1日目その1へのリンク
2023年11月24日9時半過ぎ
岐阜関ヶ原古戦場記念館を後にして、いよいよ関ヶ原の観光を本格的に開始します。
なお100%徒歩による移動となりますので、松尾山や桃配山、烏頭坂は捨てました。
無理無理!
※関ヶ原は盆地なので、自転車もやめました。
ちなみにこの日は、すでに時々雨が降るようになっています。
強い雨ではないんですけどね。
そしてそんななか、この国道を行きます。
地味に交通量がある。。。
※当時の私は勘違いしていましたが、観光協会としては国道ではなく1本南の道を歩いてほしいようです。
雨が降っていなければ、ゆっくり地図を広げて確認できたんだがなぁ。。。
おお、川がある!
当時の川幅や水深は分かりませんが、東軍が西軍に攻めかかる際にはさぞや煩わしかったことでしょう。
西首塚
380mなら許容範囲(ルート的にもほぼ無駄が無いし)
旧中山道
道は狭いですが歩道がタイトだった国道よりもはるかに安心して歩けます。
不破関の東城門跡
わりと細い道を通るので少し不安になりましたが、無事に福島正則の陣跡に到着です。
先客が1名だけいましたね。
ここには春日神社があります。
この神社にある杉の木は、関ヶ原合戦図屏風にも描かれており、推定樹齢800年超、実に平安末期ぐらいから生きていると見込まれるようです。
がんばって4桁年生きてほしい
そこから少し歩いて……おお、前方がぐっと下がっている。
さっきから敷地内ではありますが、不破関だ!
おや案内板がある。
てっきり観光施設かと思ったら全然違った。。。
立ち入られることは想定しているようですが。
観光施設は今の写真に背を向けて、この分かれ道を右に行きます。
わかりやすく高低差がありますね。西からここを突破するのは大変そうだ。。。
資料館はさらに1段高いところにあります。
結構敷地が広いですね(ちなみに地面はある程度ぬかるんでます)
ワクワク
左手のプランターに「関ケ原町商工会 女性部」ってあるけど、
差し出がましいですがそろそろ時代的に改名してもいいと思います。
国衙とかは統治機構が直列ではなく並列で存在する時代が長かったこともあって「いつまで」という終了年の設定がやりにくいですが、
不破関は明確に廃止例が出たんですね。しかし789年とはずいぶんと早い。まさか平安遷都前だとは。
さて、ここは周遊パックの対象施設なので、入館料110円は実質タダです。
あいにく内部は撮影禁止なのですが、そんなに狭くはありませんでしたね(広くもないけど)
他に数名いました。
解説によると、不破関自体は789年に廃止されましたが、
それ以降も儀礼として天皇崩御や大事件が起こると「固関使」(関所を閉める命令を伝える役)を派遣していたそうです。
また、いつの頃からか旅人から関銭を徴収するようになったのだとか。
※史料上の初見は、1222年の八幡宮寺大山崎神人等への不破関関銭徴収免除に関する文書
この文書、発給したのは大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でおなじみ北条泰時とトキューサです。
館内にはジオラマがあったり当時の武人のマネキンがあったりと……ああ写真撮りたい。
25分ほど滞在して、撤収しました。
ビデオ上映コーナーもあったんですが、今日はどのぐらい時間がかかるか読めない&午後には岐阜関ヶ原古戦場記念館にいないといけないので、見送りました。
さて、資料館を出て北へ。国道に出ます。
う~ん、このまま写真奥(西)に進むと大谷吉継の陣跡と松尾山眺望スポットがあるんですが、、、時間の都合でカットします。
てことで東進。
国道と東海道本線を挟んだ向こう側に渡りたいんですが、残念ながら道がありませんので250mほど迂回します。
歩道が狭いのでトラックが通ると肝が冷える。
5分少々歩いて無事に東海道本線を越えました。
この頃は、傘をたたんだり差したりと、実に微妙なお天気でした。山も近いからな~。
お墓ではありますが、かつてここは不破関を囲っていた土塁の北側でした。
具体的にはこれ。
写真だと微妙ですが、結構高いです。2mくらいはあるでしょうか。当然ながら当時はもっと高かったでしょう。
また、写真外ですが道を挟んで左側にも続いてます。
ふぅ、満足しました。
今回の観光での古代編はこれにて終了。あとは関ヶ原の戦い編です。
実はここからさらに西へ進むと宇喜多秀家陣跡なのですが……わりと分け入っていく感じなのでカットで!
