みのもり雑記

旅行関連が多くなるかと思いますが、ふと書きたくなったことを気の向くままに、という感じで。

2017年隠岐旅行 - 3日目その2

2018-01-07 17:45:06 | 2017年8月隠岐旅行
8月4日金曜日。
さあ、いよいよ中ノ島(海士町)に上陸です。
この中ノ島は、隠岐諸島の島前に位置する島でして、人口はさきほどまでいた西ノ島とだいたい同じくらいです。
面積はそれより小さいのですが、島前3島のなかではもっとも平地が多く、ほぼ唯一と言って良い稲作が行われています。

見所としては、後鳥羽天皇が配流されていた関係で、そのあたりの関連施設。
あとは、西ノ島には劣りますが風光明媚な場所もあります。

そして温泉!
もとカルデラ火山のわりに西ノ島には温泉がないのですが、ここ中ノ島にはあるんですよ!


今回この島にはおよそ24時間の滞在です。
明日の朝には船で移動しますので、実質的には今日の日没までといったところですね。

前日同様にレンタサイクルを予約してありますので、それで島を回る予定です。



では、早速スタートです。

まずは水分を補給しましょう。
今日も30度を超える予報ですが、途中で補給できるとは限りませんから。


写真に写っている「島じゃ常識店」が、観光案内所も入っている建物(キンニャモニャセンター)にある売店です。
駅にあるコンビニぐらいのものを想像していただければだいたい合ってます。

補給を済ませたら、いよいよ自転車を受け取ります。
ついに電動自転車デビューですよ!


かなり遠くまで足を伸ばす予定ということで、予備のバッテリーも貸していただけました。(かごに入っている紙袋)

キンニャモニャ踊りの像に見送られ、さあ出発です。


え?
そもそも「キンニャモニャ」とは何かって?
正直私もこのときは分かりませんでした。
このあと1時間半ほどしてから判明しましたので、ここではもったいぶっておきましょうか。



さあ、ここで本来であれば南東へ向かうのですが、私はあえて西へ。
事前にGoogle MAPを眺めていたら、気になる看板があったんですよね。ただ、Google MAPだと内容が読めなくて。

ほうほう、千本桜ですか。ミクさんか、またはワンチャン小林幸子さんとコラボできるかもしれませんね。


ついでにビーチをぱしゃり。



泳がないのかって?
泳がないよ?



さあさあさあ、今度こそ南東へ。
途中の橋の欄干を見て、私の写真魂(仮)が「撮れ」と命じたのでパシャリ。


隠岐汽船発祥の地。てっきり西ノ島かと。


小泉八雲ご夫妻の像。実はゆかりがあるんです。


寒そう。


きつそう。



道中、諏訪湾(推定)の風景がとても良かったので、パシャリ。


福井小学校前の看板。つまり、最盛期にはこの道路がすごいことになるんですね?


道中の境川。そういえば西ノ島には川がなかったな。


諏訪神社。ごめんよ、時間が厳しい見込みだったのと、「諏訪神社なら信州が本場だし、系列はカットしても良いでしょ!」と判断してね……。
というわけで正面からのお写真のみ。


■村上家資料館

後鳥羽天皇の墓守の一族っぽいです。もともと土着していた豪族でもあります。
今では資料館をやっていて、この辺の歴史とか、村上家の関連資料などが展示されています。


手前に数台の車を止められる場所がありますので、そこに自転車を置かせてもらいました。もちろん日陰に。

正面(観光客の入り口は、少し左)


いろいろと資料はあるのですが、残念ながら撮影禁止。
皇太子殿下が休憩で使用した部屋とかなら撮影OKとのことだったので、そちらだけパシャリ。



なお、少しだけお土産物(と、本)も置いてあります。

2階に上がれたので、そこから敷地内をパシャリ。ちなみに2階には、特に展示物などはないです。


さて、実はこの建物の横に小山(ほんとに小山)がありまして、ここはかつて村上家のお城でした。
なら、行かなくちゃね!


補足しておきますと、小山とは書きましたが、階段で言えばほんの数十段です。
比較対象物が資料館しかないので難しいですが、建物の3階相当でしょうか。

かつての主郭だったと思われる場所には祠が。



解説板を信じるなら、朝霞神社の祠のようですね。


推定主郭も、黒木御所跡よりは広いですが、とはいえ大きな建物をいくつも並べるほどの広さはありません。
出城という可能性もありますが、すぐ横が現在の村上家でもありますし、そもそも島の人口を考えると大量の兵力動員は不可能でしょうから、
あまり大きな城郭は必要ないのでしょうね。

■隠岐神社

隠岐神社は、この中ノ島(海士町)の観光の目玉です。
村上家資料館からはわりとすぐです。まあ、墓守が遠くにいてはダメですしね。
私は疲れていたのでやりませんでしたが、夜の参拝コース(タクシー送迎付き)というものもありまして、なかなか趣がありそうです。

資料館と神社の間にあった建物。実に「昔ながら」感!


