8/28朝、出勤後二階に住む親の元へ。
母から
「お父さんの具合が悪そうだ」
と聞く。
父はまだ就寝中。
父は8/19に初期胃癌の内視鏡手術のために入院し、20日に手術。25日に退院し養生中だった。
昼、往診に出かける準備をし、治療室のある一階と二階の実家をつなぐ階段下の物置をかたづけしていると、小さく呻くような声を上げながらトイレに行く父の声が聞こえてきた。
「やっぱり具合悪そうだな…」と思いながらかたづけを終え、階段を上がり父に声をかけた。
「大丈夫?」
「うまくいかないんだよ!」
強い口調で唸り声とともに返事が帰ってきた。
難聴があるため基本声が大きいが、イライラしたような声で、でも力が抜けたような声だった。
ふと床を見ると黒いものが落ちている。
「なんだ?」
最初、飼っている犬が廊下で粗相をしたのかと思った。にしても、形も色もこんな便はしたことがない。
注意して見ると、同じようなものが寝室からトイレにかけていくつも落ちている。
「便意を催してからトイレまで間に合わなかったのか…」
それにしてもコールタールのような真っ黒な便。
拭き取って見ると赤が混じっている。
「血だ!」
血便だと思った。
急いでトイレにいる父の元に戻り、
「ちょっと!大丈夫?開けるよ!」
と言い、扉をあけると吐血と下血で血まみれの父が座っていた。
近所のクリニックに出かけている母と、姉に急いで連絡。
そして救急車を手配。
父は意識も朦朧としてきて、血だらけの口から涎が落ちてきている。
脈も弱い。
出血性のショックに加え、サウナのようなトイレで環境も悪い。
「今救急車を呼んだよ!もう大丈夫だからね。安心していいよ。頑張って!」
声をかけてからとりあえず近くに置いてあった扇風機を回し、廊下の塊を片付け、救急車の到着を待つ。
母が帰宅。父を見ているように頼む。
救急車の隊員から連絡が入る。状況の説明と既往歴の確認、入院・手術していたことや、かかった病院についての質問を受ける。
診察券やお薬手帳の準備をするように指示を受け、まもなく到着するとのこと。
サイレンが聞こえ、外に出て誘導。
3人の救急隊員の方が手際よく父を運ぶ。
搬送先はまだ決まっていなかった。
救急車には母に同行してもらい、すぐに往診予定だった施設の受付に連絡をし、今日行けなくなった旨を伝えていただくようお願いし、そのまま私は父が営んでいる珠算・書道の教室にお休みの張り紙をしに車を出した。
母から搬送先の病院の連絡が入る。
先は入院していた病院。…よかった。
姉も出先から駆けつけ、妻と子供も病院へ。
救急処置室で治療を受け、その後ICUに入るとのこと。
病院に着き、ICU前の待合室で待機している家族と会って間もなくして、父が処置室から運ばれてきた。側臥位でイビキをかいて眠っていた。
担当してくれたDr.から病状と処置内容の説明を受け、今は安定したと言われ一安心した。
どうやら廊下に落ちていた便だと思っていた塊は胃からの大量の血液だったようだ。
面会を許可され入室。
眠っていたので顔だけみていたが、看護師さんが
「起きると思いますよ」
と言って声をかけたら目を覚ました。
「教室…」
開口一番、行くはずだった教室の生徒さんを心配していた。
「大丈夫だよ。入り口に張り紙してきたよ。心配いらないよ、ゆっくり休んでいいからね」
というと安心したようだった。
病院を後にし、みんなで近くのファミレスに行き、今回の経緯とこれからのことなどを話し合った。
次の予約の時間が近づいたので妻と子供は帰宅、母と姉を連れて実家に戻った。
姉は血だらけトイレと血だらけの下着を片付けてくれた。
夜、もう一度しばらくお休みする旨の張り紙をしに父の仕事先に行こうと思っていたら姉も一緒に来るというので同行してもらった。
車の中で教室の生徒さんの親から電話がきていたことを聞いた。
こどもたちは張り紙に気づかなかったらしく、親に連絡して見に来ていたらしい。
姉が電話を代わり、経緯を話すと
「小宮先生には本当にいつもお世話になり、ありがたく思っています。今年は暑かったですし、おからだも大変だったと思います。ご心配なさらずにゆっくり休んでくださいとお伝えください」
と、言っていただけたらしい。
鍵を開けて教室に入った。
お世辞にも綺麗とは言えない教室。
でも、父が頑張っているのがよくわかった。
仕事の帰りが夜になるので車の運転を心配し、家族からは
「80も過ぎたし、もうそろそろ考えたら?」
と言われても、
「俺の生きがいなんだよ」
と言っていた言葉が頭を巡った。
こどもたちや親御さんたちに感謝され、教えることを楽しみにしている気持ちがよくわかった。
私が実家の店舗で開業したのは、将来親に何かあったときにすぐに動けるようにするためであった。
今回の出来事は、まさに「何かあった」こと。
あのとき、階段下の物置にいて、父の呻くような声が聞けていなかったら、あるいは二階に顔を出さずに往診に出かけてしまっていたかもしれない。
母もクリニックの帰りにいつも行く喫茶店に入ったばかりのところだったので、帰宅するには30〜40分後になっていただろう。
今年、親にもっと寄り添ってあげたいと幼稚園の先生を退職した姉は、この日用があって表参道に出かけていた。
あのまま、出血性のショックを伴い動けない父が、サウナのようなトイレに一人時間の経つのを待っていたら、もしかしたら重大なことにつながってしまったかもしれない。
それを考えると、あのとき二階に上がって様子を確認できたのは奇跡のようにも思えた。
家族に事態を報告してからの皆の動きは迅速だった。家族のつながりをしっかり確認できて嬉しく思った。
今日また検査をし、一般病棟に移れるかがわかる。