月山富田城、前回は山中御殿まででした。今回はいよいよ七曲りへ、そして本丸を目指します。
(写真は少しだけ進んだところから山中御殿を見下ろしたもの)
進んでいくと、まず最初にあるのは親子観音です。
さらなる調査で特定にいたるとよいですね。
……さあ、覚悟は良いか。
これが「七曲り」だ。
小さいので分かりにくいですが、かなり上の方に数人写ってます。
ようは、高低差がすごい。
友人A「あー、ごめん、これ無理だ」
私・ガイドさん「え!?」
なんと友人A、高所恐怖症の許容限界を超すという判断が。
まあ確かに高いですからね。
ということで、友人Aは山中御殿に引き返してゆきました。
また後で!
う~ん、「現地ではお互いに、一緒に行きたければ一緒に行く、そうでなければ別行動」というスタンスではありましたが、
なにやら悪いなぁ。
気を取り直して目の前の山に挑みます。
階段が整備されているので、登りにくさは無いですね。
むしろ、整備前(下の写真)は大変でしたね。。。
そうそう、登っているうちに昨日から引っ張っているネタを片付けてしまいましょう。
私「ところでガイドさん、ひょっとして、昨日14時過ぎに道の駅のところからバスに乗りましたか?」
私「広瀬バスターミナルで降りましたか?」
私「なるほどなるほど。実は、バスで通路を挟んで反対側に座っていたのは私です。」
ふう、すっきりしました。
そうこうするうちに、七曲りの途中にある井戸跡に到着です。
「山吹井戸」というそうで、山吹にゆかりがある身としてはなんとなくシンパシーのある名前ですね。
この辺でも井戸があるのであれば、兵糧攻めを受けても水はなんとかなりそうですね。
ちなみに「この辺でも」と言いました。
この辺です。こんだけ登りました。
写真中央が山中御殿です。ちょうど人がいるので距離感が分かりやすいですね!
わあ、良い眺め。
ちなみに向こう側に見える山は、毛利軍が月山富田城を攻めたときに布陣していたんだとかなんとか。
結構登ってはいますが、実は割としんどくなかったです。
ガイドさんいわく、話しながら登るとかえって呼吸が整うのだとか。し、知らなかった。
と、なにやら足下に石が積んであります。
なんでも、山伏信仰的ななにかなのだとか。
ちなみにこの山吹井戸、まさかの電波ありでした。
というわけで、下で待っている友人Aに撮った写真を送りつける。うん、高所恐怖症的に、登ってこなくて正解だったと思うよ。
それから数分後、いよいよ七曲りをクリアです。
これは自動生成されたパノラマ写真。右奥には海も写ってます。
そしてこれが三の丸の石垣。
二段構えなんですね。
ちなみに今は西袖ヶ平という郭にいます。東西に延びたような郭で、三の丸から真西に突き出すような格好です。
眺めは当然良い。
さて、三の丸に向かいたい気持ちを抑えて、右側の道を進みましょう。
細いので、風が強い日とか雨の日には止めた方が良いでしょうね。
さあ、本丸です。
え?
二の丸はどうしたかって?
三の丸とくっついていまして、同じく通過します。
二の丸と本丸の間には堀切があり、上の写真は堀切の二の丸ふちあたりから撮ったものです。
山中御殿の方にあった堀切はV字型でしたが、ここはU字型ですね。(当時はどうだったか分かりませんが)
本丸へのアプローチは、上の写真にある道をそのままです。ぐるっと左へ……。
うん、そうだね、危険だね。
「支柱にさわらないでください」とありますが、史跡保護のため、柱はただ土に刺してあるだけなのだそうで、当然無理に寄りかかると倒れる恐れがあります。
ちなみにガイドさんによると、ここは有数の対高所恐怖症スポットだというありがたい「推薦」をいただきましたので、
喜んで写真に収め、あとで友人Aに見せておきました。
さあ、いよいよ本丸に足を踏み入れました。
結構平らですね。
上の写真右手に写っている木、「大もみじを救う会」というものが発足されています。
この木は斜面ギリギリに立っています。
整備事業に伴って本丸の木もかなり伐採されたそうなのですが、そのため盾が無くなり雨風を一身に受けるようになって倒木の危険が出てきたんだとか。
ガイドさん達は、登るときに少し土を持っていって捲いているのだとか。
う~ん、利便性を取った以上は仕方ないですが、なんとかしたいところですね。
月山略史年表
石碑。右は読み取れませんでしたが、左は山中鹿介ですかね?
そうだとしたら、主家を差し置いて本丸に石碑が置かれるとはさすが。
石碑の横からの眺め。
こりゃあ、海から敵が来ても見つけやすいですね。
ちなみに本丸の斜面は……斜面と言うよりは崖なので、まあ登れませんね。
さて、本丸の一番奥には勝日高守神社があります。
実は麓にある富田八幡宮の方に里宮(ふもとにあるお宮)がありまして、こちらはその奥宮にあたる神社です。
その昔はこちらが本宮だったのですが遷すことになり、矢を放ってその落ちた先を新たな神社としたのだとか。
ちなみにここから富田八幡宮までは約1.5km離れています。
神社入り口にある石灯籠。
以前に中央の柱が崩れて、達磨落とし状態にして積み直されています。
猿のレリーフ。私の感覚としては珍しいですが、実際のところはどうなんでしょうね。
改めて、勝日高守神社。この写真は横から撮ったアングルでして、右が正面です。
ちなみに祭神は大国主命。さすがは出雲。
本殿。面積が小さいから、さすがにこぢんまり。
拝殿。注連縄が太いのは、やはり出雲って感じがしますね。
ちなみに神社の先は、もう少しだけ空間がありますがあとは崖です。
「七曲りなんて通らなくても裏から攻めれば落とせるのでは?」とか思ってましたが、これも武者が踏破するのは厳しいでしょうね。
改めて、拝殿と本殿。
裏手にある穴。
石見銀山とつながっているという素敵な伝説があります。
というわけで、さあ、撤収しますか。
ちなみに七曲りエリアで約20分、そこから今までで約30分使いました。案外時間かかりましたね。(友人A、もうちょっとの辛抱だ)
神社側から本丸を見渡した写真。石灯籠の神社側に、柱部分が置いてあったんですね。
奥、石碑あたりの斜面がえげつない。
と、ガイドさんが他の観光客(男性1名)に声をかけました。
要約すると、そこから降りるのは無謀だ死ぬぞやめとけ、とのこと。
石碑あたりまで戻ってきたところ、なにやらベンチに座って色々広げている方が。
……え、あれって。
ガイドさん「お茶を点てていらっしゃるんですか!?」
なんでもこの方、全国のお城を巡って、そこでお茶を飲むのを愉しまれているのだそうです。
すごい、大人の趣味だ。
というか短い日程で結構な距離(前日は四国)を移動されていて、それもすごい。
本丸から堀切と二の丸を見たところ。
二の丸が陥落するようではもう敗北以外の選択肢が無いでしょうけど、最期の時間は確保できますね。
そして行きではスルーした二の丸!
ここには1軒の小屋があります。月山富田城のスタンプもあります。
二の丸からのパノラマ(自動生成)。
二の丸と三の丸の間くらいにある井戸。
こんなてっぺんでも井戸があるとは。
三の丸からの眺め。
三の丸の端から二の丸(見えないけどさらに向こうには本丸)。
神社の鳥居があったんですね。
二の丸も絶壁ですね。
途中、少し話し込んだりもしたので時間がかかりましたが、七曲がりの下りはほんの10分くらいでした。
友人Aとも無事に合流です。(1時間20分ぶり)
次の予定があるので、断腸の思いで山中御殿の他の虎口はカット。
舗装された道を下っていきます。
やあ、桜が綺麗に残っていますね。
車のすれ違いは厳しい程度の幅ですが、とはいえ舗装された道は歩きやすいですね。
15分かからずに山中御殿から下(川沿い)まで降りてきました。
川沿いの道に合流した地点から歴史資料館は目と鼻の先なのですが、ちょうどその中間あたりにフォトスポットがあります。
ローアングルを心がければ、「史跡富田城跡」という碑とともに千畳平の斜面(一部石垣)が写真に収められます。
そしてそこにはこんなジオラマも。素敵。
さて、ついに月山富田城を見終わりました。
都合、3時間でしたね。思ったより時間を使いました。やはりしっかりと見るならこのくらいは必要ですね。
次は、本日最後の目的地である金屋子神話民俗館および金屋子神社を目指します。
続く。
(写真は少しだけ進んだところから山中御殿を見下ろしたもの)
進んでいくと、まず最初にあるのは親子観音です。
さらなる調査で特定にいたるとよいですね。
……さあ、覚悟は良いか。
これが「七曲り」だ。
小さいので分かりにくいですが、かなり上の方に数人写ってます。
ようは、高低差がすごい。
友人A「あー、ごめん、これ無理だ」
私・ガイドさん「え!?」
なんと友人A、高所恐怖症の許容限界を超すという判断が。
まあ確かに高いですからね。
ということで、友人Aは山中御殿に引き返してゆきました。
また後で!
