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五行目の先に

日々の生活の余白に書きとめておきたいこと。

1月31日(土)雨後曇:キング・オブ・図書食

2009-01-31 22:52:13 | 仕事
 7時半に起床。朝食をばっちり食べて、父に昭島駅に送ってもらう。昨日の雨はさほど寒いと感じなかったが、今日は風も冷たく、寒い。

 青梅線・中央線の車中で、学生さんに借りた山田昌弘・白川桃子『「婚活」の時代』(ディスカバー携書)を読む。そもそも普通の新書と同じような厚さで1,050円とは。さすがに自分で身銭を切って買うほどのこともあるまい、と思っていたところ、近くに読みました、という人がいたので、貸していただいた。派手なメタリックピンクのカバーを外して読んだそうだが、僕は堂々とみせびらかすように読んでやった。

 まあ、「これから結婚しようという人に役立つ」といった趣旨のことが書いてあったが、それだけは絶対にない、と言い切れる。役立つから高い価格設定なのか?

 もっとも、現状分析はなかなか面白く読んだし、とんでもないことが書いてあるわけでもない。ただ、キーワードと思しきところがゴシック太字になっていて、読みづらい。

 面白いのは、社会学者の山田さんとジャーナリストの白川さんの見解が矛盾するところ。この辺を最後の対談でどうケリをつけるのか楽しみにしていたら、うやむやのまま終わってしまった。さすが、お2人とも「大人」である。

 考えてみると、症状をきちんと把握し、説明することには長けているが、いざ処方箋を書かせたらからっきしダメな「病理医」(=山田氏)と、日本国民すべてを「病人」に仕立て上げてしまう「薬品メーカー社員」(=白川氏。氏の主戦場である『AERA』とは、そういう雑誌にしかみえない)の見事なまでのタイアップであるように僕には思えてならない。ちょっと意地悪な見方をしすぎだろうか。

 とはいえ、有意義な読書にはなった。来年度の「社会学概論」の最終回、「「社会学」の社会学」(パオロ・マッツァリーノ氏の『反社会学講座』の精神に則り、インチキ社会学をこき下ろす回)の重要な参考資料になろう。貸してもらった本は返さねばならないから、今度ブックオフで買ってこよう。

 タニクリニックに行き、引き続き漢方薬を処方してもらう。すでに花粉が飛んでいるという話しは耳にする。弘前にいても、何となく目がかゆくなる日がある。今年の飛散量はハンパではないそうだから、根気よく飲み続けなければ。

 日比谷駅から有楽町線で永田町へ。国会図書館に行く。今回はこれまでの少年労働関係の資料収集ではなく、戦後開拓に関する情報(先行研究)集め。大学にいても紀要論文などは取り寄せてもらえるが、ここで即日複写してもらうほうが早い。着いてすぐに端末から申し込みをする。オンライン複写は現物をカウンターにもらいに行く手間が省けるのでラクだ。

 複写を待つ間に閲覧する資料の申し込みをする。今日は資料閲覧のほうは少なめにする。受け取った資料の複写箇所を指定して、複写カウンターに持ち込み、今度はそちらのコピーができるまでの間にマイクロフィッシュを閲覧する。マイクロの複写の待ち時間に、オンライン複写の資料を受け取りに行く。時間のロスが少なく、いい流れ。

 全部のコピーが揃ったところで、6階の食堂に行く。以前にも触れたことがあるが、僕は図書館の食堂が大好きだ。たいていチープな値段と味なのだが、独特の雰囲気がある。だが国会図書館の食堂はこれまで利用したことがなかった。旧館の3階、新館の1階にある喫茶室もいい感じなのだが、今日は食堂にしよう。

 メニューは学食並み。それでも結構こだわりはあるようで、カレーライス(スパイシーカレー500円)なんかは新宿中村屋との共同開発なんて謳っている。早速そちらに食指が動いたものの、いや、ここはあえて普通のカレーライス(400円)にしよう。それに150円のサラダを付ける。

 さすがに立地が立地なだけあって、いろいろな建物がみえる。隼町の最高裁判所とか、三宅坂の社民党本部とか。そんなところで、いかにもな味わいのカレーが実にいい。そしてテレビでは大河ドラマ「天地人」の再放送をやっている。お昼どきなのに、そんなに混雑しているわけでもない。和む。さすがは日本国内のありとあらゆる図書館の頂点に位置する国会図書館、食堂も文句なしにナンバーワンだ。

 午後はオンライン複写の発注と受け取りを繰り返す。タイミングよく外部との連携が取れて、十分な収穫を得ることができた。行っても行ってもみたい資料が次々出てくるNDL、次なる訪問機会もまた楽しみである。今日はいかにもな感じがして見送った、国会丼なるメニューにも、今度は挑戦してみよう。

 国会議事堂の裏手を通り、首相官邸と公邸を右手にみながら丸ノ内線の国会議事堂前駅へ。新宿で少々買い物をしてから中央線と西武線を乗り継いで武蔵砂川へ。迎えにきてくれた父と一緒に、ワーナーマイカルシネマズむさし野ミューへ。「イェ 28歳の革命」を観る。すでに僕は一度観ているが、父のチョイスでもう一度観ることにした。そういえば『ゲバラ日記』を最初に読んだのは、父の書棚に置いてあったからだ。その後自分でも買って研究室に置いてあるが、確かに最初の出会いは父の蔵書なのである。1回目では見分けがつかなかった人物が、だいぶわかるようになった。この流れで近々「39歳 別れの手紙」も観るつもり。

 帰宅して、カレイの煮付けとか、風呂吹き大根とか、かんころ餅といった、独り暮らしをしているとなかなか食べないような食事とおやつを食べる。買ったものだとどうしても温かいものが少なくなるので、シンプルでもありがたい食事である。

1月30日(金)雨:昔なじみ

2009-01-31 22:38:09 | 仕事
 今日は朝から雨模様。昭島駅まで送ってもらう。

 立川で中央線の電車を待っていると、向かいの青梅線ホームにカメラを構えている高校生くらいの2人連れがいる。何か珍しい電車でも通るのかと思っていたら、オレンジ色の201系電車がやってきた。残っているのは2編成だそうだが、割とよく遭遇する。座席に座ったら、隣に向こうのホームにいた2人組が駆け込んできて席に着いた。シートの座り心地が違うなあ、なんていう会話を交わしている。確かに今のE233系のような、ちょっと堅めのシートクッションに慣れてしまうと、何だかふかふかな感覚だ。これはこれでよかったのだが。

 若いテツ2人の隣で、南正時『0系新幹線からはじまる 昭和の鉄道風景』(じっぴコンパクト)を読んだ。南さんは子どものころに親しんだ名鉄道カメラマンの一人。とくにケイブンシャの鉄道大百科の類は、たいてい南さんによるものだった。カッコイイ写真だけでなく、やさしい語り口の文体が大好きだった。ヨーロッパの鉄道事情にも造詣が深く、セッテベロとかインターシティなんていう電車を知ったのも南さんの本からである。この本は、昭和から平成にかけての鉄道の移り変わりと南さんの個人史とを重ね合わせたもの。モノクロでも、やはり南さんの写真はカッコイイし、文体も軽やかで楽しいエッセイになっている。最後の愛用のカメラにまつわる部分も興味深い。

 今日は竹橋の国立公文書館に資料をみに行くつもりでいた。中野で東西線に乗り換えるか、四谷で総武線に乗り換えて飯田橋で東西線に乗るか、思案しているうちに、急遽予定を変更して東大に行くことにした。急にみたい資料があるのを思い出したのだ。

