらゆる知識を得たが、自分に失望している老学者
       ファウスト。
      ・色々学んだが、自分の愚かさに気づき、反省し悪魔と「如何なる
       不満も言わない」と契約を結ぶ。
      ・人間は、常に迷うものであり、神と悪魔が対立関係に立ち、二つの
       魂が常に宿っているが、良い人間は、曇った衝動の中でも正しい道を
       自覚していると表現している。
      ・時空に係らず、我々を力づけてくれる積極的な人間観を表現して
       いる。
      ・その人間をファウストで表現しており、人間のありかたを見定め、
       表現している。


  4)グリム童話 
     「グリム童話、1812初版」ヤコブ・グリム(1785-1863)& ウイルヘルム・
     グリム(1786-1859)

      ・元々昔から伝わる物語や神話を纏めたものだが、童話は、反キリスト
       教的なものとして存在していた。
      ・熱心なキリスト教徒であったグリム兄弟は、原文に忠実に
       ありながらも、これをキリスト教徒にも受け入れ可能な内容に
       変え童話集として出版した。
      ・シンデレラ、白雪姫、赤ずきん等々我々の良く知る童話も、苦難の
       少女が最後に王子様とハピイーエンドになったり、王妃に毒りんご
       を食べさせられ復活するとか、意地悪なオオカミに食べられて
       しまうとか、妖精、悪魔、辛苦からの救い等々のキリスト教徒の
       大衆が受けれ安い内容となっている。

  5)20世紀を代表する文学
     「魔の山」 トーマス・マン(1875-1955)

      ・主人公のハンス・カストルプは長い療養生活の中で、様々な
       人物に出会う。
      ・病人達の人間模様を描く。文明、絶望、善と悪、愛とは、
       対立する思想を議論する中で、主人公は自分なりの真理を
       発見する。
      ・教養小説

     「ヨセフとその兄弟」 トーマス・マン
      ・兄弟によって古井戸に投げ込まれたヨセフは、助けられ、
       奴隷としてエジプトに売られる。ファラオの役人の
       ポティファルに買い取られたヨセフは頭角を現わし
       ファラオの信認を受ける。
      ・兄弟がヨセフに救いを求めるが、恨みを晴らす訳でなく、
       兄弟、親に慈悲を与える物語。
      ・旧約聖書に材を取った小説で、人間の深層心理を描いている。
      ・精神的作品

 

b.思想・音楽:
・カント(1724-1804)、ヘーゲル(1770-1831)、ニーチェ(1844-1900)、マックス・ウエーバー(1864-1920)、ハイデッカー(1889-1976)等の多くの思想家を生んでいる。

・カントの「純粋理性批判」理性=私は何が出来るか、「実践理性批判」行動=私は何を
すべきか、「判断力批判」判断=私は何を望むことを認められるか、3著書に表現されている。カントは、理性を超え行動し自然の美を美しいと感ずる感性を持たねばならないとし、
感性の重要性を説くと同時に、理性だけでは、問題を解決できないとしている。宗教(=キリスト教)の存在をも否定していない。

・マックス・ウエーバーも「プロテスタンテズムの倫理と資本主義の精神」の中で、プロテスタンテズム(カルバン主義)が資本主義社会発展の基礎を創ったと述べており、これが現在の欧州の発展の基礎であり、欧州人の心の中心にあるとしている。


・芸術分野を見ても、バッハ(1685-1750)、モーツアルト(1756-1791)、ベートーベン(1770-1827)等の偉大なる音楽家は、何れもキリスト教会、宮廷からの影響を多く受けて
おり、特にバッハの音楽は、キリスト教文化から生まれたと言っても過言でなかろう。



以上の通り、ドイツでは、キリスト教精神→宮廷文化(騎士道)→啓蒙思想→シュトウルム・ウント・ドラッグ運動(非啓蒙主義)→ロマン主義文化を生み、精神の世界で非政治的、非現実的ありかたに誇りを感じさせ、キリスト教文化を基礎に、
思想、文学、音楽等を生み出していったが、どの時代に於いてもキリスト教が市民の生活に入り込み、これが時代と共に変遷、時には利用されつつ欧州を作り上げて来ている。更に、自由、平等、博愛、資本主義精神が醸成され、現在の欧州を作り上げていったものである。


以上、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドイツ的とは何か?

