1日目その1へのリンク
2023年11月23日14:40
無事にお目当てのバスに乗り込み、いざ観光再開です。
大垣は何度も来たことがありますが、これから行くのは未踏エリアです(通ったことは若干あるけど)
ところでバス、前回乗ったのもそうでしたが思ったよりも人が乗ってますね。
全然いないとか、ほんの2~3人というのを想定していたのですが、1桁後半乗ってます。
14:57頃
赤坂港跡で降ります。ぶっちゃけ間違えたんですよね。
旅行直前まで、ここで降りて順に西進していくルートにするか、それとも逆にもっと先まで行って東進(戻ってくる)するルートにするか迷ってました。
最終的に東進ルートにしたつもりだったんですが、うっかり降りてしまいました。
赤坂宿御使者場跡(それは何なのかは知らない)

火の見櫓だ!

杭瀬川(の支流)と常夜灯

このオブジェは、中山道赤坂宿をイメージし、地域素材である石灰岩とホタルを生かし、地域住民の皆さんと共に赤坂まちづくり楽徒で製作したものです。

親水公園とでも言うような感じに整備されてますね。

その横には、この赤坂港会館があります。

当初は警察の施設ですが、実はその後、この裏山(金生山)にて化石館としても使われました。

金生山は石灰岩の採掘でゴリゴリ切り崩されているのですが、古生代の地層ということで結構ウミユリ等の化石が産出します。
(館内で聞いたところによると、業者のこだわりでピラミッド型に山の一部を残していたそうなのですが、社長が代替わりしたらサッサと切り崩したそうです)
てなわけで建物内には石灰系の展示も。

もちろん岩石も。

そして大理石も!


屋根のてっぺんに帽子のごとくこの鉄製三角コーンが立っていたのですが、ちょうどつい最近(何年前だったか忘れた)落雷が直撃したそうで、これがボロッと下に落ちたそうです。よくまあ無事で。

あ、鉄も産出したとは知りませんでした。

昭和40年で「皇太子殿下」ってことは、今の上皇様か。

15:22撤収
ほぼ貸し切りでしたね。
施設に詰めていた女性が話し好きで、思った以上に滞在してしまいました。

さあ、このまま赤坂宿を進みましょう。ちなみにこの道は、旧中山道です。

まちの家赤坂宿
カフェ くつろぎ処 森山 月~金 10時~12時
営業時間帯が短い!!

鉄道
金生山の石灰岩とかその辺の工場がこの向こうにあるんですよ。ちなみに反対側は美濃赤坂駅、さらには大垣駅につながってます。

赤坂宿の本陣跡
さすがに何も残ってないですが、場所が確保されているだけでも立派ですね。

所郁太郎?
……ふむ、長州征伐中に病没ですか。矢橋家の人だったら、生き延びていれば良い思いも出来たでしょうに。


旧清水家住宅(大垣市指定重要文化財)


カフェ、というほどでもありませんがちょっとした飲み物を飲めるっぽいと知り、飲む気満々だったのですが……残念ながら今日はやっていないようです。

なんかいいな。

中庭と、蔵。

赤坂宿今昔
やや左下のお茶屋屋敷跡、左側が学校で削られたんですね。

わりとガッツリ手を加えていらっしゃる。

蔵は建築当時(1880年)の姿への復元を目指したんですね。

15:35
撤収しました。日没を考えると、お茶できなくてかえって良かったかも。
城下町あるある
街道がクランクになっている
※赤坂宿は大垣宿の1つ隣りなので、厳密には城下町ではありません。

明らかに歴史ある建物(おなじみ矢橋家)

その場で背を向けると、道標があります。
このまま北上すると谷汲山華厳寺コース……って、結構遠いな!?

お嫁入り普請探訪館
幕末の、皇女和宮様に関する展示があるようです。

4月~11月頭の土日祝日に開館!
つまり!今日(11月23日)は!やってない!!!
※仮にやってたとしても、15時までなのでもう閉館時間ですが。

気を取り直して進みます。
おお、干し柿を作っている。素晴らしい。

15:43
だいぶ日が傾いてきました。まあ東京だと17時には真っ暗なシーズンですからね。
ただこの写真を撮ったのは、夕方の風景が良かったというのもありますが、地味に続く登り坂でヘロヘロになったというのもあります。

……あれ、「赤坂宿御使者場跡」ってさっき東側にもあったよね?
両サイドにあるものなのかな?