この投稿内容だけで2.5kmくらい歩いている気がする。。。
2023年11月24日9時半過ぎ
岐阜関ヶ原古戦場記念館を後にして、いよいよ関ヶ原の観光を本格的に開始します。
なお100%徒歩による移動となりますので、松尾山や桃配山、烏頭坂は捨てました。
無理無理!
※関ヶ原は盆地なので、自転車もやめました。
ちなみにこの日は、すでに時々雨が降るようになっています。
強い雨ではないんですけどね。
そしてそんななか、この国道を行きます。
地味に交通量がある。。。
※当時の私は勘違いしていましたが、観光協会としては国道ではなく1本南の道を歩いてほしいようです。
雨が降っていなければ、ゆっくり地図を広げて確認できたんだがなぁ。。。
おお、川がある!
当時の川幅や水深は分かりませんが、東軍が西軍に攻めかかる際にはさぞや煩わしかったことでしょう。
西首塚
380mなら許容範囲(ルート的にもほぼ無駄が無いし)
旧中山道
道は狭いですが歩道がタイトだった国道よりもはるかに安心して歩けます。
不破関の東城門跡
わりと細い道を通るので少し不安になりましたが、無事に福島正則の陣跡に到着です。
先客が1名だけいましたね。
ここには春日神社があります。
この神社にある杉の木は、関ヶ原合戦図屏風にも描かれており、推定樹齢800年超、実に平安末期ぐらいから生きていると見込まれるようです。
がんばって4桁年生きてほしい
そこから少し歩いて……おお、前方がぐっと下がっている。
さっきから敷地内ではありますが、不破関だ!
おや案内板がある。
てっきり観光施設かと思ったら全然違った。。。
立ち入られることは想定しているようですが。
観光施設は今の写真に背を向けて、この分かれ道を右に行きます。
わかりやすく高低差がありますね。西からここを突破するのは大変そうだ。。。
資料館はさらに1段高いところにあります。
結構敷地が広いですね(ちなみに地面はある程度ぬかるんでます)
ワクワク
左手のプランターに「関ケ原町商工会 女性部」ってあるけど、
差し出がましいですがそろそろ時代的に改名してもいいと思います。
国衙とかは統治機構が直列ではなく並列で存在する時代が長かったこともあって「いつまで」という終了年の設定がやりにくいですが、
不破関は明確に廃止例が出たんですね。しかし789年とはずいぶんと早い。まさか平安遷都前だとは。
さて、ここは周遊パックの対象施設なので、入館料110円は実質タダです。
あいにく内部は撮影禁止なのですが、そんなに狭くはありませんでしたね(広くもないけど)
他に数名いました。
解説によると、不破関自体は789年に廃止されましたが、
それ以降も儀礼として天皇崩御や大事件が起こると「固関使」(関所を閉める命令を伝える役)を派遣していたそうです。
また、いつの頃からか旅人から関銭を徴収するようになったのだとか。
※史料上の初見は、1222年の八幡宮寺大山崎神人等への不破関関銭徴収免除に関する文書
この文書、発給したのは大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でおなじみ北条泰時とトキューサです。
館内にはジオラマがあったり当時の武人のマネキンがあったりと……ああ写真撮りたい。
25分ほど滞在して、撤収しました。
ビデオ上映コーナーもあったんですが、今日はどのぐらい時間がかかるか読めない&午後には岐阜関ヶ原古戦場記念館にいないといけないので、見送りました。
さて、資料館を出て北へ。国道に出ます。
う~ん、このまま写真奥(西)に進むと大谷吉継の陣跡と松尾山眺望スポットがあるんですが、、、時間の都合でカットします。
てことで東進。
国道と東海道本線を挟んだ向こう側に渡りたいんですが、残念ながら道がありませんので250mほど迂回します。
歩道が狭いのでトラックが通ると肝が冷える。
5分少々歩いて無事に東海道本線を越えました。
この頃は、傘をたたんだり差したりと、実に微妙なお天気でした。山も近いからな~。
お墓ではありますが、かつてここは不破関を囲っていた土塁の北側でした。
具体的にはこれ。
写真だと微妙ですが、結構高いです。2mくらいはあるでしょうか。当然ながら当時はもっと高かったでしょう。
また、写真外ですが道を挟んで左側にも続いてます。
ふぅ、満足しました。
今回の観光での古代編はこれにて終了。あとは関ヶ原の戦い編です。
実はここからさらに西へ進むと宇喜多秀家陣跡なのですが……わりと分け入っていく感じなのでカットで!
この投稿内容だけで2.5kmくらい歩いている気がする。。。
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