2016-09-01 | 論及
ドイツに永年住んでいたものの、この質問に中々答えられない。メルケル首相率いる今のドイツは、国際政治の中で際立っており、ギリシャ危機への対応、難民受け入れ表明、テロ対対策、安定した財政基盤と産業競争力を誇っている。歴史的に見ても、多くの音楽家、哲学者を排出しており、それがどこから来るものなのか、何か独自のドイツ的気質がそうさせているのだろうか。

良くドイツ人は、理屈っぽく細かい、綺麗好き、また難しく、内面にこもる二重人格だと言われている。何がそうさせているのか、ドイツ的本質に迫ってみたい。彼らの行動が何に基づいたものか考える為に歴史、文学史から考えてみたい。

( I )歴史:
・元々欧州は、紀元前に北方バルト海方面からゲルマン人が南下し、先住ケルト人を追い出したところから始まり、加えてローマ人がドイツ西部に住み着くことから始まった。紀元後、9年にアウグストウスが初代ローマ帝国皇帝に就き、ローマ帝国が欧州全体を支配していた。

・4世紀以降(375年)、ゲルマン民族の大移動が始まり、ドイツのあちこちに散らばり定住、ローマ帝国の分裂を経て、476年に西ローマ帝国が滅亡し、481年フランク人が王となり、フランク帝国に受け継がれた。このフランク帝国は、「キリスト教的世界国家」と意識され、その後「神聖ローマ帝国」に受け継がれていった。

・ここから中世が始まる訳だが、800年には、カール大帝が、ローマの帝冠を受け、ヨーロッパを収め、その後、962年オットー1世のローマ帝国の載冠により、神聖ローマ帝国が誕生。

・12世紀〜13世紀の封建期には、未だドイツ語が使われておらず、ドイツ、ドイツ人としての意識は無かった様だ。




・その後、14世紀にボヘミヤ王カールが王位に就き神聖ローマ帝国皇帝に即位、オーストリアのハプスブルグ家が帝位を独占していた。

・16世紀初めには、ルターの宗教改革(1486-1546)で神中心から人中心に変わると啓蒙思想が、欧州全体に浸透していった。この啓蒙思想が、神中心の感性の世界から理性中心の合理的な世界へと人々を誘導し浸透していった。

・17世紀は、未だ絶対王政とバロック様式全盛の時代であったものの、地方分権的なドイツ社会では、この啓蒙思想が専制君主経由分散して民衆に精神革命として浸透していった。更に啓蒙思想→シュトウルム・ウント・ドラッグ運動(非啓蒙主義)→ロマン主義の風土を生み出し、この新しい動きが、多くの音楽家、思想家を生み、やがてドイツ的と言われる状況を生み出したものと思われる。

・フランスは、ルイ14世(1638〜1715)が統治していたが、フランスでは、この啓蒙思想がナポレオン(1769-1821)の出現とともに市民革命(1789)を引き起こした。ドイツでは、17〜18世紀まで小国が多く存在していた為、市民革命を引き起こす迄には至らず、人々の心の中に広がって行った。この内面への広がりが、ドイツ的本質に潜む源流となったものと思われる。フランスと比較すると以下の違いとなっている。

   ドイツ流        フランス流
   文化          文明
   魂           精神
   詩人          文士
   音楽的市民       文学的ブルジョア
   悲観主義的保守主義   改良主義的急進主義
   芸術的形成       知的批判的分析

・第一次大戦、第二次大戦を経て、その気質が近代化を盛行させ、現在のドイツを創りあげたものと思われる。


( II ) 文学史:
・12・13世紀のローマ帝国時代のこの地域は、未だドイツ語が存在せず、地方の言語、ラテン語が使用されていた。

・ドイツ16世紀後半になってもドイツ語は、30%使用される程度であったが、17世紀初め30年戦争(1618〜1648年)を経て、18世紀の初めに70%、18世紀末になり、漸くドイツ語がこの地域でほぼ100%使用されるようになったのである。

・ドイツ的な文学作品としては、以下が代表的なものがある。
  1)12・13世紀(1150〜1250) 封建期の文学
    「ニーべルング詩」1200、作者不詳、
     ・5世紀のフン族の王アッチェラのヨーロッパ侵入とブルグント王国の滅亡の歴史にジークフリート伝説が加わった内容
     ・宮廷文学、騎士道
・大悲劇作品

  2)17世紀頃 啓蒙思想、絶対王政とバロック時代の文学
    「阿呆物語」1600、グリンメルス・ハウゼン、
      ・純粋無知な少年が勉学、キリスト教を学ぶ
      ・やがて眼から鼻に抜ける利口者になり主人公の生涯を描く

  3)18〜19世紀の変わり目頃 古典主義文学
    「若きウエルテルの悩み」 ゲーテ
      ・不幸な恋愛によるウエルテルが自殺する話
      ・虚飾を排し、自己の内部から湧き出るものを重んじ人間として自己を生かし生きるが、社会がそれを許さないことを悩む。
      ・精神的作品


