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五行目の先に

日々の生活の余白に書きとめておきたいこと。

5月20日(日)快晴:恩師

2007-05-21 01:35:44 | 
 朝10時に起きる。同級生との旅行に出かける母を見送ってから朝食。パンの朝食はいつもどおりだが、実家だとスクランブル・エッグとサラダが付く。

 昨日の分のブログを書く。やはり寝て起きた後だと、出来事を思い出すのにちょっと苦労したりする(まだまだそんなトシではないつもりなのだが)。

 書き終えたところで、父と羽村にある「菜厨る ZONAVOCE」というイタリアンレストランに行く。ビュッフェ形式で、ランチ1,480円。パスタ、グラタン、サラダと結構な品数が揃っている。ジュースやコーヒーも飲み放題だ。店名にも表れているように、新鮮な野菜が売りものらしい。反面肉や魚の料理はほとんどない。手ごろな値段と健康志向が相まってか、混んでいた。いずれもイタリアンの割にしつこくなく、おいしかった。コーヒーゼリーやシフォンケーキといったデザート類もしっかり楽しんだ。

 羽村駅で下ろしてもらって、電車で国立へ。僕の師匠である一橋大学の木村元先生の研究室にうかがう。弘前に行ってから、きちんとしたご挨拶もできないままでいた。昨年度は木曜日の授業で毎週一橋に行っていたにもかかわらず、その日は先生のほうがお忙しくて、お会いすることができなかった。研究会でよく集まっていた研究室も懐かしい。

 今回帰京することになって、わざわざお休みの日にお時間を割いてくださった。この半年ばかりの間に書いてきた原稿について、コメントとアドバイスをいただきに上がった次第。といっても、堅苦しい内容ばかりでなく、慣れない大学の仕事のこととか、弘前の気候のこととか、そんなこともいろいろとお話しさせていただいた。

 先生が書かれた論文の原稿を読ませていただいたり、先日僕がアドバイザーを務めた先生と院生の共著論文について議論したりと、久しぶりに自分の関心領域と密接な内容のお話しができた。かつては当たり前のように身近にあった討論の機会が、すっかり貴重なものになってきたことを実感する。

 僕の原稿については、ほんの短い間にお忙しいスケジュールを縫って、丹念に読んでくださっていた。指摘していただいた大きなポイントは、かなりあいまいな形で用いている概念の説明を詰めていくことと、レビューしている先行研究の重みづけをしたうえで、重要なものについてはより丁寧な読み込みと論点の抽出を行うことの2点である。基本的な枠組みは、ラフではあるけれどもとりあえずはいいのではないか、との評価をいただいて、今後の作業を進めていくうえでの手ごたえを得ることができた。

 先生は僕の性格をよくわかってくださっているので、ストレスをためすぎてぺしゃんこにならないよう、ほどほどにコントロールをして、といったアドバイスもいただいた。僕がいま、曲がりなりにも研究を続けていけるのは、ひとえに先生のおかげである。身も心もボロボロになり、いちどは研究をやめようと思っていた時期に手を差し伸べてくださり、ペース配分に気を配りながら、いろいろとサポートしてくださったのが木村先生と、先生を中心とした研究会の皆さんである。外様で、生意気な口を利き、感情の起伏が激しい僕のような者をあたたかく支えてくださったのは、ひとえに先生や研究会のメンバーの人徳のおかげである。だから、そうした恩顧に報いるためには、まず何よりも学位論文を書き上げねばならない。

 院生時代に目の当たりにした、人の和などおかまいなしに一心に研究を進めればそれでよい、といった研究者たちのあり方に、生理的な嫌悪を覚える僕にとっては、一橋で出会った師や仲間こそが研究の支えなのである。そんな当たり前のことさえ理解できないような人間が、外側から偉そうに教育学を批判し、事実をゆがめた他人の悪口を書いて金儲けをしている。僕は教育学者ではないが、そういう偽善者の無責任な批判には徹底的に対抗しなければならないと思っている。

 今日の師とのひとときは、何ものにも代えがたい価値があった。明日からまた、歩みは遅くとも、一歩一歩進めていこう。

 帰りがけに立川の第一デパートに寄る。マイホビーキョーサンで鉄道模型を眺め(トミーテックの「鉄道コレクション」第4弾を3つ購入)、オリオン書房でやはり鉄道関連の書籍を買う。夜も7時になろうとしているのに、まだ外が明るいことに驚く。弘前だったらとっぷりと暗くなっている時間だ。今まであまり意識したことがなかった日本列島の長さを自覚する。