 東大に行くには御茶ノ水で丸ノ内線に乗り換えるのが最もメジャーなルートだと思うのだが、今日は四谷で南北線に乗り換えた。東大前で下車し、農学部の構内から「ドーバー海峡」を渡って本郷キャンパスへ。

 昼食をどこで摂ろうか考えて、最も慣れ親しんだ「メトロ」にする。名前はしゃれているが、うちの大学の人民食堂と似た雰囲気、いやもっと庶民的な学食である。銀杏セットを頼む。最近の東大のキャンパスは、学生さんもかなりおしゃれな感じ(そりゃあお金持ちの子が多い大学だから当然か)なのだが、だからこそ「メトロ」は僕にとって落ち着ける場所だ。

 教育学部に行き、4階の図書室へ。その前に3階のトイレに寄ったら、たまたま先輩(現在は先生)がいらしたので、研究室に首を突っ込んでご挨拶する。お会いするのは数年ぶりだ。院生のころにはとてもよくしていただいた。ゆっくりお話ししたいところではあったのだが、面会を待つ院生さんが廊下で待っておられたので早々に辞去する。

 図書室の司書さんは、僕が院生のときにもいらした方で、当時はずいぶんお世話になった。今は学外者ということで、所属を書くと、「就職が決まってよかったですね」といってくださった。院生さんの就職の厳しさをご存じなのだろう。

 利用させてもらう資料はマイクロフィルムで、プリント代は無料なのだが、用紙は自前で調達しなければならない。生協にコピー用紙を買いに行く。その途中で別の知り合いの先生と偶然お会いした。少し立ち話。東大は僕がいた当時とはすっかり顔ぶれが変わって、割と世代的に近い、若い先生が増えている。おかげで立ち寄りやすくなったし、新鮮な雰囲気も感じる。僕自身は離れて久しいのだが、何だかうれしい。  ここのマイクロリーダーを使うのも久しぶりだ。機種も以前のままで、勝手がわかっているだけに使いやすい。

 戦前の府県統計書の、教育に関する部分だけをまとめたマイクロ資料がここにはある。青森県のものを出してきて、早速必要な箇所を探していく。『青森県統計書』じたいは県立図書館に行けばみることができる。ただしあらゆる統計のなかから「学事」部分を探し出すのは結構面倒な作業だ。その点「学事」だけを取り出したこの資料は大変便利。おまけにコストパフォーマンスもよい。

 5時少し前まで作業をした。ちょうど用意したコピー用紙も尽きたところ。今日一日で終わる作業ではないとわかっていたので、また春休みにでも予定を組んで訪れることになろう。

 お腹が空いた。強烈に。しかも暖房のない部屋(マイクロフィルムの保存のためにエアコンは常時ドライになっている)で作業をしていたから、ずいぶん体も冷えた。中央食堂(安田講堂の地下にある)でちゃんぽんを食べた。ここの麺を食べるのも久しぶりだなあ。

 食後に学内にあるスターバックスでコーヒーを飲もうと思ったら、満席で入れなかった。こういうところのカフェのお客さんは長居をするのが常だから、諦めて本郷三丁目駅近くのスタバに向かう。ところがここも満席。丸ノ内線に乗って東京駅で下り、新丸ビルの地下入口にあるスタバに行ってみたが、ここでも店員さんに「満席ですが…」と告げられた。一杯のコーヒーのために延々待つ気にもなれず、断念。ドトールだっていいのだが、こちらは弘前で慣れ親しんでいる。東京まで来てドトールかよ(いや、ドトールは大好きなのですよ)、という意地?もある。しかし3回もスタバに振られるとは。東京のカフェおそるべし、である。

 今日の中央線は、「急病人発生」(これもよくあることだ)で、若干の遅れこそあったものの、何とか無事走った。昭島駅からはバスに乗る。帰宅すると、揚げたての牡蠣フライが待っていた。たまたまテレビでやっていた、雹害に遭った弘前のりんご農家の奮闘を取り上げた番組をみながらの夕食。食後にはしっかり農場産の「葉とらずふじ」を食べた。このりんごにもところどころ雹のせいでできた傷があるが、味はもちろん何の問題もない。

1月27日(火)曇:旅支度

2009-01-31 22:20:36 | 仕事
 先週末に降った雪も、ずいぶん融けて道路のアスファルトが露出している。1月も末というのにやはり雪は少ない。もちろん助かるのだが、ちょっと物足りなく感じたりもするのはこちらの生活になじんだせいか。いつの間にか今のアパートに引っ越してからも1年が経過した。

 YMを飲む。換気のために研究室の窓を大きく開いて、スチームの熱の向こうから入ってくる冷たい空気を感じながら、掌でカップを包むようにしていただく。

 インターネットで明後日の出張先の情報収集。様々なデータを眺めているうちに、懐かしいお名前をみつける。今度の出張はいろいろな縁とのつながりを感じるものになりそうだ。

 発注したキャノンのPowerShotG10が届く。コンデジだが、無骨な造作がいい。いかにもカメラ、といった感じがする。性能的にもデジタル一眼レフに近い。ちゃんとファインダーもついている。あれこれついているダイヤルの機能をどこまで使いこなせるか。

 調査地でのスナップ写真の撮影が主な任務だが、加えて資料撮影用の主力機として購入した40Dの補機のような形でも使っていくつもりだ。コピースタンドと一眼レフの組み合わせは頼もしいが、コピースタンドをあちこち持って行くのは大変だ。その点、三脚とG10の組み合わせなら、ちょっとした旅のついででも撮影が可能になる。レリーズも取り付けられるので、便利だ。別途注文した無反射ガラスの到着を待って、弘前図書館に出向くつもりでいる。

 今週は、嵐の前の静けさといった感じで、授業は少なく、かつまだ本格的なテストの採点も始まっていない。今のうちに事務的な仕事を済ませる。僕が主担当になっている総合演習の成績表をプリントアウトして、ご担当の先生方のメールボックスに配布する。

 ゼミの3年生と、卒業生に贈る記念品を何にしたらよいか話し合う。予め予算は限られている。そのうえで何か記念になるもので、かつそれなりに実用性があるものがよい。結構難しい課題だが、妙案を出してくれたので、それで行こう、ということになる。3年生以下は、来月10日の卒論発表会・送別会の準備に余念がない。僕の受け持ち仕事を忘れないようにしなければ。

 夕方日が落ちない時間にいったん帰宅。クリーニングに出したスーツを受け取り、明日からの出張の荷造りをする。出張先へのおみやげとスーツにYシャツ、ネクタイを詰め込んだので、トローリーバッグの荷物はいつもより多め。いつも持ち歩いているメッセンジャーブリーフとトローリーバッグの他にもうひとつ、サブバッグが必要だ。3つの荷物で出かけるようだが、帰りは2つにまとめられるだろう。

 まとめた荷物を車に放り込み、弘前駅ビルの「しかないせんべい」で、出張先へのおみやげを買う。僕が持参するおみやげの、誇るべきワンパターンになっているが、自分自身が好物だし、かつ評判もよいので、やはりここの品を持って行くことになる。いつもの店員さんに「今回もご出張ですか?」と聞かれたので、「ええ」と応える。

 荷物とおみやげを研究室に運び入れる。今晩のうちに置いておけば、明日は大学からタクシーで弘前駅に乗りつけるだけで済む。2時間ほど仕事をしてから再度帰宅。コタツで本を読み散らかしながら、ウトウトする。そのまま寝入ってしまいそうなのをこらえて、ちゃんと寝るまでの支度をする。うーん、忙しくはないのに、やっぱり疲れている。

1月26日(月)曇時々雪:厳しく

2009-01-31 22:18:23 | 仕事
 例によって9時起床。通勤途中で『ビッグコミックスピリッツ』を買う。よっていつもより少しばかり遅い出社となる。気温は下がっていて、踏み固められた雪がつるつるになって歩きづらい。何度か滑って転びそうになる。

 研究室に着いてNo.2を飲む。ティーポットにお湯を注いでから少し時間を置いたので、いつもより深みのある味と香り。長いこと名前のないNo.2だが、色合いの変化にちなんで「Gradation No.2」というのはどうだろう?ちょっとひねりが足りないかな?

