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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

蜘蛛の糸

2017-10-22 14:43:32 | 日常
スッ・・と大地に還るはずが

蜘蛛の糸に留められ、秋の大気にユラユラ

この季節、気の森にはこうした光景がそこかしこに見られます。

               

『そこでカンダタは大きな声を出して
 「こら罪人ども、この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。
 お前たちは一体だれに尋(き)いて、のぼってきた。
 「下りろ。下りろ。」と喚(わめ)きました。』
         (芥川龍之介「蜘蛛の糸」文藝春秋社刊)

その後のことは皆様よく御存知の通り、
蜘蛛の糸はプツリと切れてカンダタは地獄に逆戻り。
自分さえ助かれば良いという、
カンダタの浅ましさが招いた自業自得の顚末であります。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は、
19世紀の作家ポール・ケーラスの小説「カルマ」を
題材に採って書かれたと言われ、また世界中に、
こうした因果応報の説話が数多くあるそうです。

それは取りも直さず、
人間の持つ浅ましさ・行為と想念の報い・罪と罰・
天上世界と地獄世界・超越者の存在等々といった主題が、
人類共通の普遍的なテーマであることの証左に他なりません。

               

今回「蜘蛛の糸」を読み返してみました。
ドローン目線で俯瞰しつつ読み進めますと、

お釈迦様がいて、カンダタがいる。
カンダタがいて、お釈迦様がいる。

極楽があって、地獄がある。
地獄があつて、極楽がある。

どちらか一方だけでは到底成り立たず、
二つがお互いを照らし合い、作用し合い、
それらを大きな世界が包みながら、
ダイナミックに動いていることに気付かされました。

〈物語〉というものに登場するキャラクターや設定の全てを、
一人の人間とその人生を構成する側面の数々と解釈するならば、
お釈迦様とカンダタとは、明確に分けられるものではなく、
極楽と地獄とは、遠く離れた場所ではない事に思い至ります。

人は皆、
少しばかりの名誉、僅かばかりのお金を目がけて、
なりふり構わず生きるもの。

人間が本来的に持たざるを得ない浅ましさを
〈カンダタ〉と名付けるのならば、
私の内側には間違いなくカンダタがいます。

               

小説「蜘蛛の糸」は、
カンダタが血の池に落ち、地獄に戻る所で終わりました。

けれども私は信じます。
お釈迦様が、このあと何度も何度も蜘蛛の糸を垂らし、
カンダタは何度も何度も挑戦しては失敗し、その度に

「人間とは何か」
「人間とはどうあるべきか」

そうした事について考えを深め、過去の行いを悔い改め、
やがて多くの地獄の住人達と共に極楽へ辿り着く事を。
お釈迦様の足元に、万感の涙と共にひざまずく事を。




                  
              









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