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2022年11月5日(土)15:14
橋の駅ドロンパから西南西に約2km、「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」に到着しました。
実はすぐ手前に「中川副公民館」ってのがありまして、
そこにこの施設ののぼり旗がすごい立てられていた関係で運転手さんと「ここにも何かあるのかな?」と立ち寄った関係で数分ロスしました。
実際には、ここ用の駐車場として使えからなのかな?
佐野常民。日本史で出てきましたね。
結構広い
では、入りましょうか。
コインロッカー
使用後にお金が返ってくるタイプです。親切!
入場券を買ったら、左側に見切れている自動改札を通って入場します。
この辺は、バルーンミュージアムと同じですね。
ちょうど出てくる家族連れがいたので待っていましたが、なんかえらいゲートではじかれていて、ちょっと待つ羽目になりました。
なお入るときに係の人から「映像上映があるから是非」と強くお勧めされてしまいました。
正直あんまり時間を使うものは避けたかったのですが、まあタイムスケジュール的には許容範囲でしたので見ることにします。
(ここまで、予定より25分巻いてます)
入場すると、特に目を引くのがこの実寸大ジオラマです。
これは、当地で発掘されたドライドック跡を発掘時の様子として再現したものです。
映像上映は3ヶ所ありまして、ここがその1ヶ所目です。
プロジェクションマッピングを活用しており、このジオラマもうまく使っています。
なるほど、ここは元々佐賀藩の船屋があった場所を活用して、順次拡張していったんですね。
あ、長崎海軍伝習所って開設の4年後(1859年)に閉鎖されていたんですね。短い。
徴古館でも佐賀城本丸歴史館でも見ましたね。
おなじみ、蒸気船のひな形です。
なんかゆるキャラみたいなのがおる!
※名前不詳
電流丸模型
側面から描かれた図面が残っているだけなので、咸臨丸の船体図で代用
張替え作業は(中略)ドックの締め切りに不具合が生じたため三重津では作業が継続できず、佐賀藩領諫早の大久保浦で残りの張替え作業が行われました
決壊しちゃったんですかね?
これは当地としては無念な。
地産地消
※原料はもちろん別
佐賀藩が作った外輪式の河船(そりゃこのサイズで外洋はかわいそうですよ。再現映像では有明海とおぼしき場所を悠々と航海していましたけど)
からくり儀右衛門!
『仁』で出てきた人だ!(父親の方)
おお、すごいいっぱい保有している。
自前のドックを作ったことといい、かなり懐に余裕が出来たんですね。
佐賀藩海軍用食器
波があしらわれていたり、「海」とか「舩」とか書かれていたりと、非常に所属がわかりやすい。
おお、建物、上の方は船の形なんですね。
佐野常民コーナー
ああ、三重津海軍所がいつ廃止になったのかは分からないんですね。
跡地がそのまま有効活用されたようで何よりです。
「持ち上げて球の重さを体験してみよう!」
24ポンドは、ボーリングでも見かけない重量ですからね。。。
装填手は大変ですよほんと。
佐賀藩の作った反射炉その1、築地反射炉
反射炉その2、多布施反射炉
1853年6月に幕府から鉄製大砲50門の作成を命じられて、9月着工、翌1854年3月操業開始、1856年18門納品とは、
築地反射炉のノウハウがあったとは言えすごい。
関連する偉人コーナー
佐野常民!(そりゃ施設名にもなってますし)
からくり儀右衛門!(殺されちゃった子どもの方)
からくり儀右衛門!(『仁』に出てくる方)
『仁』で見かける人名と病名
この球形のものは、中は映像シアターです。
……なのですが、いつしか残り時間が気になる頃合いだったので、映像は見ずに済ませてしまいました。
おお、2015年の世界遺産登録までは、むしろ佐野常民オンリーだったんですね。
さあ、いよいよ最上階です。
(11月でクールビズ!? いや、良いんですけど)
絵図面と重ねてくれるのは、嬉しいですね。
まずは河口側
