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バルちぁんの徘徊 (М78星雲)

バルちぁんの「自己満足・自己陶酔・妄想徘徊」

古事記

2021年02月26日 06時23分59秒 | 思い出(出来事)

古事記の時代は「死ぬ」は実在しなかった。

「萎す」(しす)

今では「しす」で「萎す」の漢字はでません。

「萎ぬ」は植物が枯れてしなしなになる状態をいう。反対語は「活く」(いく)だそうです。

昔の「死ぬ」は魂が離れてシナシナになる一時的な「死」だったに過ぎなかったのです。

完全な「死」は白骨を拝む、もう生き返らない状態が「死」になった。

だから本当は「死訖」死が訖るなのです。


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (7駆)
2021-02-27 16:37:58
うんうん。勉強になります!
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7駆さんへ (バルちぁん)
2021-02-27 17:29:07
勝手に読み漁って・・・
勝手に書きこみ・・・

うざいやつてぜす私
返信する

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