 昼食を済ませ、3コマの「地域生活調査方法論」の授業。講義としては今日が最終回。

 まず単位取得要件について。レポートや小課題をすべて期日までに提出すること、という当たり前のことを述べる。だが実際には未提出のまま、ほったらかしにしている学生が結構いる。僕ならそういう状態に気が気でなくなるのだが、割と平気でいるらしい。警告の意味も込めて少し語気を強めていった。

 次に調査対象者から僕のもとに届いた指摘について紹介する。それは決して叱責しようというわけではない。対象者からのクレームというのは実際に調査を行えば多々あることである。何ごともなく、平穏無事に終わる調査のほうが珍しいのだ。だから、こういったことがありました、とひととおり述べたうえで、だからといってひるむことはない。思い切ってやろう、とハッパをかけた。この授業の一環として行う調査に関する限りは、何か問題が生じた場合、僕のほうで謝りにも行くし、手紙も書く。

 講義部分では、これまでの2年間の鰺ヶ沢調査で作成したパワーポイントを、それぞれダイジェストで投影してみせた。質問紙調査と聞き取り調査に基づいたプレゼンテーションの一応のひな形になるだろう。

 授業を終えて、これから調査を行うグループのための調査協力依頼の文面を作成する。フォーマルなルートを通じて調査依頼をする予定だったのが、準備が遅れてゲリラ的に対象者をつかまえるしかなくなった。そのときに授業の一環であることを示すための書き付けとなるものである。

 しばらくして、課題未提出者が研究室にやってくる。提出しなかった理由を問い質したうえで、受理することにする。もちろんそれなりのペナルティーはある。だが、交渉の余地はあるのだ。なかには頑として受け取らない先生もいるだろう。それでも、ダメもとで何かもっともらしい理由を考えて(でっち上げて)出すというのは、必要な「処世術」である。抵抗感はあるだろうが、そこから逃げておいて単位をもらおうなんていうのはおこがましい。どうも釈然としないのは、そうした学生が決して一人ではやってこないことだ。必ず2人連れである。謝りに行くときは連れはいないほうがよい。厄介な局面を打開するのに「談合」は不適当な戦術である。

 普段が割とちゃらんぽらんなので、厳しい態度をみせると疲労する。大して忙しくなかったのに、ぐったりする。

 いつもより早く帰宅して、帰りがけに野菜を買い足す。昨日に続いて今日も鍋。野菜を追加して煮込んで食べる。気をつけてはいるものの、それでも不足しがちな野菜を食べるのに鍋はもってこいだ。今日もたらふく食べたが、そのほとんどは白菜と春菊だから、カロリー的にはそうたいしたことはあるまい。

 今日は26日、風呂の日だ。2日続きで「健康温泉桃太郎」に行く。400円のチケットを買うと、受付のところで無料券を1枚くれる。つまり1回当たり200円で入浴できるというわけ。これは値段的には値上げ前の風呂の日と変わらない。昨夜はかなり慌ただしく浸かったが、今日は時間に余裕があったので、思う存分温まる。

1月23日(金)晴後雨、夜雪:温泉研究会

2009-01-24 17:10:07 | 仕事
 8時起床。もう少し寝ていたかったが、2コマの大学院の授業があるので、いつもより早く大学に出なければならない。昨日のうちに学内の駐車許可証をもらったので、車で出る。

 授業準備をひととおり済ませ、1コマと2コマの間の休み時間にYMを飲む。それにしても今日は暖かい。この時期にしては異常ともいえる温かさだ。天気予報も気温10℃くらいまで上がるとのことだった。

 大学院「社会学演習」は、年度末課題の生活史レポートを作成してもらうため、基本情報を収集する調査票事例を検討する。過去に行われたライフコース調査の調査票をコピーして、実際に自分が回答しながら、必要ないと思われる設問や項目をピックアップしたり、使いやすいようなアレンジを加えたりする。僕自身が学生時代に調査実習で用いた調査票である。少し懐かしく、また現在に合わなくなった設問に時間の流れを思ったりした。

 3コマの時間は落ち着きなく走り回る。書類を届けたり、注文した書籍の受け取りに行ったり、公費注文品の納品検収に出かけたり。あっという間に過ぎてしまった。

 4コマの時間は久々に英語を読む。今日読んだものは難しかった。一文が8行近くにわたっており、節や句の関係がよくわからない。訳してみるのだが、まともな日本語にならない。単にカンが鈍っただけでなく、テキスト自体が熟読玩味すべきものなのだろう。 僕なんかは院生の時分、長い一文を書くと「悪文」だと怒られたものだが、英語圏の研究者の間ではそうした指導というか、慣例のようなものはないのだろうか。

 4時ちょっと過ぎに大学を出て、黒石温泉郷に位置する温湯(ぬるゆ)温泉に行く。国道102号バイパスをまっすぐに進み、黒石市街の入口を過ぎたところでちょっと入ったところにある。すでにメンバーの同僚は到着していて、聞き取り調査を行っていた。調査フィールドでそのまま研究会(+新年会)をやってしまおう、ということなのである。当然ながら、自腹での研究会である。

 温湯温泉というのは、僕の知る限り、結構変わったところである。400年以上の歴史を誇る名湯で、温泉街の中心に「鶴の湯」という共同浴場がある。それを取り囲むように客舎と呼ばれる宿泊施設がある。これら客舎には内風呂はなくて、湯治客は客舎に逗留しながら「鶴の湯」に通うのである。お話しによれば、かつてはこうしたスタイルの温泉場は他にもあったそうだ。

 今夜お世話になるのは飯塚旅館という老舗旅館。こちらももともとは客舎だったそうだが、現在は独自のお風呂も備えている。建物は大正期のもので、木造総二階建ての堂々たるもの。文化財級だ。

 2階の広いお座敷の部屋に案内していただく。早速研究会の報告と議論を1時間半ほど。十分な準備ができたわけではなく、メンバーの先生方には申し訳なかったが、面白そうなポイントを指摘してもらって、とりあえず今後の方向性はみえてきた。何とかご期待に添えるように頑張らなければ。

 夕食の準備が整ったところで研究会は終了。一気に解放感を覚える。

 女将さんお手製の料理は、お魚が中心で、品数がとにかく多く、そしてどれも素晴らしくおいしかった。暖かいお部屋で食べ過ぎてもう動けません、というくらいたくさんいただいた。いや~幸せである。

 窓の外をみると、雨は雪に変わってきた。雪の温泉街の雰囲気を楽しみたくて、外に出る。だが水分の多い雪であるうえに、一気に冷え込んできた。弘前からそう離れていないにもかかわらず、全然寒さが違う。

 旅館を外から眺めてみると、明るいときよりも趣が増して実にいい。ところどころにあるこけし型の灯籠の灯りがあたたかみを感じさせる。



 「鶴の湯」の周りをひとめぐりする。冬の平日ということもあってか、湯治客の姿はみえず、客舎も静まりかえっている。



 しかし「鶴の湯」そのものは盛況で、近隣から車でやってきた人々が次から次へと入っていく。相当にいいお湯らしい。

 僕自身は「鶴の湯」は明日のお楽しみにして、旅館の内風呂に入る。こちらは総檜のお風呂で、木の香りが素晴らしくよい。外側のドアを開けると目の前は浅瀬石川で、流れる音を聞きながらのんびり湯に浸かることができる。

