みのもり雑記

旅行関連が多くなるかと思いますが、ふと書きたくなったことを気の向くままに、という感じで。

2023年西濃旅行 3日目その3(垂井町-禅幢寺、美濃国府跡)

2024-05-06 13:05:00 | 2023年西濃旅行
1日目その1へのリンク

2023年11月25日10時過ぎ
なんだかんだ、予定より1時間近く巻くことが出来てますね。
この先も時間を見積もりにくい場所ばかりなので、正直助かります。

さあ、北上(標高がさらに上がる)
東海道本線をくぐります。


実はここ、単線です。
かつて輸送力増強のために垂井駅とは別にこちら側にも線路(下りのみ)が敷かれ、新垂井駅(廃止済み)まで設けられていたそうです。


竹中半兵衛の解説なのは分かるけど、作り直してあげてほしい。。。



さて、てことで竹中家の菩提寺、禅幢寺です。




当たり前ですが、強く竹中半兵衛推しですね。



余談ですが、菁莪記念館では出会いませんでしたが、ちょうど駐車場に戻った頃に私と同じく北上する人がいました。
単独かつ歩行者だったので私が追い抜くのですが、私はしばしば写真を撮るために立ち止まるので、実質あまり時間差無く到着されてました。
どうやら菩提山城に行くようで、それっきりでしたが。

とはいえ、垂井の泉で地元の女子中学生ないし女子高生っぽいのがベンチに座っていたのを見かけましたが、観光中に人に会ったのはそれ以来ですね。
(車に乗っている人は除く)


立派な鐘楼


本堂


あまり著名人のお墓を拝見したいという欲求はないのですが、せっかくなので。


なんだこれ?
と思ってみてみたら、地元の民謡やこのお寺の解説でした。
ありがたくいただきます。代金代わりに賽銭箱に100円入れておきました。


実に観光客に親切です。
(どこにお墓があるのか分からなくて探す、というパターンも多い。ちなみに前掲の解説のなかに地図も入ってました)


おお、竹中十八騎(稲葉山城を竹中半兵衛以下18名で制圧した)のひとりか!


竹中半兵衛の墓
墓石ではなく祠形式なのは竹中半兵衛とその父親の2基だけでした。


なんと、久作くん(弟)は本能寺の変のあと、一揆鎮圧に赴いて討ち死にしてたんですか。。。



さて、お暇しましょうか。


……おお?
何だあの遙か彼方のビル群は?


※おそらく方向的に名古屋


さて、禅幢寺脇のこの道を行くと菩提山城ですが……ええ、行きませんとも!



犬を散歩させているお婆さんと行き会いました。
あいさつだけとはいえ、久しぶりに人と会話した気がする!
注:実際には80分しか経ってません。


さらに1分ほど北上します。垂井滞在中の最北端です。


「半兵衛水車小屋」なるものがあるとGoogle MAPで見つけていたのですが、実態が謎だったんですよね。
……うん、竹中半兵衛、無関係なのでは?





さあさあ、ここからは別の道を通って一気に駅方向に2/3くらい戻ります。

だだっ広~い!
地平線!!


ガーッと自転車で下っていると、ついに先ほどは下をくぐった東海道本線(単線の方)に行き当たりました。
……最終的には正面に見えている南宮山の左側の麓まで行くのだなぁ。


ある程度南下したら、次は東!
ヒャッハー!


この道で良いのか不安になる。
きみ、ひょっとして昔は川か水路でした?



10:45
無事に目的地至近距離である南宮御旅神社に着きました。


……が、どちらかというと写真左奥に行きたいんですよねー。


でも砂利の敷き詰められた参道を自転車ひきながら進むのは躊躇するんですよね。
さりとて近くに駐輪場も見当たらないですし……仕方ない、これは避けたかったのですが迂回しましょう。
(ぐる~っと迂回しないと道がないので、避けたかった)


てことで2分かけて迂回終了です。


ここです、ここに来たかったんです(神社は右に見切れてます)


ここはかつての美濃国府でした。
※岩手地区からここに来るルートがどうにも組めなかったので自転車にした次第です。


パンフレットがいただけるようです(なぜポスト?)



と、開けてみて納得しました。
雨よけかつ虫除けですね。

……パンフレットをプラスチック製のファイル入れ(クリアファイルではなく、厚みがあるやつ)に格納してありますが、
ファイル入れの内外にカメムシがおられますね。
どうやって中に入ったの???

パンフレットをもらうのは諦めました。


どれ、解説なしはやや厳しいですが、見て回りましょう。
といっても手狭です。


多賀城跡は土塁、肥前国府跡だと植栽で表現していましたが、ここでは花壇形式ですね。


東脇殿跡


残念ながら正殿跡は神社の本殿とまるかぶりしていますので、再現なし。。。


朱雀大路方面



さて、では神社


白髭神社遷座
1963年……高度経済成長的な理由ですかね。


南宮御旅神社は、はっきりしないものの、かつて律令時代はここがメインで後から南宮大社(ここから見て南の宮)が作られたのだそうで。



さて、ではさらに足を東へと伸ばします。

喪山古墳


あ、登れるんですね。


まあ自転車を止める場所がないので諦めますが。


……別名「"葬送" 山古墳」?
全国的に売り出すなら今しか無いのでは?


さて、切りの関係で今回はここまで。
恐ろしい移動距離(6kmくらい?)ですが、自転車なのですごい楽。標高は50m強下がりました。


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