台湾体験ー片倉佳史のブログ

台湾在住のフリーランスライター片倉佳史のブログです。台湾関連のニュースや情報交換は台湾特捜合同掲示板でどうぞ。

嘉義駅

2006-04-27 15:04:41 | 鉄道ー駅
嘉義駅です。昭和時代初期によく見られたターミナル建築です。玄関部に付けられた車寄せがものすごい不格好です。地元でも評判はよくありません。現在、駅舎脇の貨物倉庫群は嘉義鉄路芸術村として開放されています。

レトロ写真・蘇澳漁港

2006-04-27 02:07:12 | 台湾の日本統治時代の遺構
戦前の蘇澳(南方澳)漁港の様子。この写真が撮られた場所はわかっており、ほぼ同じ構図で写真を撮れます。日本統治時代、どんなに海が荒れても港湾内は大丈夫だったと言われていたそうです。また、沖縄からの移民も多く住んでいた町でした。右手の砂浜では海水浴もできたそうです。

海洋文化芸術館

2006-04-27 01:53:05 | 台湾の日本統治時代の遺構
基隆駅斜め前にある旧日本郵船株式会社基隆支店です。戦後は国民党政府に接収され、その後長らく陽明海運の所有物となっていました。今年、改修を経て、海洋文化芸術館としてオープンしました。六月号の日本航空の会員誌「AGORA」で紹介しましたので、そちらもご覧いただけると幸いです。

台東旧駅の様子

2006-04-24 14:09:41 | 鉄道ー駅
新駅にバトンタッチし、その役目を終えた旧駅の様子です。現在、敷地は芸術村として整備されています。町はここを中心に開けており、駅前広場は公園になっています。駅舎の脇には日本統治時代に建てられた鉄道員の官舎が残っています。

楊梅(フルーツ)

2006-04-23 23:55:37 | 台湾の地方グルメ
馬公市の市場でみかけたフルーツ。楊梅は澎湖特産というわけではありませんが、澎湖名物として知られています。ちょうど今が旬。意外にもさわった感じはトマトのようで、食感はややねっとりしていて、甘さはひかえめ。切り身にした感じはちょっとだけ桃に似ています(色は黄色だけど)

澎湖島へ行ってきました

2006-04-23 14:13:55 | 日記
澎湖島へ行ってきました。旅行代理店主催の記者旅行で一人で参加。なんだか朝から晩までシャッターを押していたように思います(苦笑)。写真は澎湖島の象徴とも言うべき天人菊。きれいなだけでなく、風や塩にも強い植物です。

旧泰安駅の補修工事完成

2006-04-16 22:47:51 | 鉄道ー駅
台中県の旧泰安駅は新ルート開通によって廃止され、現在は同駅名で高架駅になっています。旧駅舎は日本統治時代の老建築で、現在は台中県が指定する古蹟になっています。詳しくは、拙著『台湾日本統治時代の歴史遺産を歩く』の123ページをご覧いただきたいのですが、1935年の震災から復旧したことを記念した石碑が残っています。駅舎はここしばらく修復工事が施されていましたが、それも完了。現在の泰安駅からは一キロほどなので、途中下車をしてみるのもおもしろいかもしれません。

台北賓館(旧台湾総督官邸)の修復工事完了

2006-04-16 22:40:43 | 台湾の歴史建築
かつての台湾総督官邸。現在は外交部が管理する迎賓館となっているこの建物ですが、六月からの一般開放に向けての修復工事が完成したようです。私はこれまでに何度か撮影の機会をもらってきたのですが、これからは自由に入れるということで、楽しみにしています。早く六月にならないかな。

台湾紅茶

2006-04-16 19:57:48 | Weblog
新竹県関西にある旧台湾紅茶株式会社の工場を訪ねました。台湾茶業の歴史は長く、エピソードも豊富です。ここは今もなおかつての工場建築が残っています。煉瓦と木材を組み合わせた独特な建物でした。現在は紅茶よりも緑茶(茶葉を細かく裁断した緑茶粉が大ヒット中)がメインになっています。館内には歴史を伝える多くの文物が保存されていました。