 座敷に足を伸ばして、「必殺仕事人2009」と「報道ステーション」のさわりの部分をみて、就寝。ひと仕事終えて、ごちそうを食べて、いいお湯で温まってというのは何というぜいたくだろう。

1月22日(木)晴:追い詰められる

2009-01-24 16:09:54 | 仕事
 昨夜は目覚ましを6時にセットした。が、記憶の限りにおいては6時に鳴ったアラームを止め、設定時刻を7時に直した。そして7時に鳴ったときには8時に修正をした。結局起きたのは8時半だ。いつもとそう変わらない。

 が、睡眠時間は十分なので、気分はすこぶるいい。意気揚々と大学に出て、No.2を飲む。いいお天気で、窓からみえる八甲田山が美しい。

 さて研究会は明日に迫った。さすがに今日はテンションを上げて取り組まねばならない。データはあらかた揃ったので、レジュメ作りが今日の課題。久しく忘れていた研究の感覚が戻ってきた感じ。あくまで感じであって、そのとおりではないかもしれない。

 昼食を済ませ、3コマの時間は「比較社会学」の期末試験。もともと受講生の少ない科目なので、気分は楽だ。数回見回りをした後は持参した坪内祐三『東京』(太田出版)を読む。坪内自身の自伝的なエピソードを、東京の各街に引きつけて並べたもの。内容そのものは結構面白いのだけれど、ところどころ散見される誤りがあって(たとえば「学院こと早稲田大学附属高等学校」なんて書いちゃっているが、そんな学校はもちろんない)、その辺が気になったりもする。帯に「ニート時代」って書いてあるけど、全然ニートじゃないし。いや、こんなのは実に些細なことなのだが、微に入り細に入りの浩瀚な知識をもっている著者だからこそ、この辺をしっかりしてもらいたいのだ。

 試験時間は90分確保していたが、最後の学生さんが答案を提出したのは60分を過ぎたところだった。研究室に戻り、4コマの「公民演習」を前倒しでスタートさせる。

 最終回ということで、ゼミの3年生2人には卒論の構想をまとめてくるように指示しておいた。それぞれA4用紙1枚分の簡単なものである。今日は「研究モード」なので、いつになく厳しい指摘をする。彼女たちにとって当面の目標はゴールデンウィーク前後の「卒論構想発表会」になる。それまでに課題をどこまでクリアできるか。

 卒論というのは、講義や演習、あるいは教育実習の課題と違い、孤独な作業である。これまでは仲間内で同種の課題を共有していたから、お互いに「助け合う」ことができただろう。悪くいえば、それが「談合」という形にもなっていた。しかし卒論に関しては、他者の途中経過報告を聞き、自分もやらなければ、というプレッシャーを感じることはあっても、仲間に助けてもらうことはできない。逆に他人を助ける余裕をもちながら卒論を書く、なんていうこともありえないのである。これまでの学び方とは全く異なるわけだから、その事実をしっかりと受け止めて、自力で課題をひとつひとつクリアできるかどうか、それが最も重要なポイントだと思っている。このことを認識できなければ、ロクな卒論にならないであろう。

 などということを偉そうに述べている僕自身も、今の3年生たちが最初の卒論指導生になる。経験に裏打ちされたものがないだけに、相当なプレッシャーを感じている。それに厳しく指導するのは骨が折れる。いいところ、面白そうな部分だけをつまみ上げてほめるのは簡単だ。だからときどきそっちに逃げるときもある。

 僕が卒論をご指導いただいた大久保先生は、普段は実に穏和で、どんなことでもマイルドに応じてくださっていたが、卒論構想を固めていく段階ではいつになく厳しかった記憶がある。僕も気づかないうちにそうした記憶をトレースしているのかもしれない。でも真似るだけではどうにもならない。自分なりの「型」を作っていかなければ。

 「公民演習」を終えると、またレジュメ作りに戻る。夕方に来週の東京出張の日程が変わり、切符を手配し直さなければならないのを思い出して、気分転換がてら弘前駅まで歩く。首尾よく席を確保して、駅ビルのドトールでカフェラテを飲み、大学に引き返す。人民食堂で夕食を摂り、ここからは僕自身の孤独な作業。

 0時ごろになってどうにか格好がつくメドが立ったので、安堵する。細かな部分をあれこれ直して一応完成をみ、3時に帰宅。風呂から上がったところでドアのポストに朝刊が届いたので、ひととおり目を通してから眠る。

1月19日(月)雨後雪:練習調査たけなわ

2009-01-21 02:33:25 | 仕事
 9時に起床。いつものようにトーストを食べようと思ったら、食パンが黴びていた。昨夜夜食に1枚食べたときには大丈夫だったのだが…。

 仕方がないので、先日実家から送ってもらったレトルトの雑炊を食べる。結構分量がある割にはカロリーが低い。それでいてそれなりに食べた気分になる。

 外は雨が降っている。この時期の雨は珍しい。暖かい証拠である。だが雪より雨のほうが厄介でもある。こちらの雪ならば、帽子やコートに積もっても、玄関先でぱっぱっ、と払ってしまえば済む。傘を差す必要もない。だが雨となるとさすがに傘を差さないといけないので、面倒なのだ。

 今週はNo.2を飲んで仕事を始める。授業のほうの準備はあらかた済んでいるので、もっぱら事務のほうが中心になる。ほっとひと息ついていると、途端に急ぎの依頼がメールで飛び込んできたりする。なかなか気が抜けない。

 3コマの「地域生活調査方法論」は、盛りだくさんの内容。講義の中身が充実していた、というわけではない。まず60分ほど講義。エディティングとクリーニングの説明をする。これらは社会調査士の科目でいえば「B科目」に入るのだけれど、ひととおり説明しておかないと来年度前期の調査に支障が出る。

 その後再来週から3回にわたって行うグループ報告の順番の抽選。授業の直前まですっかり忘れていて、研究室を出る前に慌ててクジを作った。

 先々週に出した宿題の解説。提出していない学生が結構いて、しかも授業後に慌てて提出しようといった姿勢をみせるでもない。通常提出すべきものはすべて提出してはじめて単位というものは取得できるのである。ひょっとして放棄するつもりなのか?平気でいられる神経が僕にはよくわからん。必修科目だから、来年度再履修というのはきついと思うのだが。講義内容は似たようなものになるだろうし。

 続いて授業評価アンケートの用紙を配布し、記入してもらう。その間に数グループから頼まれた調査票を印刷しに走る。戻ってきて、教室にいる学生さんに配布する。手っ取り早くある程度ちゃんと協力してくれる対象者といったら、同じ授業を受講している人々である。今回の調査はあくまで練習なので、サンプリングや対象者の偏りといったことは差し当たり不問ということにしている。

 まだ調査票を書いている学生さんを置いて、僕は研究室に戻る。今度はこれから調査を実施するグループが列をなしていて、研究室の外に待ちが出る状況になった。調査票にざっと目を通し、気づいた点についてアドバイスする。まだ調査票ができていないグループや、僕のほうで依頼の話しを通さなければならないグループについては、少し時間を取って話しをする。

 教育学部の先生方を対象に質問紙調査を実施するグループに関しては、調査票の他に、僕のほうで協力をお願いする文面を用意する。そのグループが置いていった調査票を100枚印刷して、添え状と束ねてホチキスで綴じていく。何だか僕のほうが調査をやっているような気分だ。そのまま1階に下りて、それぞれの先生方のメールボックスに配布する。

 少し経ってから僕のメールボックス(ここが指定した回収先なのだ)を覗くと、数人の先生が回答してくださっていた。ご理解とご協力に感謝する次第。このグループには、きちんと集計結果を先生方に提示するよう、指示しなければいけない。