ほぼ正面
上流側(橋で見えませんが、昇開橋がある方向です)
さらに左側(かつて船屋があった辺りです。左端あたりの方向にず~~っと13kmほどいけば吉野ヶ里歴史公園です)
……おや、逆サイドにも出られるんですね。
地の利が無いと、ちょっと難しい。。。
さて、1フロア下に降りまして、正面の河川敷に出ましょう。
実際に三重津海軍所があった場所です。
ふむふむ、なるほど。
……撤収予定時刻まであと18分なので、急げば回りきれそうですね。
唯一の問題は、歴史の息吹を感じる余力が無いことでしょうか。
中央、稽古場エリア。ちなみに奥は船屋エリアです。
そこまで広いと言うほどではないです。
建物があればまた印象も違うんでしょうけど。
船屋(引き潮のようで、ほぼ水が無い)
かつてはここにたくさんの和船が停泊していたのでしょう。
さて、ここからは適宜ジョギング移動をしながら回ります。
なぜなら建物の方から運転手さんが出てきて、私が回り終わるのを待っているのが見えたからです。
一気に逆サイド、修覆場エリア
かつてはここにドライドックやたくさんの作業場があったんですね。
ちなみにちゃんと「ここに○○がありました」と紹介してくれています。
※遺跡保護のため、本物は地中に埋め戻されています。
ドライドック跡
一番端まで来ました。
佐野常民の映像シアターをカットしたにもかかわらず、外に6分くらいしか時間をかけられなかったのは残念ですね。
そのまま運転手さんと合流しまして、いざタクシーで出発、、、といければスムーズなのですが。
1階のコインロッカーへ手荷物の回収に行きます。
たぶん16:20過ぎの出発でしょうかね。
私の場合は展示されていたうちの一部は事前に他の観光施設で知っている情報も含まれていましたが、そうで無い人は映像資料も含めて1時間半は時間を確保した方が良いのでしょうね。
これにて観光はほぼ終了。
次回で佐賀旅行編も完結かと思います。
2022年11月5日(土)15:14
橋の駅ドロンパから西南西に約2km、「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」に到着しました。
実はすぐ手前に「中川副公民館」ってのがありまして、
そこにこの施設ののぼり旗がすごい立てられていた関係で運転手さんと「ここにも何かあるのかな?」と立ち寄った関係で数分ロスしました。
実際には、ここ用の駐車場として使えからなのかな?
佐野常民。日本史で出てきましたね。
結構広い
では、入りましょうか。
コインロッカー
使用後にお金が返ってくるタイプです。親切!
入場券を買ったら、左側に見切れている自動改札を通って入場します。
この辺は、バルーンミュージアムと同じですね。
ちょうど出てくる家族連れがいたので待っていましたが、なんかえらいゲートではじかれていて、ちょっと待つ羽目になりました。
なお入るときに係の人から「映像上映があるから是非」と強くお勧めされてしまいました。
正直あんまり時間を使うものは避けたかったのですが、まあタイムスケジュール的には許容範囲でしたので見ることにします。
(ここまで、予定より25分巻いてます)
入場すると、特に目を引くのがこの実寸大ジオラマです。
これは、当地で発掘されたドライドック跡を発掘時の様子として再現したものです。
映像上映は3ヶ所ありまして、ここがその1ヶ所目です。
プロジェクションマッピングを活用しており、このジオラマもうまく使っています。
なるほど、ここは元々佐賀藩の船屋があった場所を活用して、順次拡張していったんですね。
あ、長崎海軍伝習所って開設の4年後(1859年)に閉鎖されていたんですね。短い。
徴古館でも佐賀城本丸歴史館でも見ましたね。
おなじみ、蒸気船のひな形です。
なんかゆるキャラみたいなのがおる!
※名前不詳
電流丸模型
側面から描かれた図面が残っているだけなので、咸臨丸の船体図で代用
張替え作業は(中略)ドックの締め切りに不具合が生じたため三重津では作業が継続できず、佐賀藩領諫早の大久保浦で残りの張替え作業が行われました
決壊しちゃったんですかね?
