古事記の時代は「死ぬ」は実在しなかった。
「萎す」(しす)
今では「しす」で「萎す」の漢字はでません。
「萎ぬ」は植物が枯れてしなしなになる状態をいう。反対語は「活く」(いく)だそうです。
昔の「死ぬ」は魂が離れてシナシナになる一時的な「死」だったに過ぎなかったのです。
完全な「死」は白骨を拝む、もう生き返らない状態が「死」になった。
だから本当は「死訖」死が訖るなのです。
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勝手に書きこみ・・・
うざいやつてぜす私