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TAKさんの備忘録

団塊一期生がつづる日々の生活、情報化社会の変化、ブログやホームページ、読書・温泉・旅行・映画などの感想と記録

第39代WBA世界スーパーフェザー級チャンピオン内山高志

2010年09月19日 | 人物日記
今日のNHKで10:00からボクシング、WBAスーパーフェザー級世界チャンピオンの内山高志の特集があった。ボクサーとして才能・技術・意欲三拍子のそろった選手だという。強い関心を持たされた。

ウィキペディアから紹介記事を抜粋すると、
内山 高志(うちやま たかし、1979年11月10日生)は、日本のプロボクサー。長崎県出生、埼玉県春日部市育ち。花咲徳栄高校、拓殖大学卒業。ワタナベボクシングジム所属。「ノックアウト・ダイナマイト」の異名を持つ。
第39代WBA世界スーパーフェザー級王者。元アマチュア4冠王。

NHK番組では彼の生活ぶりを密着取材していたが、自己の目標に合わせたその見事なまでのセルフコントロールの姿に驚かされたし、意識の高さにも感心させられた。現在の目標はチャンピオンを少しでも長く続けることだという。60過ぎの私から見ると、30歳という若さでありながら、その志の高さと行動力に脱帽させられた。

彼の公式HPの写真も見てみたが王者の風格が感じられる。

参考HP
内山高志の公式HP

NHKの番組「スポーツ大陸」のこの番組の照会文からの抜粋

「今年1月、ボクシングの世界で最もし烈な争いが続くといわれる中量級で、無名のボクサーが世界の頂点に上り詰めた。WBAスーパーフェザー級の新チャンピオン・内山高志、30歳。」
・・・
「高校入学と同時にボクシングを始める。2004年のアテネ五輪出場を目指したが、アジア地区最終予選で敗退。その後プロに転向。2010年1月WBAスーパーフェザー級王者サルガドに挑戦し、TKO勝利。第39代WBAスーパーフェザー級王者となる。
BS1 2010年 9月18日(土) 午後 10時00分~
総合 2010年 9月19日(日) 午前 10時05分~」
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栗林忠道陸軍中将

2007年01月06日 | 人物日記
クリントイーストウッド監督、渡辺謙主演の映画「硫黄島からの手紙」がヒットしている。

今日は栗林忠道中将(戦死の直前に陸軍大将に昇進)をネットで調べてみた。

結果を以下の箇条書きにしてみた。

・長野県長野市松代町出身で、明治24年(1891年)7月7日、戦国時代から続く郷士の家に生まれた。
・米国で有名な太平洋戦争の日本軍人の一人。
・米国やカナダの日本大使館付の武官だったことがあり米国通の合理主義者であった。
・昭和19年(1944年)6月硫黄島に着任し、昭和20年3月の最期の総攻撃で戦死した。
・硫黄島以前の戦闘での万歳突撃を禁止してゲリラ的戦術をとり、米軍が予想外の苦戦を強いられた。
・アメリカから子供への手紙はイラストを入れた絵手紙で、戦後それを題材にした本「『玉砕総指揮官』の絵手紙」(小学館文庫、2002年)が出版されている。
・子供への手紙は今もネット上に公開されている。
・中将の孫が国会議員(新藤義孝氏)として活躍している。

<参考>
(1)フリー百科事典ウィキペディアの「栗林忠道」>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E6%9E%97%E5%BF%A0%E9%81%93
(2)衆議院議員新藤義孝氏のHP>http://www.shindo.gr.jp/
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サラ・ブライトマン

2006年12月11日 | 人物日記
新聞でサラ・ブライトンの記事に目が留まった。「曲は有名だが」というサブタイトルにも引かれたのかもしれない。

1960年生まれのイギリスのオペラ歌手であり、ミュージカル女優である。1986年に「オペラ座の怪人」で有名になったという。

1991年にはNHK紅白にゲスト出演し、オペラ座の怪人から「ミュージック・オブ・ザ・ナイト」を歌ったとある。1993年には、アンドレア・ボチェッリとのデュエット「タイム・トウ・セイ・グッバイ」が1500万枚売れたそうだ。

この10月4日に東芝EMIから発売されたベストアルバムCD「輝けるディーバァー・ザ・ベスト・オブ・サラ・ブライトマン」(2500円)を買ってみた。

期待通りの美しい歌が聴けた。

<参考>
(1)東芝EMIのサラ・ブライトマンHP>http://www.toshiba-emi.co.jp/sarah-brightman/
(2)フジサンケイビジネスアイ06年11月24日(金)朝刊25面記事「サラ・ブライトマン、東芝EMIミリオンヒットの手応え」
(3)ウィキペディアの記事>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3
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聖徳太子