     「ファウスト」 ゲーテ
      ・第一部(1808)、第二部(1832)
      ・人間としてあらゆる知識を得たが、自分に失望している老学者ファウスト。
      ・色々学んだが、自分の愚かさに気づき、反省し悪魔と「如何なる不満も言わない」と契約を結ぶ。
      ・人間は、常に迷うものであり、神と悪魔が対立関係に立ち、二つの魂が常に宿っているが、良い人間は、曇った衝動の中
でも正しい道を自覚していると表現している。
      ・時空に係らず、我々を力づけてくれる積極的な人間観を表現している。その人間をファウストで表現している。ファウスト
は、人間のありかたを見定め、表現している。

以上の歴史的観点から分かる通り、キリスト教精神→宮廷文化(騎士道)→啓蒙思想→シュトウルム・ウント・ドラッグ運動(非啓蒙主義)→ロマン主義文化を生み、現実生活の思いを断って、精神の世界で独立し、非政治的、非現実的ありかたこそ、自分達を他から区別し、そこに誇りを感じさせたのである。そして、ドイツ人の知識人層は、こういう非現実性においてこそ自らを高しとしたのである。

・この悲観主義的保守主義が、自己の内部に向かわせる気質を育み、ドイツ的気質、精神を生んだ様に思われる。自己の内部に向かわせるこの気質は、カントの以下3著書に表現されている。カントは、理性を超え行動し自然の美を美しいと感ずる感性を持たねばならないとした。
1)「純粋理性批判」理性=私は何が出来るか?
2) 「実践理性批判」行動=私は何をすべきか?
3)「判断力批判」判断=私は何を望むことを認められるか?

・思想分野では、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデッカー等の思想家を生み、更に、芸術分野では、モーツアルト、ベートーベン、バッハ等の偉大なる音楽家を生んだものと思われる。

・ヒットラー時代のアイヒマンに対する戦後裁判でも分かる通り、啓蒙思想が、一時は、官僚主義に利用されたものの、非現実性においてこそ自らを高しとしたドイツ的気質、本質が、それを修正し、そのドイツ的精神、思想、芸術に生かされ、現在に至っているものと考える。そう考えると、ドイツにモーツアルト、ベートーベン、バッハ等の芸術家、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデッカー等の思想家を多く生んだ理由も理解出来る。




トーマスマンは、1945年の米国での講演「ドイツとドイツ人」の中で、ドイツ人は田舎者で、臆病で、中世の文化遺産が残っており、ロマン主義から国粋主義を生んだ悪魔的ドイツと芸術、思想家を生んだ二つのドイツ的本質が存在し、それが現在のドイツを創り上げているとしている。

そして、ゲーテの言う、道を誤っても、正しい道に戻ろうとする態度がドイツを国際的に主流の立場に置き、これらがドイツ的、ドイツ的本質と言われるものでなかろうか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舛添東京都知事の辞任問題で思うこと

2016-06-16 | 論及
週刊文春に取り上げられた東京都の舛添知事の知事就任前の政治資金流用疑惑に端を発し、6月15日、舛添知事は、遂に辞職に追い込まれた。知事就任後の問題として指摘された内容は、非常に些細なことで、公用車での別荘通い、公用車を利用しての家族とのプロ野球観戦・音楽鑑賞、海外出張時の飛行機ファーストクラスやスイートルームの利用等の問題であった訳だが、政治資金流用問題以外は、改善の意志さえ示せば良い様な問題であり、辞任に追いやる程の内容でも無いと思われる。



勿論、政治家としての姿勢としては、些か問題はあるものの、東京都の判断で安全上問題があると判断されれば、公用車で音楽・野球観戦するのも何ら問題は無い筈である。家族を載せて毎週の別荘通いも度が過ぎれば問題かも知れないが、使い方によっては知事を辞任するまでの問題でもなかろう。小さな国家の予算に匹敵する予算を持つ東京都の知事であり、ファーストクラスに乘ったり、高級ホテルに滞在したことが辞任に追いやる理由にはならない筈である。確かに、税金を無駄に使い、浪費していることは確かだが、その結果、今回、東京都知事選挙となり、50億円もの費用が追加で掛かることになってしまい、かえって無駄使いになったのではなかろうか。

知事就任前の政治資金流用問題で知事の資質を問い、50億円を払っても首を据え変えるべきだ、と言う人もおられようが、私には、どちらが税金の無駄使いか良く分からない。

勿論、無駄使いは問題であり、それを改善させることは必要である。ここに至るまでの間、自公、新進党、共産党の都議会議員は何をしていたのか些か疑問に思う。メデアの反応で初めて動き、皆んなで「いじめ」の様にも思えるやり方で「お前が悪いと」辞任まで追いやることが必要だったのか私には分からない。

