以前のブログで、
気ノ森にオオルリが生息しているらしい、
ということを書かせて頂きました。
オオルリは、漢字で書けば「大瑠璃」。
瑠璃は〈ラピスラズリ〉の和名であります。
瑠璃の語源にも諸説ありますが、
ラピスラズリを意味するサンスクリット語「ヴァイドゥーリャ」が
古代インドから東へと伝わる中で「ベイルリ」と音写され、
漢字圏で「吠瑠璃」と当て字され、
更に縮まり「瑠璃」と呼ばれるようになったという説があります。



「瑠璃」で想起されますのは薬師如来。
サンスクリット名を
「バイシャジャ(医療医薬)・グル(師匠)
ヴァイドゥーリャ(瑠璃)・プラバ(光)・ラージャ(王)」
と称され、
仏典には「薬師瑠璃光如来」の御名で登場されます。
御高承の通り、
《東方瑠璃光世界》とも《浄瑠璃世界》とも呼ばれる所におられ、
お身体の色も瑠璃群青(ラピスラズリ・ブルー)。
病気平癒に優れた功徳をもたらす仏尊として、
古くから人々の信仰を集めておられます。


鉱石としての瑠璃/ラピスラズリは、アフガニスタンが原産国。
2001年、アフガニスタン中部・バーミヤンにおいて、
当時その一帯を支配していた武装勢力により、
仏教遺跡・通称〈バーミヤン大仏〉が破壊されました。
仏教は《無常》を説きます。無常とはつまり、
「あらゆる存在、あらゆる行いは常態を保てない」
という事であり、古来暮らしの中では極めて平易に、
「形あるものは、必ず壊れる」と言い慣わされて来ました。
意図的に「壊す」事と、自然に「壊れる」事とは違いますので、
武装勢力の意図的な破壊行為は容認しがたい蛮行です。
とは言え「暴」に「暴」で報い、「憎」に「憎」で応じては、
武装勢力と同じ次元に堕ちることになります。
そこで仕方なく観方を変え、あの暴挙こそは、
《無常》という仏教の根本教義を世界に示したものであり、
武装勢力は〈バーミヤン大仏〉を壊すことで、
むしろ仏門に帰依することになったのではないか?
と戯れ言を申してしまいましたが、
宇宙138億年の時空に照らして観れば、
創造する者も破壊する者も、和合する者も対立する者も、
生まれくる者も死にゆく者も、皆々が等しく「常ならぬ身」
無常の存在であることに変わりはありません。



職種・業界を問わず、
活動旺盛な方々、成功を収めておられる方々というのは、
皆さん大変に輝いておられます。
只その輝きは、時として強い個性や鋭い才気の色を帯び、
とても魅力的な光ではあるものの、
他者の苦悩や弱った部分と共振する光とは異なります。
人が、疲れたり弱ったり病んだりした時に必要なのは、
輝度の低い、静かに寄り添うような光なのかも知れません。
暮れてゆく空の青・明けそめる宇宙の蒼・生と死を抱く海の碧、
そうした明暗分かちがたい深くてアオい色の光。
古来《瑠璃光》として、人々の見えざる傷を修復してきたのは、
そのような光を指すのではないかと思います。



薬師寺・新薬師寺・室生寺・東寺金堂等々、
今も大勢の方々が薬師瑠璃光如来に手を合わせておられます。
それはあたかも人々が、
見えざる瑠璃の光を求め、
柔らかな瑠璃の光に包まれる姿のように映ります。




気ノ森にオオルリが生息しているらしい、
ということを書かせて頂きました。
オオルリは、漢字で書けば「大瑠璃」。
瑠璃は〈ラピスラズリ〉の和名であります。
瑠璃の語源にも諸説ありますが、
ラピスラズリを意味するサンスクリット語「ヴァイドゥーリャ」が
古代インドから東へと伝わる中で「ベイルリ」と音写され、
漢字圏で「吠瑠璃」と当て字され、
更に縮まり「瑠璃」と呼ばれるようになったという説があります。



「瑠璃」で想起されますのは薬師如来。
サンスクリット名を
「バイシャジャ(医療医薬)・グル(師匠)
ヴァイドゥーリャ(瑠璃)・プラバ(光)・ラージャ(王)」
と称され、
仏典には「薬師瑠璃光如来」の御名で登場されます。
御高承の通り、
《東方瑠璃光世界》とも《浄瑠璃世界》とも呼ばれる所におられ、
お身体の色も瑠璃群青(ラピスラズリ・ブルー)。
病気平癒に優れた功徳をもたらす仏尊として、
古くから人々の信仰を集めておられます。



鉱石としての瑠璃/ラピスラズリは、アフガニスタンが原産国。
2001年、アフガニスタン中部・バーミヤンにおいて、
当時その一帯を支配していた武装勢力により、
仏教遺跡・通称〈バーミヤン大仏〉が破壊されました。
仏教は《無常》を説きます。無常とはつまり、
「あらゆる存在、あらゆる行いは常態を保てない」
という事であり、古来暮らしの中では極めて平易に、
「形あるものは、必ず壊れる」と言い慣わされて来ました。
意図的に「壊す」事と、自然に「壊れる」事とは違いますので、
武装勢力の意図的な破壊行為は容認しがたい蛮行です。
とは言え「暴」に「暴」で報い、「憎」に「憎」で応じては、
武装勢力と同じ次元に堕ちることになります。
そこで仕方なく観方を変え、あの暴挙こそは、
《無常》という仏教の根本教義を世界に示したものであり、
武装勢力は〈バーミヤン大仏〉を壊すことで、
むしろ仏門に帰依することになったのではないか?
と戯れ言を申してしまいましたが、
宇宙138億年の時空に照らして観れば、
創造する者も破壊する者も、和合する者も対立する者も、
生まれくる者も死にゆく者も、皆々が等しく「常ならぬ身」
無常の存在であることに変わりはありません。



職種・業界を問わず、
活動旺盛な方々、成功を収めておられる方々というのは、
皆さん大変に輝いておられます。
只その輝きは、時として強い個性や鋭い才気の色を帯び、
とても魅力的な光ではあるものの、
他者の苦悩や弱った部分と共振する光とは異なります。
人が、疲れたり弱ったり病んだりした時に必要なのは、
輝度の低い、静かに寄り添うような光なのかも知れません。
暮れてゆく空の青・明けそめる宇宙の蒼・生と死を抱く海の碧、
そうした明暗分かちがたい深くてアオい色の光。
古来《瑠璃光》として、人々の見えざる傷を修復してきたのは、
そのような光を指すのではないかと思います。



薬師寺・新薬師寺・室生寺・東寺金堂等々、
今も大勢の方々が薬師瑠璃光如来に手を合わせておられます。
それはあたかも人々が、
見えざる瑠璃の光を求め、
柔らかな瑠璃の光に包まれる姿のように映ります。