2006年10月24日 | 人物日記
06年10月20日付けのフジサンケイビジネスアイだったと思うのだが、櫻井よしこさんのコラムで日本の歴史上の人物を挙げるとしたら聖徳太子が第一であると書いていた。

あまりにも有名と言うか身近すぎて気にしたことはなかった。そして、知っているようでいて知らない人物でもある。

改めてネットで検索してみると、おそろしく沢山の情報が存在していた。財団法人の聖徳太子会という組織があること、聖徳太子専門のブログも立ち上がっていることなど、ビックリするほどである。

個人的な関心レベルと社会的な関心のレベルとのギャップを思い知らされた気がした。

日本を知るという意味において避けて通れない人物であるから、リアル社会・ネット社会での取り扱われ方も含めてもっと知っておくべきであろう。

<参考>
(1)ウィキペディアの聖徳太子記事>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90
(2)郵趣による古代日本>http://www2.biglobe.ne.jp/~t-iwata/index.htm
(3)聖徳太子>http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/sub1.html
(4)kituno島>http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/8674/
(5)飛鳥の扉>http://www.asuka-tobira.com/
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キリシタン 細川ガラシャの生涯

2006年10月21日 | 人物日記
NHKの番組「その時歴史は動いた」の第266回の番組「神は我を救い給うかーキリシタン 細川ガラシャの生涯ー」を見た。

印象が2つ残った。一つは、オーストリアのウイーンで細川ガラシャをテーマにしたオペラが見つかったということ。他の一つは、「困難に出会って、人の徳は最もよく磨かれ、美しい光を放つ」という表現である。

ガラシャは石田三成が差し向けた追っ手に対して抵抗し、家臣に自分を殺させた。自殺を大罪とするキリスト教の教えと、いざという時は自害せよという夫・忠興の指示の狭間で選んだガラシャの死に方であった。

日本人のことは意外と海外に記録が残っている。しかも、それは日本人の良さを示す場合が少なくないことを再認識した。ジャーナリストの桜井よし子氏や「危機の日本人」を著した山本七平氏も言っているが、日本人の良さを日本人自身が歴史からもっと学ぶべきだと思う。

また、自分もそうであるが、困難に直面した時は逃げる人が一般的である。そうすることを続けていると人は段々に堕落していくという思いがある。試練に向かって自分に磨きをかけたいと思うのだが、これが中々難しい。細川ガラシャはやはり偉いと思う。

細川ガラシャは信長に反逆した明智光秀の娘で、本能寺の変以来13年間、反逆者の娘として生き、キリスト教に共感し、石田三成の人質戦略に反抗して死を選び、細川家の菩提寺で大切に埋葬され、歴史に名を残している類稀な女性である。

<参考>
(1)NHK番組「その時歴史は動いた」の「神は我を救い給うかーキリシタン 細川ガラシャの生涯ー」の紹介ページ>http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_syokai.html#02
(2)山本七平著、「危機の日本人」、角川oneテーマ21、686円(外税)、2006年4月10日初版発行
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平手造酒

2006年03月19日 | 人物日記
田端義男の「大利根月夜」や三波春夫の「大利根無情」で唄われる平手造酒(みき)は、「行かねばならぬ行かねばならぬのだ」で昭和の頃に有名であった。

笹川繁蔵の世話になった平手造酒は北辰一刀流千葉周作道場を破門になった剣客であった。

飯岡の助五郎一家が笹川の繁蔵一家へ殴り込みをかけるという話しを聞いた平手造酒は、一宿一飯の恩義を感じて病気の身ながら笹川の繁蔵を助け、自らは笹川一家唯一の犠牲者となって死んでしまう。

昭和時代の一世を風靡した、「利根の川風袂に入れて月に棹さす高瀬舟」と浪曲や講談で有名な「天保水滸伝」の一場面である。

一連の事件が講釈師・宝井琴凌(きんりょう)の取材により「天保水滸伝」として世の発表されたのは1850(嘉永3)年のことである。

<参考>
(1)天保水滸伝笹川の花会>http://homepage3.nifty.com/maruho/suikoden.htm
(2)「天保水滸伝を訪ねる」>http://www.h2.dion.ne.jp/~sugi0315/tenpo.htm
(3)東庄HPの「天保水滸伝 笹川繁蔵」>http://www.town.tohnosho.chiba.jp/HTML/rekishi/tenpo.html
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アグネスチャン

2005年07月16日 | 人物日記
あさの五時頃たまたまフジテレビを見たところアグネスチャンさんが学校の先生たちを前にしてスピーチをしていた。自分が過去出会った先生のすばらしい思い出をお話していた。その内容のすばらしさにうなってしまった。人をほめること、はげますこと、つつむことの大切さも再認識させられたすばらしいスピーチであった。

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