 夕方から、ずっとほったらかしにしてあった研究データに手を入れる。金曜日の研究会での報告のため、急ピッチで簡単な分析を進めていかなければならない。研究に時間を割けるのはいいことなのだが、いろいろな案件が交錯して、なかなか集中できないのがつらいところ。

 帰宅して、風呂で『ビッグコミックスピリッツ』を読む。半分くらい読んだところで居眠りをして、雑誌を湯船に落とす。そこから先は乾かして、明日読むことにする。

 少し風邪っぽい。少し仕事をした後、コタツで十分に温まり、母が作ってくれたゆずハチミツを飲んで就寝する。

1月15日(木)雪:〈比較〉するということ

2009-01-16 23:12:33 | 仕事
 外は雪模様。窓の外はすっかり雪一色だ。駐車場の車にもしっかり積もっている。駐車場に並んでいる車のなかで、僕の車が一番積もっている。どうも形状に難があるらしい。天井が平べったく、フロントガラスの傾斜がゆるいのだ。帰ったら雪を下ろさなければならない。

 雪が強く降っている。傘は差さない。ようやく先日買ったエディーバウアーのボマーハットの出番である。コサック兵のような出で立ちになる。サラサラの雪が降ってくれるとかえって歩きやすい。

 10時過ぎに出勤。YMを飲む。冷えた体に温かさが染み入るようだ。おかわりをして2杯飲む。ほっとさせてくれるやさしさが、この1杯(今日は2杯だが)にはある。

 3コマの「比較社会学」のノートをまとめる。ところがうっかり保存する前にレジュメを作ってしまったため(僕の授業レジュメは講義ノートを作り、そこから講述部分を削除する形で作る)、半分ほど消えてしまった。急いで作り直したが、先ほどの分量からすると全然足りない。ならば今日はアドリブで話すことにしよう。

 その「比較社会学」の授業は、来週がテストなので今日が最終回。四ノ宮浩監督の「神の子たち」(2001年)という映画を観る。フィリピンで再生可能なゴミを拾い集め、それを得ることで生計を立てている人々を捉えたドキュメンタリーだ。

 映像では、大雨で崩落したゴミ山に生き埋めになった子どもたちの遺体がそのまま撮されたりしている。直視できない場面もたびたびある。それでもそこには健気に生きる子どもたちの姿がある。日本のマスメディアも、こうした場所にはなかなか入っていかない。1995年に撤去されたスモーキーマウンテンからずっと追い続けている監督の意気込みが伝わってくる。

 こうした映像を観てもらったのは、子どもたちをかわいそうだと思ったり、それから比べれば日本社会に生きるわれわれは幸せだと認識してもらおうと考えたからではない。「神の子たち」がかわいそうなのか幸せなのか、それを測るモノサシは、あくまでわれわれ自身のもので、それを彼ら彼女らにあてはめることができるのか、ということを考えてもらうと思ったのである。

 もうひとつ、学校に行くということの意味を考えるきっかけを、この作品は与えてくれる。先週観た「誰も知らない」の明少年も、学校に通うことを強く願っていた。では学校に通うことによって、新たなライフチャンスを獲得することができるだろうか。日本社会においては、確かに学校が将来を保証してくれる社会装置であった時代があった。しかしそれさえも今は不透明である。「神の子たち」の世界についてはどうだろう。

 昨今、開発途上国に学校を作ることがちょっとしたブームになっている気がする。もちろんそれは意義あることだし、子どもたちにとっても、学校に行けることは幸せだろう。ただ、そうした考え方じたいが近代社会を生きているわれわれの価値観によっていることに自覚的である必要はないか。学校に通うことが望ましいということもまた、ある種のエスノセントリズムになりかねないのである。

 だとすれば、社会を〈比較〉するということは実に難しい。それでも思考を深めるうえで〈比較〉は有効な方法である。そうしたちょっとすっきりとしないメッセージをもって、今年度の「比較社会学」の授業を終えた。

 4コマの「公民演習」は、玉野和志『東京のローカル・コミュニティ』の1・2章を読む。読みやすさを考慮して平易な文体で書かれているので、読んでいて楽しい。地域社会の変容に、戦争という社会変動がどのように関わっていたか、さらには軍隊経験がその後のライフコース(それは戦後にも引き継がれる)に及ぼした影響など、勉強になるところが多かった。

 5コマの時間は「地域生活調査実習」の学生さんが相次いで研究室にやってくる。いずれも授業で行うグループごとの調査に関わる相談。持参した質問紙にコメントをしたりして、調査に送り出す。アポ取りから学生さんに任せる。応じてもらうばかりでなく、断られることも今のうちに経験しておいたほうがよい。

 ひととおり仕事を終えて、「マルコ・ポーロ」といういただきものの紅茶を飲む。フルーティーな薫りがよい。

 雪の中を弘前駅まで歩く。月末の東京出張のきっぷを手配する。この時期は鉄道も飛行機も雪の影響は避けられない。どちらが安全確実かはそのときになってみないとわからない。とりあえず鉄路を選択した。

 夕食後、録画しておいた「チーム・バチスタの栄光」と「風のガーデン」を続けてみる。

 雪は小やみになった。車の雪を払いのけて「健康温泉桃太郎」へ。天気も天気だし、時間も時間だからか、お客さんは少ない。露天風呂に浸かる。再び降ってきた雪を眺めながらのんびりするのは実にいい。

1月14日(水)雪:会議三昧

2009-01-16 22:24:47 | 仕事
 8時半起床。いつもより早めに大学に出る。少し急いでNo.2を飲む。冷えた体が温まる。ポットやマグカップはそのままにして、10時からの会議に急ぐ。

 メンバーのなかでは一番年齢が下なのだが、立場的に上座に近いところに座る。かなり真面目な雰囲気の会議なので、あえて堅苦しくならないように、くだけた感じでしゃべってみた。1時間あまりの会議だったが、充実した内容だった。

 研究室に戻り、昼食を買ってちょっと休憩。ほどなくして正午からの講座会議に出る。終わったころには3コマの時間帯に入っていた。冷めた弁当を急いでかき込み、テーブルの上に散らかっていた本や資料を片づける。どうにかゼミの時間までに間に合わせる。

 4コマのゼミはギデンズ『社会学』2章、文化と社会を読む。「社会学概論」の授業で話した内容のおさらい的な内容だ。この章では日本の事例がわざわざ取り上げられている。

 2000年1月に当時の小渕首相が私的諮問機関として設置した「二十一世紀日本の構想」懇談会がそれである。「多くの人たちを驚かした」東進の内容とは、「日本が目下の社会悪に効果的に取り組もうとするなら、国民は自分たちの中心的価値のいくつかを手放す必要がある」というもので、具体的には「日本の文化が従順さや平等な立場にあまりにも価値を置きすぎている」とし、「日本社会の『過度な同質性と画一性』を薄めるための対策を求めた」とある。

 それから10年弱の時間が経った今、この文書を読むと実に感慨深い。「悪平等」なることばがいわれるようになったきっかけの果てに、今年の年末年始は「派遣村」がメディアの話題をさらったのである。

 ゼミが終わった後、お茶を飲んで懇談しているゼミ生たちを残して委員会へ。時間的には短かったが、重要案件が並んでいたので緊張する。とくに予算がらみの問題は、うっかりすると大変なことになるので、ひときわ気を遣わねばならない。任期は今年度いっぱいなので、何とか無事に終えられるように。