う~ん、「現地ではお互いに、一緒に行きたければ一緒に行く、そうでなければ別行動」というスタンスではありましたが、
なにやら悪いなぁ。
気を取り直して目の前の山に挑みます。
階段が整備されているので、登りにくさは無いですね。
むしろ、整備前(下の写真)は大変でしたね。。。
そうそう、登っているうちに昨日から引っ張っているネタを片付けてしまいましょう。
私「ところでガイドさん、ひょっとして、昨日14時過ぎに道の駅のところからバスに乗りましたか?」
私「広瀬バスターミナルで降りましたか?」
私「なるほどなるほど。実は、バスで通路を挟んで反対側に座っていたのは私です。」
ふう、すっきりしました。
そうこうするうちに、七曲りの途中にある井戸跡に到着です。
「山吹井戸」というそうで、山吹にゆかりがある身としてはなんとなくシンパシーのある名前ですね。
この辺でも井戸があるのであれば、兵糧攻めを受けても水はなんとかなりそうですね。
ちなみに「この辺でも」と言いました。
この辺です。こんだけ登りました。
写真中央が山中御殿です。ちょうど人がいるので距離感が分かりやすいですね!
わあ、良い眺め。
ちなみに向こう側に見える山は、毛利軍が月山富田城を攻めたときに布陣していたんだとかなんとか。
結構登ってはいますが、実は割としんどくなかったです。
ガイドさんいわく、話しながら登るとかえって呼吸が整うのだとか。し、知らなかった。
と、なにやら足下に石が積んであります。
なんでも、山伏信仰的ななにかなのだとか。
ちなみにこの山吹井戸、まさかの電波ありでした。
というわけで、下で待っている友人Aに撮った写真を送りつける。うん、高所恐怖症的に、登ってこなくて正解だったと思うよ。
それから数分後、いよいよ七曲りをクリアです。
これは自動生成されたパノラマ写真。右奥には海も写ってます。
そしてこれが三の丸の石垣。
二段構えなんですね。
ちなみに今は西袖ヶ平という郭にいます。東西に延びたような郭で、三の丸から真西に突き出すような格好です。
眺めは当然良い。
さて、三の丸に向かいたい気持ちを抑えて、右側の道を進みましょう。
細いので、風が強い日とか雨の日には止めた方が良いでしょうね。
さあ、本丸です。
え?
二の丸はどうしたかって?
三の丸とくっついていまして、同じく通過します。
二の丸と本丸の間には堀切があり、上の写真は堀切の二の丸ふちあたりから撮ったものです。
山中御殿の方にあった堀切はV字型でしたが、ここはU字型ですね。(当時はどうだったか分かりませんが)
本丸へのアプローチは、上の写真にある道をそのままです。ぐるっと左へ……。
うん、そうだね、危険だね。
「支柱にさわらないでください」とありますが、史跡保護のため、柱はただ土に刺してあるだけなのだそうで、当然無理に寄りかかると倒れる恐れがあります。
ちなみにガイドさんによると、ここは有数の対高所恐怖症スポットだというありがたい「推薦」をいただきましたので、
喜んで写真に収め、あとで友人Aに見せておきました。
さあ、いよいよ本丸に足を踏み入れました。
結構平らですね。
上の写真右手に写っている木、「大もみじを救う会」というものが発足されています。
この木は斜面ギリギリに立っています。
整備事業に伴って本丸の木もかなり伐採されたそうなのですが、そのため盾が無くなり雨風を一身に受けるようになって倒木の危険が出てきたんだとか。
ガイドさん達は、登るときに少し土を持っていって捲いているのだとか。
う~ん、利便性を取った以上は仕方ないですが、なんとかしたいところですね。
月山略史年表
石碑。右は読み取れませんでしたが、左は山中鹿介ですかね?