 帰宅して、久々の家での食事。イタリアンもいいが、やっぱりこういううちで炊いたメシと家庭的なおかずが自分には合っている。

 昭島の「遊楽の里」というスーパー銭湯に行く。天然温泉でもないのに680円も取られるというのは、弘前の温泉に慣れた者としては高く感じられる。おまけに中は混雑していて、まさにイモ洗いといった感じ。これなら弘前の温泉三昧の生活はやっぱり恵まれているなあと思う。

4月19日(木)晴:正直な人

2007-04-20 01:06:44 | 
 朝8時、定時どおりの起床。最近は自転車をこぐときにもメモリーウォークマンを聴くことが多い。一日のスタートにふさわしい勢いのある曲に乗って、風を切って走る。これまでは専ら映画「RENT」のオープニング曲である「RENT」であったが、ここ何日かはZIGGYの「GLORIA」(懐かしい!)を聴いている。

 何通かメールへの返事を書いた後、4時限目の演習(今年度はゼミと分けて開講している)の購読文献である『反社会学講座』に目を通す。読みやすい文献だと思うが、議論をどう展開するかは僕のほうでも一応のシナリオを作っておかねばならない。必要がなければ何よりである。

 父からメールが来て、芸術新聞社のHPに掲載された画家増田常徳さんの対談記事のことを教えてもらった。両親が増田さんのファンクラブである西風の会に関わっていることもあって、子どものころから親しくさせていただいている。僕は増田さん(普段は増田先生、と呼んでいる)の絵はもとより、生き方そのものに強く惹かれる。対談記事も前半部分は増田さんのライフ・ヒストリーになっている。そこには端的に彼の価値観が投影されている。

団体が合わないことが分かったんですよ。ぼくは本音で生きていきたいので、団体展は、本音と建前を使い分けざるえないところがありますから。」

いかなる組織であれ、そこの一員であるということは、本音と建前の使い分けを必要とする。僕なども、それに戸惑い、嫌悪しつつ、それでも、メンバーシップを失うことを恐れるから、使い分けというルールに従属している。増田さんの生き方は、ぶれることがない。ただひたすらに、探究し続けている。対談の相手には失礼だが、それを「反骨」「反時代」という形で表現するにはちょっと安っぽいのではないか。

 今の僕は、増田さんと同じようには生きられないけれど、いや、だからこそ、彼を尊敬し、憧れる。研究が仕事のすべてではない以上、組織の中にあり続けていくしかないが、研究者としては、どこまでも本音で生きていきたいと思う。

 演習は、僕のほうで用意したシナリオを使うまでもなく、積極的に議論をしてくれてなかなか面白かった。少年犯罪の統計データをみながら、考えうる変化の要因を仮説としてどんどん挙げてもらって、それぞれにつっこみを入れていくという形が、この授業のスタイルになっていきそうだ。やはり4年生になると、かなり安心して授業の展開を任せることができる。たった3年ほどの間に、それだけ大きく成長しているのだ。

 苦戦したアドバイスペーパーをようやく9時に書き上げ、添付ファイルで送る。本当は研究会にも参加して、直接執筆者とやり取りをしたかったのだが、どうしてもスケジュールの調整がつかず、残念。

 1時間ほど明日の講義ノートの修正に充てる。これまでに何度も講義はやってきたのだが、やはり初めて担当する科目の初回というのはついつい入れ込んでしまう。

 10時に帰宅し、そのまま桃太郎へ。瓶のコーラを一気に飲み干す。とても長く感じた先週とは正反対に、今週(の仕事)はあと1日で終わろうとしている。

4月10日(火)曇→雨→晴:訃報

2007-04-10 23:41:44 | 
 まだ少し肌寒い感じは残っているが、着実に春らしくなってきている。自転車で大学へ。

 研究室のPCの電源を入れ、朝のお茶(ほうじ茶)を飲みつつ、メールとニュースのチェックをする。Yahoo! Japanのトップページに出ていた、高崎経済大学准教授の懲戒免職のニュースに見入る。ゼミという人間関係の近い場では、往々にしてトラブルが起きやすい。今年初めてゼミ生を受け入れた僕とて、思いがけない発言が学生を追い込むことだってあるかもしれない。学生がたどった結末が結末だけに、何とも重苦しい気持ちになった。

 だが、その関連ニュースを読んでいて、もっとびっくりする記事が目に入ってきた。国際日本文化研究センターの園田英弘先生の訃報である。園田先生には、以前関わっていた共同研究グループでお世話になり、一緒に資料収集調査をしたこともある。どこか超然とした雰囲気の方で、何となく研究成果を挙げることにガツガツとした東大の研究者とは対照的な、いかにも京大の流れを汲む研究者という印象を僕自身はもっていた。

 先生の代表作は、サントリー学芸賞を受賞した『西洋化の構造―黒船・武士・国家―』(思文閣出版、1993年)であるが、僕は『「みやこ」という宇宙―都会・郊外・田舎―』(NHKブックス、1994年)で先生のファンになった。人はなぜ都市に惹きつけられるのかということに関心をもってきた僕にとって、政治・経済・文化の中心としての都市が、同時に華やかな祝祭の空間であるという指摘は、とても印象深いものだった。まだ60歳である。昨年『忘年会』(文春新書)という面白い本を上梓されて、ますますご活躍と思っていた矢先の突然の死で、信じられない気がする。

 教育社会学の歴史研究への貢献も多大なものがあった。『士族の歴史社会学的研究―武士の近代―』(名古屋大学出版会、1995年)も、当時貪るように読んだ記憶がある。天野郁夫や広田照幸の亜流、ないし劣化コピーは今後いくらでも出てくるだろうが、園田英弘の後継者が出ることはあるまい。唯一無二の、文字通りの職人的研究者だった。

 午後、21世紀科目(いわゆる教養科目)の「社会学の基礎」のオリエンテーションに出る。全部で15回の授業を、7人の先生でリレー式に受け持つ。人文学部の先生が5人、農学生命科学部、教育学部から1人ずつというメンバーである。普段から人文学部の先生方にはよくしてもらっていて、何というか、真面目でお堅い教育学部の先生たちよりも親しみを感じている。同年輩の方々はもとより、僕よりずっと年輩の先生まで、ノリがよく、またたびたび呼んでもらう研究会の議論も活発で、仲間に入れてもらうのが楽しいのだ。

 オリエンテーションには担当者全員が揃って、ひとりひとり授業テーマについて話す。昨日パフォーマンスができなかった分、ここで笑いを取ってやろうと画策し、まずまずの成果を収めた(学生さんたちよりも先生方にウケてしまったところに改善の余地ありと感じた)。だが、この「社会学の基礎」は、同じ内容の授業が、前期は金曜日にも開講されることになっている。学生さんたちは入れ替わるが、先生方はまた13日に同じようなスピーチをする。ここで今日と同じネタをやるというのはどうもよろしくない。先生方に笑っていただくために、もうひとつネタをひねり出すことにしよう。

 僕は授業中に笑いを取るのを至上の喜びとしているが、はっきりいってアドリブは苦手である。だから、ポイントポイントはかなりきちんと仕込んでおく。よってすべってしまうと収拾がつかなくなる。そんな僕が大好きな芸人は、ふかわりょうである。

 研究室に戻って、明日のゼミ用の文献要約レジュメを作る。ゼミ生たちは、レジュメを作ったことがないとのことだったので、僕が用意したものを材料に、どのように作っていけばいいのかをレクチャーしていく予定。

 生協食堂で夕食。たまたまお会いした人文学部のY先生(日本文学がご専門)に、法学のH先生を引き合わせていただいた。H先生は、これまで一度もお会いしたことがないが、高校の同級生で、しかも隣のクラスだったのである。たまたま教育実習でお世話になった学院のT先生に、「弘前大学に君の同期がいるよ」といわれ、そのうちお会いできればと思っていたら、はからずも今日お目にかかることができた。Y先生も早稲田のご出身で、そのうち弘大稲門会をやりましょう、ということになった。

 一度帰宅して、ジムのプールで泳ぐ。時間のないときは、マシンジムよりプールのほうが効率よく運動できるような気がする。泳いでいる間は無心になれるので、心身ともにいいリフレッシュになった。仕事が増えていく中でも、こういった時間はしっかり確保するようにしたい。