これは当地としては無念な。
地産地消
※原料はもちろん別
佐賀藩が作った外輪式の河船(そりゃこのサイズで外洋はかわいそうですよ。再現映像では有明海とおぼしき場所を悠々と航海していましたけど)
からくり儀右衛門!
『仁』で出てきた人だ!(父親の方)
おお、すごいいっぱい保有している。
自前のドックを作ったことといい、かなり懐に余裕が出来たんですね。
佐賀藩海軍用食器
波があしらわれていたり、「海」とか「舩」とか書かれていたりと、非常に所属がわかりやすい。
おお、建物、上の方は船の形なんですね。
佐野常民コーナー
ああ、三重津海軍所がいつ廃止になったのかは分からないんですね。
跡地がそのまま有効活用されたようで何よりです。
「持ち上げて球の重さを体験してみよう!」
24ポンドは、ボーリングでも見かけない重量ですからね。。。
装填手は大変ですよほんと。
佐賀藩の作った反射炉その1、築地反射炉
反射炉その2、多布施反射炉
1853年6月に幕府から鉄製大砲50門の作成を命じられて、9月着工、翌1854年3月操業開始、1856年18門納品とは、
築地反射炉のノウハウがあったとは言えすごい。
関連する偉人コーナー
佐野常民!(そりゃ施設名にもなってますし)
からくり儀右衛門!(殺されちゃった子どもの方)
からくり儀右衛門!(『仁』に出てくる方)
『仁』で見かける人名と病名
この球形のものは、中は映像シアターです。
……なのですが、いつしか残り時間が気になる頃合いだったので、映像は見ずに済ませてしまいました。
おお、2015年の世界遺産登録までは、むしろ佐野常民オンリーだったんですね。
さあ、いよいよ最上階です。
(11月でクールビズ!? いや、良いんですけど)
絵図面と重ねてくれるのは、嬉しいですね。
まずは河口側
ほぼ正面
上流側(橋で見えませんが、昇開橋がある方向です)
さらに左側(かつて船屋があった辺りです。左端あたりの方向にず~~っと13kmほどいけば吉野ヶ里歴史公園です)
……おや、逆サイドにも出られるんですね。
地の利が無いと、ちょっと難しい。。。
さて、1フロア下に降りまして、正面の河川敷に出ましょう。
実際に三重津海軍所があった場所です。
ふむふむ、なるほど。
……撤収予定時刻まであと18分なので、急げば回りきれそうですね。
唯一の問題は、歴史の息吹を感じる余力が無いことでしょうか。
中央、稽古場エリア。ちなみに奥は船屋エリアです。
そこまで広いと言うほどではないです。
建物があればまた印象も違うんでしょうけど。
船屋(引き潮のようで、ほぼ水が無い)
かつてはここにたくさんの和船が停泊していたのでしょう。
さて、ここからは適宜ジョギング移動をしながら回ります。
なぜなら建物の方から運転手さんが出てきて、私が回り終わるのを待っているのが見えたからです。
一気に逆サイド、修覆場エリア
かつてはここにドライドックやたくさんの作業場があったんですね。
ちなみにちゃんと「ここに○○がありました」と紹介してくれています。
※遺跡保護のため、本物は地中に埋め戻されています。
ドライドック跡
一番端まで来ました。
佐野常民の映像シアターをカットしたにもかかわらず、外に6分くらいしか時間をかけられなかったのは残念ですね。
そのまま運転手さんと合流しまして、いざタクシーで出発、、、といければスムーズなのですが。
1階のコインロッカーへ手荷物の回収に行きます。
たぶん16:20過ぎの出発でしょうかね。
私の場合は展示されていたうちの一部は事前に他の観光施設で知っている情報も含まれていましたが、そうで無い人は映像資料も含めて1時間半は時間を確保した方が良いのでしょうね。
これにて観光はほぼ終了。
次回で佐賀旅行編も完結かと思います。
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