今日の夜、NHKの時代劇を見ているとある場面で「そちの母は息災か?」という会話がされた。今風に言うと「君の母上はお元気かい?」となる。
この「息災」という言葉が何となく気になったので、Googleで「息災とは」と検索してみたところ18万6千件がヒットした。その最初に出てきたのが「暮らしの中の仏教語 43 息災」というページであった。広大寺が作っているサイトの様である。
読んでみると、
<... ところで息災とは梵語のシャーンティカの訳で「天才・疾病・罪障などの一切の災害を消滅させる」意を表しています。>ということであった。
この文章の中に出てくる「天才」は「天災」の間違いだと思うが、もう一つ気なる文章があった。
同じ説明文からの抜粋であるが、
<今、息災というと、個人的に身体のさわりがないこと・個人生活に災いがないことを指すように思っている人が居ますが、皆の息災を祈ることこそ大切であり、それが息災の原点です。是非、利他を先とする菩薩行を行うことに致しましょう。>
とあった。
今度は「利他を先とする」という言葉が気になった。
今の世の中は個人主義がバッコして「利他」という言葉を忘れていたような気がする。「利己」よりも「利他」を先にするということなど今どき流行らないと思うのだが、以前はもっと「利他」が生きていたような気がする。
自分の利益よりも他人の利益を先に考えることが、長い目でみると結局自分のためになると考えていた時代もあったことを思い出した。
今ではそう考えるのはかなり難しそうだ。
<参考>
「暮らしの中の仏教語 43 息災」>
http://homepage2.nifty.com/koudaiji/houwa/m04/houwa43.html
この「息災」という言葉が何となく気になったので、Googleで「息災とは」と検索してみたところ18万6千件がヒットした。その最初に出てきたのが「暮らしの中の仏教語 43 息災」というページであった。広大寺が作っているサイトの様である。
読んでみると、
<... ところで息災とは梵語のシャーンティカの訳で「天才・疾病・罪障などの一切の災害を消滅させる」意を表しています。>ということであった。
この文章の中に出てくる「天才」は「天災」の間違いだと思うが、もう一つ気なる文章があった。
同じ説明文からの抜粋であるが、
<今、息災というと、個人的に身体のさわりがないこと・個人生活に災いがないことを指すように思っている人が居ますが、皆の息災を祈ることこそ大切であり、それが息災の原点です。是非、利他を先とする菩薩行を行うことに致しましょう。>
とあった。
今度は「利他を先とする」という言葉が気になった。
今の世の中は個人主義がバッコして「利他」という言葉を忘れていたような気がする。「利己」よりも「利他」を先にするということなど今どき流行らないと思うのだが、以前はもっと「利他」が生きていたような気がする。
自分の利益よりも他人の利益を先に考えることが、長い目でみると結局自分のためになると考えていた時代もあったことを思い出した。
今ではそう考えるのはかなり難しそうだ。
<参考>
「暮らしの中の仏教語 43 息災」>
http://homepage2.nifty.com/koudaiji/houwa/m04/houwa43.html