4月4日(曇):Mr.B.D

2007-04-05 01:25:03 | 
 朝7時に起きるつもりが、うっかり寝過ごして7時半に目が覚める。慌ててスーツを着て、バスに飛び乗る。朝食は大学に着いてから摂った。

 今日はガイダンスの日。まずは9時から新入生全体のガイダンス。社会科教育講座を代表して入っているので、数分間講座の案内をする。大人数に気後れして、「しゃかいかきょういくこうざ」がちゃんと発音できず、カミカミになってしまった。

 11時に自分の出番が終わると研究室に戻って新2年次向けのガイダンスの準備。科目登録方法の変更案内と段取りを考える。昼食はおにぎりを3個、急いで詰め込む。13時からの2年生ガイダンスは40分ほどでつつがなく終了。

 その後、第一会議室に移動して、14時から履修相談。この春からゼミ生になるMさんに助けてもらった。教員にはなかなかわからない勘どころをきちんと説明してくれて、新入生にも有益な情報提供になったと思う。ここまでが学務委員としてのお仕事。

 15時からゼミのガイダンス。今日が僕のゼミの第一歩。この日が来るのを待っていた。最初のゼミ生となるMさんとMさん(イニシャルにするとおんなじだ)に、僕のほうで考えている進め方などについて説明する。2人とも、とてもしっかりしていて、将来がとても楽しみだ。2人のいいところを伸ばしてあげられるように、僕も成長していかなければならない。

 16時ちょっと前にゼミガイダンスを終えると、入れ替わりで来客がある。年度はじめのせいか、あちこちから電話も入る。16時40分になってようやくひととおり片づいて、ふーっと息を吐く。

 17時。午前中のガイダンスのときに、同僚のH先生に声をかけていただいて、青森産業会館に無我ワールド・プロレスリングを観に行く。H先生の車で、先生のゼミ生2人と合わせて4人で、プロレス談義に花を咲かせつつ会場に向かう。僕だけチケットを持っていなかったので、当日券を買う。なんと最前列、ニュートラルコーナーのすぐ脇で、赤コーナーの選手がすぐ前を通っていく。

 久々の会場でのプロレス観戦。しかも大ファンである“Mr.B.D”後藤達俊選手を初めて生で観ることができる。これはもう、興奮せずにいられようか。

 会場に着くのが少し遅れて、第2試合からの観戦となる。長井満也選手とグラン浜田選手の対戦。浜田選手も、日本のプロレス界にとってはリビング・レジェンドである。この人がいなかったら、日本に軽量級のプロレスが根づくことはなかったろう。文字通りの小さな巨人だ。メキシコのルチャをベースとする浜田選手と、UWFの血を引く長井選手というのは異色の組み合わせで、しばしば身長差を強調するような展開もあったりして楽しさもあった。キックで攻勢の長井選手を浜田選手が一瞬の丸め込みで仕留める。小よく大を制すという試合で、会場も盛り上がった。

 第3試合の竹村豪氏選手とチャド・マレンコ選手の試合は、3分5ラウンド制で行われた。1ラウンドが3分だと、あっという間で、決定的な決め技に欠けると、かえって間延びした感じの試合になってしまう。それぞれ巧みなテクニックを披露したが、結局ドロー。ヨーロッパのキャッチレスリング的な試合は、なかなか日本で受け入れがたいかもしれない。

 ここまで終わって10分間の休憩。グッズ売り場に行くと、藤波辰爾選手がTシャツに一枚一枚サインを入れている。藤波選手といったら、僕らの世代にとっては大ヒーローである。そんな人が目の前でせっせとペンを走らせている光景が、とても不思議に思えた。



 グッズ売り場でパンフレットを買う。こちらにもちゃんと藤波選手のサインが入っている。そのまま流れて他の選手のグッズを物色していると、グラン浜田選手に「サインはどうだい?」と声をかけられる。先ほどいい試合をみせてもらったご祝儀だ。1000円を渡して、その場で写真付きの色紙にサインを書いてもらい、握手もしてもらった。これは研究室に飾ることにしよう。



 そして第4試合。僕にとってはこれがメーン・エベントである。後藤達俊選手対吉江豊選手。テーマ曲の「Mr.B.D」に乗って後藤選手が目の前を通り過ぎたときには、鼻血が出るかと思った。以前と比べると、だいぶ体を絞っている感じがする。それでも、コーナーにたたずむ姿には惚れ惚れする。



 対する吉江選手は、デカい。開始直後はきっちりとしたレスリングが展開されたが、場外に出ると、後藤選手がイスを手にしてラフ殺法を解禁。やはりこうでなくては。場外でのバックドロップは未遂に終わる。うーん、今日は投げて欲しい。リング内に戻ってからも後藤選手がペースを握り、アピールの後、バックドロップの体勢に入った。キターーーー!と思った瞬間、空中で体位を入れ替えた吉江選手が後藤選手を圧殺。そのままダイビング・ボディープレスへとつないで吉江選手の勝利。ああ、バックドロップを観られなかったのが残念。

 メインの試合は、藤波選手がチャボ・ゲレロ選手と組み、西村修・倉島信行選手組と対戦。チャボ選手といえば、往年の藤波選手のライバルである。現在57歳で、このシリーズの最終戦で日本での引退を迎えることになっている。僕は彼の弟にあたる故エディー・ゲレロ選手が好きだった。

 それにしても、チャボ選手の年齢を感じさせない軽快な動きには驚いた。さすがに華麗な跳び技はないものの、メキシカン・ストレッチなどの見た目以上に効く技の妙味にはうならされた。藤波選手は、コーナーから出てくると会場の熱気が上がる。一方、対峙する西村選手も決して負けてはいない。体格的にはスマートで、派手な大技があるわけでもないのに、ひとつひとつの定番ムーヴが観客を湧かせる。決して藤波・チャボ両選手に見劣りしないだけのオーラが、この選手にはある。

 試合そのものは、チャボ選手のジャーマンスープレックス一発で倉島選手が沈んだ。少々唐突な終わり方で、会場の雰囲気もえー、これで決まり?といった感じだったが、あとでパンフをみてみたら、ジャーマンはチャボ選手の得意技だった。きっちり決め技でフォールを取ったというわけである。実際、受身を取り損ねたのか、倉島選手は試合終了後もずっと首を押さえていた。

 全試合終了後、全選手がリング上に集合し、チャボ選手のあいさつに続いて記念撮影。リングの4方向に、勢揃いした選手たちが向いてくれる。実にすがすがしく、いい光景だ。



 リングを降りて控え室に戻る後藤選手に握手してもらった。藤波選手、そして再び浜田選手にも。いずれも、僕にとってはテレビの中の大スターである。それがこんなに身近に接してもらっていいのだろうか、夢をみているんじゃないか、と不思議な気持ちになった。

 ヒロ斉藤選手とのコンビで、派手に暴れ回る新日本時代の後藤選手も好きだったが、今は形にとらわれず、多彩な引き出しを自在にみせてくれ、ますます魅力的なレスラーになられたと思う。ブログにみえるお茶目な感じといい、これまで以上に後藤選手が大好きになった。

 試合数は5試合と少なかったが、ひとつひとつの試合は濃密で、熱気があった。久しぶりに生の雰囲気に気持ちが高まった。そして、余韻に後ろ髪を引かれつつ、会場を後にしようとしたところで、印象的な光景に出会った。



 リングの撤収作業を、裏方さんだけでなく、選手も手伝っていた。大ベテランの後藤選手も例外ではない。かつて所属していた新日本プロレスでは、若手時代はともかく、こんなことはやっていなかっただろう。小規模な無我では、本当にスタッフ総出で興業を作っている。最後の記念撮影なども、ファンを大切にしていこうという団体の気持ちが感じられて、胸が熱くなった。さらに、障害をもった子どもたちを招待して、彼らが技の迫力に歓声を挙げたり、必死で拍手を送ったりしている様もあたたかい気分にさせてくれた。本当に、この試合を観に来てよかったと思った。これからも無我を応援していきたいと思う。

 弘前に戻る車中でも、4人で試合の感想や、それぞれの選手にまつわるエピソードなどで盛り上がる。プロレスというのも、案外世代をこえて楽しめるものなのかもしれない。偉大な選手たちに、本当に至近距離で接することができた幸せは、明日への大きな活力になるだろう。