 夕食は人民食堂で済ませ、いつもより少し早めの帰宅。今日は仕事をする気になれなかったのだ。

 「日本史サスペンス劇場特別版 東大落城~安田講堂36時間の攻防戦…40年目の真実~」をみる。東大安田講堂をめぐる機動隊と学生との攻防は、先の「比較社会学」の授業でも取り上げた。この番組では、当時の映像とドラマ場面とを組み合わせて再現する形を採っている。再現ドラマと実際の映像との質感が違うため、みていて戸惑うことはない。とはいえドラマ部分もなかなかよくできていて、バリケードや建物内部の様子などがかなりリアルに作り込まれている。

 当時を知らない僕などは、どうしても安田講堂攻防戦にばかり目が行ってしまうのだが、ここでは工学部列品館や法学部研究室、さらには御茶ノ水・神田界隈での「市街戦」の様子も描かれている。

 それにしても、一般市民まで巻き込む形で街が破壊される光景の凄まじさと、その一方で東大キャンパス内には機動隊が横溢しているというのに、その前の本郷通りには車が普通に走っている様とのギャップには驚かされる。今だったら周辺道路は完全封鎖されるところだろう。あくまでも「局地戦」なのだ。

 実際の戦いをみていると、それまでの想像に反して、学生たちが「健闘」したことがわかる。数時間で片がつくと思われていたものが、実際には一晩持ちこたえたこと、しかも安田落城ののちも街頭でのデモは継続していた。

 陣内孝則が、現場を指揮した佐々淳行を演じている。ちょっとカッコよすぎる感じだ。対して綿引勝彦の秦野章(警視総監)がよかった。子ども心に「コワモテの大臣」という記憶があって、それにぴったりだった。

 今の大学生にとって、そして僕にとっても、70年前後の学生運動というのは、理解を超えた過去の物語になってしまっている。それでもどこか引きつけられてしまうのはなぜだろう。決してカッコいいなどとは思わないし、憧れもしない。距離が広がればこそ、かえって「好奇心」を喚起するのかもしれない。
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1月9日(金)晴、夜に雨:庫入り

2009-01-10 14:24:35 | 仕事
 8時半起床。すっきりとした青空が広がっている。気温も高いようだ。この時期には貴重なおひさまと青空である。

 大学に出て2コマの授業の準備。1コマと2コマの間の休み時間にNo.2を淹れて飲む。ちょっと慌ただしいインターバルだが、今日もおいしい。

 2コマの大学院「社会学演習」は、冬休みをまたいでの「裸の十九才」の後半部分を観る。次々と重ねていく犯行と、逃避行のなかでで出会う裏切り(この辺は創作なのか事実なのか判然としない。ただ、いかにも新藤兼人作品的ではある)。そして一度は捨てた(隠した)はずのピストルを、再び手にする。そして逮捕へ。拘置所での母親(音羽信子)との会話は胸を打つ。

 議論では、短絡的に捉えられがちな少年犯罪の背景の複雑さ、といったことが論点になる。意図的かそうでないのかわからないが、学校の教師は進学組には親切丁寧(しばしば笑顔を振りまいたりもする)であるのに対し、就職組にはどこか冷淡である。そうした処遇が子どもにとって後々まで「怨念」になることもあるのかもしれない。

 午後はしばらく地図を眺める。今まで収集した地図は戦前のものだったが、今回は戦後のものも手に入った。建物疎開でできた通りや、戦後復興で趣を一新した街区などがよくわかる。青森駅から港湾部に伸びる線路(臨港線)の跡がどの辺になるのか、といったことも確かめることができる。面白い。もしこれから大学に入って勉強し直すとしたら、断然人文地理学を勉強したい。

 いいお天気なので、研究室に閉じこもっているのももったいない。駅のほうに散歩に出る。雪がないので道路も歩きやすい。駅まで歩いてドトールでコーヒーを飲み、宮脇書店で新刊書をチェックする。

 大学に戻るも、すぐに研究室には戻らず、図書館の書庫へ。狭くて埃っぽくてときどきあるべきところに本がなかったりする大学図書館が最近お気に入りの場所になってきた。整序されていないがゆえの思わぬ発見があったりする。今日はここ、とターゲットの棚を決めて、端から端まで眺めるのがよい。こういった本探しをしていると、OPACでは絶対に行き当たらないものに出会えたりするのが楽しい。しかもどうやら教職員でも滅多に入ることができない「奥の院」のような場所があるようだ。浅いと思っていたが、実は奥が深いことがだんだんわかってきた。

 研究室に戻るとすでに夕食の時間に近くなってきた。人民食堂でそそくさと食事を済ませ、昨夏の鰺ヶ沢調査の報告書作成に着手する。パワーポイントを見返しながら、教員が解説文を書くというもの。概ね8000字程度ということらしい。期限は2週間先だが、早めに済ませてしまいたい。

 帰宅して、最近再開した風呂での『昭和史発掘』の読書。先日ニトリでバスピローを買ってきたので、読書環境としてはますます充実してきた。だがうっかりして本を湯船のなかに落としてしまった。ますますしなしなになる。今日は2巻の「天理研究会事件」のくだりを一気に読む。これほど大胆な「不敬」事件があったなんて知らなかった。ようやく3巻だが、これまた先が楽しみだ。

1月7日(水)曇:悪い質問

2009-01-08 01:32:04 | 仕事
 目覚ましは確かに9時にセットした。スヌーズで鳴るのを何回目かに止めた記憶がおぼろげながらある。結局30分ほどの寝坊。授業は午後からだが、少し急いで大学に出る。

 年が明けてから(僕が戻ってから)こちらではまとまった雪は降っていない。おかげで車は走りやすくなった。しかし歩道にかき寄せられた雪はかちんかちんに固まって、歩きづらいったらありゃしない。これなら新雪が降ってくれたほうが歩くのには都合がいい。

 エメラルドグリーンのNo.2を飲む。ポットもマグカップも温まっていたので、すぐに冷めない。おいしくいただく。年末年始は少し胃の調子が悪かったのだが、ハーブティー効果かすっかり元に戻っている。

 先日複写してきた「東奥日報」のコピーを整理しながら眺める。ついでに同社が出した『新聞記事に見る青森県日記百年史』も引っ張り出す。こういった資料を割と手ごろな値段で出してくれるので、とても頼りになる。以前野村一夫さんが『社会学の作法』のなかで、地方新聞は侮れない、といったことを書かれていたと思うのだが、「東奥日報」は侮れないどころではない。歴史と網羅性と、とてもすぐれたメディアだと思っている。

 今日は水曜日だが、月曜日の授業日ということになっている。よって3コマに「地域生活調査方法論」が入る。つい一昨日授業をやったばかりなので、変な気分だ。

 今回一回で質問文を作成するに当たっての基本的な注意事項を述べる。悪い質問文の例を出して、学生さんたちに尋ねてみる。例えば「あなたのきょうだい数は何人ですか」といったもの。すると6人、2人、2人、という答えが返ってきた。このうち6人と答えた学生さんは自分自身を6人のなかに含めている。2人と答えた2人はいずれも自分を数のなかに入れていない。ゆえにこれだけでは混乱が生じるのだ、といった話しをしていく。

 ますますアンケート調査に対する抵抗感を与えてしまったかもしれないが、この授業でやる調査はあくまで練習だ。失敗してもかまわないし、むしろ積極的に失敗して、本番でしっかりできるようになってくれればいい。

 調査に向けてのグループの話し合いの様子を覗きみる。だいぶ進捗状況に差が出てきたようだ。それを埋め合わせるようなサポートは、こちらから進んではしないつもりでいる。様々な依頼や相談といったことも調査を行ううえで大事な作業なのだ。

