みのもり雑記

旅行関連が多くなるかと思いますが、ふと書きたくなったことを気の向くままに、という感じで。

2022年佐賀旅行 - 3日目その7(筑後川昇開橋)

2023-03-12 17:35:19 | 2022年佐賀旅行
目次

2022年11月5日(土)14:24
「ひがさす」を後にして東へ進むこと20分強、次の目的地に到着しました。
まずは橋の駅(道の駅の亜種)ドロンパへ。


中でパンフレットをもらいつつ軽く商品を見て回りました。
そんなに広くないのと、ここはあんまり観光地として集客が無いのか、「お土産」然としたものの割合は思ったほどには高くなかったですね。

では、昇開橋に向かいましょうか。


列車用の鉄橋があったほかは、1965年までは渡し船しかなかったんですね。


やあ徐福ちゃん、午前中以来ですね。
(さっきの地図にもありますが、近くが上陸伝説のある場所)


かつてこの昇開橋は鉄道が通っていました。


鉄道があったことをアピールする姿勢がかなり強いです。


鉄道自体は1987年に廃線となりましたが、この橋は遊歩道として残り、めでたく重要文化財となったと。


下流側
ちょっと分かりにくいですが、中央にある橋の手前、川に構造物がありますが、これは「デ・レイケ導流堤」といいます。


さて、では橋を進むとしましょう。


とか言ってたら何の前触れも無く橋が上がり始めました。
ちょ、ちょっと聞いてないよ!?


観光客向けということで、人が近づいてきたら係の人が橋を上げるようにしているそうです。



「昇開橋」ということで、この中央部分が上下に移動することで船舶が往来できるようにします。


直上を見上げるとよく分からないですが、かなり高い鉄塔です。


デ・レイケ導流堤


デ・レイケ導流堤(アップ)


ドロンパから見て反対側には係の人の詰め所があります。
橋桁を上下させる操作もここでやります。


ちなみに上下させる速度は、フォークリフトとかクレーンをイメージしていただければと。



さて、名残惜しくはありますが、対岸まで行きましょう。


すごい砂が堆積していますね。
さすがは筑紫次郎。


大川昇開橋温泉。時間があったら寄ってみても良かったですね。


その手前にあるここには寄りますが。
そう、デ・レイケ導流堤の展示です。


対岸も鉄道モチーフ




幸福の鐘
昇開橋なだけに昇運・開運とは。


ちょっと分かりにくいですが正面、木が密集して植えてある通路があります。
そうです、お察しの通り鉄道跡です。




完全に余談ですが階段を降りた場所をGoogle MAPのストリートビューで見ると、青空将棋をしている人が映っています。
……ほんとにいた!? まさか行ったタイミングでまさに同じ光景を見るとは。



そうか、夕日と一緒に昇開橋をおさめるなら、確かに東側ですね。
なお写真右上にもあるとおり、実は川を渡ると佐賀県佐賀市ではなく福岡県大川市だったりします。


えつ伝承碑
弘法大師が船賃代わりにえつ(カタクチイワシ系)がとれるようにしたのだとか。


さてデ・レイケ導流堤の展示です。
実物大なのでしょうね。断面図付きとか実に親切な。


デ・レイケ導流堤、ざっくり言えば砂の堆積を軽減するためのものです。
さっきの岸辺から察するに、とんでもない量の砂が運ばれてくるのでしょうね。




さて、少し堤防沿いを歩けそうなので、北上してみましょう。
さっき看板にあった夕日のカットは、確かに良い感じでした。
(ちなみに横ではゲートボールが催されていました)


残り時間が気になって、こんな浅い角度で日和ってしまった。。。
(そもそも夕日にはほど遠い時間ですが)



さて、戻りましょうか。

あ、文化財登録、こっち側にあったんですね。



ちょうど漁船がちょいちょい戻ってきてました。


このデ・レイケ導流堤、満潮時には隠れてしまうんですよね。
午後のルートは 昇開橋⇒次に行く場所⇒ひがさす だと移動距離的に最短だったのですが、このデ・レイケ導流堤と、ひがさすでの干潟は満潮時に行っても微妙なのでこんな順番となりました。


佐賀市に戻ってきました。
先ほどと同様、正面はかつての鉄道です。


徐福


おお、当然ですがここにも恵比須さま!



そんなこんなで40分ほどの滞在でした。
思ったよりは長居しましたね。


今回は、道中どこを通ったのか分からないので移動経路なし。
途中で川副中学校の北(県道18号線)を通ったのは確実なのですが。


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