是川縄文館をあとにして、遺跡へと向かいます。
是川縄文館から歩いて5分とかからない場所(せいぜい300mくらい)ですので、行かない手はありません。
ということで、是川遺跡(正確には中居遺跡)。
このように、竪穴式住居が復元されています。
あたりには当時の植生が分かるよう意識した植物が植えられています。
栗の木もありますが、さすがにイガのみしか落ちていませんでした。
では、早速中に入ってみましょう。
……入り口の高さが腰くらいだからキツい。
ところで立て札には「風張遺跡15号住居」とあります。
前述のようにここは中居遺跡でして、風張遺跡は前回記載した、バスで間違って到着してしまった川向こうの高台にあったはずです。
……てことは、中居遺跡の住居跡を復元したのではなく、観光用に風張遺跡の国宝「合掌土偶」が出土した住居跡を復元したのでしょうね。
まあ……気持ちは分かりますよ。
さて、中の様子です。
入り口と反対側、ちょうど写真に写っている壁際あたりから合掌土偶が出土しています。
住居の入口側をパシャリ。
中央の丸い部分は、囲炉裏(仮)のイメージでしょう。
天井。
あ、竪穴式なので内部の方が一段低いため、入るときよりも出るときの方が体勢は楽ですね。
さて、このまま横へ。
縄文時代に捨て場があったエリアです。
沢だったため風化を免れ、出土品の状態が良いようです。
ちなみに現在では沢はありませんが、その名残で湿地のようになっている場所があります。
うかつな所へ足を踏み入れると靴が沈み込むそうなので、要注意です。
さあ、ここでガイドさんとはお別れです。
ありがとうございました。
ガイドさんは縄文館へ、私はこの先にある清水寺へ進みます。
ちなみに「清水寺」とあると、私はいつも読み方を迷います。
「きよみずでら」なのか「せいすいじ」なのか。
日本で一番有名なのは京都の清水寺(きよみずでら)ですが、例えば以前隠岐諸島の中ノ島で行ったのは「せいすいじ」でした。
そして今回は「せいすいじ」!
ここには重要文化財に指定されている観音堂(1581年建立)があります。
と、明らかに清水寺な建物が見えましたが……さすがにこれは裏口でしょうから、見なかったことに。
ということで改めて正面。
真宗大谷派ですか。
鐘。
ちなみに先ほどの遺跡見物あたりから霧雨が降っていたのですが、いよいよちゃんとした雨になってきました。
写真に普通に写り込む程度には。
扁額。
真新しい立派な建物ですね。
……あれ、戦国時代の観音堂は???
おお、本堂の左側になにやら道が。こっちか~。
本堂裏手にあった池。
さあ、そしていよいよ観音堂です。
昔は天台宗だったんですね。
とても自然と一体になっている。
保護のためか、階段には絨毯が敷いてあります。
内部。なんて大きい提灯。
左右にも仏様がいますね。
さて、では建物の周りをぐるっと1周してみましょう。
……なにこれ? 籠?
なんかすごい支えているしブルーシートがあるけど、台風か何かで破損したんでしょうか?
文化財指定を受けると、下手な修理も出来ないので大変ですね。
特に拝観があるわけではないので、10分くらいでしたね。
さあ、戻りましょう。あと20分ほどで帰りのバスが出る時間です。
ということで先ほどの湿地帯へ。
さっきは見なかった看板をついでにパシャリ。
なるほど確かにこちらの方がよりぬかるんでいる。さすがはガイドさん、ここからの横断は避けたほうが無難ですね。
ちなみに復元竪穴式住居の前には、縄文学習館というものがあります。
残念ながら時間切れなので中には入りませんでした。次の機会にはお邪魔したいですね。
さっきは入らなかった方の竪穴式住居。こちらの方が小ぶりです。
ちなみに行きでガイドさんが言っていたのですが、
なんでもこの住居跡と捨て場は集落の外れに位置するそうで、推定本体エリアは民家(この辺の土地を持っていた方)があって発掘されていないそうです。
また確かに、「発掘するので家を壊します」とはなかなか出来ないでしょうからね。
さあ、是川縄文館に戻ってきました。
また雨があがってきましたかね。
この土器オブジェ、雨水とか大丈夫なんでしょうか??
さて、まだバスまで10分ほどありますので、縄文館1階(入館料が不要)をぶらぶら。
収蔵庫がガラス越しに見えるのですが、一部は見えるよう棚に展示されています。
風張遺跡のジオラマ。
このように映像資料の閲覧も出来るようになっています。
時間があと5分くらいしかないのでスルーしましたが。
さて、バスを待ちましょう。
バス停は屋外ですが、幸い待合小屋(なんて言うんだろう)みたいな形なので、雨をしのげます。
今は雨もやんでいますが、いつまた降り出すか分かりませんからね。
あと、縄文館1階にはカフェがあるのですが、カレーのにおいが漂ってきて空腹を覚えますので、避難も兼ねて。
と、突然轟音が。
おお、三沢基地所属の自衛隊機でしょうか、ジェット機2機編隊が南西から北西へ抜けていきます。
とっさにスマホのカメラを向けましたが、さすがに写っていませんでした。
なんだろう、F2かな? F15かな?
