ケガレの起源と銅鐸の意味 岩戸神話の読み方と被差別民の起源 餅なし正月の意味と起源

ケガレの起源は射日・招日神話由来の余った危険な太陽であり、それを象徴するのが銅鐸です。銅鐸はアマテラスに置換わりました。

ケガレの起源と銅鐸の意味31 烏勧請の起源 第2部 烏勧請にみる西日本と東日本

2016年10月02日 09時30分14秒 | 日本の歴史と民俗
   烏勧請の起源 第2部

   烏勧請にみる西日本と東日本


   はじめに
烏勧請とは
 烏勧請については『日本民俗大辞典』の「からすかんじょう 烏勧請」から要約する。これは「烏勧請の起源」第1部に載せた要約と同じである。
正月行事や事八日、収穫儀礼などで烏に餅や団子などを食べさせる行事。家ごとの年中行事として行われるものと神社の神事として行われるものがある。後者は御鳥喰(おとぐい)神事(しんじ)、鳥喰(とりばみ)神事(しんじ)などといわれ、広島県厳島神社、滋賀県多賀大社、愛知県熱田神宮など西日本各地の神社に伝えられていた。前者の家ごとの年中行事として行われているものは、東北から九州まで全国各地に伝えられていた。各地の事例を整理すると、第一のタイプ、正月の山入りの際に行われるもので、行事の理由は厄病除け、災難除け、吉凶判断、分布は東北地方北部。第二のタイプ、正月の鍬入れの際に行われるもので、田んぼに早稲・中稲・晩稲と餅や米を3カ所並べて置いて烏がどれを先に啄むかによって作占いをする、分布は北関東に濃密。第三のタイプ、春と秋の事八日の行事の中で行われているもので厄払い、疫病神送り、東北の一部と中国・四国とに限られた特徴的な分布。第四のタイプ、秋の収穫儀礼で鳥の害を除けるとか、田の神への供物、九州にみられる。供物はいずれのタイプも餅、米、団子、まれにイモである。

 さらに、今回も考察を進めるうえで、その基点ともいうべき射日神話、それにつづく招日神話を萩原秀三郎の『稲と鳥と太陽の道』から再録してお(()く(1))。萩原によると射日・招日神話とは旱魃をもたらす余分な太陽を射落として順調な日の巡りを回復させるという中国古代の天地創世神話のなかの一話で、北アメリカ東部から北方ユーラシア、東南アジア、インドのアッサムにいたるまで広く分布し、日本列島にも伝播したものである。
昔、太陽は10個あり、地中に住み、地中で湯浴(ゆあ)みしていた。東の果ての湯谷(とうこく)の上に巨大な扶桑の木があり、10個の太陽は湯谷の扶桑をつぎつぎ昇って、一日(いちじつ)ずつその梢から天空へと旅立ち、西の果ての蒙谷に沈み、地の下(水中)をもぐってほとぼりをさまし、再び湯谷に帰っていた。
太陽にはそれぞれ烏(はじめ二足、後に陰陽五行思想の影響で奇数を聖数とすることから三足に)が住んでいて、樹上から飛び立っていた。あるとき、10個の太陽が一度に空を駆けめぐった。大地の草木は、みるみる焼け焦げ大変なことになった。弓の名手・羿(げい)が太陽の中にいる烏を九羽まで射落とし、地上の人々は焼死を免れた。(『山海経』『淮南子』ほか)

 そして射日神話のあとには、招日神話という太陽を招く話がつづく。『稲と鳥と太陽の道』からさらに要約する。この神話には多くの異伝があるが、貴州省に伝わる昔話によると、9つまで射落とされた兄太陽たちをみて末っ子の太陽はこわくなり山のむこうへ逃げてしまった。地上は真っ暗になり、人間たちはほとほと困ってしまった。シシやアカウシに呼んでもらったがうまくいかず、続いて頼まれたオンドリが発声の練習を重ねたすえ、その美声で末っ子太陽に呼びかけてようやく太陽がもどってきた、という話である。
すでに第1部の「はじめに」で述べたように烏(からす)勧請(かんじょう)にまつわる謎はおもに次の4点である。
①なぜカラスなのか。
②なぜ餅や団子を与えるのか。
③なぜ早朝に行なうのか。
④なぜ西日本と東日本で内容が違うのか。

 このうちの①②③については「烏勧請の起源 第1(()部(2))」で解いた。つまり、太古、稲作農耕文化にともなう射日・招日神話において、カラスは太陽であり、太陽を運ぶ鳥であり、さらに太陽の昇降や鎮静を司る大役を負った鳥だったのである。人々は祭りの夜を徹して日の順調に巡ることを祈り、強すぎる太陽の象徴としての餅や団子を余った太陽として、日が昇るまえに、祭りの最後にカラスに与えたのである。餅や団子は太陽の象徴、それも強すぎる太陽、余った危険な太陽の象徴なのである。したがって烏勧請でカラスに餅や団子を与えるというのはカラスに危険な太陽を運び去ってもらうという意味なのである。
 そして今回は④について考えていく。④烏勧請はなぜ西日本、東日本とで内容が違うのか。なぜ東日本では家ごとの烏勧請が多く、西日本では神社、小祠などの行事として行なうことが多いのか。なぜ西日本ではケガレの有無を問い、東日本では占いにこだわるのか。
 「烏勧請」と総称されるが、その中身は地域により、また家ごとか共同体の祭事かによっても内容が違う。これらのちがいや違いに至った由来について合理的な説明はつけられるだろうか。第1部では「射日・招日神話」というキーワードで烏勧請の謎を解いてきた。今回は「西日本、東日本」というキーワードで考えていこう。

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