 授業の後、研究室で4月からゼミに入る1年生と雑談。今までのゼミ生よりも授業で接する機会が多かった分、割とスムースに入ってこれるんじゃないかな。

 夕方から夜にかけて授業の準備。すでにラストスパートというか、いい方は悪いが、消化試合的な展開になってきている。残りの日程をこなしたうえで試験、といった雰囲気だ。試験は、受ける学生さんはもちろん大変だが、採点する教員の側にとっても結構な試練である。問題作成にも結構頭をひねらなければならないのだ。

 帰宅は少し遅めに。「チーム・バチスタの栄光」をみようと思ったら、今日はラグビーの試合があって、放送はなかったようだ。ちょっとがっかり。代わりに「風のガーデン」の初回をみた。なるほど、こちらもこれから楽しめそうである。

1月5日(月)曇:仕事始め

2009-01-07 00:54:16 | 仕事
 8時半起床。いつもより30分ほど早く大学に出たのは新年の挨拶をするため、などではなく、今日の授業準備が終わっていないからである。月曜日の授業が祝日などでつぶれたため、回数確保のために今日から始まるのだ。大学に出る途中、小学生が遊び回っていた。小学校が休みだというのに、何で授業せにゃーいかんのや、と少しテンションも下がり気味。

 グチってばかりいても仕方がない。仕事は仕事。今年最初のNo.2を飲むと、体も温まって気分も改まる。だが、今日はなぜかスチームの効きが悪い。手をかざすと熱を感じるから稼働はしているのだろうが、いつもなら研究室のドアを開けた途端にもわっとした熱気を感じるのに、それがない。ファンヒーターを焚く。

 3コマの「地域生活調査方法論」は、質的調査の手順について。たった90分で参与観察・非参与観察と聞き取り調査の最低限のやり方を説明する。2年前期の調査に間に合わせるためには、一応やっておかなければ、というギリギリのレベルの講義。聴いている学生さんたちの反応が悪いのがはっきりとわかって、僕自身もいつもと比べて楽しむことができなかった。

 授業の後で、簡単なアンケート調査を行おうとしている学生さんが相談にくる。改善すべきポイントなどを数点アドバイスする。こうやって聞きにきてもらえると僕としても助かる。

 それにしても寒い。雪が降らないせいかもしれないが、これまでの弘前の冬より寒い感じがする。お茶やコーヒーを取っかえ引っかえ飲む。それでもなかなか体が温まらない。

 仕事はあれこれ残っているのだが、手がかじかむので早々に帰宅する。コタツに入りながらノートパソコンで作業をするほうがいい。もっとも、コタツでの作業は往々にして居眠りにつながってしまうのが危険なところ。

 夕食後、録画しておいた「チーム・バチスタの栄光」をみる。フジテレビ系列の局のない青森では今日からスタートだ。映画とは結構違った作りのようで、面白そうだ。何といっても白鳥圭輔役が仲村トオルなのがいい。ちなみに大久保先生やうちの両親が絶賛していた「風のガーデン」も今日から始まった。2つのドラマをしっかり録画して夜の楽しみにしよう。

12月24日(水)晴後曇後雨:戦争を思う

2008-12-25 01:44:17 | 仕事
 一応冬休み、である。10時に目を覚ます。郵便局に行き、人生銀行で貯めた500円玉を預ける。10万円ちょうどのはずなのだが、数えたら10万5000円あるとのこと。どういうことだろう。消費税分多く貯金するような仕掛けになっている、なんてことはないのだが。

 宮脇書店で郷土史関係の本を物色。弘前だとここと紀伊國屋書店が最も品揃えのいい本屋さんということになる。もっとも、もっぱら眺めて注文は生協で、というパターンが多い。それと店舗が広いので、かえってコミックなんかは探しにくい。その点イトーヨーカドーに入っているくまざわ書店なんかのほうが便利だったりする。

 青森銀行で通帳の繰り越しをする。昨年もほぼ同じ時期に繰り越しをしている。何となく年も押し迫ったところでこういったことを片づけてしまいたくなるのかもしれない。

 ようやく大学に到着。遅ればせながらYMを淹れて飲む。いつもは座って飲むのだが、今日は立ったまま窓の外を眺めつつ飲む。少しため息をつく。

 スコーラムで昼食。最近太り気味なので、ランチを避けてパスタを食べた。コーヒーを2杯飲んで支払いを済ませ、図書館へ。書庫に入って郷土史関係の棚を端から眺める。これまで蔵書の充実という点でどうも今ひとつな感じが否めなかった図書館だが、さすがに青森関係のものは充実している。ネットでタイトルだけみて、発注しようかどうか迷った本もかなり揃っている。予め内容をチェックしておけば、安心して注文することができる。

 『青森市史』を中心に借りるつもりだったのだが、副産物として古写真や絵葉書を扱ったものをみつけることができた。両手で抱えて研究室に持ち帰る。

 どこの地域でもそうだが、戦後開拓を考えるうえで戦災被害は不可欠の要素である。よって青森空襲に関する文献も何点か借りてきた。1945年7月28日の空襲前と空襲後の写真をみて、その被害の大きさに息を呑む。青森というのは、整然としていてきれいな町なのだが、近代建築は少なくて、その点ではどうもつまらないところだと思っていた。しかし焼失前の青森の町並みは実に美しい。そして、かろうじて焼け残った鉄筋コンクリート建築が、われわれの研究にとって重要なカギを握っていそうだということもわかってきた。

 もともとは山田野調査に関連した文献収集なのだが、いつの間にか青森に関する文献収集になってきている。それだけ「県都」のもつ意味が大きかったということだ。

 夕方から、インタビュー調査の内容を聴き直しながらライフコース整理表に書き込めるだけの情報を付加していく。地名を調べるに当たっては『青森県地名辞典』が大いに役立った。音声を頼りに索引をみていくと、たいてい明らかになった。

 飯島愛の訃報には驚いた。別にファンというわけではないが、同世代でもあるし、赤裸々に綴った自伝には驚かされた。その流転の果てが、孤独なものであったところに哀しさを覚える。

 人民食堂で夕食。こんな日でも学食とはわびしいが、幸い同僚の先生がいらしたので、一転楽しいひとときとなった。

 研究室で引き続き仕事をしながら、「シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東條英機」をみる。ドキュメンタリー映像とドラマの組み合わせで構成されており、これまで「戦争の首謀者」として描かれてきた東條の人物像から、当時の世論をリードした徳富蘇峰といったところまでスポットが当てられている。

 昨日新聞を読んでいたときには、思っていた以上に東條をめぐるスキャンダルが暴露されていて、ちょっと面食らった。娘の夫の昇進に便宜を図ったとか、公私混同が甚だしかった、といった告発調である。その真偽はともかくとして、相当にメディアが昂奮していたことがわかる。

 それにしても、東條英機役のビートたけしは明らかなミスキャストだと思う。どうみても東條にはみえないし、科白回しもよろしくない。かつて彼が演じた千石イエスとか大久保清なんかが素晴らしかっただけに、どうも物足りなく感じられた。

 対してドキュメンタリーの部分については、保阪正康さんを登場させて、当時の国家システムなどについても割とわかりやすい解説がなされていてよかったと思う。

 楽しいクリスマス、というのとは裏腹に、何かと戦争に思いを馳せた一日だった。もっとも、この日こそ平和を祈るのにふさわしい日はないのかもしれない。

12月19日(金)晴:3つの仕事

2008-12-22 03:11:09 | 仕事
 金曜日はいつもの9時より1時間から30分ほど早く起きる。いいお天気だ。研究室で見田宗介「まなざしの地獄」に目を通す。