しかし、結構低いところを飛びますね。
しょっちゅうなのだとしたら、なかなか我慢を強いられますね。
などとやっているうちにバスも来まして、乗車。
さあ、八戸中心街へ戻りましょう。
ここには都合2時間ほどいましたが、もう1時間割り振っても良かったですかね。
今回は地図の中央下でほとんど動いていないですね。
続く。
是川縄文館から歩いて5分とかからない場所(せいぜい300mくらい)ですので、行かない手はありません。
ということで、是川遺跡(正確には中居遺跡)。
このように、竪穴式住居が復元されています。
あたりには当時の植生が分かるよう意識した植物が植えられています。
栗の木もありますが、さすがにイガのみしか落ちていませんでした。
では、早速中に入ってみましょう。
……入り口の高さが腰くらいだからキツい。
ところで立て札には「風張遺跡15号住居」とあります。
前述のようにここは中居遺跡でして、風張遺跡は前回記載した、バスで間違って到着してしまった川向こうの高台にあったはずです。
……てことは、中居遺跡の住居跡を復元したのではなく、観光用に風張遺跡の国宝「合掌土偶」が出土した住居跡を復元したのでしょうね。
まあ……気持ちは分かりますよ。
さて、中の様子です。
入り口と反対側、ちょうど写真に写っている壁際あたりから合掌土偶が出土しています。
住居の入口側をパシャリ。
中央の丸い部分は、囲炉裏(仮)のイメージでしょう。
天井。
あ、竪穴式なので内部の方が一段低いため、入るときよりも出るときの方が体勢は楽ですね。
さて、このまま横へ。
縄文時代に捨て場があったエリアです。
沢だったため風化を免れ、出土品の状態が良いようです。
ちなみに現在では沢はありませんが、その名残で湿地のようになっている場所があります。
うかつな所へ足を踏み入れると靴が沈み込むそうなので、要注意です。
さあ、ここでガイドさんとはお別れです。
ありがとうございました。
ガイドさんは縄文館へ、私はこの先にある清水寺へ進みます。
ちなみに「清水寺」とあると、私はいつも読み方を迷います。
「きよみずでら」なのか「せいすいじ」なのか。
日本で一番有名なのは京都の清水寺(きよみずでら)ですが、例えば以前隠岐諸島の中ノ島で行ったのは「せいすいじ」でした。
そして今回は「せいすいじ」!
ここには重要文化財に指定されている観音堂(1581年建立)があります。
と、明らかに清水寺な建物が見えましたが……さすがにこれは裏口でしょうから、見なかったことに。
ということで改めて正面。
真宗大谷派ですか。
鐘。
ちなみに先ほどの遺跡見物あたりから霧雨が降っていたのですが、いよいよちゃんとした雨になってきました。
写真に普通に写り込む程度には。
扁額。
真新しい立派な建物ですね。
……あれ、戦国時代の観音堂は???
おお、本堂の左側になにやら道が。こっちか~。
本堂裏手にあった池。
さあ、そしていよいよ観音堂です。
昔は天台宗だったんですね。
とても自然と一体になっている。
保護のためか、階段には絨毯が敷いてあります。
内部。なんて大きい提灯。
左右にも仏様がいますね。
さて、では建物の周りをぐるっと1周してみましょう。
……なにこれ? 籠?
なんかすごい支えているしブルーシートがあるけど、台風か何かで破損したんでしょうか?
文化財指定を受けると、下手な修理も出来ないので大変ですね。
特に拝観があるわけではないので、10分くらいでしたね。
さあ、戻りましょう。あと20分ほどで帰りのバスが出る時間です。
ということで先ほどの湿地帯へ。
さっきは見なかった看板をついでにパシャリ。
なるほど確かにこちらの方がよりぬかるんでいる。さすがはガイドさん、ここからの横断は避けたほうが無難ですね。
ちなみに復元竪穴式住居の前には、縄文学習館というものがあります。
残念ながら時間切れなので中には入りませんでした。次の機会にはお邪魔したいですね。
さっきは入らなかった方の竪穴式住居。こちらの方が小ぶりです。
ちなみに行きでガイドさんが言っていたのですが、
なんでもこの住居跡と捨て場は集落の外れに位置するそうで、推定本体エリアは民家(この辺の土地を持っていた方)があって発掘されていないそうです。
また確かに、「発掘するので家を壊します」とはなかなか出来ないでしょうからね。
さあ、是川縄文館に戻ってきました。
また雨があがってきましたかね。
この土器オブジェ、雨水とか大丈夫なんでしょうか??
さて、まだバスまで10分ほどありますので、縄文館1階(入館料が不要)をぶらぶら。
収蔵庫がガラス越しに見えるのですが、一部は見えるよう棚に展示されています。
風張遺跡のジオラマ。
このように映像資料の閲覧も出来るようになっています。
時間があと5分くらいしかないのでスルーしましたが。
さて、バスを待ちましょう。
バス停は屋外ですが、幸い待合小屋(なんて言うんだろう)みたいな形なので、雨をしのげます。
今は雨もやんでいますが、いつまた降り出すか分かりませんからね。
あと、縄文館1階にはカフェがあるのですが、カレーのにおいが漂ってきて空腹を覚えますので、避難も兼ねて。
と、突然轟音が。
おお、三沢基地所属の自衛隊機でしょうか、ジェット機2機編隊が南西から北西へ抜けていきます。
とっさにスマホのカメラを向けましたが、さすがに写っていませんでした。
なんだろう、F2かな? F15かな?
しかし、結構低いところを飛びますね。
しょっちゅうなのだとしたら、なかなか我慢を強いられますね。
などとやっているうちにバスも来まして、乗車。
さあ、八戸中心街へ戻りましょう。
ここには都合2時間ほどいましたが、もう1時間割り振っても良かったですかね。
今回は地図の中央下でほとんど動いていないですね。
続く。
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