さて、到着です。


正面(というか立っている場所)には大きな駐車場がありまして、その片隅にあった四阿(藤棚スタイル)の横に自転車を置かせてもらいました。
日光を防げないつらい。
このとき、すでに日向に立っているだけでとても暑いような気温です。
風もなく、正直これまでの3日間で最も暑かったです。

気を取り直してレッツラゴー。


宮柊二という方の短歌がいくつか飾られていました。



夜間照明用。きっと幻想的なんでしょうね~。


おお、ここにも土俵が。


木陰は癒やし。


ところで、先ほど後ろから団体さんの気配がしたのでややお急ぎめで進んできましたが……あれっきり気配がないですね。はて?

いよいよゴールが見えました。ここまで、最初の鳥居から結構歩きました。


そこかしこに後鳥羽院の歌が。



いよいよ随身門です。


拝殿。というか、ほんと広い。


がらんがらん付近。



せっかくなので、おみくじも引いてみました。
後鳥羽院、なかなか話の分かる方のようです。


本殿は……ぐぅ、よく見えない。


しからば反対側から……ぐぅ。



拝殿横にある神輿庫。校倉造にしたんですね。






さて、再び随身門をくぐり、ここで元来た道をたどらずに横へ逸れます。
この先に、後鳥羽上皇御在所跡があるんですよ。

記憶が曖昧ですが、ここで団体さんとすれ違ったような。
ちょうど私と逆ルートをたどったんですね。


途中で見つけたお墓。特に解説板もなく、途中の道も踏み固められてはいませんでしたので、
たとえば村上家関連とかでしょうか。
観光用ではなかったようなので、撤収です。お騒がせしました。


さあ、改めまして、御在所跡です。
さすがに広いですね。こうでなくっちゃ!



解説板にあった当時の井戸を見てみると、確かに水が澄んでいます。
なるほど、未だに水が湧いているんですね。


この辺りで、確か3人組(老夫婦とそのお子さんっぽい感じだったような?)とタクシーの運転手さんがいるのを発見です。
……解説、いいなぁ。
正直西ノ島で味わって骨身にしみましたが、よく知らない土地ではガイドの有無ってかなり大きな差ですよね。

さて、最後は後鳥羽上皇の火葬塚です。
……正直、私はこのとき「なんだろこれ?まあ一応写真を撮っておこう」くらいだったので、大損です。



最後の直線。
暑い。


ところで、なぜ「上皇」と「天皇」が混在しているんでしょうね?


綱掛の松。


松食い虫のせいで枯れてしまい、1991年に伐採されたんだとか。



流転の梵鐘。本物は海賊に略奪されたそうです。
丹波但馬地方の海賊がここまで来ていたことにびっくりですよ。



隠岐神社の道路を挟んで反対側には、海士町歴史民俗資料館があります。
村上家資料館との共通券がありますので、ご活用ください。

内容的には、個人的に大きく目を引くような物はなかったですかね。
和歌関連が豊富だった印象ですが、先土器・縄文・弥生的な頃の資料も展示されています。
空調のおかげで汗は引きましたが、汗を存分に吸ったシャツのせいで風邪を引かないかどうかが心配でした。
あいにくと各資料は撮影禁止。



資料館の横には、お土産ものを扱っている建物があります。
結構豊富なので、休憩がてらのぞいてみると楽しいです。

……ようやく「キンニャモニャ」の謎が解けましたし。


ちょうど団体客が来る少し前だということで、お茶をいただいてしまいました。ありがたや~。
お礼に、試食でおいしかったお菓子(白浪)をお買い上げ。

応対してくれたおばちゃんに「これからどこそこを回る予定で~」と話したら、わりと本気で心配されました。
……そんなに無茶でしたか。
ちなみにおばちゃん曰く、この日はここ数日で一番暑い(特に風が無いのが大きい)とのこと。

「がんばります!」ということで出発です。



というわけで次回へ続きます。

ここまでの行程で中ノ島の北西~中央にかけては回りました。
これから、島の北東方面を制圧にかかります。


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