連日、テレビ、新聞等全てのメデアが一斉にこの問題を報じ、多くのコメンテーターがここぞとばかりに、問題だと言いテレビに出まくっていた。そして彼らは一様に一般視聴者の喜ぶコメントをし、反対側から見たコメントを全くしない。正にポプュリズムを狙った大衆迎合主義が見え隠れする恐ろしさを感じたのは、私だけであろうか。



日経新聞に掲載された知事経験者のコメントすら真正面から反対する意見を言う識者がいないのも恐ろしさを感じたが、ただ、片山善博氏のコメントが冷静であり、唯一救われた。


北川正恭 元三重県知事
 辞める以外にない。議会が知事を追い詰められていない。辞めると言わざるを得ない環境を議会が作るべきだった。

増田寛也 元岩手県知事
 状況を把握できない大局観の無い人だ。リオ五輪まで猶予も誤りだ。潔く知事の座を降りるべきだ。

片山善博 元鳥取知事
 謙虚に一つ一つ正して行けば致命傷にならなかった筈である。都民の支持を失った。議会側も前に厳しくチェックし修正を求めるべきだった。知事を擁立した与党会派の責任も多きい。



舛添知事の行動は、このままで良いのか、是認するのかと聞かれれば、正すところは正す必要があると思っている。ただ、これは、舛添知事の問題でもあるが、片山元鳥取県知事の言う様に議会側の問題でもあり、議会がもっと厳しくチェックし修正を求めるべきだった。

今回は、既に辞任に追い込まれてしまったので、これ以上、舛添知事の疑惑、都議会の問題・態度、マスコミの報道の在り方等に関し良い悪いと言うつもりは無いが、一つだけ言いたいのは、失敗した人を許容するカルチャーだけは失わないで欲しい。



連日面白可笑しく報道される不倫問題、学歴詐称問題、賭博・薬物問題と次から次へと繰り出される著名人たちのスキャンダルはメディア的には間違いなく金の成る木である。これらの出来事を臨場感のある物語に仕立て、面白可笑しく編集し売ろうとするメディアと、賢人面して酒のつまみにする大衆の方々に考えて欲しい。



一連の報道において、皆、多かれ少なかれ人生の進路を変更せざるを得ないほどの致命傷を負った人達は多い。その致命傷は、スクープという形で問題を表面化させたメディア側と受け手である国民側が負わせたものである。

法律に違反したり、倫理に反することをしたなら、その償いをさせればいい。しかし失敗した人にもう一度チャンスを与える社会が必要である。失敗した人を許容するカルチャーだけは失わないで欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哲学のすすめ

2015-12-22 | 論及
哲学と言うと何か難しいようにも感じるが、物事を認識し考えることが哲学であり、いわば、「物事の存在をどう認識し」「どう考えるか」を語っているものであり、何も特に身構える必要もなく、要は、深く考えることが哲学することである。従い、哲学は、人間がこの世に生まれた時から存在しており、哲学することは大切なことであると言えよう。

哲学者と言われる人物は、色々いるが、夫々の哲学者が自分の感ずることを考え、述べ伝えている。紀元前600年前には、古代ギリシャのタレスが、「あらゆる事物の起源」を、500年前には、パルメニデスが、「存在するものが存在する。思考することで存在を認識し、無は認識できないので存在しない。」と存在することと思考することの同一性を説いた。




紀元前469~399年にソクラテスが、人を欺くものを退け真の善を知り意志することを、427~347年にプラトンが、魂が真理を再び思い出し再認識する(=想起説)認識と精神によって把握され言語によって表される実在(魂によって見る本質=イデア論)を、更に385~322年にその弟子アリストテレスが、知への欲望と自然的実在(先入観を排除した理論的認識)について説いている。




中世哲学(紀元300~1400)においてもアウグステイヌス、トマス・アクイナス等々生きる術としての哲学があったが、西洋においてキリスト教が絶対的な神を導入したことで古代の世界観は変わった。哲学は、キリスト教と同一の真理を追究するものとして信仰を理性的な言葉で語るものとなり、神学者の論理形式を組み立てる道具となり、変遷していったものの、矢張り、人間自身の生と存在に関することを考えていたことに変わりは無い。




「われ考えるゆえに我あり」で有名なデカルト(1596~1650)は、実証的近代科学を可能にする条件の基礎を確立した人物であり、我々現代人の世界観(=科学的合理性)の原型を掘り起こした人物である。全てが懐疑にかけられ、慣習・先入観への疑いを基とに思考する限りにおいて私は存在し、本質のうちに現実存性が存在するので良識を理性により見抜くことで存在が認識されると述べている。