そうだとしたら、主家を差し置いて本丸に石碑が置かれるとはさすが。
石碑の横からの眺め。
こりゃあ、海から敵が来ても見つけやすいですね。
ちなみに本丸の斜面は……斜面と言うよりは崖なので、まあ登れませんね。
さて、本丸の一番奥には勝日高守神社があります。
実は麓にある富田八幡宮の方に里宮(ふもとにあるお宮)がありまして、こちらはその奥宮にあたる神社です。
その昔はこちらが本宮だったのですが遷すことになり、矢を放ってその落ちた先を新たな神社としたのだとか。
ちなみにここから富田八幡宮までは約1.5km離れています。
神社入り口にある石灯籠。
以前に中央の柱が崩れて、達磨落とし状態にして積み直されています。
猿のレリーフ。私の感覚としては珍しいですが、実際のところはどうなんでしょうね。
改めて、勝日高守神社。この写真は横から撮ったアングルでして、右が正面です。
ちなみに祭神は大国主命。さすがは出雲。
本殿。面積が小さいから、さすがにこぢんまり。
拝殿。注連縄が太いのは、やはり出雲って感じがしますね。
ちなみに神社の先は、もう少しだけ空間がありますがあとは崖です。
「七曲りなんて通らなくても裏から攻めれば落とせるのでは?」とか思ってましたが、これも武者が踏破するのは厳しいでしょうね。
改めて、拝殿と本殿。
裏手にある穴。
石見銀山とつながっているという素敵な伝説があります。
というわけで、さあ、撤収しますか。
ちなみに七曲りエリアで約20分、そこから今までで約30分使いました。案外時間かかりましたね。(友人A、もうちょっとの辛抱だ)
神社側から本丸を見渡した写真。石灯籠の神社側に、柱部分が置いてあったんですね。
奥、石碑あたりの斜面がえげつない。
と、ガイドさんが他の観光客(男性1名)に声をかけました。
要約すると、そこから降りるのは無謀だ死ぬぞやめとけ、とのこと。
石碑あたりまで戻ってきたところ、なにやらベンチに座って色々広げている方が。
……え、あれって。
ガイドさん「お茶を点てていらっしゃるんですか!?」
なんでもこの方、全国のお城を巡って、そこでお茶を飲むのを愉しまれているのだそうです。
すごい、大人の趣味だ。
というか短い日程で結構な距離(前日は四国)を移動されていて、それもすごい。
本丸から堀切と二の丸を見たところ。
二の丸が陥落するようではもう敗北以外の選択肢が無いでしょうけど、最期の時間は確保できますね。
そして行きではスルーした二の丸!
ここには1軒の小屋があります。月山富田城のスタンプもあります。
二の丸からのパノラマ(自動生成)。
二の丸と三の丸の間くらいにある井戸。
こんなてっぺんでも井戸があるとは。
三の丸からの眺め。
三の丸の端から二の丸(見えないけどさらに向こうには本丸)。
神社の鳥居があったんですね。
二の丸も絶壁ですね。
途中、少し話し込んだりもしたので時間がかかりましたが、七曲がりの下りはほんの10分くらいでした。
友人Aとも無事に合流です。(1時間20分ぶり)
次の予定があるので、断腸の思いで山中御殿の他の虎口はカット。
舗装された道を下っていきます。
やあ、桜が綺麗に残っていますね。
車のすれ違いは厳しい程度の幅ですが、とはいえ舗装された道は歩きやすいですね。
15分かからずに山中御殿から下(川沿い)まで降りてきました。
川沿いの道に合流した地点から歴史資料館は目と鼻の先なのですが、ちょうどその中間あたりにフォトスポットがあります。
ローアングルを心がければ、「史跡富田城跡」という碑とともに千畳平の斜面(一部石垣)が写真に収められます。
そしてそこにはこんなジオラマも。素敵。
さて、ついに月山富田城を見終わりました。
都合、3時間でしたね。思ったより時間を使いました。やはりしっかりと見るならこのくらいは必要ですね。
次は、本日最後の目的地である金屋子神話民俗館および金屋子神社を目指します。
続く。
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