ちなみに右奥の高まりは「兜塚」と言いまして、杭瀬川の戦いで死んだ東軍の中村家家老、野一色頼母を埋葬したそうです。

達筆すぎて分からん。。。

ちなみに兜塚の裏手(西側)には、廃線になった線路があります。
これまた山からの資材運搬用でしょうね。

実は赤坂宿エリアは兜塚の200mくらい手前ですでに終わっておりますが、見たい場所がこの先にもう1つあるため引き続き進みます。
ちょうど切りが良いので、今回はここまで。

2023年11月23日14:40
無事にお目当てのバスに乗り込み、いざ観光再開です。
大垣は何度も来たことがありますが、これから行くのは未踏エリアです(通ったことは若干あるけど)
ところでバス、前回乗ったのもそうでしたが思ったよりも人が乗ってますね。
全然いないとか、ほんの2~3人というのを想定していたのですが、1桁後半乗ってます。
14:57頃
赤坂港跡で降ります。ぶっちゃけ間違えたんですよね。
旅行直前まで、ここで降りて順に西進していくルートにするか、それとも逆にもっと先まで行って東進(戻ってくる)するルートにするか迷ってました。
最終的に東進ルートにしたつもりだったんですが、うっかり降りてしまいました。
赤坂宿御使者場跡(それは何なのかは知らない)

火の見櫓だ!

杭瀬川(の支流)と常夜灯

このオブジェは、中山道赤坂宿をイメージし、地域素材である石灰岩とホタルを生かし、地域住民の皆さんと共に赤坂まちづくり楽徒で製作したものです。

親水公園とでも言うような感じに整備されてますね。

その横には、この赤坂港会館があります。

当初は警察の施設ですが、実はその後、この裏山(金生山)にて化石館としても使われました。

金生山は石灰岩の採掘でゴリゴリ切り崩されているのですが、古生代の地層ということで結構ウミユリ等の化石が産出します。
(館内で聞いたところによると、業者のこだわりでピラミッド型に山の一部を残していたそうなのですが、社長が代替わりしたらサッサと切り崩したそうです)
てなわけで建物内には石灰系の展示も。

もちろん岩石も。

そして大理石も!


屋根のてっぺんに帽子のごとくこの鉄製三角コーンが立っていたのですが、ちょうどつい最近(何年前だったか忘れた)落雷が直撃したそうで、これがボロッと下に落ちたそうです。よくまあ無事で。

あ、鉄も産出したとは知りませんでした。

昭和40年で「皇太子殿下」ってことは、今の上皇様か。

15:22撤収
ほぼ貸し切りでしたね。
施設に詰めていた女性が話し好きで、思った以上に滞在してしまいました。

さあ、このまま赤坂宿を進みましょう。ちなみにこの道は、旧中山道です。

まちの家赤坂宿
カフェ くつろぎ処 森山 月~金 10時~12時
営業時間帯が短い!!

鉄道
金生山の石灰岩とかその辺の工場がこの向こうにあるんですよ。ちなみに反対側は美濃赤坂駅、さらには大垣駅につながってます。

赤坂宿の本陣跡
さすがに何も残ってないですが、場所が確保されているだけでも立派ですね。

所郁太郎?
……ふむ、長州征伐中に病没ですか。矢橋家の人だったら、生き延びていれば良い思いも出来たでしょうに。


旧清水家住宅(大垣市指定重要文化財)


カフェ、というほどでもありませんがちょっとした飲み物を飲めるっぽいと知り、飲む気満々だったのですが……残念ながら今日はやっていないようです。

なんかいいな。

中庭と、蔵。

赤坂宿今昔
やや左下のお茶屋屋敷跡、左側が学校で削られたんですね。

わりとガッツリ手を加えていらっしゃる。

蔵は建築当時(1880年)の姿への復元を目指したんですね。

15:35
撤収しました。日没を考えると、お茶できなくてかえって良かったかも。
城下町あるある
街道がクランクになっている
※赤坂宿は大垣宿の1つ隣りなので、厳密には城下町ではありません。

明らかに歴史ある建物(おなじみ矢橋家)

その場で背を向けると、道標があります。
このまま北上すると谷汲山華厳寺コース……って、結構遠いな!?

お嫁入り普請探訪館
幕末の、皇女和宮様に関する展示があるようです。

4月~11月頭の土日祝日に開館!
つまり!今日(11月23日)は!やってない!!!
※仮にやってたとしても、15時までなのでもう閉館時間ですが。

気を取り直して進みます。
おお、干し柿を作っている。素晴らしい。

15:43
だいぶ日が傾いてきました。まあ東京だと17時には真っ暗なシーズンですからね。
ただこの写真を撮ったのは、夕方の風景が良かったというのもありますが、地味に続く登り坂でヘロヘロになったというのもあります。

……あれ、「赤坂宿御使者場跡」ってさっき東側にもあったよね?
両サイドにあるものなのかな?

ちなみに右奥の高まりは「兜塚」と言いまして、杭瀬川の戦いで死んだ東軍の中村家家老、野一色頼母を埋葬したそうです。

達筆すぎて分からん。。。

ちなみに兜塚の裏手(西側)には、廃線になった線路があります。
これまた山からの資材運搬用でしょうね。

実は赤坂宿エリアは兜塚の200mくらい手前ですでに終わっておりますが、見たい場所がこの先にもう1つあるため引き続き進みます。
ちょうど切りが良いので、今回はここまで。


※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます