Takahiko Shirai Blog

記録「白井喬彦」

韓国報道 気分は「日本海海戦」

2005-06-01 18:13:39 | 国際
5月31日午後11時27分、海上保安庁の巡視船2隻が、釜山市テビョン港の東方27マイルの海上で操業していた「502シンプン号」を拿捕しようとし、若干名の海上保安官がシンプン号に乗り移ったが、同船は海上保安官2名を乗せたまま逃走を図り、また同時に韓国海洋警察庁に「日本の巡視船に不当拿捕されようとしている」と連絡したらしい。

現場に急行した韓国海洋警察庁の警備艇は、シンプン号が拿捕されないように綱で繋いで曳航していこうとし、6月1日午後5時現在、海上保安庁巡視船3隻と韓国海洋警察庁警備艇4隻が現場海上で対峙しているという。

一時は我国の海上保安官の生命が脅かされる事態となっているのに、韓国メディアのインターネット報道にくらべ、日本の報道は遅過ぎる。これは海上保安庁のプレスリリースがなされていないからであろう。

韓国の対日感情が日増しに悪化しつつある現在、日本海における両国利害の錯綜・混乱を未然に防止する役割を担う海上保安庁は、国民への情報開示にもっと留意する必要があるのではあるまいか。

それにしても、韓国メディアにはこの事件をここぞとばかり、韓国のナショナリズムを煽る気配がみられる。


朝鮮日報
海警と日本巡視船の海上対峙概要
2005/06/01 16:54

1.1日午前0時15分、日本巡視船2隻が釜山市・テビョン港の東方27マイルの海上で操業していた「502シンプン号」を拿捕しようとする。日本の排他的経済水域(EEZ)侵犯が理由。

2.午前0時19分、シンプン号が海警に救助を要請。避難。

3.午前1時20分、シンプン号と日本巡視船が衝突。日本の要員4人がシンプン号の操舵室占拠を図る。乗組員のファン某さんが打撲傷。

4.午前1時55分、警備艇がシンプン号を発見。シンプン号を綱で縛る。

5.午後5時現在、シンプン号を真ん中に挟み、海警警備艇4隻と日本巡視船3隻が対峙。


共同通信
韓国漁船が逃走 対馬沖
【17:39】 対馬沖の日本海で31日深夜、対馬海上保安部の巡視艇が韓国漁船に接舷、立ち入り検査をしようとしたところ、漁船は保安官2人を乗せたまま、約2時間半逃走した。


朝鮮日報
韓国海警・日本巡視船が15時間以上も対峙 
2005/06/01 17:45 | 更新 : 2005/06/01 17:49

 韓国海警の警備艇3隻と日本海上保安庁所属の巡視船3隻が日本排他的経済水域(EEZ)内で不法操業した疑いがもたれている韓国の小型漁船を自国に連れて行こうと縄で縛ったまま、長時間対峙する前代未聞の事件が発生した。

 対峙している地点は蔚山(ウルサン)市・蔚州郡・カンジョル岬前の16マイル(28.8キロメートル)の海上。韓日間のEEZ境界水域から韓国EEZ方向に18マイル(32.4キロメートル)入ったところだ。

 韓国の領海ではなく公海上であるため、日本巡視船が入って来ても不法ではない。

 韓国海警は1日午前0時19分、統栄(トンヨン)船籍のウナギ漁の漁船「502シンプン号」(77トン)から「日本巡視船が拿捕しようとしている」という通報を受け出動し、午前2時頃、カンジョル岬前16マイルの海上で日本巡視船に追われていたシンプン号を発見した。

 海警は警備艇の右側にシンプン号を綱で縛り、日本巡視船の拿捕を阻止した。続いて、出動した警備艇2隻も綱で連結した。現場周辺にはまた、韓国海警の警備艇3隻と日本巡視船2隻が追加で到着し、状況を統制している。

 シンプン号を追ってきた日本巡視船3隻も韓国海警に対抗し、シンプン号の右側を縄で縛り引き止めたまま、午後5時現在、15時間以上も対峙している。

 日本側は「シンプン号が先月31日午後11時27分頃、日本EEZの3マイル地点まで侵犯し、不法操業した事実を確認したため、日本に拿捕し、取調べを行わなければならない」と主張した。

 しかし、シンプン号の船員たちは「日本EEZ内で不法操業をしていない」と否定している。

 これを受け、韓国海警は「シンプン号が日本海域で不法操業をしたという明白な証拠がない上、現在韓国側のEEZ内にいるだけに、韓国で法的処理する」とし、日本側に引き返すよう強く求めている。

 日本巡視船はこれに先立ち、先月31日午後11時35分頃、保安要員3人がシンプン号に飛び上がり、操舵室の窓を壊すなど、拿捕を試みたが、船員らの抵抗で失敗した。

 この過程でシンプン号船員のファン・ガプスン(38)さんが頭に打撲傷を負い、日本の保安要員1人が海に転落したが、日本巡視船が救助した。

 一方、外交通商部はこの日、今回の事件と関連し、山本栄二・在韓日本大使館経済公使を外交部に呼び、海上対峙を解除するよう求めた。

 外交部当局者はこれに対する日本側の反応など接見内容について、「現在としては具体的に明らかにすることはできない」と述べた。

蔚山=金学贊(キム・ハクチャン)記者>chani@chosun.com


讀賣新聞 追加記入
韓国漁船、保安官乗せ逃走 対馬沖、巡視艇が追跡
2005年6月1日 18:29

 31日午後11時半ごろ、対馬の北東約50キロの日本海で、対馬海上保安部の巡視艇が、日本の排他的経済水域(EEZ)内を移動中の韓国漁船を発見、立ち入り検査をしようと近づいたところ、漁船は逃走した。

 約10分後、停船させ海上保安官2人が乗り込んだが、再び逃走。1日午前1時55分ごろ、韓国海洋警察庁の警備艦が漁船を停船させ、海上保安官2人は無事、巡視艇に戻った。

 海上保安庁によると、漁船はアナゴ漁をする「シンプン」。違法操業をしていた疑いがあるとみて調べている。

 漁船の扱いについては、韓国海洋警察庁と協議が続いているという。(共同)


中央日報 追加記入
韓日海上警察が公海上で対立
2005.06.01 18:21:59

1日、韓国海上警察の警備艇6隻と日本巡視艇5隻が、韓国漁船をお互い曳航するとして、蔚山(ウルサン)近海で長時間対立する事件が発生した。

蔚山海洋警察署によると、この日午後5時現在、蔚山市蔚州郡カンジョルゴ28.8キロ沖の公海上で、日本EEZ(排他的経済水域)で操業した疑いがある韓国漁船「502シンプン号」(77トン級・船長チョン・ウクヒョン、38)を、韓日両警備艇がお互い左右からロープをくくり付けたまま、神経戦を繰り広げているという。

事件の発端は、この日0時15分ごろ、釜山市機張郡大辺(プサンシ・キジャングン・デビョン)東方48.6キロの海上(日本EEZ内5.4キロ)で操業していたシンプン号を、日本巡視艇2隻が拿捕しようとして発生した。

日本巡視艇はシンプン号を追撃、船腹に船をつけて日本保安官らがシンプン号に搭乗する過程で、1人が海に落ちたが、救助された。 シンプン号は2人の日本保安官を乗せたまま逃走、午前2時ごろ、通報を受けて出動した蔚山(ウルサン)海上警察所属の警備艇251艦(250トン級)に出くわした。

海上警察は後方から追ってくる日本巡視艇が拿捕できないよう、シンプン号の右側船腹を251艦など3隻の警備艇とロープでくくり付けたが、日本巡視艇3隻も順にシンプン号にロープを取り付けた。

政府当局者は「日本政府は、シンプン号がまだ韓国領海に入っていないため、韓日漁業協定に基づき、問題の船舶を自国に曳航して取り調べると主張している」とし、「しかしこれは決して受け入れることができない、というのが政府の判断」と述べた。

これに関し、イ・キョンス外交通商部審議官はこの日午後、山本栄二駐韓日本大使館経済行使を呼び、政府の立場を伝えた後、「海上での対立をやめて円満に解決しよう」と促した。