若干、これら先人達の言説は言説として、現代に当てはめて考察することも大切である。私が、驚いたのは、キルケゴール(1813~1855)とマックス・ウエーバー(1864~1920)である。キルケゴールの「現代の批判」やマックス・ウエバーの「プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神」「職業としての政治」「職業としての学問」は、100~150年以上前の著書だが、現代社会を言い当てており、今でも非常に参考になっている。



いずれも現代社会に生きる人々に対する生き方への問題を「批判」、「官僚制」として表しており、一度、熟読することをお勧めしたい。さあ!我々も過去の先人達を学び、哲学をしようではないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厄介な問題、こちらの方がもっと厄介かも知れない。

2015-09-23 | 論及
安保法制が国会の審議を受け成立した。評価は、それぞれの立場によって異なるだろうが、憲法改正には、時間と労力が掛かり、待った無しの安全保障体制を整える必要がある中で日本の主権を守る為に、憲法問題はあるが致し方ないと感じている。

今週は、また一つ厄介な問題が生じている。沖縄の翁長知事がスイスで開かれている国連人権理事会で、米軍基地が集中する現状を『人権侵害だ』と訴えた。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題で、日本政府を飛び越え、国際社会に『沖縄の米軍基地は、米軍に強制接収されてできた。日本政府は選挙で示された民意を一顧だにせず、新基地建設を強行しようとしている。』として、政府を飛ばし普天間飛行場の県内移設反対を国際社会に訴えた。

なぜ、県知事が、基地問題を政府ともっと真剣に議論をせぬまま、自己主張を繰り返し、政府との間で解決できないからと、拙速に、国際社会に持ち出したのか、私には理解出来ない。

勿論、日本政府としては、沖縄の民意を考慮し配慮する必要がある。ただ、日本政府が前知事が承認した問題を現知事の意向に沿わないと言う理由だけで、安全保障の問題を国際人権問題として取り上げ、国際社会にアピールすることは問題を残し、その行動には驚かされた。自由と民主主義を脅かすと主張しているが、私には、それを拡大解釈しているようにしか見えない。そもそも、何故、この様な行動するようになったのだろうか。翁長知事だけでなく、日本人の思考の歴史がそうさせている様に思える。非常に厄介な問題だ。

今の日本には、日本人を繋ぐ共通の意志疎通の場が無いように思われる。欧米では、キリスト教と言う共通の価値基準があったが、神道、仏教は、どの様な価値基準も吸収する独特の世界観を持っていることより、共通の価値基準を作り上げてはおらず、その為、共通の基盤が無く議論することで、お互いを相いれない状況を作り出している様な気がしてならない。戦前は、それを繋ぐものとして天皇が存在したのかも知れないが、今は、国民、小組織を繋ぐ役割は果たせていない。更に、共通の基盤が無いまま、お互いの分野で考え議論をするので、今回の翁長知事の様な行動が突然起こってくる様な気がしてならない。

言わば、各集団が内輪、よそ者と言う峻別をし、細かい組織に細分化された中でのみ価値を見出している、日本の近代化前の村社会の体質を引きずっているのではなかろうか。その結果、一つの集団の価値をそれぞれが求め、普遍的な価値を前提とした判断、問題解決に至らない様に思う。村社会の一つの集団が国際社会に繋がり、八方破れで、世界に向かって勝手に発言する、している様に感じる。従い、ナシヨナル・インタレストが国民の間に結ばれず、無視された状況を作り出しているのではなかろうか。更に、一つの集団の利益が確保されないと被害者意識を持ち、普遍的価値を持った行動でない今回の翁長知事の様な行動になるのではないかと思われる。

沖縄の基地は、戦後、基地が果たした役割も多いが、どちらかと言えば、色々な苦痛を沖縄県に負わせているのが実情であり、政府も真摯に沖縄と向き合って行かねばならないのは確かであり、ある程度の納得を得るまで話し合い、お互いの納得を得た上で進めるのが筋であろう。

世界のあらゆる地域で紛争が絶えない。紛争による難民も多く排出している。今日まで、平和な暮らしを続けて来られたのは、戦争リスクの低減で我々の経済発展を成し遂げた結果であるが、安全、平和、格差環境が大きく変わりつつある現在、平和ボケせずに、行動して行こうではないか。また、我々は、個の集団の利害から考えるのでは無く、普遍的な価値を十分考慮しながら我々の未来を切り開いて行かねばならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする