終戦からしばらくたった昭和24年3月30日、夕方。
今の名立漁港付近に、国籍不明の機雷が流れ着きました。
ちょうど春休み。沢山の子どもたちも見に来ていました。
元海軍だった駐在さんが沖に出そうとした時に、大音響とともに爆発。
63人の尊い命が犠牲になったのです。
そのうち、19歳以下の子どもたちが59人。
大半を占めます。中には、おんぶされた乳児も・・・

この痛ましい事件を風化させないぞと、名立区では、今年、「名立の子どもを守り育む会」が中心になって、新たな活動が始まりました。
(詳細は後日に)
今日は、慰霊碑の移転式
国道の拡幅工事に伴い、もと漁業組合があった広々した場所に移転しました。
地元遺族、亡くなった駐在さんの息子さんなども集まって、厳かに開催されました。

今の上越市名立区。爆音や銃声が聞こえない状態が当たり前・・・。
でも世界には、爆音や銃声が、毎日聞こえる国や地域もあります。
今を生きる子どもたちに伝えたい、そして、ずーっと伝え続けたい、大きな事件です。

今の名立漁港付近に、国籍不明の機雷が流れ着きました。
ちょうど春休み。沢山の子どもたちも見に来ていました。
元海軍だった駐在さんが沖に出そうとした時に、大音響とともに爆発。
63人の尊い命が犠牲になったのです。
そのうち、19歳以下の子どもたちが59人。
大半を占めます。中には、おんぶされた乳児も・・・


この痛ましい事件を風化させないぞと、名立区では、今年、「名立の子どもを守り育む会」が中心になって、新たな活動が始まりました。

(詳細は後日に)
今日は、慰霊碑の移転式
国道の拡幅工事に伴い、もと漁業組合があった広々した場所に移転しました。
地元遺族、亡くなった駐在さんの息子さんなども集まって、厳かに開催されました。

今の上越市名立区。爆音や銃声が聞こえない状態が当たり前・・・。
でも世界には、爆音や銃声が、毎日聞こえる国や地域もあります。
今を生きる子どもたちに伝えたい、そして、ずーっと伝え続けたい、大きな事件です。

今日の夕方(8/13)、BSNテレビのニュースで名立機雷爆発の特集を放送していました。
当方の今は亡き父親は旧名立町の赤野俣から青海へ婿養子に来た人です。
自分も還暦を過ぎた年代ですが、学生だった少年時代に「流れ着いた機雷をおまわりさんが片付け様としていた時爆発し大勢の人々が亡くなった」と良く話してくれた時の事を思い出しました。
距離的にそんなに遠くない名立ですし、上越市へ行く時にも通るので国道脇の旧慰霊碑は目にしていました。
テレビニュースを見て、亡くなった殆どの方は幼い子供たちであったと知り、戦争に縁の無い子供たち、戦争の遺物で亡くなり改めて戦争の悲惨さを実感しました。
コメント、ありがとうございます。
8/17の21:00代のNHK全国ニュースでも取り上げていただきました。
「地域の子どもは地域で育てよう」を合い言葉に昨年4月に設立された「名立の子どもを守り育む会」という組織が、機雷爆発事件の伝承を、今、中心になって進めています。
僕ら親世代も忘れがちな、先の大戦の記憶・・・
子どもたちにも、ずーっと伝えていきたいと思います。
中学校の図書室で、とある一冊を手に取ったのがきっかけでした。その本には、機雷が海辺に打ち上げられたこと、名前は忘れましたが、一人の軍出身の巡査が処理にあたったこと、巡査は野次馬たちに危険だから離れてくれという旨をさんざん警告していたこと、そして事故が起こったときの凄惨な現場、被害の範囲など、克明に記述してあり、とても生々しかったことを覚えています。小話形式で書かれている本で、別の話では津波の話も載っていました。この本のおかげで私は「tsunami」が日本発の国際語であるとも教えられました。
ただ、奇妙なことに、後からいくら探しても、その本を見つけることができなかったのです。私はその本を、ちくま文庫の「おそろしい話」だと記憶していたのですが、実際その図書室でどれだけ探しても、また、現在ネットで検索してみても、ちくま文庫の「おそろしい話」はまったく別の内容の様子。私が出会った本は、どこの出版のなんという本だったのか、結局10年以上経った今でもわからずじまいです。
どんなに探しても本が見つからなかったことから、私は長いこと「きっと今まで調べてきた事件史や事故史が混ざって自分の頭の中でそういう話を作り出してしまったのだ」と決め付けていました。しかし、この事故が史実だとわかったとき、思わずこのコメントを寄せずにはいられませんでした。
何気なく手に取った本のおかげで、遠い新潟の事故が鹿児島という土地まで、半世紀もの時間を越えて私の心にしっかりと伝わりました。あの本を手に取ったのは中学一年の一学期だとはっきり覚えています。本は財産であり、知識と記録は現在を生きる私たちへの警告でもあり贈り物でもあります。一期一会になってしまった本でしたが、それゆえに一冊一冊の出会いを大事にするよう叱られた気持ちになりました。
あの本を手に取り、名立機雷事故を心に深くとどめた方は少なくなかったでしょう。残念ながら歴史や事故、災害は時とともに風化していってしまうものです。事故を知る方がご存命でいらっしゃるうちに、事故の詳細を聞き取り、文書化していただけたらと切に願います。
管理人です。
コメント、ありがとうございました。
うれしかったです。
前のコメントと、一部かぶるかもしれませんがお許しください。
「名立の子どもを守り育む会」という組織が、平成21年4月に設立されました。
子どもたちの育成や地域の教育活動を、住民みんなで考えていこうということで発足しました。
私も、設立に向けた準備にかかわりました。
準備作業では、まず最初に、「名立の子どもたちをどう育てるか」、「名立の子どもたちに何を伝えていきたいか」ということを話し合いました。
最終的に、1つの意見として出されたのが「名立機雷爆発事件」でした。
会の名称に「守り」という言葉が入っていますが、この爆発事件が由縁です。
埋もれかかった歴史と平和の尊さを伝え、子どもたちを、2度とこんな目に遭わせないという、会の準備作業にあたった人たちの強い想いからです。
遺族の方などの記憶や想いを、DVDに残す作業を今年度行いました。
もうすぐ出来上がるはずです。
また、名立の歴史を演劇化して活動する「いろり座」というアマチュア劇団が地元にあります。
今回、この機雷爆発事件を取り上げ、脚本にして、事件のあった3月30日に、初上演会を開催します。
まもなくです。練習も佳境だとお聞きしています。
このように、活動も広がっています。
こうコメントをいただくと、いい意味での奇妙なご縁を感じます。
遠く鹿児島の方が、この事件に関心を持ってくれたのは、本当にうれしい限りです。
鹿児島といえば、知覧飛行場がありましたよね。
映画にも取り上げられたり・・・
先日も、「あんどーなつ」という菓子職人の漫画を見ていたら、知覧飛行場のことが取り上げられていました。
こちらも、悲しい記憶ですね。
機雷爆発事件について、資料などもありますので、住所などお聞きできれば、お送りしたいと思います。
もしよろしければ、「sawashi★lapis.plala.or.jp」までご連絡ください。(★印を@に変えて)
引き続き、関心をもっていただけれたら幸いです。
ありがとうございます。