中央日報 追加記入
「漁民に暴力行使とは…」憤怒するネチズン
2005.06.01 19:03:07

韓国人船員が日本巡視艇の保安官から暴行を受けたことが伝えられ、日本側の過剰な鎮圧行為がサイバー空間で論議となっている。 一方で「暴力を行使したのは誤り」と日本側を叱責している半面、「韓国漁船にも責任がある」という意見もある。

あるポータルサイトのID「sjh270」は「日本水域で不法操業をしたからといって、非武装の漁民に武力を行使したのは過剰鎮圧だ」とし、「先日、中国漁民から暴行を受けたが、今度は日本にも殴られた」と同情を表した。

ID「minae」は、「漁船は日本側EEZを侵犯しなかった。確実な証拠もなく漁船を追撃した」とし、「たとえ不法に操業したとしても、船主が韓国人であるだけに、刑事管轄権はわれわれにある」と主張した。

一方、反日感情に流されず理性的に対応すべきだと注文する声も多かった。 ID「clubgi」は、「日本漁船が韓国海域に入ったとすれば、韓国海上警察も当然、日本漁船に停船を命令しながら追撃するはず」とし、「相手が反抗すれば、物理的衝突も避けられないだろう」と主張した。


中央日報 追加記入
漁船くくり付けたまま韓日海警が対立、時間帯別の状況
2005.06.01 20:11:07

韓国海上警察の警備艇と日本巡視艇が、韓国EEZ(排他的経済水域)で、韓国の漁船1隻をロープでくくり付けたまま、お互いえい航するとして対立する事件が発生した。

◇緊迫した瞬間=31日午後11時27分ごろ、釜山市機張郡大辺(プサンシ・キジャングン・デビョン)東方48.6キロの海域(日本EEZ内5.4キロ)で操業中だったシンプン号は、日本巡視艇のレーダに捕捉された。海警によると、当時、近くで警戒態勢を敷いていた日本の巡視艇3隻が、同時にシンプン号に接近し「違法操業だから拿捕する」と放送すると、シンプン号は韓国EEZへ逃げはじめた。日本巡視艇は即時追撃しはじめ、韓日EEZ境界線の付近でシンプン号に接近、日本保安官3人がシンプン号に搭乗した。その過程で、日本保安官1人が海に落ちたが、日本巡視艇が救助作業を行う間に、シンプン号は韓国EEZ内1.44キロのところまで逃げた後、1日0時19分ごろ、釜山海警に申告した。

◇事件の現場=蔚山市蔚州郡(ウルサンシ・ウルジュグン)から28.8キロほど離れている韓国EEZの海域で、シンプン号の船員8人は、どちらに連行されるものか分からないまま不安がっていた。シンプン号は、蔚山海警所属の第251艦(250トン級)など韓国警備艇3隻がロープでくくり付けているが、150トン級の日本巡視艇3隻も同船を右側から取り付けている。また、周辺には韓国警備艇3隻と日本巡視艇2隻が巡回し、万が一の事態に備えている。船舶が対立中の海域は1.5~2メートルの波があるところで、船舶の衝突が懸念されており、双方は「先にロープをはずすように」とし、神経戦を繰り広げている。

◇船上の衝突=シンプン号に搭乗した日本保安官2人が、船をとめるため、警棒とヘルメットで操縦室の窓ガラスを壊す過程で、チョン・ウクヒョン氏(38)など船員と衝突したりもした。シンプン号のファン某氏(39)は「日本保安官が振り回した警棒とヘルメットで、約5~10分にわたって殴られた」と話した。

FBIのNo.2がディープスロートだったとは!

2005-06-01 14:20:23 | 国際
ワシントン・ポスト紙の二人の記者がニクソン大統領を辞任に追いやる鍵となった秘密情報は、「ディープスロート」と呼ばれた匿名の人物からもたらされたものだった。

ウォーターゲート事件(Watergate Affair)。1972年6月、ニクソン大統領再選を策するグループがワシントンのウォーターゲート・ビル6階の民主党全国委員会本部に侵入し、盗聴装置を仕掛けようとして未遂に終った事件だ。1974年8月5日、ニクソン大統領はこの事件の隠戴工作にみずからが関わっていたことを認め、その4日後、大統領職を辞任してホワイトハウスから去った。

現職の大統領が弾劾に近い形で辞任したこの事件は、ケネディ大統領暗殺(1963年11月)に次ぐ衝撃的なものだった。

ワシントン・ポスト紙の記者に秘密を漏らした人物はいったい誰であったか、明かされることはあるまいとさえ思われてきた。だが、それが当時のFBIのナンバー2であったとは、私には予想外のことだった。

当時のことが走馬灯のように思い出されてくる。あの頃のアメリカの首都ワシントンの佇まいが懐かしい。当時から既にワシントンは黒人の街だった。

ベトナム戦争が終結し、アメリカも一息つくかと思っていたら、1973年10月6日勃発の第4次中東戦争とともに始まった石油危機が深刻化し、世界経済は冷え込んでいった。そういう中で、1979年2月にはイランの王制が倒されてイラン革命が始まり、アメリカのイラン大使館が占拠されたりした。

1980年9月、イラク軍による大規模な越境攻撃により、イランイラク戦争が始まった。イランイラク戦争は血みどろの長期戦となり、ようやく開戦8年後の1988年に停戦となった。そしてその後は、ベルリンの壁崩壊(1989年12月)、湾岸戦争(1990年8月)、ソ連邦崩壊(1991年12月)と続いた。

アジアに目を転じても、文化大革命が終息したのは1976年のことである。その年の4月5日、第一次天安門事件が起った。この第一次天安門事件を機に三度目の復活を果たした小平が、「改革開放」を唱えたのは1979年頃からだった。



W. Mark Felt and his daughter, Joan Fett, wave to the media gathered in front of their home. Tuesday after The Washington Post confirmed that he was the long-anonymous source who leaked secrets about President Richard Nixon's Watergate cover-up to the newspaper.



Deep Throat Revealed

Deep Throart (1)

Deep Throart (2)

Deep Throart (3)



朝日新聞
「ディープスロート」はFBI元高官 米誌で自ら明かす
2005年06月01日07時26分

 ニクソン米大統領の辞任という米国史を揺るがすスキャンダルに発展した72年のウォーターゲート事件で、事件を暴いた米紙ワシントン・ポストの記者の情報源「ディープスロート」が連邦捜査局(FBI)の当時ナンバー2だったマーク・フェルト元副長官(91)であることが31日、明らかになった。フェルト氏本人が月刊誌「バニティー・フェア」で明かした。ワシントン・ポストも同日、事実であることを認めた。

 米調査報道の頂点とされる事件報道の最大の謎が、33年後に初めて明らかになった。公表された月刊誌の記事内容によると、フェルト氏は「私がディープスロートと呼ばれた男だ」と述べた。同氏は事件発覚当時、FBI副長官として機密を知りうる立場にいた。

 フェルト氏の孫ニック・ジョーンズ氏は同日、「祖父は職務を越えて危険を冒し、恐るべき不正から米国を救った偉大な英雄だと信じる」と語った。フェルト氏は「ディープスロートはこれまで犯罪者と思われてきたが、今では英雄だと思われている」と家族に打ち明けていたという。

 ワシントン・ポストの担当記者だったボブ・ウッドワード(現編集局次長)、カール・バーンスタインの両氏は情報源が死ぬまで公表しないとの約束を守ってきたが、同日、「フェルト氏がディープスロートで、ウォーターゲート事件取材で計り知れないほどの支援を受けた」との声明を発表した。

 ディープスロートの正体を知っていたのは両記者のほか、当時のブラドリー編集主幹の3人だけ。ブラドリー氏も同日、「これほどの秘密が長期間守られたことは驚きだ」と述べ、「情報源の質の高さ」から当時の報道に自信を持っていたと述べた。

 情報は、匿名で発言を直接引用しないことを条件に、もたらされたという。


 〈ウォーターゲート事件とディープスロート〉 72年、ニクソン米大統領(当時、共和党)再選支持派がワシントンのウォーターゲートビルにある民主党全国委員会本部に盗聴器を仕掛けるため侵入し、逮捕された。ホワイトハウスは関与を否定したが、ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード、カール・バーンスタイン両記者が調査報道で追及。ニクソン大統領自身のもみ消し工作も明らかになり、74年8月、米国史上初めて現職大統領として辞任した。

 ウッドワード氏らは情報源の仮名を「ディープスロート」とし、その正体について「本人との約束があり、死去するまでは明かせない」と沈黙を守っていた。事件から30年の02年に正体捜しが改めて話題を集めたが、特定できなかった。

盧武鉉、「新聞は規制必要」と演説

2005-06-01 13:33:34 | 国際
産経新聞
また“型破り” 韓国大統領「新聞権力は規制必要」
2005年6月1日 07:51

世界新聞協会会長が真っ向対立、「民主国家として非常識」

 【ソウル=黒田勝弘】ソウルで開催されている世界新聞協会(WAN)総会で、新聞を「言論権力」として市場規制の必要性を主張する盧武鉉・韓国大統領の演説と、これを「民主主義国家では常識的には理解しがたいことだ」と批判するWAN会長の開会演説が真っ向から対立し、注目されている。儀礼が先立つ国際大会では異例のことで、盧大統領のまた一つの“型破り”として話題になっている。

 この対立の背景には盧政権が進めている「言論改革」をめぐる意見の違いがある。韓国では最近、大手新聞による市場支配を規制するため新たな新聞法が制定された。それによると最大部数の新聞は市場占有率が30%を超えてはならず、上位3紙も合計60%までと制限されている。

 政府は「市場正常化のための公正取引上の措置」としているが、大手3紙(朝鮮日報、中央日報、東亜日報)など新聞界では政権に批判的な大手紙に対するからめ手の“いじめ”として反発してきた。

 WAN総会は30日開幕したが、盧大統領は祝賀演説で新聞の強力な影響力について「権力といってもいい」と述べ、「言論権力の乱用を防ぐ制度的装置と言論人の倫理的姿勢、および節制がきわめて重要だ」として、国家や政治権力ではなく言論の持つ力に対する“懸念”を強調した。

 国際新聞界の要人を前にした“新聞批判”ともいえる内容に出席者は当惑気味だったという。

 これに対し、オライリーWAN会長は開会の辞で韓国の実情に触れ「主要新聞と政府の緊張関係が続いており、主要新聞の力をそごうとする新聞法には驚かざるをえない。読者の新聞選択の自由を制限することは民主主義体制としてはおかしい。また新聞の編集人や発行人の権限を制限するのも問題だ」と批判した。

 また同会長は北朝鮮の言論状況についても、「情報と論争の自由が完全に奪われて成り立った“生きた実験室”であり、メディアはなくて宣伝組織だけ存在する国」と述べたが、近年の韓国で「北朝鮮における言論の自由」に関心を示す声は皆無に近い。【2005/06/01 東京朝刊から】


中央日報 (追加記入)
【社説】新聞は政府ではなく読者が判断する
2005.06.01 18:56:11

「革新を通じた機会の捕捉:成功の鍵」をテーマにした第58回世界新聞協会(WAN)ソウル総会が、3日間の日程を終え、1日に閉幕した。

インターネットとデジタルなど技術の変化がもたらした新しい媒体の環境は、こんにち、新聞に改革を求めている。若年層の活字メディア離れは、時間が経つほどさらに進み、同メディアの間の競争も激化しつつある。ブログなどといった個人専用のメディアやいわゆる市民記者の登場で、ジャーナリストの居場所が段々狭くなりつつある、との見方さえ出ている。「新聞の危機説」の背景だ。

しかし、ソウル総会は、こうした否定的な諸徴候が、むしろ機会を提供し得る、との点を示した。総会で発表された多様な成功ケースは、大きな変化の流れに背を向けたり拒否したりせず、前向きに受け入れ、積極的な自己革新を模索した結果、得られたものである。新聞の判型や1面のデザインの変化、読者のニーズ把握、ブログ、市民記者の活用などは、韓国の新聞にとっても参考になるだろう。

今回のソウル総会が、こうした方法論的な経験を共有することにとどまらず、新聞の革新において最も大事なものが「新聞的価値」である、との点を再確認したことを高く評価したい。新聞的価値のポイントは、言論の自由と責任の精神である。新聞の命であるニュースの正確性・公正性はそれを通じて具現できる、との点をソウル総会は明確にした。

韓国の新聞も例外にはなり得ない。しかし、不幸にも韓国の現実はそうではない。米紙ニューヨークタイムズ・サルツバーガー会長は「言論の正確性・公正性を保障する役割は、政府ではなく、情報の自由な流れを通じて多様な情報に接した読者」だとした。新聞法など制度的な装置でもって、マスコミへの統制を絶えず試みている政治権力が傾聴すべきコメントだ。

米欧、反日中国に懸念

2005-06-01 13:22:48 | 国際
産経新聞
反日の中国に米欧懸念 論争、平和的対話で解決を
2005年6月1日 09:05

 【ワシントン=樫山幸夫】 最近の日中関係悪化に対する米欧の懸念が広がっている。クリストファー・ヒル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)が先の議会証言で、中国の呉儀副首相と小泉純一郎首相との会談中止に遺憾の意を表明したのに続いて、ブリュッセルで先週、開かれた米・欧州連合(EU)の戦略対話でも、双方が「懸念すべき事態」だとの認識で一致した。米議会などには、中国の反日感情が反米感情に転化するのではないかと危惧(きぐ)する声も上がりだしている。

 ヒル国務次官補は5月26日、下院外交委員会アジア太平洋小委員会に書面で出した証言で、「中国国内での日本の公館、日本企業に対する暴力的なデモは両国間の悪感情を拡大した。日中関係はアジアの安定に不可欠であり、双方の論争は平和的な対話で解決されるべきだ」と指摘した。

 「最近の高官対話は有益だったが、期待していた小泉首相と呉副首相の会談は実現しなかった」とも述べ、呉副首相の突然の帰国を暗に非難した。米国務省筋は米国が第三国同士の会談中止などに言及するのは異例であることを認めている。

 一方、EU外交筋によると、23日にヒル次官補らが出席してブリュッセルで開かれたアジア問題に関する米国とEUの第1回戦略対話の場でも日中対立問題にかなりの時間が費やされた。

 双方は、北朝鮮の核問題などを念頭に、アジアでの日中両大国の関係冷却化が悪影響をもたらすのではないかとの強い懸念を共有。EU側は、反日デモは「両国関係正常化に向けた最後の噴火」だとして、沈静化を期待する見解を表明した。この対話時点では、小泉-呉会談のキャンセルは伝えられていなかった。

 先に対中経済・貿易に関する報告を取りまとめた米上下両院の超党派組織、「米中経済・安保諮問委員会」(UCSS)は内部メモに、状況次第で反日感情が反米感情に転化する可能性があるといった見方を盛り込んだ。

 メモは今回の反日デモについて、中国共産党が一党独裁を維持するための“反日愛国思想”と分析。(1)中国当局は国内の民主化要求に発展するのを恐れ、これを黙認していた(2)米中関係は貿易・経済分野、台湾問題など必ずしも順調でなく、今後、中国国内で反米感情が生じる恐れもある(3)反米感情が反米デモに発展すれば、当局は同様に黙認する可能性がある-との警戒感を示している。【2005/06/01 東京朝刊から】

訳詩鑑賞『ルバイヤート』(18)

2005-06-01 00:04:05 | 文学
Edward Fitzgerald "Rubáiyát of Omar Khayyám"
矢野峰人訳 『四行詩集』から





   第三十五歌


かく片言かたことにいらへせし

つきも曾ては興じけむ

またこの後もいくそたび

人とくちづけかはすらむ。




       35

I think the Vessel, that with fugitive
Articulation answer'd, once did live,
And merry-make; and the cold Lip I kiss'd
How many Kisses might it take―and give!



   第三十六歌


あるゆふまぐれ市場にて

陶人すゑびとの手にたたかるる

はにのかすれし声きけば、

「そと触れたまへ、同胞はらからよ。」




       36

For in the Market-place, one Dusk of Day,
I watch'd the Potter thumping his wet Clay:
And with its all obliterated Tongue
It murmur'd―"Gently, Brother, gently, pray!"