鱒料理

2006-04-16 13:09:10 | 台湾の地方グルメ
先週、新竹県の取材に出た際、鱒の養殖場を訪ねました。台湾では烏来の奥にある福山村(現地名・リモガン)の養殖鱒が有名ですが、最近は結構いろいろなところで楽しめるようになりました。きれいな水というのが絶対条件なので、おのずと山奥になりますが、景色も良いので楽しめるかもしれません。それにしても、この料理の数、すごいです。まさに鱒尽くしといった感じです。

今月号の光華雑誌(日文版)で片倉が紹介されています・・

2006-04-14 03:01:12 | Weblog
今月号の光華雑誌(日本語版)で紹介していただきました。手に取ることがありましたら、どうぞご覧ください。また、ウェブサイトでも記事が読めます。

こういった場に出るのは恥ずかしいですね・・・

http://www.sinorama.com.tw/jp/current_issue/show_issue.php3?id=200649504042j.txt&page=1&show=1&mid=420062006

芝山岩の石碑

2006-04-13 03:09:23 | 台湾の日本統治時代の遺構
片倉佳史です。お問い合わせがありましたので、芝山岩の石碑をご紹介します。雨農図書室の裏手に3基の石碑があり、2基は原型を保っているものの(一度壊されたものの修復済み)、残りの一基は粉々にされています。この石碑は殉職教員のために、後藤新平が建てたものと言われています(だからこんな状態にされたのでしょうか)。石碑には殉職した教員の氏名が記されており、台湾人も多く含まれています。

汐止駅のスタンプ

2006-04-13 02:50:04 | スタンプと風景印
日本統治時代のスタンプです。リュックサックをイメージした独特なデザインです。今でこそ郊外都市になっている汐止ですが、日本統治時代は炭坑密集地帯でした。また、このスタンプでも記されているように、ハイキングスポットでもありました。ちなみにここはあまり知られていませんが、台北に最も近い蝶の名所でもあります。

芝山巌の石碑の扱い

2006-04-13 02:36:13 | 台湾の日本統治時代の遺構
台北郊外にある芝山巌(現在の表記は芝山岩)は領台当初にこの地でゲリラに襲われた学務官僚を記念した石碑が残っています。私もよくお客さんを案内してここを訪れるのですが、烏来の高砂義勇隊の石碑に続いて、台湾内の反日派集団による抗議活動(撤去を求める)動きが報じられています。芝山巌についてと、芝山巌事件については拙著『観光コースでない台湾』(高文研)で詳しく触れていますので、ここでは触れませんが、馬英九を支える側近によって台北市文か局が動かされ、けしからんということになったのが真相のようです。なお、士林国民小学や人権団体、一部の教育団体はこういった台北市の動きに反発。抗議書を送っているそうです(まだ台北市は具体的な動きは何もしていません)。
なお、この石碑は時の総理大臣伊藤博文が贈ったもので、戦後、国民党勢力によって牽き倒されていましたが、陳水扁市長時代に台湾の歩みを伝える歴史の証人という見方で起こされました。それ以来、外省人過激派による落書きが絶えず、説明板を設けることもできないという状態でした。植民地統治の是非はともかく、ここは台湾の人々が初めて近代的な教育に触れた現場であるという主張は、学者・研究者たちからも時折耳にします。
なお、芝山巌には殉職教育者を祀る神社がありました。例によって戦後に撤去され、本殿跡には現在、図書室が建てられています。この図書室は蒋介石の側近だった戴笠(字・雨農)にちなんで雨農図書室という名が付けられています。また、図書室後方には殉職者の名が刻まれた石碑が無惨な状態で放置されています。

新しい台湾の観光列車

2006-04-11 15:40:42 | Weblog
台鉄からの最新情報です。現在、台湾では観光列車と称して、台湾一周の豪華列車「フォルモサスター」のほかに、「温泉公主号」と「墾丁之星」が走っていますが、これの運営業者との契約が終了したことで、列車もリニューアルされることになりました。名称は「東方美人号」「総裁一号」となります。あまりカッコ良い感じはしませんね。台鉄はこういった貸切列車の乗車率は低くないと強がっていますが、「フォルモサスター」以外は、がらがら状態でない様子を見たことがありません。設備的にも日本人や外国人が満足できるとは言えず、どうなるのかなという感じです。