大学に着くと、何やらただならぬ雰囲気である。聞くと昨夜学部に泥棒が入ったとのこと。いくつかの研究室が荒らされたらしい。夜には地元テレビ局のニュースにもなったようだ。僕の研究室は難を逃れたようだ。パソコンではなく現金だけが盗られたというのはちょっと不可解。大学というのは現金はそうあるところではないはずなのだが。

 2コマ前の休み時間にYMを飲む。いつもならこれで仕事のスイッチが入るところなのだが、今日はいきなりの騒ぎがあったので、切り替えという意味ではちょいと控えめ。それでもやっぱりこのお茶はおいしい。

 大学院「社会学演習」は、「裸の十九才」を観る。今回は併せて見田宗介「まなざしの地獄」もテキストとして読んできてもらった。2時間の映画なので、編集の必要があったが、僕の個人的な思い入れもあって、年をまたいで2回に分けて観ることにする。今日は前半部分。山田道夫の家庭環境にまつわる話しまで。

 テキストと映画とを比べてみると、かなり実際の事件に忠実に作られているのがわかる。ロケも津軽で行われた感じだ。唯一違うところがあるとすれば、永山則夫が背が低い(「まなざしの地獄」にそう書いてある)のに対し、山田道夫を演じる原田大二郎はかなりの長身である。一緒に集団就職した仲間と比べても、際立った存在感がある。

 履修者の先生のご家族には、実際に集団就職を経験された方がいらっしゃるそうで、直接お聞きになった話しなども披露してくださった。年明けの授業では、もう少し「まなざしの地獄」のほうに軸足を置いた議論ができればと思っている。

 生協の出店の弁当を食べ、総合401教室へ。「社会とジェンダー」の僕の担当の2回目の授業。労働市場におけるジェンダー格差を取り上げた。差別を問題にするより、数値で表せる格差を扱ったほうが学生さんにとっては刺激になることは、これまでの何回かの授業でわかってきたことである。コメントも感情的なものにならず、割と冷静に書かれたものが多かった。

 今回は授業の感想なども寄せてもらった。好意的なものが多い。語り口が面白い、とか、小ネタがよかった、といった感想には思わずほくそ笑む。

 研究室に戻り、明日の聞き取り調査の準備と打ち合わせ。どのようなことを聞いていくか、作戦を練る。秋の調査は建物にまつわる話しを聞いていったが、今回はライフヒストリーが主になる。明日も前回お世話になった方々にお話しをお聞きするので、事前に持っている情報をライフコース整理表に記入していく。やはり情報は少ない。それだけ聞かなければいけないことが多いということだ。

 夕方からは3つの仕事に取りかかる。すべて今日中に終わらせなければならない。ひとつめは、来年担当する非常勤の授業の講義要項原稿の作成。とっくに書類は届いていたのに、つい先日まですっかり失念していた。15回分のシラバスの作成はまだ先なのでいくらか気分はラクだが、あれこれ頭をひねりながら文章をまとめる。郵送で送らなければならなかった書類は、捺印が不要なのをいいことにスキャンしてPDFファイルで送った。まずこれでひとつ終わり。

 ふたつめは社会調査士の資格科目の申請。締め切りは明日20日だが、調査に出かけてしまうので今日中に済ませてしまわねばならない。こちらも今年からはWeb申請が可能になったとのことで、ラクではある。それぞれのご担当の先生方に修正していただいたファイルから、文面をひとつひとつコピー&ペーストする。ちょっとドキドキしながら、「申請」ボタンを押す。終了。

 みっつめは明日の調査に向けてのライフコース整理表の調製。時には対象者の方にみていただくこともあるので、文字のフォントをできるだけ大きくし、かつマクロな歴史的事象だけではなく、地域にまつわる出来事も加えた。今回の調査の場合には、大きな事件以上に身近な地域の動きがライフコースに影響している可能性があるので、ここのところを充実させておくことが肝要なのだ。これも何とか終わる。

 1時半に大学を出る。いつもなら誰もいない時間帯なのだが、忘年会シーズンなのだろう、サラリーマン風の人に学生風の人がぞろぞろと歩いていた。帰宅するなり、すぐに熱い風呂に入る。ほっとする。

12月17日(水)晴後曇:動き出す

2008-12-18 03:50:25 | 仕事
 いつもより30分ほど早起きをした。今朝はスーツを着ていく必要があるからである。滅多に身に着けないせいで、僕はネクタイを巻くのが下手くそである。巻いてはみたものの、長すぎたり短すぎたりでやり直すことたびたびである。幸い今日は一回でうまくできた。

 大学にも普段より少し早く着く。ハーブティー用のポットとマグカップを温蔵庫に入れて温めておく。頃合いをみてポットにYMを入れ、お湯を注ぐ。カップが温まっていると、冷めるのもゆっくりで、それだけ温かみを長く楽しむことができる。

 11時過ぎに本部棟に行く。そうそう足を踏み入れることのない建物である。新たに「男女共同参画推進準備室」というものが立ち上がり、僕もメンバーになった。各部局から代表者が出て行くのだが、11人のメンバーのなかで男は僕一人である。しかも一番若造である。学長先生の挨拶の後、各自が自己紹介をして、室長と副室長を決める。室長は研究会でお世話になっている先生が就任された。これは既定路線だったらしい。だが副室長は候補者がいない。しばらく沈黙が流れた後で、どうせなら男性の意見も、などという話しになった。首をぶんぶんと振って辞退しようとしたが、結局お引き受けすることになった。よく存じている先生のサポートだから、やりやすいけれど、そもそも僕なんかでいいんだろうか。社会学をやってはいるが、ジェンダーについては「仕事」だから何とかやりくりして教えているだけで、専門的な知識など絶望的にないのだがなあ。

 今日は教授会があって、ゼミの時間が短縮になるのだが、3年生は3コマの授業が休講になったので、1時から始めることにした。今年最後のゼミでもあるし、ボーナスも入ったので、スコーラムに行く。久しぶりに行ったら、ゆうこりんパスタが復活していた。迷わず頼む。

 食事を終えた後、食器を片づけて文献報告。『社会学』の「犯罪と逸脱」の後半部分。報告者がコメントで出してくれた「少年犯罪が社会の安定の指標とみなされる」(うろ覚え。確かこんな趣旨だったと思う)ことの妥当性について議論した。なぜ一般成人ではなく、若者なのか。人々が(とりわけ社会学者が)青少年に関心をもつ理由というのは、一見わかりやすそうで、突き詰めて考えるとなかなか難しい。単なる「未来の担い手だから」という説明は安易に過ぎる。

 3時から教授会。いつもよりは早く終わったような気がする。事実としてはあやふやなのは、途中若干意識を失っていたせいだ。

 研究室に帰ると、鰺ヶ沢の鳴沢公民館から今度の週末の聞き取り調査のスケジュールを記したメールが届いていた。大学から研究費をいただいて、山田野での継続調査を行うことになったのだが、対象者の方との連絡の労は、夏のときと同様に公民館の職員さんに甘えさせていただいた。

 時期が時期だけに、年明けにずれ込むかも、と思っていたところもあって、事前の準備は十分でない。大急ぎで動き出す。必要機材の調達とか、一緒に調査する学生さんに予め渡しておく資料の用意とか、そして夏休み中の調査内容の整理(同じ対象者の方により突っ込んだお話しを聞くためには、一度聞いたことをまとめたうえで臨む必要がある)とか。しばらく停まっていたものが、徐に動き出した感じがする。

 前回はわれわれの他に、公民館の職員さんや町の学芸員さんに同行していただいたが、今回はわれわれだけで動くことになる。土地については素人だから、いろいろと大変な面もあるだろうが、楽しみでもある。夏草に覆われていた兵舎は、葉が落ちた今はどんな感じにみえるのだろうか。いろいろな「再会」と新たな「出会い」が待っている。