JTDの小窓

川崎市幸区下平間の鍼灸・手技療法『潤天堂』院長のあれこれなつぶやき

わんこ

2019-11-05 | 雑件
今週末にあたらしい家族(わんこ)がくることになった。

犬が好きな娘と、たまにペットショップをのぞいたりしていたが、


「飼わないよ?見るだけだよ」


と言い続けていた。


ここ数か月は、幼少期のトラウマから犬が苦手だった奥さんまでわんちゃんを希望していた。


「ねぇ…わんちゃんほしいよ」


と何度もお願いされていたが、


「ダーメ。飼うのはムリ」


の繰り返し。


僕が首を縦にふらなかったのは、

「娘がきちんと責任をもって継続してお世話することができるのか」
「娘や僕が日中留守にしている間、ほとんどの時間を犬が苦手だと言っている奥さんがみることになること」
「お金がかかること」
「吠えたりしてマンションの住人の方にご迷惑をかけたりしたらどうするのか」

などの理由。

そしてなにより、

「亡くなったときに自分がその悲しみ(哀しみ)、寂しさに耐えられるのか」

が、主な理由だった。


5~6歳くらいの頃、親戚の家で飼っていた犬が赤ちゃんを産み、その中の一匹をもらって育てることになった。
雑種で、真っ白なとてもかわいい犬だった。

夜、子犬をもらいに行った車での帰り道、僕の膝の上でおとなしく座り、外を眺め、通り過ぎる街灯にたびたび照らされる顔を、今でもはっきり覚えている。

当時は外に犬小屋をおいた外飼いで、親に叱られると犬小屋に入ってめそめそ泣いていた。
そんな時、その子はいつもピッタリとくっついて、涙をぺろぺろなめてなぐさめてくれた。

昭和58年5月5日、僕が16歳のときにその子は旅立っていった。

亡くなったときは、僕も母も姉も大泣きし、つらく寂しい思いをした。
(父は泣いたのかわからない。でも子供の前で涙をみせることはなかった)

大切なものが亡くなったときのあの気持ち。

命の大切さ・尊さを、このときたしかに学ぶことはできた。

でも、それからは自分で動物を飼うことはしたくないと思った。

もう二度とあの悲しい思いをしたくないと思ったから。

誰かが飼っている動物たちをかわいがることで、自分の動物を好きな気持ちを満足させていた。


娘が生まれた次の年、母が急に犬を飼いたいと言い出した。

孫が生まれて母性本能がまた動き出したのだろうか。

母がペットショップを軽い気持ちで覗いたときに一目ぼれしたわんちゃんが、今、院の二階の実家で飼われているマルチーズ(チロ)。

娘がうちの実家に来るとチロをかわいがったり、奥さんの実家では柴犬がいて田舎に帰るとあそんでいるが、どうもみんなになつくような感じとは違って感じるようで、自分が一からかわいがりたい様子。

一年以上にわたる娘の根気と奥さんの願いの本気度を感じ、わんちゃんにきてもらうことを決めた。

動物をかわいがることや心が豊かになること、生命の尊さを学んでくれたら嬉しい。

僕自身も子供の頃飼っていた犬(メリー)を思い出し、あたらしく迎える家族を大切に愛情いっぱい育てようと思う。

育てる覚悟を決められられなかったのは、理由にしていた家族ではなく、悲しむことをこわがっていた自分自身だったのかもしれない。















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