台北郊外にある芝山巌(現在の表記は芝山岩)は領台当初にこの地でゲリラに襲われた学務官僚を記念した石碑が残っています。私もよくお客さんを案内してここを訪れるのですが、烏来の高砂義勇隊の石碑に続いて、台湾内の反日派集団による抗議活動(撤去を求める)動きが報じられています。芝山巌についてと、芝山巌事件については拙著『観光コースでない台湾』(高文研)で詳しく触れていますので、ここでは触れませんが、馬英九を支える側近によって台北市文か局が動かされ、けしからんということになったのが真相のようです。なお、士林国民小学や人権団体、一部の教育団体はこういった台北市の動きに反発。抗議書を送っているそうです(まだ台北市は具体的な動きは何もしていません)。
なお、この石碑は時の総理大臣伊藤博文が贈ったもので、戦後、国民党勢力によって牽き倒されていましたが、陳水扁市長時代に台湾の歩みを伝える歴史の証人という見方で起こされました。それ以来、外省人過激派による落書きが絶えず、説明板を設けることもできないという状態でした。植民地統治の是非はともかく、ここは台湾の人々が初めて近代的な教育に触れた現場であるという主張は、学者・研究者たちからも時折耳にします。
なお、芝山巌には殉職教育者を祀る神社がありました。例によって戦後に撤去され、本殿跡には現在、図書室が建てられています。この図書室は蒋介石の側近だった戴笠(字・雨農)にちなんで雨農図書室という名が付けられています。また、図書室後方には殉職者の名が刻まれた石碑が無惨な状態で放置されています。
なお、この石碑は時の総理大臣伊藤博文が贈ったもので、戦後、国民党勢力によって牽き倒されていましたが、陳水扁市長時代に台湾の歩みを伝える歴史の証人という見方で起こされました。それ以来、外省人過激派による落書きが絶えず、説明板を設けることもできないという状態でした。植民地統治の是非はともかく、ここは台湾の人々が初めて近代的な教育に触れた現場であるという主張は、学者・研究者たちからも時折耳にします。
なお、芝山巌には殉職教育者を祀る神社がありました。例によって戦後に撤去され、本殿跡には現在、図書室が建てられています。この図書室は蒋介石の側近だった戴笠(字・雨農)にちなんで雨農図書室という名が付けられています。また、図書室後方には殉職者の名が刻まれた石碑が無惨な状態で放置されています。